第三場


 夜風が、酒で熱を帯びた頬に心地いい。

 目的地の洞窟まではすぐらしく、シュムは、カイと並んで弾むような足取りで歩いていた。カイが心配そうに見つめるが、珍しく治癒術が本当に効いたようで、痛みも不自然さも、ほぼない。

「ねえ。カイは、何がいると思う?」

 酒場で耳にした、洞窟にいるという「何か」。人から魂を抜くと考えられているそれは、未発見の妖物か、植物か、それとも魔物か。

 仕事を請けたわけではないが、暇つぶしに偵察程度はと、足を運ぶことにした。それで魂を盗られたら――その時はその時だ。

「何かは、いるんだろうと思うよね。でも、カイが気配を感じてないなら、とりあえず魔物の線はなしかなあ。それにしても、お屋敷の奥様が亡くなってからじゃないか、ってところが引っかかるよね」

「…いやに喋るな」

「うん。ちょっと、お酒が回った。考え事してたから。カイが変なこと言うから」

「俺が何を」

「言ったよ。どうしてこんなことしてるのかって。全部投げ出して、国を出て、どこかに隠居したいなとか考えないこともないんだから、そこを揺さぶらないでほしいな」

 軽く紛らせて、本音を口にする。

 今の生活は、嫌いではない。国中をある程度好きに旅して、時々妹や甥姪に会って、師匠を訪ねたり、時には過去の仲間たちと遭遇したり、カイをはじめとした人ではない友達と会ったり。

 だが時々、全て放り出して、誰も知らないところに行きたいと思うのも本当で、その度に、何故自分はここにいるのかと、思ってしまう瞬間がある。子供の外見で生きてきた年月は、普通の者なら、日々の生活や恋愛、子育てに費やしたはずの時間で、その間シュムが何をしたかといえば、無為に国を歩いてきただけだ。

「悪い…?」

「いいよ、わかってないんでしょ。カイって、変なとこ鋭いのに、自覚ないんだもんなあ。怒るに怒れない」

 少し欠けた月明かりの下で、苦笑いを浮かべる。

 そんなことを話している間に、洞窟の前に到着していた。 

「何か感じる?」 

「いや」

「そう。だとすると、天災か人災か」

「って、待て」

 猫の仔のように首根っこをつかまれ、軽く不満げに顔を上げる。しかし迎える顔は輪をかけて不満そうで、というよりもしかめっ面だった。

「馬鹿か、無防備に足を踏み入れるなんて、命を捨てたいのか」

 普通、何かしらの危険が考えられる場所には足を踏み入れないのが原則だ。そうもいかない、あるいはそういった場所だから入るというときには、なるべく情報を集めて危険の予想を絞り、できる限りの対策を立ててからというのが常識的な手順になる。

 カイの言葉は、旅慣れてさえいれば幼児でさえ正論と判断できるものだった。

 ところがシュムは、酔いが回って赤らんだ頬を膨らませる。

「セッカクここまで来たのにー?」

「どうせしばらくいるんだ、酒が抜けてもう少しまともに頭が回るようになってからにしろ」

「けちー」

 元から、人外の類ならある程度は気配の読めるカイが何か判るかもしれない、ということで足を運んだのだ。シュムも、そのことはわかっている。判っているが、それと気分は別物だ。

 大抵なら本気でこういった無茶は言わないだけの理性があるのだが、今は、酩酊にいくらか箍が緩んでいる。

「いいよ、もう」

 だから、正論の忠告を無視して一人で洞窟に駆け込むなど、酔っていなければやらなかっただろう。

 しかし実際のところ、シュムは足を踏み入れていた。

「シュム!」

 カイの声が反響して聞こえる。ただ真っ直ぐに駆けたシュムは、反響で音源の定まりにくいカイの呼び声や探す足音を無視して、いつしか開けた空間に出ていた。闇に感覚が多少は狂っているが、あまり走っていないはずだ。走るとさすがに、違和感があった。だか、酔いからか、痛みは感じない。

「火を」

 指で軽く炎の章紋を描き、指先に灯す。このくらいの基礎なら、学んでいる。

 小さな灯りでも一瞬目が眩み、しばらくして慣れてきた空間には、一本の木が立っていた。

 尖った固い葉は、季節ごとに葉を落とす種類ではなく、年間を通じて緑を見せる種類のものだとわかる。ただ、炎という光源のせいか、葉は緑には見えなかった。赤か、黒に見える。一瞬それが血の乾いた死骸のように見え、大きく目を瞠る。逸らしてしまうほど、見慣れないものではない。

 幹を観察すると、表皮には平らなところと細く隆起した部分があり、生物の血管のように見えなくもない。若々しい様子だが、根の張り具合からも、五十年も生きていないものと思えた。

 不意に、枝が鳴った。枝葉がざわめき、揺れる。風に揺れるように。

 しかしここは、洞窟の中だ。微風でそよぐような類の木ではなく、強風が吹き込めば、当然シュムにも当たるはずだ。だがシュムの、髪の一本も揺れてはいない。

 意識が逸れて、喚び灯した炎が消えた。再び闇が、当然とばかりに全てを覆う。 

「しゅーむーっ!」

 乱反射する呼び声に、金縛りにあったようになっていた体が、動きと思考を取り戻す。酔いも、既に引いていた。

「出て!」

 長い言葉は、聞き取れるかどうかが怪しい。短く口にしたシュムは、自身も、元来た道を駆け出していた。酔っていた間も、理性の箍は緩んでいたが記憶は確かに残っている。馬鹿なことをした、という後悔は、今更だと思い浮かべて即座に飲み込んだ。

 力を込めた分入ったときよりも短時間で外に出たが、そこにカイの姿はなかった。まだ酔った虚言と思って探しているかと恐る恐る首を伸ばすと、耳に足音が聞こえた。

「カイ」

 思わず、安堵の声が出た。シュムは、不安の正体が判らないままに、とりあえず無事な姿を見せたカイに、笑みを向けた。が、殴られた。

「一体どこに隠れてたんだ! 何もなくたって、暗闇の洞窟が危ないってことくらい知ってるだろう、この馬鹿!」

「〜っごめん」

 人相手なのだから当然手加減はしてあるはずだが、それでも痛い。それも仕方がないかと頭を垂れていると、殴られた部分に、ひやりとした手があてられた。

「二度とやるなよ」

 何故かそれが、「いなくなるなよ」と言っているように聞こえて、肯けず、曖昧に返すと、載せられた手を振り払って先に立った。

「とにかく、もう寝よう。中のことは明日話すよ」

「…ああ」

 頬をなでる優しい風を受けながら、シュムはカイと連れ立って宿に戻った。

 そうしてその夜、悪夢を見た。



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