「ところで、あなたは学ばないの?」
「はい?」
「魔導。基礎はもうできてる気がするんだけど」
「何言ってんのさ?」
「あれ。気付いてない?」
どこか慌てたようなキールを見つめると、そこにはやはり、困惑がおがあった。思わず、揃って足を止める。
「あたしに力を注いでたあれ、治癒の応用だよ。多分、エヴァも気付いてると思うけど」
「…ちょっと待った。エヴァって、誰」
「エバンス」
言った途端に、キールは一瞬きょとんとして、盛大に吹き出した。
少しばかりまずいことをしたかと思うが、それ以外の愛称も思い浮かばない。口にしてしまった言葉は取り消しようもないのだし、まあ、観念してくれるだろう。
「話を戻すけど。多分、ある程度は訓練をしたほうがいいと思うよ。今のままだと、不安定すぎる」
「不安定って?」
「生来引き出せるものと、訓練をしないと扱いにくいものをごっちゃにして使ってるかもしれないってこと。下手したら、干渉し合って弾けちゃうよ」
「はぁ」
わかったのかわからないのか、曖昧な返事がよこされた。むしろ、カイに話させたほうがわかりやすくなるだろうか。
そうしているうちに洞窟に到着し、シュムは、そっと中を覗きこんだ。
中から風が吹き、一瞬、力が抜けるのを感じた。ふっと膝をつきそうになったところを、慌てたキールが手を伸ばす。腕を掴まれ、しかしそれ以上力が抜けることはなかった。
まじまじとキールを見ると、向こうもシュムを覗き込んだ。引き返すべきなのかどうか、判断材料を探しているのだろう。
「ねえキール、一瞬、手を離してくれる? あたしが倒れかけたら、またすぐに支えて。いい?」
「え? ああ…?」
「お願い」
言って、離してもらう。なんともなくて首を捻っていると、また、風が吹いた。しかも今度は長い。
だが、再び沈みかけた体をキールが掴むと、それ以上力が抜けることはなかった。芯が疲れた感じは拭い切れないが、大丈夫だ。
「シュム、やっぱり戻った方が」
「キール、手をつないでてくれる? それか、どこかに触れててくれるだけでもいいと思うけど。多分、あなたが触れてたら平気みたい」
「大丈夫か?」
「まともだと思うよ。さっき二回、風が吹いたとき力が抜ける感じがしたけど、キールが掴んだらなくなった。どうしてかは知らないけど、対抗するものがあなたにあるってことじゃない?」
疑う目で見られ、しかし、それ以上言いようもない。ただただシュムは、キールを見つめ続けた。
やがて、肩をすくめて目が逸らされる。
「まあ…そう言うなら、そうかも」
「じゃ、行こうか」
そうして踏み出した洞窟は、湿気を帯びて日中だというのに、入り口近くで既に暗い。
昨夜のように何かに呼ばれるかと思ったが、その気配もない。ただの洞窟のように見えるが、シュムは周囲を見回した。感じられる湿度の割には、苔もかび臭さもない。時々、木の根が這っているのが見える。
歩いて行くと、ふと、焦げ臭いにおいがして首を傾げる。
「何、この臭い」
「あー、なんか炭の塊が落ちてる。これ、にーさんか?」
「カイ? ってことは、ここは通ったんだね。まだ中にいるのかな。でもこれ何だろう」
「…なあ、何か判る気がする」
「え、何?」
笑うしかないといった表情のキールから、その指が示す先を見る。見て、硬直した。
巨大蛙が、滑空してくる。
跳ぶのでなく、飛ぶ。明らかに飛んでいる。
それよりも。ぬめぬめとした表皮が、闇の中にもはっきりと判る。
ぬらぬらとした生き物は、駄目だ。魚はいい。あれは、濡れているだけだ。わざわざ分泌液を出しているような生き物が駄目だ。どう頑張っても、どう足掻いても駄目だ。
「……っ!」
今までは、適当にごまかしてやってきた。目を逸らして、その場を離れる。それで何とかしてきた。
が、今はどうだろう。
「すっごいなー。何食ったらあんなにでかくなれんだか。よく自分の体重で潰れな…嬢ちゃん?」
え、と驚いたような、気の抜けたような声が聞こえた。脂汗をかいている自覚のあるシュムは、しかし反応を返す余裕もない。
「ひょっとして、苦手? え、まじで? 嘘だろ、死ぬかもしれないって状態で平然としてたのに?」
盛大に仰天した声に、どうにかこうにか頭を落として肯いて見せた。
どうしたって相容れないものというのが、この世にはある。ナメクジでもカエルでもカタツムリでも、湿地帯や野原を歩けばわんさかいるのだが、慣れないものは慣れなかった。
「仕方ないなー、じゃ、俺がなんとかするか。剣借りていい?」
「だっ、駄目っ、ぬるぬるがつく!」
「…了解」
動けないからと手をつなぐのではなくシュムに腕を掴ませ、キールは深呼吸のように息を吸った。
「えーっと。あ、こいつでいいか」
呟きが聞こえ、土壁に掌を当てたようだった。そして、それはすぐに起こった。
壁を這い、のぞいていた木の根が、うねってカエルを絡め取る。ぬめりが強調されるような光景に咄嗟に目をつぶってしまったシュムは、そのまま体を硬直させていたが、しばらくしてからキールに肩を叩かれ、ようやく恐る恐るとまぶたを上げた。
そこには、垂れ下がった木の根と、消し炭に加わって転がった黒い小さな固まりがあった。
「えーと?」
「根っこを一気に成長させて、そのままカエルから養分を取らせた」
「…それって、人にも有効?」
「あー…ああ、多分ねー。危険人物認定?」
キールは、自分の立場をおそらくは正確に理解している。相手がエバンスや彼の兄でなければ、という但し書きつきではあるが。
それなのに取り繕わず、逃げるような素振りもないのは、諦めているからだろうか。大切にしていた母を亡くし、そこで放棄してしまったのだろうか。もしこれで逃走など企てていれば、シュムやエバンスよりもずっと役者が上ということになる。
「決めるのは、あたしじゃないよ。卑怯な言い方だけどね」
もしシュムがエバンスの立場にあれば――国の平和と国王一家の幸せを心底願い、そのために努力を惜しまない人物であれば、きっとキールの抹消を決めるだろう。彼の存在はあまりに危うく、カイたちの住む異世界とこちらとの均衡を崩す一手になりかねない。他国との関係も、情報が流れれば亀裂を入れると目に見える。
しかし、エバンスがそれと割り切って行動できるような男であれば、国王は彼を手元には置かなかっただろう。
そう考えたが、あくまで予測だ。下手な期待を持たせないように、シュムは話をそこで打ち切った。
「それより、この根どうするの? このまま垂らしておいて大丈夫? 水分が取れなくて枯れたり他の生き物襲ったりしない?」
「んー」
首を傾げ、キールは無造作に根に手を伸ばした。触れて、引っ張ってみる。
「襲うのは大丈夫そうだなー。枯れるのは、どうだろ。俺、植物には詳しくないからなー。とりあえず土に埋めるか」
そう言って、土壁を軽く掘って根を沿わせ、そこで頭を掻く。粘着性のない土では、根を壁に留まらせることは難しそうだった。
シュムは肩をすくめ、掴んでいた手を絡ませて、両手を空けた。それで印を結び、短い呪で水を呼び――術が発動しないことに気付いた。
「え?」
慌てて、召喚術に切り替えてみる。これは、印も魔法陣を描く必要もない。意識を集中させるだけで、勝手に生成される。だがそれも、反応がなかった。
「え――」
あるときは疎みながらも、十一で不老を発生してからというもの、身に添い続けた力がなくなっている。前にも似た状態に陥ったことはあるが、あの時は、予想がついていた。今は――予想外で元に戻るのかも判らない。もしかすると一生、このままかもしれない。
ただただ呆然と、シュムは立ち尽くした。
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