六章

 しかし、今の問題はそこではない。ここは地界であり、結花 [ ユイカ ] の様子からすると、少女の言った通り、潦史 [ ラオシ ] [ サイ ] も死んではいないようだ。そうすると、何故ここにいるのかということになる。

 潦史が見ると、少女は結花を興味深そうに見ていた。今にもつつき出しそうだ。幾分慌てて結花に言葉をかける。

「あのさ、結花。俺たち、どうしてここにいるか判らないんだけど。まだ死んでないんだよな? 原因とか戻る方法とか、わかるか?」

 界を行き来できる結花は、わずかに眉を顰めた。人が通れるほどの穴があるとなると、色々と厄介になってくるのだ。少しの間目を閉じて、各界の間にある「壁」を探った。

「穴があります。あそこに…消え、ました…」

 唐突な消滅に、結花は驚いたような呆けたような、途方に暮れた口調と表情で言った。今度は潦史の方が眉をひそめるが、結花はただ首を振る。

「調べてきます。すみません、しばらく待っていてください」

 あわただしく姿を消してしまった結花に、潦史は思わず唸った。

 常に微笑みながら見守ってくれているような結花が慌てるほどに、前例のないことなのだろうか。何か、厄介な事態らしい。潦史は、半ば呆気にとられてそう考えた。

「あの美人さんは何者?」

 少女の含みのある声に、振り返って、思わず飛嵐 [ ヒラン ] に手を伸ばしていた。

「只人ではないようね。好都合だわ」

 にっこりと笑う。半ば反射的に身構えたが、少女は、そんな潦史を宥めるように軽く手を振った。

「警戒しないで。伝えてほしいだけなの。ずっと、待っている人がいたの。――座ったら? 別に、取って食いやしないわよ。今度こそ、本当に長くなるんだから。年寄りに昔話をさせると、長くなるのよ」

 少しの間、少女を睨むように見つめてから、潦史は再び腰を下ろした。不安そうに見上げてきた彩の頭を、優しく撫でる。

 二人が腰を据えたのを見ると、少女は微笑んで、遠くを見るように目を彷徨わせた。

「――ひどく、表情のない人だった。いつもつまらなさそうなかおをしていて、冷えた眼をしていて。全てを見通せるからだろうって、皆は言ってたわ。でも本当は、逆だったの。何も知らなかっただけ。変に先を見通す力があったせいで、ごく平凡に生きていれば知らずにはいられないことを知らないままでいたのね。馬鹿みたいな話よ」

 やけに冷え冷えとした口調で、少女は言い切った。

「滅びた国があるの。今はどう呼ばれているのか知らないし、生きることに必死だった私には、あまり関係がなかったから忘れてしまったけど。特に裕福でもなくて、私のように下働きに売られる子供だって珍しくなかったわ。好きに暮らせるなんて、ほんの一握り。そういった人たちは、表では諸手を上げてあの人を歓迎して、裏では薄気味が悪いだとか不気味だとか言ってたの。自分たちは、そんなあの人のおかげで大きな利益を享受していたのにね。――どこが気に入ったのか知らないけど、あの人は私を好きになってくれた。子供だってできたの。幸せだった。…名前、つけたはずなのに。忘れてしまったわ」

 寂しげに笑う。

 潦史は、その長い年月を思った。少女は一人で――自分以外は見えない、歩き回るだけの者たちを別にして、あるいは、ごく稀に訪なう人を一時だけの話し相手として、過ごしてきたのだろう。

 そうして、聞いたことのある話だと気付く。

「誰のせいだったかしら。子供が川に流されて、助けようとした私は死んでしまった。全部、後で誰かに聞いた話だけど。その後が、大馬鹿なのよ。あの人は。思いつく限りの仇をとって、それだけでなくて、国そのものを壊してしまった。この辺りをうろついているのは、皆その国の人たちよ。少しずつ消えていって、残っているのはこの人たちだけ。見知った人ばかりだから、きっと私の仇なんでしょうね」

 未だ歩き回る人々を、素っ気なく見遣る。

「馬鹿よ、あの人。自分がただ泣きたがってたことにも気付かなかった。それで国を滅ぼしちゃうんだから、冗談じゃないわよね」

 突き放した、それなのに泣くのを堪えるような声に、潦史は何か言うべきか迷った。この少女は、間違いなく諦歌 [ テイカ ] の関係者だ。それどころでなく、どうやら原因らしい。

 しかし、口を開かずにいた。

 少女は、微笑した。

「あの人に――誓直子 [ セイチョクシ ] に、伝えてほしいの。神様になったって知っているけど、あなた達もそんなようなものでしょう? ――私はここにいるって。それがどうした、って言われるかもしれないけど。それと、子供は死んではいなかったと」

「――え?」

「私と直子の子供。商人に拾われて、国の外で生き延びたらしいわ」

「…何故、そんなことを知っている?」

「本人に直接聞いたの。あの子は、私たちのことは何も覚えていなかったけどね。さっさと、ここを抜けて行ってしまったわ」

 地界は、言うならば死後の世界だ。人界での生を終えると、地界での生活が始まる。

 地界に留まる期間は様々で、未練が少ないほど短いとされるが、その後どうなるのかを正確に知る者はいない。一般には転生するとされているが、神仙にも確かめようもない。神や仙人と言っても、ただの人とは違う力を持った不老長生、あるいは不死の者というだけでしかない。

「伝えてもらえる?」

 再び出現した結花を一瞥して、少女は言った。潦史も同様にして、肩をすくめた。 

「会う機会があれば」

「それで十分よ」

 微笑む少女には悪いが、潦史が誓直子と会う機会があるとすれば、とても伝えられるような状況だとは思えなかった。しかし、できることなら伝えようとも思う。

「ねえ」

 不意に、彩が口を開いた。少女が、なに、と首を傾げる。

「俺…貴方も、泣きたがってるように見える。笑わなくてもいいよ」

「――ありがとう」

 やはり、少女は微笑んだ。

 結花に空間を開いてもらって帰る二人を、そんな少女が一人、見送っていた。

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