第四場


 読み上げられた文面に人々はざわめき、声高に無効や撤回を求める者すらいた。エバンスは、遺言状の公証人を気の毒に思い、当主は自分が同席していることを忌々しく思っているだろうなと、ごく冷静に思った。

「へー、俺、一気に大金持ち?」

 突き刺さるような視線や殺気じみた熱気もさらりとかわし、当主の弟であるはずの彼は、どうでも良さそうに言葉を口にした。

「そもそも女当主など、間を繋ぐ代理人でしかない! それが、勝手にドーター家の財産を分譲するなどと許されたものではない!」

「で、ですが、法定上、ティアト様は正式なご当主であらせられました。ご自身の意思でこうして遺言を残された以上、法的にそれを妨げることはできません」

 罵声に呑まれ、声を震わせながらも、中年の公証人は引かない。見掛けよりも肝が据わっている、と感心したエバンスは、何気なく泳がせた視線が問題の彼とぶつかり、かすかに笑いかけられた。それを受けて、心の中で首を捻る。

 何か、企んでいるような気がする。 

 彼とは、結局のところあまり話もせずに別れてしまったのだが、虚しいことに、迷惑な身内たちのせいでそういった気配には慣れてしまった。

 エバンスとほぼ同い年の青年は、避難の渦中で平然としたかおをしている。

「兄上。一つ、提案があります」

 呼びかけの言葉に皮肉をこめて、口にする。その一言で場が静まり返り、それまでも青年に集中していた視線が、明確に集められた。その反応に、彼らが心底怯えていることに気付いた。おそらくは、純粋な契約の獣そのものよりも畏れ忌んでいることだろう。

 姿かたちは人と変わらないドーター家の次男は、表情を変えることなく続けた。

「私に相続が許されたものは、領地の三分の一の租税とこの地への居住権。これで間違いありませんね?」

「は、はい、そう書き残されています。ただし、一代限りです」

 自分に訊かれたと感じた公証人が、正確を期すように手にした書状に目をはしらせ、がくがくと何度か首を振る。公証人も、職務だからこそ認めているが、恐れてはいるのだ。

 部屋にいる者の大半が、その言葉に顔をしかめた。ただ形式上同席したはずの人でもない者が、巨くのものを相続することが腹立たしく、羨ましいのだろう。それがわずかでも、恐れを上回ったと見える。

 青年は、かしこまったような無表情を崩そうとはしない。

「三つの条件に同意していただければ、相続を放棄してもいいですよ」

「…言ってみろ」

「一つ、書庫及び書物を私の指定する者の管理に任せ、衣住食を保障すること。一つ、書庫及び書物の管理者の要請にはでき得る限りの便宜を図ること。一つ、南の森一帯の管理を私に一任すること」

 血縁が大半の観客たちは、言葉を失った。

 それぞれに内容を吟味するように、探りあうような視線を交わしながら沈考する。どちらが損害が軽いかと考えているのだろう。無条件に放棄しろと詰め寄る者はいないのだなと、エバンスは意地悪く思った。

「…誰に管理させるつもりだ」

「それはまだ言えません」

「誰とも判らぬ者にそんな権利が与えられると思っているのか!」

「考えてもみてください、兄上。どうせ、忘れて朽ち果てるに任せられていたところでしょう。私の代わりに誰が住み込もうと、例え蔵書を処分してしまおうと、問題がありますか?」

 素っ気無いほどに落ち着いた口調は、説得力を持っていた。何かを企んでいる事は確実だが、その企みの種類によっては、エバンスは彼を「処分」することになるだろう。それは避けたいと、ただ道義上の問題だけではなく思い始めていることに気付く。

 針の筵で暮らすような日常で、これだけの言動が取れるのなら、なかなかの人材だ。人外の血が混じっているという不安要素はあるが、やりようによっては、国力を支える力になるだろう。もっとも、ほとんどの魔導士であれば、さっぱりと禍根を断つことを選ぶに違いない。その方が安全だ。

「考える時間が必要であれば、待ちます。もうしばらくはここにいますから」

 裏返せば出て行くことを前提にした言葉だが、それどころではないのか、誰も気付いた様子はない。

「南の森に何がある?」

「それを私が答えたところで、鵜呑みにしますか?」

 まるで予想していたような切り替えしで、言った側は簡単に言葉に詰まった。ステファンに苛立ったような視線を向けられたエバンスは、軽く肩をすくめて返した。

 彼としては「処分」を望んでいるのだろうが、応じる義務も義理もない。

「あなた自身は、どうされるつもりなのですか」

 今度はエバンスに、視線が集まる。恐縮した表情をつくる。

「申し訳ありません。出過ぎた真似を」

「いいんじゃないですか。ねえ、兄上」

 ステファンからの返事はなかったが、冷ややかに無表情を保った彼が、待たずに言葉を続ける。

「許されるなら、ここを出て行きますよ。ああ、ご安心を。ドーターを名乗るつもりはありません。愛着のわくほど、楽しい思い出もありませんから」

 皮肉と言うには率直で、当てこすりと言うには毒がない。

 彼は、すっかり支配してしまった場を軽く見回して、公証人に目を留めた。

「とりあえず、私の言った条件を書き留めてもらっていいですか?」

「……は? あ。は、はい」

 書き取りやすいようにゆっくりと、同じ言葉を繰り返す。

「それでは、まだ全ての遺言は公開されていませんし。続きをどうぞ」

 あっさりと冷静に促した彼によって、遺言状の公開は進められ、それ以上の問題はなく終わった。

 全てが終わり、ステファンが解散を告げるが、エバンスと彼以外に部屋を出ようとする者はなく、ほぼ必然として連れ立ち、集まりから抜け出した。残った面々は、これから遺言状の公開で唯一にして最大の問題となった件を話し合うのだろう。

「少しお話を、よろしいですか?」

「さっきはできなかったしなー。俺も訊きたいことあるし。書庫にお通しするから、誰かが会いたいと言ってきたら、直接そっちに使いを寄越すようにしてくれ」

「かしこまりました」

 言葉の後半で案内をしようとした召し使いを止めて指示を与えると、昼間同様に彼が先に立ち、歩き出す。

 彼が手にした燭台の炎が揺れ、闇に埋もれた館とエバンスたちを照らし出した。



 - 一覧 - 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送