「お久しぶりです、師匠」
「よう、馬鹿弟子」
「懐かしの再会にそれはないでしょう」
そもそも、こんな状況にそれはないだろう、と周囲の何人かは思ったに違いないが、当の二人、シュムとラティスは、にこにこと嘘臭い笑みを交わしている。
師弟の再会は、ジルが術者を見事に捉えたものの、獣は依然として広間中央にいる、という状況で行なわれたのだった。
ひょっこりと姿を現わしたシュムは、広間をぐるりと見回して、ラティスに向かって言った。その場に居合わせた半数以上が、唖然とした。
そんな周囲の状況は無視して、ラティスは、苦笑気味に、声量を落とした。歩み寄ってきたシュムも、小声で返す。
「どうした、シュム。こんなに大勢の前で宣言したりして」
「師父は、魔導士として招かれたんでしょう?」
「魔導士の肩書きが要るのか?」
「無駄な制止が入らなくていいかな、と思いまして。ちょっと、話してきます」
そう告げて、無造作に結界の檻に近付く。
遠巻きに囲っていた兵士が硬直し、制止に駆け出しそうになった妻を、国王が抱き留める。三人の宮廷魔導士も動きかけたが、ラティスの弟子という事実に、そちらを伺うと、一人、感心したような面もちで眺めている。
檻の間近まで近付いたシュムに、獣は、鼻先を向けて威嚇した。そこに、ごく普通の調子で話しかける。周りにいる者には、獣の唸り声に紛れて聞き取れなかっただろう。
「人の言葉はわかるね? もし話せるなら、その方が助かるけど。――契約内容を、教えてもらえない? お互いにいい、打開策が見つかるかも知れないし」
話の分かる奴ならいいなあ、と、周囲の者が知れば仰天しそうなことを思う。魔物はおしなべて、人を欺き残忍な性質を持つ、という一般常識よりも、話の通じる奴もいる、という経験の方を、シュムは重視する。
話が成り立たないか、打開策が見つからなければ、残念ながら強制送還するしかないだろう。師や宮廷魔導師たちの手を借りれば、目の前の黒い獣を消し去ることくらいできるだろうが、それも勝手な話だ。おそらくは、契約に従っているだけで、内容が違えばこちらの味方にもなったのだろうから。
胡乱そうに、獣がシュムを見遣る。炎を吐かないのは、湿気のせいかシュムに興味を持ったからか。
「内容によっては、無事に契約を完了させて、そのまま帰ってもらえると思うんだけど」
『お前は何者だ』
空気を伝わる言葉ではなく、頭の中に直接響くような声だ。
主に兵士がどよめき、シュムは、それが他の人々にも伝わったことを悟った。
「できれば、あたしだけに伝えてくれると助かるんだけど。――はじめまして、シュムといいます」
『お前が・・・』
「あ、やっぱりそっちで名前伝わってるんだ。知らないところで有名人になってるよなあ」
これは、半ばぼやきだ。
聞いた話では、珍獣扱いされているということだから、嬉しいような部類のものではない。しかしそもそも、俗に言う魔界で、固有の人名が流布するという事態自体、異例のことではあるらしい。
「どんな噂が流れてるか知らないけど、少しでもいい部分があったら、そこに免じて、信用してもらえないかな? あー・・・悪いのばっかだったら、どうしようもないけど」
言って、情けなくなる。しまった、それなりに緊張してるなあと、心中でのみぼやいた。
しかし、黒い獣は、興味深そうに大きな深緑の瞳でシュムを覗き込んだ。そしてふっと、目線が和らぐ。
『いいだろう。契約内容は簡単だ。王城を崩壊させろというものだ』
「城、ってのは?」
『この国の城だ。国の名は、リーランドだったか』
「リーランドの王城を壊せっていう、それだけだね?」
『ああ』
「それなら、ちょっと待ってて。話を――ええと、向こうで話してて、聞こえる?」
『造作もない』
「それは良かった」
国王さえ承諾してくれれば、無事に終わりそうだ。そう、嬉しく思って踵を返す。師たちの元に戻ると、魔導師たちは、ぽかんとしたかおをしていた。師でさえも、呆れ顔だ。
そこを通り抜けて、やはり呆然としている国王の前に行く。
「国王サマ。会話は――聞こえてませんね、多分」
そう呼びかけて、手短かに内容を話す。呼びかけは、頼んだように、シュムだけにしてくれたようだった。
話を聞いて、王は、困惑顔になった。
「それのどこに、打開策が?」
「わかりません? リーランドの王城、というだけなんですよ、契約は。何も、本宮とは言っていないし、完全に壊せとも言ってません」
「――あ」
「使ってない棟か、少しくらい壊れても差し当たっては支障のないところ、ありませんか?」
「北の端だ。物置に充てているが、老化が激しくて、そろそろ取り壊さなければならないと思っていた」
それだ、と、子供じみた笑みを浮かべる王と共に、笑顔を見せる。聞き耳を立てていた王女とミハイルは目を丸くし、それどころか、四人の魔導師たちと国王一家を守っていた近衛兵たちも、驚愕している。
そこに、シュムは真顔を向けた。
「これは、内密にお願いします。面子というものがありますから。国王サマ、置いてある物は、移動しなくて良いですね?」
「さして、価値のあるものもないさ」
「それでは、エバンスサマ。炎を吹いてもらうから、結界を消してもらえますか? すみません、不名誉なことですが」
「――構いません」
ふっと笑いかけて、シュムは、確認するように黒い獣を見た。小声で、呟く。
「北棟までは誘導する。いい?」
『私がその通りにすると?』
「やらないなら、契約を中断して帰ってもらうしかない。出て来ただけ、損だね。途中で気を変えて他を壊すなら、相応の報復はさせてもらう。だからあたしは、言った通りにしてくれるようお願いする」
『変わった奴だ』
「よく言われるよ」
そこで、少し間が空いた。黒い獣が動く気配もなく、何だろう、とシュムが思っていると、声が再び聞こえた。躊躇いの間だったのだろうか。
『面子のため――というのは、本心か?』
「半分くらいは」
『残りは?』
「話の通じる相手ばかりじゃない。そのあたりは、人と同じはずなんだけどね。うっかり、全部と話し合いで解決できると思い込まれると、後々厄介になる」
『成る程な』
笑うような気配が伝わり、黒い獣が、爆発と見まがう炎を起こした。湿気の高さどころか、雨中でも勢いは削がれなかっただろう。エバンスは、演義抜きで、結界の維持を放棄した。
シュムは一人、剣を抜いて、炎をまとった獣の前に飛び出した。事情を知らない兵士たちが、距離を取りながらも、悲鳴に似た声を上げる。
「こっちだ!」
声と共に、ひらりと、鼻先を掠めて跳躍し、窓から身を躍らせる。黒い獣は、その後を追った。見ようによっては、獣の気を逸らして、被害の少なくなる外に誘導したようにも見える。
飛び出しながら、風を呼ぶ印を結ぶ。普通に落下すれば、まず即死だ。基本しか学んでいないシュムでは、衝突の際クッション代わりになるだけのはずが、大した衝撃もなく、ふわりと着地する。
「ありがとう、師匠」
呟いて、すぐに地面を蹴る。広間から逃げた客たちが居たのは予定外だが、すぐに、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。本気か見せかけか、おそらくは後者の攻撃を仕掛けてくる獣から身をかわしながら、シュムは、北棟まで最短距離を走った。
「ここだよ」
その棟の前で囁いて、正面切って向かってくる獣を、体を沈めてかわす。そのまま真っ直ぐに、黒い獣は、棟に突っ込んだ。老朽化していたそれは、派手な音を立てて、崩れ落ちる。
隣接した部分にまで被害が行くかと思われたが、それは、壁に遮られたようになった。見上げて見えたエバンスの姿に、シュムは微笑した。
『では、失礼しよう』
「ああ、ちゃんと報酬もらった?」
『ああ。また、機会があれば話がしたい。シュム、と言ったか』
「それは嬉しいね。今度は、和やかに会いたいよ」
契約を終えると、期間用の魔法陣は、ほぼ自動的に開く。そこに姿を消した黒い獣は、最後に、笑ったようだった。
「・・・ふう、疲れた」
剣を鞘に収め、瓦礫の山にもたれかかる。
そもそもは、人混みに紛れ、妹や甥姪、ついでに師に会うだけのつもりでいたのに、想定外の労働だ。しかも、速やかに身を隠した方が得策だろう。
シュムの案は、「魔物」に損をさせず王国の損害を押さえる、という妥協案であって、強制送還をした方が、王国にとって得策だったとはすぐに知れるはずだ。一般的には難しいことではあるが、あの宮廷魔導師たちが協力すれば、おそらく可能だっただろう。その上、エバンスは、シュムが比較的容易に、それを行なえることを知っている。
あそこにいた顔触れがそれに気付かなかったのは、シュムの出現と態度に、騙されたのだろう。
「まったくもう、新年早々」
ぼやいて、シュムは立ち上がると、一度だけ広間から顔を覗かせる人々に手を振り、身を翻した。冷たい空気が、身に馴染んだ旅装の裾を、揺すった。
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