第三場


 濡れて血を浴びた服を着替えると、酒場になっている一階に降りた。足は、自分でかけた治癒の術が上手くかかったからか固定しているからか、なんとか歩くくらいはできる。

 すいているわけではないが混んでもいない店内には、シュム同様に宿で借りた服に着替えたカイが、一足先にグラスを干していた。夜にサングラスは怪しいが、微少とはいえ力を消耗するなら、むやみに姿を変えるのは避けたいところだ。

 まあそのあたりは、実際のところは好みの問題になるのだが。

 カイはシュムに気付き、一瞬驚いたようだった。

「ん? 何か変?」

 途中で酒をたのみ、小テーブルを陣取った長身の友達の向かいに腰を落とす。テーブルに料理はなく、まだ出されていないか、そもそも注文していないか。

「いや、髪ほどいてると思って」

「こっちの方が乾きが早いからね。濡れたまま寝ると、傷むし」

「…気にするのか」

「少し気遣う程度にはね。油塗り込んだりとかはしないけど」

「ふぅん」

 黒眼鏡ごしではあるが、しげしげと見られている気がして、何、と首を傾げる。

 その間に酒が運ばれ、注文の確認をすると魚とポテトのフライだけということなので、野菜と肉の煮込みとパンをたのむ。ついでに、フライは大盛りに変更だ。

 シュムの見かけの年齢より少しは年上だろう少年が、注文を小走りで告げに行くのを見送って、カイに視線を戻す。

「髪下ろしてるの、珍しい? パーティーのときは結い上げてたでしょ?」

 パーティーといっても、実際のものではない。白昼夢じみた、幻術の中でのことだ。

「っていうか、寝起きはいつも下りてるし」

「あー、いや。すぐくくるだろ」

 何故か、目を逸らした…ような気がする。眼鏡ごしではっきりとは判らないが。

 料理が運ばれて来て、歓声を上げた。昼は携帯食で済ませたから、暖かいだけでも嬉しい。

「話変えるけど、この後どうする?」

「あ?」

 揚げたてのフライにかじりつこうとしたところで、大口を開けたまま、わずかに首を傾げて返す。シュムは、パンをちぎって口に放り込んだ。

「多分、エヴァが来るよ。帰るなら送るけど?」

 俗に言う魔物、学術的には契約の獣とも呼ばれるカイは、契約はしていないが、シュムに召喚されている。順当な戻り方は、シュムの魔方陣だ。

「帰った方がいいのか?」

「好きにしていいよ。小言の盾になってくれるなら、大歓迎」

 年明けに、王妃に納まっている妹の顔でも見ようかと立ち寄った城で、シュムは、仕掛けられた魔物を誘導して、塔を一つ壊している。それは、考えようによっては避けられた損害なので、文句を言われるだけの余地はある。

 その上更に、シュムは一応、国王直属の部下ということになっている。国内を見聞して、時には大事にしたくないような問題を片付ける役目も受け持っているため、基本的に、常に連絡の取れるようにしている必要がある。それを、去年の夏以来、無視を決め込んでいた。

 国王本人であれば皮肉の一つ二つで終わるところだが――それも確実に厭だ――、あの生真面目な魔導士は、正当な非難をしてくることだろう。

 全て右から左に流すとはいえ、障害物があるなら、すがりたい。そこのところは、かなり本音だ。

 カイは、フライを飲み込むとそのまま酒を呷った。

「お前がいいなら、もうしばらくいる。ああでも、俺が問題になったらすぐに戻してくれ」

「うん? 心当たりあるの?」

「知り合いがいたからな」

 それは、カイを「にーさん」と呼んだ者のことだろう。暴走から助けたロベルトによると、手紙を送ろうとした人物のはずだが、人だとは思えなかった。シュムには、契約してどうにかなっているのか、成り代わっているのかまでは判らない。しかし、今のところ問題を見いだせていないのだから、口を挟むことではない。  

 シュムは、手の届く範囲でしか動くつもりはない。

 その手も、出さなくていいのなら、そのつもりもない。

 ただ、先ほどの青年がカイの弟なのかということは気になるところだが、詮索してもどうなるわけでもないので、肯くに留めた。訊けばこたえてくれるのだろうが、情報をさらせばそれだけ弱点にも近付いてしまいかねないので、遠慮しておこう、との考えだ。

 もっとも、名で縛れるカイの、本名を知っているのだから、今更だが。

「お前は、城に戻るのか?」

「ああ…。うん、そろそろ潮時かな。半年行方知れずになってたんだし」

「何故そんなことをしてるんだ」

「何故って…アズがいるから、この国は平穏な方がいい。特にやりたいことがあるわけじゃないし」

 妹は、今では、見かけだけならシュムの母親にも見える。子供も二人持ち、長男はシュムの師匠に弟子入りしているので、弟弟子ということにもなる。

 何故か、カイは溜息をこぼした。

「何?」

「お前の行動基準は、いつも他の奴なんだな」

「………カイが目も耳も利かないとは知らなかった」

「は?」

「心底本気で、どこをどう捻ったら、そんな結論になるのかがわからないんだけど。あたしの基準は、常にあたしなんだけど」

 そう言うと、胡乱そうに目線だけ寄越して、反論はなかった。



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