第二場


「気持ち良いわねえ・・・」

 のんびりと、女が息をつく。

 湯を掬い上げる手は白く、ほっそりとしている。金色の見事な髪は、今は頭上で巻き上げた布の中に押し込められており、深い、青とも緑ともつかない瞳が、今はうっとりと細められていた。

 二十歳よりは上くらいだろうか。

 女は、肩まで湯につかり、満足そうに溜息をついた。

 そのときに突然、近くの茂みが音を立てて揺れた。女がそちらに鋭い視線を投げかけると、黒い人影のようなものが見えた。素早く、その影に向けて何か弾くような仕草をした。

「誰!」

 非難の声に、影は茂みから盛大に音を立てながら遠ざかっていった。その後を、別の小さな影が、こちらはあまり音を立てることもなく追って行く。

 それからしばらくの間、女は先ほどのようにのんびりと湯につかり、温泉を満喫していた。

 ぺたりとした、素足の音に顔を上げる。温泉を囲む天然の岩に手を置いて、女は少し首を傾げた。

「どうだった?」

 衣服は脱いでいるが、剣と布を手に持ったシュムが首を振る。

「駄目。すばしっこいっていうか・・・あれ、猿とかじゃない?」

 言って、シュムは掛け湯をしてから温泉に入った。「うわー、あったかい」と声をあげて目を細めるが、女とは違って、そこには色気というものは皆無だった。

 首まで湯につかりながらも、シュムは剣と布をいつでも掴める場所においている。必然、二人は岩場に近いところにいることになった。これはもう、身に染み付いた習慣だ。剣を習って以来、シュムは剣を手の届かないところに置いた事がないとさえ言える。

「猿には見えなかったわよ? かといって、人にも思えなかったけど」

「え?」

 意外そうに、シュムは女、セレンを見た。湯煙に、お互い少しはかすんで見えるが、近くにいるから表情もしっかりと判る。

 セレンは、困ったように肩をすくめた。

「とにかく、標はつけたわ。後で確認すればいいでしょ」

「うーん、そうだね。ありがと、セレン」

「ううん、こっちこそ。呼んでくれてありがとう。こうやって温泉に入れたし」

「カイにも会えるし?」

「・・・・・・ええ」

 セレンは、恥ずかしそうに、少し俯いた。そうすると、男が見たらのぼせそうな見事な体つきで、しかも裸という今の状態にも関わらず、色気よりも可愛らしさが先立つ。

 シュムは、そんなセレンに微笑みかけた。

「ほんと、セレンって可愛いね」

「ちょ、ちょっと何よ、突然!」

「いやあ、ねえ。あたしが男なら絶対にほれてたのにさ。カイも馬鹿だなーって」

 今や真っ赤になっているセレンを置いて、シュムは深深と溜息をついた。

「本当に、心配してくれるのは嬉しいけどさ。自分の幸せを追求して欲しいよ」

「え、何?」

 シュムが何か呟いたことは判ったが、ほとんど聞き取れず首を傾げる。

 シュムは、苦笑して湯を叩いた。

「この後、どうしようかと思って。ご飯食べるのと、覗き魔追うのと、カイ起こすのと。どれからしようか。とりあえず、カイを起こす? ・・・どうかした?」

 盛んに自分の頬を叩くセレンに、訝しげに視線を向ける。セレンは、温泉の熱さだけではなく、上気した顔を俯かせた。

「そ、そうよね、会えるのよね・・・やだ、緊張してきちゃった・・・」

「セレン」

「だ、だってっ」

 意味もなく、手の平で湯を跳ね上げるセレン。それに少し笑って、ふっと、真顔になる。

「ところで、言ってた変な奴、どうした? まだあのまま?」

 それまでは照れていたようなセレンの顔が、途端に曇る。しかし、そんな表情すらも綺麗なのは、美人の特権だろう。

 シュムは、その変わり様に一層真剣な眼差しを向ける。反応から、問題が解決していないのは明らかだ。果てることもなく湯気の上がるのどかな光景が、逆に異様かのようだった。

「ディーはセレンのこと知らないし・・・ゼダはセレンより大分弱いし・・・意外に、何かあったときにたのめそうなのっていないなあ・・・」

 種族の違う友人たちを思い浮かべながら、シュムは知らずに眉間にしわを寄せていた。そもそも仲間意識が薄いから、頼んだところで引き受けてくれるとも限らない。自分では、言葉通りに住む世界が違うから駆けつけられない。

 カイに言ったのは次いでのようなもので、あの反応では駆けつけてくれるとも思えない上に、駆けつけたところで力になるのかも怪しいところだ。

 うーん、と、シュムは頭を抱えて唸っていた。

「そのことなんだけど、ちょっとおかしいの。なんだか・・・私が目的じゃ、ないみたいで」

「どういうこと?」

「私にも、よくわからないんだけど・・・確証もないし。ただ、なんとなくだけど・・・他に何か狙いがあって、その為に私を付け回してるんじゃないかと、思うの」

 戸惑ったように、自信なく言うが、シュムは、それを受けて低く唸った。

 シュムがセレンと会ったのは一月ほど前のことで、誰かに付け回されているようだ、と聞かされたのもそのときのことだった。

 それなりに能力の高いセレンだというのに、その姿さえ捉えられていない。至難とまではいかなくとも、誰にでも出来るものではない。それでも、そう心配はないと思ったのだが、一月以上にも及ぶとなると、直接の害はなくてもかなり不気味だ。

「何か、それらしいことでもあったの?」

「そういうわけじゃなくて・・・なんて言うのかしら。・・・やっぱりそんな感じがする、としか言えないわ」

 もどかしげに溜息をつく。

 最初に話を聞いたときには、セレンに惚れたものの言い出せず、付け回している輩でもいるのかと思った。

 手っ取り早く能力を上げようとしている同族喰らいかとも考えたが、能力が低いなら姿さえ見えないことが、高いならセレンよりも上級者を選ばないことが腑に落ちず、違うだろうと思った。セレンは敢えて位置付けるなら中の中といった強さで、弱くはないが、そう強くもない。

 だからこそ、カイが出ていけばセレンも喜ぶし、ひょっとしたら諦めるかもしれないと、話を持ちかけたのだ。

 今でも、下級者ならまずありえない尾行で、自分よりも弱いものを慎重に喰う上級者やセレンと同等の者としても、一月は時間をかけすぎで妙だと思う。そんな同族喰らいがいれば、身の危険からも、セレンたちの間で噂になっているはずだ。

「・・・いや、これがはじめてなら話は別か?」

「え?」

「あ・・・いや。同族喰らいって、最近は出てないんだよね?」

「ええ。最近はいないみたい。これがはじめてっていうのも考えたけど、それだとあの感じが引っかかるのよね」

 シュムの危惧を受けて、眉をひそめる。

 他者を喰らって己の能力を上げる同族喰らいは、情や仲間意識を軽んじる傾向の強いセレンたちの世界でも、忌まれる。死活問題となるだけに、この情報だけは、互いのつながりの薄い彼らの中でも積極的にやり取りされる。時には、数名で組んで共同戦線を張るほどだ。

 同族喰らいになるのに特別な資格も体質も要らないのが余計に厄介だが、救いでもあった。そうでなければ、合致した者は発覚次第殺され、なんとか生き延びた者は、憎しみを抱いて、必ず同族喰らいとなったことだろう。

「ただの思い違いかもしれないわね。姿だって見てないし」

「まあねえ」

 とりあえずは、ゆったりと湯につかる二人だった。

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