「災難でしたね」
「いや、私は。すみませんね、迷惑を」
「それは、こっちが勝手にやったことだから」
雨は止んだが足場はいよいよ悪くなり、二人の足取りは慎重だ。
狭い山道で、男二人が並ぶには、いささか狭い。その上、カイは未だにシュムを抱えているため、必然、前後になって歩いている。気を失っていた騎手は前にいるため表情は見えないが、目覚めたときに話した感じでは、朴訥な外見に違わず、温和な印象を受けた。
四十前後といったところだろうか。雨除けと防寒を兼ねた上着の下は制服で、地方貴族の下仕えということだ。
「それにしても、驚きましたよ。若いのに、大した勇者さんだ」
虚勢ではなく朗らかな声に、笑みがこぼれる。
ロベルトと名乗った男は、誤魔化すことを忘れていた、あまりに特徴的なカイの髪と瞳の色を見ても、驚きはしたが怯えはしなかった。
普通に考えて、こんな色彩をした人間はいない。くすんだオレンジ色のような髪や、血の色がそのまま表れた赤い瞳の人間はいないこともないが、それらとはあまりにも違う、歴然とした色だ。そうしてそれは、魔物だとの連想につながる。人の赤い瞳でさえ、そうやって忌避されることもあるのだ。ましてカイは、「本物」だ。
「お二人とも、どうしてこんな寂れたところに?」
「足が向いて」
「そうですか。おかげで、俺は命拾いしましたよ。書簡も、ずっと早く届けてもらえるようだしね」
何の含みもなさそうに、嬉しそうに言う。
届けるはずだった手紙をシュムが移転の魔法陣を使って飛ばし、荷が下りたということもあるのだろうが、これでカイを恐れていたりすれば、随分な腹芸の人だ。
馬に関しては、シュムの服の赤黒いシミから察したのか、少し悲しそうにしたが、確認だけして、触れることはなかった。ただ、あんな無茶な走り方をするやつじゃなかったのにと、独白めいた呟きを漏らした。
「あの書簡、そんなに急ぎだったんですか?」
「ああ…ううん、まあ…。奥様がなくなられたから、そのお姉さんにお知らせするものだったんですよ」
「一通だけ、ですよね?」
「はい」
通常、そういったものは、一括で出すのではないだろうか。書簡にしてもそれぞれに使者を送るにしても、その方が能率がいい。それとも偶然、この方向は一人しかいなかったのか。
気になるが、他家の事情にそこまで踏み入っていいものかと考えていると、察したのか、ロバートが言葉を続ける。
「身分の低い男と駆け落ちされて、一族の鼻つまみ者なんですよ。いい人なんだけど」
「直接のお知り合い?」
「がきの頃からあそこで働いてますからね。俺たちにも優しく接してくれる人でしたよ」
「そうなんだ」
子供の頃のことを思い出したのか、声にうっとりとした調子が混じる。シュムも思わず、笑顔になる。
しかし、その性分のためか、シュムの見知らぬ彼女は、一族からはじき出されてしまった。そういった事情なら、ただ一通の書簡も不思議ではない。そしておそらくは、内密のものだろう。
そうしているうちに、大きな建物の裏に出た。山裾すぐにあり、屋敷の背面が山に埋まるようになっている。てっきり、山から見下ろせるか平地に出てからのものと思い込んでいたシュムは、思わず目を瞠った。
「おっきいねー」
「この辺では一番ですよ。ちょっと汚いけど、ここで待っててもらえますか」
「慣れてます」
戸を開け放って示されたのは、厩舎だった。
元が馬番だというから、融通が利くのだろうか。それにしても客を通す場所ではないが、ロバートの配達そもそもが内密のことなら、仕方がない。
ただ、ほぼ常に厩舎に控えているはずの馬番が見当たらず、そのことには首を傾げる。
「どう思う?」
「何がだ?」
ロバートが去ってから話しかけると、道中はほとんど喋らなかったカイが、ようやく口を開く。人見知り激しいなあ、と茶化すと、軽く睨まれた。
「馬もあの人も、普段とは様子が違った感じだよね。それに、書簡は当主の指示じゃないみたいだし。お家騒動?」
「深入りするなよ」
「さあ、それはどうかな。あたしにその気がなくても、向こうが巻き込んだらどうする?」
にっこりと笑うと、カイは、実に厭そうなかおをした。
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