迷子


 優美に、弦楽器が曲を奏でる。人々の、笑いさざめく声。

「――?」

 カイは、ただ呆然と、眼前に広がる光景を見つめていた。

 着飾った人々が、あるいはワルツを踊り、あるいは飲み物を片手に談笑する。大人ばかりがいるように見えるが、給仕の者まで入れて全て、顔の上半分を覆い隠す造りの仮面をつけているから、本当のところはわからない。

 カイ自身も、おそらくは似たような仮面をつけている。服も、少しばかり窮屈だ。周囲にいる男たちと、似たような格好なのだろう。

 ここは――城、なのか。

「シュム・・・? シュム!?」

 ぼうっと、そんなものに見入っていたカイは、近くに少女の姿が見えないことに、今更ながらに気付く。

 先ほどまで山にいたはずだということや、夢とも思えないこれらが何なのか、探る前の問題だ。さっきまでは、手を延ばせば触れられる距離にいた。

「何処に――」

 気ばかりが焦り、広い室内を見回す。無闇に走り出したい衝動に駆られるが、そんなものは意味がない。カイがいるのとは反対側の壁には窓が見えるが、夜なのか、闇に沈んでいる。

 灯りに照らし出された闇は、酷く頼りなく、弱々しい。

「――!」

 見つけた。

 広間の奥まったところに、人の固まっている場所があった。一人の人間を、数人が取り囲んでいるのだ。その中心に、長い髪の少女がいた。

 とびきり豪奢な、刺繍も宝飾も凝ったその少女が、シュムだと確信する。顔は見えないが、そのはずだ。

 カイは、踊る人々を突き飛ばすようにして、そこへと向かった。

 強引に向かったために、小さく悲鳴を上げた者も少なくはなかったが、会場が広いためか、いっそ不気味なほどに、注目を浴びることはなかった。小走りに駆け寄ると、人々に取り囲まれた少女が、優雅に、それらの人々をあしらっていることに気付いた。

「シュム」

「あら」

 声をかけ、反応があったことでようやく、少女を取り囲んでいた人々が、カイを見る。冷ややかな視線は、どこか、虚ろでもあった。

「何だ、貴殿は」

「私の知己です。用があってのことでしょう、ご容赦くださいませ」

 拒絶するような男の発言に応えた声は、間違いなく、シュムのものだ。しかし、儚げな調子に、言葉を失ってしまう。

「どうなさったのかしら、そんなに慌てて。どうぞ、こちらにいらしてください」

 白い長手袋をはめた細い腕に招かれ、何人かが渋々と、カイのために空間を開く。腕はそのまま差し伸べられ、恭しく押し抱かれることを、無言で強要する。

 おずおずと手を取ると、絶妙の間合いで軽く引かれ、抗う術もなく、少女に体が傾く。計ったに違いなかった。何が何やらわからないままに体勢を立て直すと、少女は、にっこりと微笑んだ。もっとも、仮面を被っているため、口元で判断するしかないのだが。

「よろしいですよ。ダンスに誘われたので、少しの間、失礼いたしますわね」

 カイは一言も喋っていないのだが、先程、少女の耳元に顔を近付ける格好にはなった。

 それで納得したのか、人々は、残念そうな言葉をかけながらも、少女を見送る。カイは、それに従って、広間中央の、踊る人々の中にまぎれた。手は、さっきからつないだままだ。

 少女は、適当な場所で振り向き、両手を取る。

「来てくれて助かったよ。どうやって抜けようかと思ってた」  

「――シュム、だな?」

「え、そう思ったから来てくれたんじゃなかったの? 何、ただのナンパだった?」

 シュムがリードしてくれるのだが、体格差のせいで、何度も足を踏みそうになる。よくも、軽やかに踊れるものだ。

「はじめはそうだと思った。ただ、あの話し方を聞いて、ちょっと自信がなくなってた」

「あー、あれ。アズの結婚式に出ようと思ったのが間違いだったんだよね。考えてみれば、国王だよ? 王様急死して、即位と結婚式がほぼ同時だったからね。堅苦しいものになること請け合いなのに、うっかりしてて。城に行ったら、軟禁してみっちり仕込まれた」

 公に知らせずとも、王妃となる人の身内だという情報は、何処からともなく伝わる。だから、みっともない失態をするなと、それはもう、不眠不休で教え込まれたものだ、と言う。そう言うだけで辟易とした様子に、よほどだったのだろうと、推測するしかない。そのとき、カイは傍にいなかった。

「それで、これは何がどうなってるんだ?」

「カイ」

 踊りながらも、じっと見つめられ、何事かと思う。しかしシュムは、ふうっと、情けない教え子を見るかのように、溜息をついた。

「訊くだけじゃあ、色々なものを見落とすよ?」

「・・・人の魔術だとかまやかしだとかいったものは、お前の担当だ」

「そういった決めつけは、良くないと思うよ。なんでそう、嫌がるかな」

 くるりと回転してから、踊る人たちの輪から離れようと、壁際に引っ張って行く。凝った刺繍のスカートが、ふわりと空気をはらんだ。

 人の扱う魔術全般は、何をどうこういったものではなく、苦手だ。カイらがつかうものと、人のそれとは、根本で大きく異なる。カイにはどうと指摘できないが、デルフォードに言わせると、呼吸か走るかの差だとのことだ。わかったような、わからないような例えだ。

「でもまあ、これは確かに、あたしの領分だろうね。カイは、面識どころか話も聞いてないだろうし」

「何か知ってるのか?」

「ありがとう、いただきますわ」

「・・・変わり身が怖い」

「失礼な」

 給仕がグラスを差し出し、それに応じたシュムに、ぼそりと呟く。シュムも、給仕に聞こえないよう小声で、不満を伝える。

 お仕着せの給仕が去り、二人の手に葡萄色の液体が残されると、シュムは、躊躇することなくグラスを傾けた。このくらいの量で酔うはずもないのに、なめるような飲み方に、首を傾げる。

 しかし、その疑問を口にするよりも先に、白銀色の仮面がカイを向く。

「ねえカイ、ちょっと、火でも起こしてみて」

「は?」

「見られないように気をつけてね。少しでいいよ」

「ああ・・・?」

 ちゃんと納得したわけではないが、理由はあるのだろう。カイは、大人しくそれに従った。

 シュムらが何かを喚び起こす場合、原則として、文言や紋章が必要となる。だがカイらには必要はない。カイは、指先に火を灯そうとした。

 したのだが。

「えっ?」

 愕然と立ち尽くす、その胸板を、シュムの拳が叩く。大丈夫、と、言葉も伝えられた。

「予想通り。ありがとう、カイ」

「おい?」

「あたしが、使えないだろうと予想したから使えないかなってことも考えたんだけど、やっぱり、全面的に駄目みたいだね。あたしも、何も使えない。召喚の魔方陣さえ、開く気配もなかったよ。はい、これから予想される状況は?」

「・・・結界が張られてる、何らかの方法で俺とシュムに術がかけられてる、ってところか?」

「よくできました。でも少し外れ」

 琥珀の液体を、ちろりとなめる。

 こういった思わせぶりなところ、シュムは、確実にラティスの弟子だと実感する。師弟揃って、性格が悪い。

「過去か、つくりものか。とにかく、今では架空の世界。そんなところかな」

「捕りこまれたってことか?」

 夢の中なり幻想の世界なり、そういったものに取り込む術はある。意識だけか、体そのものかという点での違いはあるが、どちらも、術者の思ったものが反映されるというところは同じだ。そうすると、カイとシュムが何もできないのも、納得がいく。

 どこか無機質な、人のことも。

「うん。それにしたって、どうしてあたしがお姫様――そうか、違う。逆だ。あたしが見つけなきゃ、駄目なんだ」

 自問自答で納得してしまい、知らずに、カイの眉間にしわが寄っていた。

 細かく問い質したいところだが、ここが術者の内だというのなら、余計なことは言わない方がいい。こういったものは、術者の感情に左右されるため、どんなことでどんな目が出るか、判ったものではない。

 シュムが把握しているのなら、任せた方がいい。

 シュムは、近くの給仕を呼ぶと、ほとんど飲んでいないグラスを返した。カイも、それに倣う。そうして、そのまま広間を抜けた。

「白い猫。どこかにいるはずだから、探して」

 仮面を外す。ようやく顔が見えて、それだけで安堵する。やはり、担がれているような感覚があったのだろう。カイも外すと、シュムが、嬉しそうに笑んだ。

「なんだか、久しぶりにカイの顔見た感じ。仮面って、印象変わるね。――これを預かっておいてもらえるかしら?」

 通りかかった下働きに二枚の仮面を渡し、にこりと微笑む。しかし相手は、頬を染めるでもなく丁寧に、お辞儀を返して受け取っただけだった。

 さあ、と、シュムはカイに笑いかけた。まるで、いたずらを仕掛けるように。

「迷子の猫を、早く見つけよう」

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