新年祝賀の夜会は、無事に進行していた。終わる頃に酔っ払いが騒動を起こす可能性はあるが、さして問題ではない。ところが、宴もたけなわの頃になって、エバンスは、頭を抱えたいような事態に直面していた。
「おいエヴァ、あれは余興か?」
「馬鹿なことを――エドモンド師、国王一家を頼みます」
兄の言葉に反射的に答えを返し、師匠の宮廷魔導士・次長に声をかけて、自身は広間の中央に向かって歩み出る。深呼吸をして、呪文をつむぐ。
そこには、山狼に似た大きな闇色の獣の姿があった。
当然のように上がっている、パーティー参加者たちの悲鳴に眉をひそめつつ、エドモンドが国王一家――エバンスにとっては兄一家に当たる人々を術で囲って守り、警護隊長が客に避難指示を出し、兵を獣に対する全面に出そうとしているのを目の端に映す。
宮廷魔導士の総長が、面倒がって出席を拒まずここにいれば、と、思わないでもないが、考えても仕方のないことだ。しかし、せめてもう一人いれば心強いのだが。
突如出現した獣が、尋常のものでないことは、誰の目にも明らかだ。しかもそれは、魔法陣の中から現われたのだ。魔獣が召喚されたと、誰もが思う。しかし、使われた魔法陣は異界からの召喚のためのものではないと、エバンスには判った。
最後まで呪文を唱え終えると、獣を囲んで、丸い檻が形作られた。普通、こういった結界は目に見えないものだが、人が多いこともあって、視覚的な効果を狙った。読み通りに、人々の、いくらか安堵した息が聞こえる。
しかし、これで終わりではない。
「エドモンド師――?!」
「やあ、立派立派。見事な技だ」
師を振り仰いだはずが、先に、呑気に笑うラティスが目に入った。その後ろには、純白の礼装に身を包んだミハイルの姿まである。
「・・・見ておられたなら、手をかしてくだされば良かったものを」
「その必要もないと思ったが。なあ、ジル?」
「ああ」
「そ――総長!」
客人のラティス以上に、居るのならば力を貸して欲しかった老人が立っている。黒い地味なローブは、自室で休んでいたためだろう。
総長のジルとラティスの親しいやり取りを聞いて、そう言えば、この二人は一月違いの兄弟弟子だと聞いたことがあったのを思い出した。そこで、はっと我に返る。それどころではない。
「お二方――」
「あれは、外から送り込まれたようだな。手引きをした者がいるはずだが。探索は、お前の方が得意だろう」
「まったく、老人をこき使いおる。エバンス、結界は頼んだぞ」
「はい」
言うまでもなく、二人とエドモンドは、それぞれの分担をわきまえている。頼れる人がいることが、心底、心強かった。
「ミハイル、私の後ろから出るなよ。エドモンド・ブラウ、助力は要らんな?」
「はい」
そんなやりとりに気を取られている間に、檻の中で、獣が咆吼を上げた。それに伴って炎が吹き出し、結界の檻に連動しているエバンスは、脂汗を浮かべた。
一瞬、心配そうな兄のかおが見えた。
国王一家が広間に残っているのは、責務と言うよりも成り行きと状況判断による。このまま他に移動しても、移動した先に魔獣を移転されると危ない。エドモンドがついていけばそれからは守られるが、人間が襲いかかった場合は厄介だ。
「ラティス殿」
「ん?」
「手伝っては、いただけませんか。私一人では、いささか、荷が、重いのですが」
「そうは言ってもなあ。結界は、お前さん一人で安定している。下手に手を出せば、崩壊するだけで・・・うん、まあ、いいだろう。少ししめっぽいが、気にするな」
そうして、煩雑な印を結び、言葉をつむぐ。
見たことのない印に、興味を込めた視線を送りながら、エバンスは、異変に気付いた。徐々に、部屋の湿度が増している。ラティスの言葉は、例えではなくそのものだったのだ。
「まあこれで、火は出しにくいだろう」
「ありがとうございます」
何ということなしにこなすそれが凄いことだと、エバンスには判る。湿度を上げるよりもよほど、雨や水を振らせた方が簡単なのだ。そうしなかったのは、空気や状態は共有されるが、物質や現象は遮るという、エバンスの結界の性質を見抜いてのことだった。
改めて、凄い人だ。
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