八章
翌朝早々に、麗春は自邸へと帰って行った。徒歩で戻るという麗春を、ヒラクが自発的に送っていった。
何姉妹に会うと、妹の玉景は、少年から少女に変わっていた。史明が、わかっていながら目を丸くする。少年のときと同じ顔と言えば同じなのだが、知らなければ、よく似た顔だとしか思わなかっただろう。
史明もヒラクも、潦史に対して多少のぎこちなさはあったが、更に何かを言うということはなかった。助かるが、それが逆に辛くもある。
「結論はでたのか?」
玉景に跪かんばかりに礼を言われそうで、潦史は、さっさと話を振った。。
昨夜のうちに一通りの説明は終えて、結論は保留した。姉妹からの質問はほとんどなかったが、何か訊きたいことが出てきたら遠慮なく訊いてくれとも言ってある。
姉妹は、視線を見交わした。
「私に声をかけてくださったのは、変身能力のためと仰られましたが…」
「ああ。乱用されると人界が多少混乱するだろうし、それだけの能力があるのに、使いこなせずにいるのが惜しい。師につけば、あんたはもっと伸びる」
「本当に、そうでしょうか」
真剣な声には、喜びがほの見える。特異能力が誉められ、嬉しいのだろう。
潦史は、軽く肯いた。
「まず間違いなく。まあ、昨日も言ったけど、それが必ずしもいいとは限らないけどな。だけど、天界に行ったとなれば、平隠に後宮を抜けられるのも確かだ」
玉景が天界での修行を決めたときには、潦史が責任を持って、その後始末をすると言ってある。天界での修行は誉れとされるのだから、そう問題も起こらないだろう。
玉景は、そこで姉に視線を向けた。そうして、思い切ったように口を開く。
「姉は――どうなるのでしょう」
「玉景、あたしのことを気にする必要はないのよ」
「でも、姉さん」
「希望するなら、同じ道士見習いに推薦してもいい」
軽く口論が始まりそうなところに割り入って、潦史は言った。ただし、と語を繋ぐ。
「あんたは妹と違って、元の能力はないからかなりの努力が必要になる。半端な努力じゃ保たないし、頑張っても大きな力は持てないだろう。その覚悟があるならの話」
「遠慮しておくわ」
姉さん、と、玉景が掠れた声を上げた。しかし姉は、素っ気なく肩をすくめる。
「あたしは、あんたが無事で、自分の望んだことをするのなら、それでいいの。押し掛けて、無様なことをする必要はない。そうでしょう?」
「姉さん…」
「さあ、どうなの。何も、今生の別れってわけじゃないって聞いたでしょう。行きたいなら行けばいいし、あたしと来てもいい。あたしは、葉月にでも抜けようと思ってるの」
さばさばとした玉鈴の口調に、玉景は目を伏せた。考える間、誰も口を挟まない。
「――連れて行って、くださいますか?」
緊張で、今にも倒れるのではないかという顔つきの玉景に、潦史は微笑みを返した。
「それじゃあ、案内人を呼ぶ。――参画」
「あい」
そう間を置かず、顔を半分くらい隠してしまっている頭巾を被り、歩けばまず間違いなく踏みつけて転びそうな裾の長い服を着た童子が出現した。しかも、危なげもなく何もない中空に浮いている。姉妹は、完全に言葉を失っていた。
童子は、ぐるりと一回転して部屋にいる顔触れを見回して、玉景の前で止まった。
参画には、素質のある者を見抜き、天界へと案内する能力があった。時々は見落としや、仙人や神が見つけることもあったが、仙界にいる多くは、参画の見出した者だった。
「君が候補者? そうだよね、道君?」
「ああ」
困ったように姉たちを見た玉景は、潦史の肯定に慌てて肯いた。応じて、参画が何度も首を縦に振る。
「それじゃあ、行くよ。準備はいい?」
「えっ。ま、待ってください、まだ…」
「行っておいでよ。あたしも、そろそろここを出る。玉景を頼むよ、頭巾おばけさん」
「おばけ…」
「ね、姉さん!」
「え? 何か悪いことを言った?」
落ち込む参画と慌てる玉景、それが何故なのか判っていない玉鈴。そんな様子に、潦史は声には出さずに笑った。史明が呆れ顔になっているのは判っているが、だからといって止まるものでもない。
ひとしきり笑ってから、潦史はようやく、伏せていた顔を上げた。目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「ほら、参画、仕事だぞ」
「はい…」
「そう落ち込むなって。あの人は、素直に特徴を言っただけだろー?」
「…道君、面白がってるね?」
「いやいやまさか」
言いながら、その顔が笑っている。参画はそんな潦史を睨み付けると、諦めたように溜息をついて、改めて玉景に向き合った。そのあたりは、さすがに玄人だ。
「行くよ?」
「――はい」
参画は、玉景の手を握ると、背筋を伸ばして天に向けて顔を上げた。室内なので、天井が見えてしまうところが、少し気分が削がれる。
それまで丸みを帯びていた声が、途端にピンと張った。
「知見。我ら道を行く。開き待てり」
たん、と、宙に浮いているはずの参画の強い足踏みの音が聞こえ、白い光が零れた。玉鈴と史明が思わず目を閉じて、気付くと二人の姿はなかった。
深く、それまで溜めていた呼気を吐き出すかのように、玉鈴が息を吐いた。そんな彼女に、潦史が視線を向ける。
「あんたは、本当に葉月に行くのか?」
「そのつもり。母の知人が、商いをしているの。とりあえず、その人を訪ねてみる」
笑顔は、目を惹くものがあった。潦史は、思わずその笑顔から目を逸らしていた。
戸の軋む音がして、ヒラクが戻ったのが判った。
「なるべく早く、ここを出た方がいい。俺たちは夜まで戻らないかもしれないから、これが最後かも知れないけど。いい旅路を」
「ありがとう」
そうして、潦史は戻ってきたばかりのヒラクと史明を連れて、宿を後にした。
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