八章

 朝から [ ヒル ] にかけて、まちは市でにぎわう。

 市の売り手は大半が近郊の農家の者で、売っているのは作物や、店では買い取ってくれないような布などが主だった。そのため身分の高い者はまず見向きもしないが、中には、店からの買い取りを断って、頑固にも市でしか売らない見事な細工品があったりもする。

 潦史 [ ラオシ ] は、その市の片隅で、木の幹に背を預けて瓜を囓っていた。丁度食べ頃で、しかもよく冷えている。

「おい、潦史」

「ん?」

 渡された瓜を右から左、左から右へと弄びながら、史明 [ シメイ ] は潦史の隣で木に寄りかかっていた。逆隣ではヒラクが瓜を囓っている。まるで、用心棒を連れた若貴人のお忍びのような配置だった。

「これからどうするつもりだ」

「どうしたい?」

「ふざけるな」

「別に、ふざけてもねーんだけどな」

 瓜の汁に濡れた手を仰ぐようにして乾かしながら、少し困ったような表情を向ける。この件がこんなに早く片付くとは、正直考えていなかった。もっと、時間を稼げると思っていたのだが。

「あとは、待つしかねーんだ」

「宮中の幽霊は?」

「ああ、あれはあの妹」

 あの能力で、逃げ出す機会を窺ってうろうろしていたところを勘違いされたのだ。あの少女は、かくれんぼの才能もあったようだ。潦史は、それ以上問題を追求されるもの面倒で、ぼんやりと、人混みに目を向けた。

 汚れた格好の女が、子供なのか孫なのか、幼子の手をしっかりと握っている。あそこにいるのも、幽霊扱いになった玉景も、そして自分も。人であることは、変わらないだろうのに。皇帝の座に居る者でさえ、本当はただの人だ。

 では、人と神の違いは何だろうかと、思う。

 人から神になるモノと、元から神のモノと。違いは――どこだろう。

 そんな考えを頭を振って押しやると、だから、と言って二人にやる気なく手を振る。

「やることはないんだ。向こうの出待ち」

「向こう?」

「皇帝のことか?」

「いや。元凶か原因のどっちか」

「はあ?」

「よう、識己 [ シキ ]

 何が何やらわからずに顔をしかめる史明を放って、潦史は人混みの中から近付いてきた青年に気安く声をかけた。相手は露骨に厭そうなかおをして、史明の表情が強張った。ヒラクも、言葉を失う。

 一度深呼吸をして、識己は、わらった。青白い顔は、やつれているように見えた。

「もうすぐ、全部が終わりになる」

「そりゃ凄いなー、識己。で、全部ってどこからどこまでだ? ここからそこまでとか?」

「そんな口を利けるのも――」

 火柱が、上がった。

 市を訪れていた人々が、唖然とそれを見上げる。炎は、各所から上がり、拡がっていく。一つ悲鳴が上がると、人々は我に返るよりも先に、恐慌に陥った。

 無我夢中で走り回る人々の中で、潦史は呆然と呟いた。

「――まちごと、捧げるつもりか」

 識己を一瞥してから、炎を睨み付け、史明に向く。まちを囲む形で放たれた火によって、人々は、争いながらも町の中心に囲い込まれるような形になっていた。 

「史明、ヒラク、外に行ってくれ」

「潦史!」

「人を、なるべく遠くに行かせろ。何かあれば俺を呼べ。今、道を開ける。――清天子 [ セイテンシ ] の名に [] いて命ず、水よ [] たれ。急ぎ急ぐこと律令の如くせよ!」

 飛嵐 [ ヒラン ] を抜き放ち、地に突き刺す。そこから一直線に水がはしり、炎を消して一瞬で蒸発する。そこには、炎に脅かされながらも、一筋の道ができていた。人々は、驚き、感謝するよりも先に、先を争って道を急いだ。

「行け、史明。ヒラク、お前は向こうだ」

 前だけでなく、後ろにも道はできた。消えかかる道に舌打ちをして、次の言葉を紡ぐ。

「早く。長くは保たない。――颯天子 [ ソウテンシ ] の名に於いて命ず、炎を押しとどめよ。 急ぎ急ぐこと律令の如くせよ!」  

「お前はどうするんだ!」

「とりあえず、術を使ってる間は動けない。死ぬつもりはない。早く。ヒラク、史明」

 淡々と言う。史明とヒラクは視線を見交わした後、それぞれの方向へと走って行った。その姿は、人に紛れてすぐに見えなくなった。それを見定めて、潦史は息を吐き出す。

「後は頼むぜ、清天子、颯天子」

 呟くように言うと、潦史は、突き立てた剣を引き抜き、鞘へと戻した。何気ない歩調で、町の中心部に進む。

 あの二人が戻ろうと考えなければいいけど。麗春 [ ] は無事に逃げてるかな。それらだけが心配だった。そして、そんな三人にもう会えないのはきついなと、少しだけ弱音を吐く。

 一度目を閉じると、高く燃え盛る炎を見上げた。

 ふと、苦笑がこぼれる。少し前まで、望むのは麗春の幸せだけだった。それなのにいつの間にか、ヒラクが居り、史明がいる。幸せを望む人が、増えていた。

「ああ――欲張りだな」

 ぽつりと、言葉を落とす。

 世界など要らない。国なんて要らない。

 ただ、己の大切な人と過ごす時がほしかった。ただ、それだけのことだったのに。

 それだけのことだ。

 それだけのことがどうして叶わないのかと、そう思う。きっとそれは、自分のせいでも、特定の誰かのせいでもないのだけれど。

「大変だよな」

 笑うしかなくてわらって、潦史は、燃えるまち中を淡々と歩んでいく。

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