道草


 ひらりと、白い雪片が舞い降りる。

 風に容易く揺れるそれらは、しずかで儚げで、もろい。滅多に雪の積もることのない、この地方では尚更だ。地に降り立った瞬間には、地熱で溶ける。

「わー、降って来たー」

 空を見上げて、シュムはぽつりと呟いた。足下には、目立たない色合いの服を着た、三十前後ほどの男が倒れ伏している。今し方、シュムに襲いかかり、返り討ちにあったばかりだ。

 実のところ、そういったことは珍しくもない。王家の犬と罵られ、王の懐刀と狙われる。

 どちらも、シュムにとっては言い掛かりか勘違いでしかないが、言って聞く相手はまずない。それなら、こうやって、丁重に諦めてもらうのが早い。

「あーあー。久しぶりに師匠たちに会おうと思ってたのに。新年の祝賀パーティーに紛れ込むのが手っ取り早いのに。妙なとこで道草喰うなあ。ねえ?」

 くるりと、後ろを振り仰ぐ。そこには、短剣を持った、外見としてはシュムと同じくらいの、まだ幼い少女が立っていた。

 シュムに見つめられて、少女は、振りかぶっていた手を下ろした。青ざめた顔に、焦りはない。

「・・・気付いてたの」

「特に隠すつもりもなかったんでしょ? あ、違うか。気配の隠し方も知らないんだね。違った?」

「全部お見通しなのね」

 まさか。

 心の中で呟いて、外面としてはにこりと微笑む。気配だけは気付いていたが、正体のはっきりしないそれにが、何者なのかはさっぱりわかっていなかった。

 そうでなければ、この寒空の中、城下町に入る門を見下ろすこの場所で、ぼんやりと空を見上げていたはずもない。王城には、会いたくない人も山ほどいるが、会いたい人たちがいるのだから。

 妹と甥や姪、義理の弟――たち、それと、今では甥に教えている魔術の師。

「ナイフ、危ないよ」

 そう言ったときには既に、少女の手からナイフを奪い去っていた。

 実のところシュムは、魔術は自己防衛に幾つか覚えた程度で、剣技や体術の方が、よほど得意だった。

 少女は、驚くでもなく、ただ黙然と、シュムを見つめる。

 幼さは残るものの、綺麗な少女だ。赤毛の髪は三つ編みにして垂らされているが、柔らかで手触りも良さそうだ。目元がくっきりとしていて、まつげも長い。きつい感じがするが、笑えば、そんなものは吹き飛ぶだろう。

 何も言ってくれないので、仕方ない、無知をさらすかと、口を開く。

「この人の連れ?」

「ええ」

 半ば以上当てずっぽうの言葉を肯定されて、驚きの声を上げかけた。どうにかそれは呑み込んだが、驚き自体は伝わったらしく、少女は、訝しげに目線を強めた。

「知ってて言ったんじゃないの?」

「いや、ほとんど勘。親子?」

「そうね。これから娼館に娘を売りに行こうって人も、親には違いないわね」

「それはまあ・・・」

 完全に意識を失っている、どこにでもいそうな男を見遣りながら、シュムは言葉を探しあぐねていた。

 男は、本当にどこにでもいそうな、見掛けだけは農民のようだった。しかし、よく見れば、そうではないと判る。おそらくは、暗殺業か密偵業といったところだろう。

 だが、飛び道具の短刀は、ありふれた安物。腕も、さほどではない。あまりにも手応えのない相手だ、と思った。その程度で、シュムに刃向かうなど無謀だ。

「ん?」

 あまりに当然なことに思い至って、首を傾げる。

「今から、売られるところだった?」

「そうよ」

「その途中に、人を襲うの? しかもその後を、娘に任せて?」

 馬鹿げた話だ。それに、本人を前にしては言いたくないが、売り物ならば、傷が付くことを避けるはずだ。

 しかし少女は、相変わらず感情を移さない瞳にシュムを映した。

「任されたわけじゃないわ。隠れてろって言われたもの」

「それじゃあどうして」

「――知らない」

「ああ。殺すと思った? お父さん」

 どうやら当たったらしい。わずかな目線の揺らぎにそれを読み取って、シュムは、密かに溜息をついた。

 推測するに、少女の父は、一流とは言い難い暗殺者か何かだったのだろう。そのまま落ちぶれたか、家族をもって廃業したか。しかしそれでは暮らしがもたず、娘を売る羽目になった。

 シュムは、この頃では高くはないものの、裏ルートで賞金首になっているらしい。

 昔のつてか何かでそれを知っていた男は、たまたまシュムを見掛けて、欲でも出したのだろう。それで、娘を売るのを止められると思ったのかも知れない。

 しかし、向かう相手の力量を見定められない時点で、三流以下だ。 

「お父さん想いだねえ」

「・・・こんな男。殺せるものなら、殺してやりたいわよ」

「じゃあ、殺せば? 今なら抵抗はないよ」

 そう言って、取り上げたナイフを差し出すが、受け取ろうとはしない。倒れている男を見る少女の目を、涙が伝っていた。

「殺せるなら――殺してやりたい」

 繰り返される言葉は、逆に、殺せないと語っている。その後ろにあるものをシュムは知らないが、それだけに強い絶望を、感じ取っていた。

「借金? 普通に働くのじゃ駄目なんだ?」

「額より、期限の問題よ」

「それなら解決可能だ。紹介状を書くから、少し待って」 

 凝然と、少女が目を見張る。シュムはそれに構わず、荷物の中から羊皮紙と筆記具一式を出して、少女の目の前で文を書く。途中、名前を訊くのに一度だけ顔を上げた。

 ちなみに、羊皮紙も筆記具も王宮から支給されたもので、さりげなく王室の印が入っている。

 書き上げたそれをひらひらと振って気休め程度に乾かして、少女に手渡す。

「それ持って、剣士のギルドを訪ねるといい。向こうで取り計らってくれるはずだよ」

「どうして――」

「気まぐれ。信用できなければ、捨てていいよ。言ってしまえば、ただの手紙だ。それに、いいことばかりじゃなくてね。あたしの知り合いと知られて、厄介事に巻き込まれる可能性もある。判断は任せるよ」

 言い置いて、シュムは、身軽に立ち上がった。少女は、膝をついて、静かに泣いているようだった。



 黙々と、王城を目指す。

 町は、新年という口実を受けて、いつもよりもにぎわっていた。まるで、悩みなどどこにもないかのように。しかし、それは飽くまで表層でしかないと、誰もが知っている。

 シュムは一人で歩きながら、父親を殺すこともできず、涙を流す少女を思った。

 それが、親だから、家族だからだということが、幻想だと、シュムは知っている。血縁者といえども、根本は他人と変わることがなく、それだけで大切な人とは成り得ないことを、外見よりは長く生き、各地を渡り歩くシュムは知っている。

 そもそも、自分の肉親も、家族という想いは薄かった。

 しかしそれは、憎むといったこととは別で、むしろ、感謝している。体質とはいえ、一生成長を止めてしまった娘を、恐る恐るとではあるが、育ててくれた。それが、並外れた義務感からであったと知ってはいるが、そのことで恨むつもりは、全くもってない。

 欠けた愛情は、妹が注いでくれた。なついて、好いてくれた。それは、今でも変わらない。

 そのことが、嬉しく、また、妬ましくもあった。健やかに成長し、幸せを手に入れた、自慢の妹。大切な、ほぼ唯一と思える家族。近くにいれば、傷付けるだろうことは目に見えていた。だからこそ、離れて、たまに会いに行くくらいが丁度いい。

「・・・元気かな」

 呟いて、シュムは、王城を目指す。新年祝賀の夜会は、まだ、続いているだろう。

 雪は、いつの間にか止んでいた。ただ、冷たい風だけが吹く。

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