「えー…、どうしてこんなことに?」
「厭なら来なくていいんだってば」
「にーさんが恐そうだし」
軽く言葉を返すキールにこちらも適当に返しながら、シュムは自分の体調の変化に注意を払っていた。
死んだところでそう困りはしないが、無駄に命を落とすのも癪だ。無理と判断すれば、とりあえずは大人しく二人が戻るのを待つつもりでいる。無茶はやっても無謀ではない。つもりだ
「あなたのお母さんって、どんな人だったの?」
「は?」
「ある程度の鍵を、その人が持ってると思うんだ。時期から見ても、そうでしょ?」
「…俺も、あんまり知らない」
「知ってることでいいよ」
実は、大まかな来歴はロバートから聞いている。彼の妻は、キールの子守の他にその母親の看病を行い、話し相手にもなっていたらしい。
ナクシス家の長女に生まれたティアトは、名ばかりの旧家と弟の将来を担い、ドーター家との婚約を図ったらしい。両親は早くに亡くして縁戚を通してのことだが、自分の意思だったというのだから、なかなかに利発な人だったのだろう。
当時ドーターの一人息子だったカーティスは、親が勝手に決めた婚約話に不満を漏らしていたが、一目ぼれ同然で式に臨んだらしい。
ロバートの妻が漏らしていた感想では、ティアトとカーティスの仲はよかったが、ティアトの感情が色恋のそれだったかは怪しいということだ。しかしティアトは、良き妻であり良き母であった。人外の子供を身ごもるまで、誰もがそれを疑わなかった。
ドーター家は、身重のティアトを放り出した。カーティスは、自分の子供ではない子を妻が身ごもったと知り、呆然自失の体で、ただ親戚たちの言い分に頷くだけだった。そこから抜け出すと、あるいは姉の駆け落ちも影響したのか、ティアトと復縁した。
出産後に寝付いてしまった妻とは、時間を見つけては会っていたらしい。ただ、キールはいないものとして過ごしていたとのことだ。
「俺が知ってるのは、生まれた俺を殺そうとしたってことくらいだ」
淡々と口にするキールの横顔をそっと見上げる。表情を取り繕うのが上手な青年は、本心をなかなか窺えない。ただ、つついて話をさせれば、厭なことまで思い出させたり傷つけたりすることはほぼ確実だろう。
少々、気が重い。しかし、洞窟に着くまでには済ませたいところだ。
「それなのに、わざわざ契約を結んでまで力を注いでたの?」
「暇潰しにな。どうせ、やることもない」
嘘だと、糾弾はしない。そんなことを言ったところで、本人にも判っているだろう。
だが、はぐらかされたことで確信が持てた。キールも知っていたのだろう。自分が、ある程度以上は愛されていたことを。そうでなければ、殺そうとした子供を手元に置くことはなかっただろう。最終、宮廷魔導士に託せばどうとでもしてもらえたはずだ。
情報の伝わらないそこであれば、国の役に立っているだろうとの勝手な予想も満足に立てられたはずだ。何より、目の前で姿をちらつかせることもない。
いや、一つだけそうでない可能性も考えられる。
「いつから?」
「一通り礼儀作法を叩き込まれて、ロブたち以外に会ってもいいって言われてからだから、十…十幾つかからだな。森に行って、気付いた」
「十歳って、それまではロバートさんにしか会えなかったの?」
「いや? 一応、いくつかの部屋は入ってもよかったから、下働きとここの奴ら何人かとは顔を合わせてた」
「ご両親やお兄さん?」
「呼ぶなら、そういうことになるか」
そうなると、自分の命を延ばしているからと気付いたわけでもないだろう。十年以上もあれば、もっと早くに厄介払いを考えたはずだ。
それにしても、少なくとも十年はこの微熱には猶予があるということになるだろうか。しかし、個体差も考えられる。あまり期待はしないことにしよう。
「なあ、シュム? あんたは何を疑ってんだ?」
ただ訊くだけよりも、こちらの推測を打ち明けてからの方が良さそうだ。そう判断したシュムは、覗き込む眼をそのまま見つめ返した。
「ロバートさんに聞いたんだけど、ティアトさん、洞窟に行ってもうあそこは大丈夫だ、って言ったらしいんだよね。何かをして、しかもそれを自覚してたってことじゃない? 現に、彼女が亡くなって、奇妙なことが起こってる」
「…具体的には?」
「そこまでは知らないよ。でも、そういった何かを察知できるなら…魔導関係になってくるかな、やっぱり」
意外そうなかおをするキールに、小首を傾げて応える。
「そういった力を、程度の差はあっても大体の人は持ってるものだしね。やろうと思えば、独学でだってできる。まあこれは、あんまりお薦めできないけど。ない話じゃないと思うよ?」
「でも…あんたも、何も判らないんだろ? リー導士に結構力持ってるって聞いたけど」
いつの間にそんな話をしたんだと、少しげんなりする。
シュムは確かに強い力を扱えるが、それは召喚に限定しての話だ。それ以外は、使えると言うと相手によっては笑われかねないくらいにお粗末なものだ。
変な話を、勝手に吹き込まないでもらいたい。
「波長があるし、あたしは察知下手だよ」
「でも…俺が人じゃないって、気付いてただろ、はじめから?」
「少し違うとは思ってたけど。でもそれくらい、そこそこ力が慣れてたら判るよ」
「だけど、そういうのは魔導士の修行をするもんだろ?」
「そうでもないよ。貴族の跡取りだったりすると力を封じ込めようとしたり、使わないことを目的に修行したりもするし、本人も周りの人も気付かなくて普通に暮らしてることだってあるし。力を持ってても魔導士以外の道をぶってこともあるんだから」
ティアトは、家の復興と弟の身寄りを背負っていたのだから、修行に時間がかかってその先も不安定な魔導士よりも、容姿を活かした道を選んでも不思議ではない。聡明な人だったということだから、割り切ってそう捉えることもできただろう。
困惑顔のキールと並んで歩いているうちに、森の入り口に到着していた。
「体調は?」
「うーんー、朝ほど急激には。だるさはちょっと増してる感じだけど、あたし今、意識混濁してないよね?」
「と、思うけど」
キールと二人で、首を傾げる。
朝は、少し近付いただけでもああなったのだが。キールに力を注いでもらったのがよかったのは間違いないだろうが、それにしてもこの差は何だろう。
鍵を、追加する必要があるかもしれない。キール・ドーターだ。
「この調子で、洞窟の中まで行けるといいんだけど。様子がおかしくなったら、止めてね」
「あ、ああ」
森に踏み入るが、さして変化も感じられない。もっとも、今朝も自分では異常に気付いていなかったのだから、大丈夫なのかいささか怪しいところだが。
洞窟はすぐそこで、夜とはいえ一度訪れたことのあるシュムは、躊躇うことなく歩を進めた。
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