門番にロバートかキール、それかエバンスを呼んでくれるよう頼むと、二人立っていたうちの一人が確認に向かい、ロバートを連れてきた。驚いた様子だったが、カイが書庫を見せてもらいたいと告げると、とりあえず肯いて先導した。
「お嬢さん、どうかしたんですか」
「少し、熱があるみたいだ」
それなら後でスープでも届けましょうかと言う。前を歩きながら振り向いて言う様子は、心底心配してくれていると判り、シュムは申し訳なく思った。
体を覆うもやはまだ晴れていないが、頭は、いくらか回転を戻していた。自分が口にした言葉の飛躍ぶりに、今になって唖然とする。
今度こそ一人で歩けると思ったが、シュム一人の体を抱えるくらいでカイの負担にならないことは判っているので、大人しくしていることにした。微熱があるのは確実で、その一点だけでも、親ばかの親のような最近の状態では、下ろしてはくれないだろう。
「カイ」
「大人しくしてろ」
「書庫で何するの? 難しい本は読めないでしょ」
「魔導士に読ませる」
計画ではなく確定らしい発言に、いささか呆れる。エバンスも、遊びに来ているわけではない。そのことは判っているはずだというのに、一体何を言っているのだろう。
「あたしが読めるよ」
じっと、検分するような視線にさらされる。歩きながらで、よくつまずかないものだ。
溜息に似た吐息と共に、視線は正面に戻された。
「人手は多い方がいいだろう」
「着きましたよ。熱があるなら、お嬢さんはどこかでお休みになったほうがいいんじゃないですか?」
「ああ。だが先に、ここの主と客を連れてきてくれないか」
「は?」
癖になっている名前を言わない言い方のせいで、ロバートが首を傾げる。カイは、こういった屋敷では大概客の一人や二人は常在していることを知らないか失念しているらしい。ちなみに、もっと規模が大きくなれば、桁が一つは変わることになる。
「すみません、ご当主の弟君とエバンス・リーさんをお願いします」
「ああ。約束は出来ませんが、お知らせしてきますよ。とりあえずお嬢さんは、隅の椅子(ソファー)にでも寝ていなさいな」
「ありがとう」
言われて見ると、内側から塞いだ窓のところに、どっしりとした座り心地の良さそうな椅子(ソファー)があった。気のいいロバートが書庫に明かりを灯し、戸を閉めて行くよりも先に、カイにそっと下ろされる。
シュム一人ぐらい楽に寝そべれる大きさだが、気がひけて深く腰かける程度にした。
早くも探し物を開始しようとするのか、シュムから遠ざかろうとするカイの服の端を、咄嗟に掴んで引き止める。勢いがつきすぎたのか、一瞬、首が絞まったようだった。
「……シュム」
「ごめん、悪意はなかったんだけど」
笑って、手を離す。向き直ったカイは、なんだと言いたげに眉根を寄せた。
「あたしの体調がおかしいことが、調べものが必要な原因があるって考えてる?」
「ああ」
隠すつもりはなかったのか、シュムの状態がある程度戻ったことで話す気になったのか、しかめっ面はなおらないものの、無視はされないようだった。シュムは、気だるい、体の芯が鈍い感覚を意識の隅に追いやり、どうにか推論を展開する。
ただでさえ身長差のあるカイを、こちらは座っていて向こうが立っているのに見上げるのは疲れるので、大分くたびれているカイの靴の先に視線を定めた。
「南の森――違う、洞窟。そこで昨日あたしが見た何かが、問題になるってこと? それなら、行けば判るんじゃない?」
大きな掌が、撫でるようにシュムの頭を叩いた。わざわざ目線を合わせるためにしゃがみこんで、黒眼鏡を外したカイがシュムの瞳を覗き込む。
「さっきの状態には気付いてるだろう? 何があるのか知らないが、近付けば悪化する。お前はここにいろ」
「カイ一人で行くつもりなの。駄目だよ、何があるか判らないのに巻き込めない。そんなために、いてほしいわけじゃない…!」
シュムには、異世界に住む友達がいる。彼らは「契約の獣」や「魔物」と呼ばれ、人と結ぶ契約によって、寿命や命とでも呼ぶべきものを代価に力を貸す。人と彼らの関係は、言わば、特殊な捕食者と被食者の関係だ。
だからこそシュムは、束の間の会話や旅を楽しむために彼らをこちらに喚ぶことはあっても、危険や特異能力が必要とされる場面では喚ぼうとはしない。多少は代価なしに力を借りることに甘えても、生命に関わりかねない危険をはらむのであれば、契約を結ぶ。信頼に付け入って、利用するようなことはしたくない。
だがカイは、応えない。
「それなら、あたしにも考えがある。今ここで契約を結ぶか、そうしないなら真名に於いて命じる」
「…本気で言ってるのか」
「冗談で言うと思う?」
シュムは、カイの本当の名を知っている。それは、生殺与奪権を握っているといってもいい。真名によって命じられたことには、厭でも体が動き、死以外では逆らえないのだから。
「シュム」
「考えは変えないよ」
紅い瞳に見つめられ、目を逸らす。催眠効果も発揮できるということを警戒したからではなく、単純に、意見をのんでしまいそうな自分が嫌なだけのことだ。
迷惑をかけるためだけに、付き合っているのではない。
カイは、ため息を落とし、シュムの隣の空いた場所に腰を下ろした。
「お前の考えは理解してるつもりだ」
「それなら、わかるでしょ」
「じゃあ訊くが、俺が厄介な状況に巻き込まれていることを知って、お前は実際に役に立てるかどうかを別にして手を貸せる立場にいるとする。シュム。お前は、手を出すなと言われたからといって、大人しくするか」
「……」
「嘘でなく放置して置いてくれるというなら、俺も大人しく見守ることにしよう」
「…そんな言い方、ずるい」
「どこがだよ」
大雑把なようで、実際には大分押さえられた調子で頭を撫でられる。
むうと、俯いてしまう。
「大体、カイは無用心だ。そんな風にあたしを甘やかして、悪用し放題じゃない」
「そんなことするような奴だったら、とっくに見捨ててる」
「それはありがとう」
感謝のはずが、不機嫌めいた声になってしまう。行動が読まれていることが決まり悪いからだが、どうにも情緒不安定になっているらしいことにも気付く。
観念したと判ったのか、最後に軽くシュムの頭をはたき、立ち上がる。
「そうそう、大人しくしてろ。手っ取り早い強制送還も思いつかない頭で、引っ掻き回されるのはごめんだぞ」
召喚者は、ある程度は恣意に送還もできる。召喚の魔法陣を扱う者にとって、基礎の基礎だ。
いよいよ不調らしい。掌で額を押さえたシュムは、深々と息を吐いて、書架を不器用に歩き回るカイの姿を眺めやった。
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