七章
「なんであんたがいるんだ?」
半ば困惑して、半ば面白がっている風な声の主を、史明は呆然と見つめた。
肩に垂らされた上等の黒絹のような髪に、丁寧に化粧を施された整った顔。一目で上物と判る長い裾の着物は、香の匂いが移っているらしく、いい匂いがする。
そう簡単には見られないような美人だが、その声は聞き間違えようがない。
「…なんて格好してんだ、潦史」
「仕方ねーだろ、色々あったんだよ。で、そっちにいる人は?」
史明は、ぎくりと首を巡らせた。ここからでは、誰の姿も見えないはずなのだ。何もかもお見通しなのかと思うと、据わりが悪い。
潦史は、そんな史明の反応に苦笑した。夜目が効くから、踏まれたばかりの草から見当をつけただけなのだ。そう言うと、「おどかすなよ」と呟いて、肩の力を抜いた。
「出てきて大丈夫だ。こいつは信用していい」
促されて、思い切ったように姿を見せた人影は、昼間と全く変わらない格好をしている。史明には、何玉鈴とだけ名乗った。
玉鈴は近くまで来ると、潦史よりも、潦史に腕を掴まれた少年を、食い入るように見つめた。ふっと、体から力が抜ける。
「…無事、だったんだな…」
「姉さん、またそんな格好をして」
「え…え?」
潦史と史明を枠外に置いて、二人は抱き合って再会を喜んでいる。史明は、潦史の連れてきた少年をまじまじと見て、首をひねった。それを、脇から潦史がつつく。
「何がどうなってるのか、判ってるところまででいいから教えてくれないか?」
「ああ…」
まだ納得はいかないものの、史明は、玉鈴との出会いからここに至った理由までを、簡潔に語った。いつ見つかるかと冷や冷やとしているのだが、潦史が落ち着いているので、大丈夫なのかとも思う。
「妹?」
「そう、聞いたんだけどな…ありゃ男だろ?」
妹を、後宮から連れ出したいのだと頼まれたはずだった。
母と妹の女の三人暮らしだったが、母の病のために妹が後宮に入ったと。そこで、薬代を捻出していたのだ。しかし母はもう亡く、少しでも望むのであれば、後宮から連れ出したいのだと。
昼間の一件は、そのために知り合った貴族ともめ事を起こしたためだったらしい。
一度後宮に入った者が、皇帝の許可無しに抜け出すことは禁じられ、無断で後宮に立ち入った者も、計った者も重罪とは良く知ってのことだった。
史明はやはり首を傾げるが、潦史は、納得のいった風に肯いた。
「それでか。成程な」
「何がだよ?」
「まあそれは、後で判るから。それにしても…」
「何だ?」
自分を見て、悪童そのものの笑みを形作った潦史に、史明は思わず尖った口調で返した。そういう表情をすると、どんな格好でもちゃんと少年に見えたが、そんなことに感心するよりも、厭な予感の方が勝る。
「よ、色男」
「馬鹿。そんなのじゃねえだろ」
「って言う割には、顔が赤いのはどうしてだろーなー?」
からかわれていると判りながらも、赤くなどなっていないと、言い切れなかった。頼み事を受けたのに、玉鈴自身が一役買っていないとは言い切れないということもあった。――梨華を忘れたわけでは、ないのだけれど。
それにしても、まるで子供の反応だと、歯噛みしないではいられない。
「それよりっ! 男だろ、あいつは」
「だから、そのうち判るって言ったのに。まあいいけど。術式使ってんだよ。幻術ならすぐに判ったんだけど、体そのものを変えてるんだろうなあ。やろうと思えば、子供も作れるかもよ?」
絶句する史明。
潦史は苦笑して、珍しい例だけどな、と付け加えた。誰でも性別を変えられるようであれば、人界は大いに混乱することだろう。
その話はここまでと打ち切って、潦史が姉妹に近付くと、姉の方はやや警戒したように、「妹」の方は感謝するように、潦史を見た。
「大体の事情は聞いた。随分、思い切ったことをしたな?」
今や警戒を露わにして、「妹」を庇う玉鈴に、潦史は肩をすくめて応じた。
「そこら辺の事情をどうこうするつもりはねーよ。それよりあんた、妹の方。天界で修行をする気はあるか?」
姉妹と史明、三人ともが唖然とする、その表情に、潦史は吹き出した。それで我に返った史明は、怪訝そうに潦史を見たが、自分の出る幕ではないと、何も言わずに口を閉じた。
「まあ、ここじゃなんだから場所移すか。あんたの立場は、とりあえず気にしなくていい、こっちで幻術でも使っとくから、目立ったことして見られなきゃなんとでもなる。出口は確保してあるんだろ?」
「お前は?」
一人、身を翻した潦史に、史明が潜めたままの声をかける。口の端だけで、薄く笑ったようだった。
「多分、兄上様がお待ちかねだからな」
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