第一場


 どのくらいかは判らないが、確実に意識がとんだ。

 目を開けると、山すそまで転落、という最悪の事態にはならず、周囲を見た感じでは、滑り落ちはしたが、途中の木にぶつかって止まったようだ。小雨が冷たい。荷物が重い。体が痛い。

「あー…いたい…」

 呟くが、骨が折れたり内臓が潰れているといったことはなさそうだ。せいぜい、打ち身や鞭打ちといったところか。そしてそれは、奇跡的と呼んでもいいほどの軽症だ。雨の中でも鉄臭いにおいが立ち込める中で、そう、冷静というよりも嘲るように考える。

 見下ろす先では、馬が、先ほどまで疾走していた馬が、腹から派手に血と臓物をさらして横たわっていた。足も、三本までが曲がりえない方向に曲がっている。

 それでも、息をしていた。

「…骨が、飛び出てる。内蔵も。もう駄目だね」

 通常、馬や驢馬とっいた動物は、脚を一本折っただけでも処分される。手当てをして養ったところで、それに足りる見返りが出ないからだ。そもそも、元に戻る保証もない。

 それでなくても、今の状態では、人であっても危ないだろう。山を滑り落ち、木にぶつかり裂かれ、その上、乗せていた人間の緩衝材(クッション)にまでなったのだ。

「ありがとう」

 痛みを主張する身体を無視して近付くと、シュムは、馬の大きな目をそっと掌で覆い、空いている右手で剣を抜いた。一息に、シュムの腕で一抱え以上ある首を切り落とす。

 動脈から血がほとばしり、全身に浴びたが、シュムが動じることはない。顔や手についたものは、雨が静かに流していく。上手くいったらしく、骨ごときれいに切断できた。

 目礼するように軽く目を伏せると、服のぬれていない部分を探して、剣から血を拭い取る。師からもらった逸品だ。あとで手入れをするにしても、そのまましまうことはできない。

「さて、どう…カイ?」

「無事か!?」

 緑の草地と茶色系統の木の根の中に、オレンジ色。これは目立つ。毛皮が水気でいくらか暗い色合いになっているが、他に似た色もない。

 動きやすさや探索を重視してか、獣型になった友人に、半ば呆れた視線を向ける。

「来てくれたのはありがたいんだけど、落馬した人は?」

「お前は大丈夫なのか」

「生きてるよ、あたしは。あの人は?」

「死んでないし、怪我もろくにない。それより本当に、大丈夫なのか」

 血の匂いはかぎ分けているはずで、赤く染まったシュムの、出血の心配はしていないようだが、いささかうるさい。心配してくれるのは嬉しいのだが、ここまで心配性だったかな、と思ってしまう。  

 出会ったはじめは、無愛想だったが、今よりはかっこよく見えた気がするのだが。

「ほぼ無傷だよ。あの馬のおかげでね」

「そうか」

 安堵を滲ませた声を出す。

 シュムにとってカイは、かけがえのない友達で、立場が逆なら、ここまでとは言わずともやはり心配するのだろう。だが、これでいいのかと、思わないでもない。カイは、主に、人の生気を食料とする生き物なのだから。

 彼らを友達と言い切るシュムが心配するのも妙な話だが、彼ら――魔物や魔獣や契約の獣などと総称される者たちは、人の友誼に友誼を返せば、厄介なことになるのではないか。

「どうする、このまま山越えるか、戻るか?」

「とりあえず、落馬した人に会いたいんだけど。どうやって戻ったものかと」

 魔術を使えるシュムだが、一部を除けば基礎しか学んでいない。おかげで、さっきもろくに衝撃を和らげられなかった。もっとも先ほどは、試す間もなかったのだが。いや、無傷なところを見ると、意識せずに使っていたのかもしれない。

 こういうとき、魔術の師匠なら、馬ごと無傷で着地することも可能だったかもしれない。ここから元いた場所まで、風に運ばせることもお手の物だろう。

 さて、戻るのが面倒だ。しかも、折れてはいないが捻ったようだ。カイに人型になってもらって肩を貸してもらうか、と考えていたら、言うまでもなく人型をとってくれていた。が、そこからが違った。

「…とりあえず、山登るなら両手は空いてる方がいいかと思うんだけど」

 いきなり抱え上げられ、横向きに抱かれたシュムは、呆れ声を出す。

「しがみついてろ。片手離すぞ」

「あー、うん。ありがとう」

 言った通りに、片腕でシュムの体を支え、もう片方は、枝を払ったり取っ掛かりとして掴んだりする。

 こういうとき、子供の体は便利だと思う。 

 稀少な特異体質のせいで、シュムの体の成長は十一歳で止まっている。死んでも大人になれない体は、外見だけでなめられるし身長差が口惜しかったりすることも多いが、俊敏さや、体重が問題になるときには便利だ。

 今更歩いて行くと言ったところで無駄と知り、シュムは、邪魔にならない程度に首にしがみついた。

 娘と若いお父さん、いや、妹とお兄ちゃんの図かなあと、のんびりと考える。家族のようで、その図式だけは微笑ましいように思えた。まだ、雨の向こうには、濃い血の臭いが残っているのだが。

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