第六場


 神が実在するなら、襟首を掴んで何を考えているのか問い質したいところだ。

 結局、何故か洞窟を訪れたのは、オレンジの短髪に紅い瞳の男と、魔導士のローブを羽織ったエバンスになった。目立つような格好はしたくなかったのだが、ただの黒いローブにしか見えないそれは、一応魔術耐性がある。さすがに、宮廷魔導師用のものではないが。

 エバンスに負けず劣らず不機嫌なのが、横に並ぶ男だった。

「厭なら今からでも帰れ」

「そうするくらいなら、はじめから来ません」

 並ぶと、頭半分くらい男の方が背が高いのが判る。

 それぞれに行くといって譲らないところに割って入ったのは、呼び鈴だった。顔をしかめながら降りて行ったキールは、考えるような顔つきで戻ってきた。伯母のアトゥアが話がしたいと言っているから少し待ってくれないか、ということだった。

 それならキールは除いてとりあえず行こう、とは三人の合意だったが、シュムを残すためには、不安定な結界を他人に張るのは危険だという一手で押し切った。そうして気付けば、かの男と行動を共にすることとなったのだ。

「結界は張らなくていいのか」

「そんなことをしたら、術も使えません。逆に、あなたがここの何かに引っかからないとしても、俺に反応があれば、何か判るきっかけにもなるでしょう」

 何故か呆れたような視線を向けられた気がするが、構わず足を踏み入れる。

 入り口の半分を覆うように羊歯めいた低木が生え、内壁には苔が生えているようだった。地面は、大振りの石が転がっていたり木の根が張り巡らされていることもなく、意外に歩きやすかった。しかし、人通りの多い道のようになっていることが妙でもある。

 数メートルも進まないうちに闇に塗りつぶされそうで、用意していたランプに火を入れる。

 滲むような灯りに、二人分の影が後ろや横に伸びる。

「シュムは、開けた場所に出たと言っていた。俺は、シュムを探し回ったがそんなところには行きあたらなかった」

 淡々とした言葉に、思わず男の顔を見る。

「待ってください。一緒に入ったのではなかったのですか?」

「シュムが先に飛び込んで、それを追った。中で何があったのかは、覚えていないようだった」

「それを先に言ってください」

「訊かなかっただろう」

「どんな細かなことでも、こんな状況なら言うものです!」

 片手にランプを持っているのも構わず、頭を掻き毟りたくなる。

 エバンスがこの男との同行を躊躇ったときに、シュムが「こっちの常識が少ないから誰か一緒の方がいい」といったのが、今になってよくわかる。シュムは不調で説明が十分でなくても大目に見るとして、この男が部下だったら、いや先輩でも、もう一度基礎から詰め直して来いと怒鳴りつけるところだ。

 そんな空想よりも、洞窟に既に足を踏み入れてしまっている以上、早く対策を立てなければならない。

 開いている片手で、符を入れている内ポケットを探った。選んで、通信用の呪符を取り出す。

「予め知っていれば、もっとましなものが用意できたんですけど。持っていてください、血を垂らせば発動します。これで一瞬でも空間が繋がるから、位置でも気配でも察知してください」

「…俺の血でも使えるのか?」

「多分。まだ余裕があるから、先に試してみましょうか」

 言葉が、最後まで言い終わらずに打ち消される。何かが、洞窟の奥から近付いていた。

 地から這い出るような、不気味で懐かしいような声。

「……蛙の鳴き声のように、聞こえるんですが」

「俺もだ」

 蛙を知っているのか、という驚きがあったが、それよりもただの蛙と見做すには野太く、大きな声に圧倒される。複数いるのは確実だが、反響してそう聞こえるだけだろうか。

「蛙が住み着いてるんでしょうか」

「昨日は見なかったぞ」

 互いに、正面の闇を見据えている。

 唐突に、それはやってきた。

「っ!?」

「…は?」

 人の頭ほどもありそうな、蛙。

 田舎の沼でも地方の森でもお目にかかれないような大きさ。抱え上げたら、多分泥袋のように重いだろう。

 それが、滑空して襲い掛かってくる。何匹も。

「な、なんだこれ!」

「知るか! …ぶにぶにしてるな」

「ひぃっ」

 顔に張り付かれ、情けない声が上がる。蛙が駄目だというわけではないが、ぬめりとした感触が気持ち悪い。このまま蛙嫌いになりそうだ。

「シュムがいなくてよかったな。こういうの嫌いだろ、あいつ」

「俺だって好きじゃない!」

 顔をしかめながらも、男は平然と飛んで来る蛙を薙ぎ払う。落ち着いた様子が悔しいが、それどころではない。

 何十匹となく襲い掛かってくる蛙は、実際には思っている以上に少ないかもしれない。厚い肉のせいか、払っても叩いても、潰れるということがないのだ。おかげで内臓を見ることはないが、減らなければ嬉しくもない。

 エバンスは、奮闘している男を見た。

「火を起こせたんじゃないのか?!」

「あ」

 男は一瞬、ぽかんと間の抜けた顔をさらして、次の瞬間には、空を飛ぶ巨大蛙は炎に包まれていた。なかなか燃え尽きないせいで、巨大松明が出現したかのように明るく、慌てて短い呪文と印で冷気を呼び込んで身を守る。氷よりは手間がかからないが、エバンスと男の周囲だけと限定することに少し手がかかる。

 自分の起こした炎を見ていた男は、冷たい空気に気付いたのか、エバンスを見た。

「こういったことができるなら、何故お前がやらない」

「相性というものがあって、俺は、火は時間がかかる。それなら、…あなたの方が早いでしょう」

 うっかりと、言葉遣いが変わっていた。昨夜の失態を繰り返して、慌てて元に戻す。今更だ。

 男は、煌々と照らされた顔の、眉根をわずかに寄せた。

「酒が足りなかったか」

「は?」

「気付かなかったのか。あのちびが、お前の飲み物に入れた」

「…それを、あなたもシュムさんも黙って見ていたわけですか。コーヒーに入れられたくらいの分量じゃ、いくらなんでも酔いませんけどね」

「その割には、堅苦しさが抜けてるが」

 思わず、シュムを相手にしてるかのように睨みつけてしまう。一瞬ではあったが、男が怯むのが判った。結構、素直な性格らしい。

 もう一言いいかけて、ふと、奥に何かがあるような感じがした。蛙たちは消し炭となり、洞窟には、ランプの灯りだけが広がっている。その、光の届かない奥に。



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