「はじめまして。アトゥア・ハミルトンよ。おばさんでもおばあさんでも好きに呼んでちょうだい。よろしくね、可愛らしいお嬢さん」
小柄な中年女性は、そう言って握手を求める手を伸ばした。シュムが応じると、やわらかい手で握り返される。
どの村にも一人はいそうな、優しくておおらかな、人好きのする感じの女性だ。
「お初にお目にかかります。シュム・リーディストと申します」
「堅苦しい挨拶なんていいわよ、私ももう縁はないのだしね」
ごく当たり前のように口にする。笑顔につられて、シュムも笑みを返した。
「伯母さん、そのことなんだけど」
「キール、あの子のことを知らせてくれてありがとう。頑張ったわね」
「……別に」
思っていない感情を表すのに慣れた顔が、表情の選択に困っているように見えた。ぶっきらぼうにも思える反応に、二人きりの方がいいだろうという気になる。
シュムは、座っていたベッドから飛び降りた。
「外、散歩してきます。キール、ありがとう」
「また後で、お話しましょうね」
「はい」
柔らかな木漏れ日のような人だと思いながら、階段を下りて書架を抜け、外へと出る。都城に暮らす妹も、あと十年や二十年すれば、あの女性のようになるのかもしれない。シュムが、そんな空気をまとうことは一生ないだろう。
あれは、内面に応じただけの外見がなければ難しい。
「出てきたはいいけど、どうするかな」
とりあえず書庫の外壁に寄りかかり、あたたかな日差しを浴びる。キールのおかげで大分回復したが、体の奥の鈍い疲れは依然として残っていた。
厄介なこれが、カイとエバンスの調査でどうにかなればいいと思う。そうでなくても、二人が無事に戻ればいい。もし原因が判らなければ、直接乗り込むまでだ。すぐに、命が尽きるなり打開策を見つけるなりできるだろう。恐くないといえば嘘になるが、十分に動けない体や思考を抱える方が恐ろしい。
子供の体でも武器になるそれらがなければ、早晩、命を落とすのは目に見えている。それなら、早々に決着をつけたいものだ。
二人は反対するだろうなと思うと、自然と苦笑が漏れていた。カイとエバンスは、お互いが根っ子のところで似ていることに、いつ気付くだろうか。誠実で馬鹿正直でいつも迷っている彼らは、どうしてそれを観ようとしないのだろう。
エバンスの方は、異世界に住むカイの種族を恐れているからだとまだ判るが、カイの方はどうなのだろう。人との共通点など、探そうとも思わないのだろうか。
「おや、お嬢さん」
「ロバートさん。さっきは、ありがとうございました。スープもご馳走様」
「一人でどうしたね? あの男前さんは一緒じゃないのかい」
男前さん、という形容をカイが耳にしたらどう思うだろう、と考えると少し可笑しい。
桶を手にした下働きの男に、シュムは笑顔を向けた。
「ちょっと別行動。ロバートさんは、何をしてるの?」
「ああ、ちょっと馬丁が病気しちゃってね。なんでも、夜中に飲みに行った帰りに道端で寝明かしたらしいんだが。手伝いだ」
「ロバートさんって、普段何をしてるの?」
普通、城の下働きといったものはそれぞれの仕事が決まっている。専門があるとでも言えばいいのか、大きく管轄外のことをすることはないはずだが、ロバートは、どこか空気が違う。
「俺はまあ、女房がぼっちゃんの乳母のようなことをしていてね。あいつがいっちまってからは、坊ちゃんの相手をしていろということだったんだが、あの人も、大きくなってからはそう手もかからないし。ぶらぶらと、手の足りないところを手伝ったりしてるんだよ」
ではこの城の者は、半分は人でないキールを、この夫婦に押し付けたということか。そう身分が高かったとも思えないから、当主の血縁に対する処遇としては、甚だ粗末なものだ。もっとも、彼らにとっては、幸せと呼べる巡り会わせだっただろう。キールもロバートも、互いを疎んじている様子は微塵もない。
ある程度以上の人との関わりは、選ぶことができない。親や兄弟姉妹、親戚や幼年時の交流は、当人に選択肢のないものも多い。それだけに、シュムにアンジーという、例外だらけの姉を慕ってくれた妹がいたように、あたたかなつながりがあるのは他人事でも嬉しい。
「お仕事、手伝っていい?」
「お嬢さんはお客でしょう」
「それじゃあ、見てる。それならいいでしょ?」
「やんちゃなお人だ」
大らかに笑いながら、歩き始める。厩舎に向かうだろうその隣に、シュムも並んだ。歩調を合わせてくれているのか、小さな足幅でも急ぐことはなかった。
「アトゥアさんに会ったよ」
「ああ。いいお人だろう?」
「うん。どうして、あの人には別に書簡を届けないといけなかったの? まるで一人だけ、隠すみたいに」
ロバートは、歩みを止めてシュムをじっと見つめた。そうしてから、微笑すると再び歩き始める。
「お嬢さんになら、いいでしょう。あのお人は、執事さんの息子と駆け落ちしなさってね。ないものとされていたんだよ。でも、奥様とはとても仲が良かったから。血のつながった旦那様とよりも、よほど姉妹のようだったよ。ぼっちゃんが生まれたときも、何も言えなかった旦那様を尻目に、ぽんぽんとそれは気持ちのいいくらいに言いなさってた」
身分違いの結婚の結果、実家とは縁を切られているのだろう。義弟と妹も身分違いだったと思い出し、溜息をつきたくなった。あの二人は、目に見えて山盛りの問題を片付けて、よくもしっかりと収まったものだ。
そうはいかなかったらしいが同じことをしたアトゥアに、妹を重ねた理由が判った気がした。
「奥様も、体調を崩されてなかったらきっと、あのお人を応援なさっただろうになあ」
「体調を崩した原因は判ってないの?」
「口さがない奴らはぼっちゃんを生みなさったせいだなんていうが、そんなはずがあるもんか。産後の肥立ちだって、良かったって話だ。それを、勝手に尾ひれをつけて」
そこまで言ったところで、はっとして口をつぐむ。言いすぎたと思ったのか、ちらりとシュムを窺うような視線を寄越した。
シュムは、ゆっくりと呼吸をした。
「体調を崩したのがいつか、その前後に何があったか、知ってる?」
「どうしてそんなことを訊くんだい?」
わずかに、探るように様子が変わる。歩みも、すっかり止まっていた。
「あたしも、同じものが原因で寝付くことになるかもしれないから」
「………。坊ちゃんを生んで体力が戻ってから一人で森に行かれて、それで、しばらくあそこは大丈夫だと、そうおっしゃってた」
逡巡して、ロバートは呟くように言葉を吐いた。
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