第五場


「シュム。何か変わったところはないか?」

 エバンスが領主の城に戻ると言って席を立つとすぐに、カイが口にした。

 言われるなら、風邪でもひいていないかといった体調のことだとばかり思っていたシュムは、何をと瞬きを返した。カイ自身も、はっきりとはしないのか、しかめっ面で首を捻っている。

「何かって言われても。何?」

「いや…はっきりとはしないけど。ここ、何か妙だ」

 そう言われても、シュムにはよく判らない。もしかすると、昨夜の洞窟やカイと顔見知りだった青年のことで、違和感を感じているのかもしれない。

「とりあえず、散歩にでも出ようか?」

「は?」

 返事を待たずに、店の者を呼んで昼食用に携帯できる食事を用意させる。瓶詰めの水と果実酒を一瓶ずつもらい、油紙に包んだ食べ物は、肉や野菜をパンに挟んだものだという。それとは別に、おまけだと言って焼きたてのパンケーキも、いくつかくれた。

「うわあ、ありがとうございます」

「いいっていいって。あんたらに、キールが世話になったんだろ? このくらい当然だよ」

「キールさん?」

「あれ、名前を聞いてないのか。ご領主の弟だよ」

 推測するに、昨日の青年だろう。しかし、領主の弟に対するにしては、呼び捨てだったりと、随分とくだけている。それとも、ここの領主自体がそういった付き合いをしているのだろうか。

「優しい領主さんなんですか?」

「ん? ああ、いや、キールは特別だよ。昔っから、下働きに行ってる子供らをまとめて駆け回ってるような子だったからなあ。ここれじゃあつい、近所の子と似たような扱いにしちまう」

 きっとご領主にばれたら大目玉だ、と言いながら笑う。それにしても早い情報伝達だと思ったら、昨日城を出た後に、直接暴走馬から助けたロバートが、その旨言いにきたのだという。

 シュムは、適当に話して雑談を切り上げると、今夜も泊めてもらうことを確約して宿を後にした。

 足は、まだ少し痛む。むしろ、治まっていた昨日よりも激しい気がするが、あえて無視を決め込む。

「あ、そういえばカイ、朝ごはん食べてない? パンケーキ、今食べちゃう?」

「いや…別に俺は、食べる必要もないし」

「でも、食べるの好きでしょ。どうせだから、熱いうちに食べよう」

「ってお前も食うのか」

 当然と笑いながら、座り心地の良さそうな路肩の岩に身軽に飛び乗る。肩をすくめたカイは、その隣に、寄りかかるようにして腰を落とした。

 大きな岩でシュムが子供の体格とはいえ、二人が並ぶには少しばかり小さい。かといって他に座れそうなところもなく、シュムは、浅く腰かけたカイと寄り添う形になった。

「はい、これ。飲むものいる?」

「とりあえずはいい」

 シュム自身も一枚をとってかじると、ほのかに甘いパンケーキは温かくおいしい。

 それだけで幸せな気分になったシュムは、野良仕事に出るのか、通りかかった村人に愛想を振りまいていた。一声二声かけていく者も多く、散歩の途中らしい老婆に、仲のいい兄妹だねと言われた。親子でなかっただけ、ましかもしれない。

 のんびりと二人で平らげてしまうと、昼食の詰まったかごを持ったカイが、先に立ち上がった。

「どこに行くんだ?」

「森?」

「俺に訊くなよ。昨日、どこに行ってたんだ」

「え?」

 並んで歩きながらだと、見上げる首が少し痛い。

「洞窟で。探しても、見つからなかったんだぞ」

「ええ? あたし、真っ直ぐに行っただけだよ? そんなに走ってないし。急に広くなったところ、あったでしょ?」

「なかった」

 顔をしかめて、カイが見下ろす。

 訝しげではなく何かを考えるような顔つきで、逆にシュムは、首を傾げた。

 何かを忘れているような気はするのだが、それが何かは判らない。考えてみれば朝から、うっすらと覆うようなもやが体にまとわりついている。全てあの悪夢のせいだと、そう思っていた。

「シュム。昨日、何を見た?」

 真顔のカイに気圧されて、歩みを止める。

「何、って…洞窟に入って少ししたら、開けたところに出て。暗いから炎を喚んだら、…あれ」

「熱があることに、自分で気付いてるか?」

「え? 熱? ないよ。カイ、自分が体温低いからそう思うんじゃない?」

「……城に行くぞ」

「ええ?」

 驚いて目を見開く。その間に、カイはシュムの体を抱え上げていた。カイの肩の位置に顔が来て、視線の位置が高くなる。

 人よりもいくらか体温の低いカイの温度が心地よく感じられ、これは本当に熱があったのかもしれない、と思う。

 しかし。

「カイ、歩けるよ、放して」

「大人しくしてろ。足の怪我だって、完治してるのか怪しいだろう。大体、ふらふら歩かれるより早い」

「ひどいなー、ふらふらなんてしてないよ」

「落ちないようにしてろ」

 暴れたところで放してくれる気配もなく、むくれながらも、縋りつくように首に手を回す。まるきり子供のようだと、他人事のように思った。 

 以前にも、こんなことがあった。あの時はまだ、自分の力を上手く扱えず、勝手に描かれる魔方陣に体力を削り取られていた。魔導士に弟子入りしてその術を学んではいたが、それでもしばらくは、剣術修行と魔導の訓練と勝手に消耗される体力とに、しばしば倒れていた。

 そうなると、師範や師匠――シュムは、剣術の師と魔導の師をそう呼び分けていたのだが、そのどちらかに寝間まで運ばれていた。シュムの魔方陣に喚ばれ、何故かこちらに居ついたまま師範に弟子入りしたカイにも、そうして運ばれたことがある。

 カイと初めて出会ったのはまだ師範と師匠に弟子入りする前のことだったが、触れたのはその頃が初めてだった。そのときに、人との体温の違いを知った。

「懐かしいね」

「何がだ」

「修行して倒れたときも、こうやって運ばれた。夜にね、夢、見たよ」

「夢?」

「うん。師範と師匠がいて、カイがいて。アズやエヴァたちもいた。でも、みんな…いなくなっちゃうの。ねえ。カイは、あたしより長生きなんだから。誰がいなくなっても、カイはいてくれなくちゃいやだよ」

「…ああ」

 抱きしめる腕には力が加わったが、それでもそっと、手加減をしているのが判る。カイの力で全力を出せば、子供の体をしたシュムくらい、簡単につぶれてしまう。手加減をさせている自分が悪いような気がして、謝りたい気持ちになった。

「少し寝てろ」

「ううん。起きてる」

 寝たら、きっと悪夢を見てしまう。だからシュムは、ぼんやりと目を開けていた。 



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