四章
「似合ってるわよ、お姉さん」
堪えきれずに肩を震わせて笑う麗春から顔を背け、ふてくされたかおをする。
今や潦史は、化粧を施されて、布をふんだんに使った良家子女の装いをしていた。玉のついたかぶりもの一つとっても、かなり値の張るものだ。全て、麗春の持ち物らしい。つまりは、二人の体格はそう変わらないということにもなるだろう。
対する麗春も、綺麗に着飾っている。不自然にならないほどの化粧に、嫌味ではないが質のいい衣装。黒絹めいた髪は時流に乗った形でありながら上品に結い上げられ、白い肌と見事な対比を成していた。まだあまり色気は感じられないが、その分、可憐さはあった。
潦史は、そんな自慢の妹を、恨みがましく見やる。
「…遊んでるだろ、お前。俺で」
「判る?」
「わからいでか」
潦史が軽く睨み付けると、麗春は笑みを収め、真剣な眼差しを返した。
「ちょっと、相談に乗ってほしいの」
二人は今、馬車に揺られている。外からは覗けないようになっている、言わば「移動する個室」の中に、正装の二、三歩手前の外出着を身につけて乗っているのだ。
あの二人のことはいいから、先にお前の用件を聞こうか。潦史が改めてそう言うと、麗春は迷ったようだが、やがては決心した。
そこで話を切り出すかと思いきや、小間使い連中を呼んでこの格好に仕立てられてしまった。相手が男であれば負け知らずの潦史だが、悪意のない女となると、下手に抵抗もできず、白旗を揚げて成すがままになるしかなかった。
「そのために、会ってほしい人がいるのよ」
「だからって、なんでこの格好だよ?」
「いくらは、人目を誤魔化せないかと思って」
厄介な、兄弟連中の目をくらますために。確かに変装は、ある程度は有効だ。あくまで、ある程度でしかないのだが。
兄弟たちの中で、敵対する筆頭は長子と次子だろう。
大二兄、結の第二太子は、今は、即位した大兄、第一太子との仲はいいらしいが、信頼にはほど遠いと潦史は見ている。おそらくは、打算的な関係だろう。
生まれる前に「大きな力を手にする」と予言された潦史は、「大きな力=王位」かと、執拗に命を狙われている。占い如きで大袈裟な、という潦史の考えの方が少数派で、兄らの反応は、むしろ正当だ。
そうでなくても父王に気に入られた跡継ぎは脅威で、年に一、二度顔を出す程度だった潦史はともかく、父も気をつけてはいたようだが、麗春は、女子で祖父が相国でなければ、危うかったかもしれない。
「人に会うだけでこんなに苦労が必要なんて、面倒よね」
溜息をこぼして麗春は口を閉じたが、潦史はその続きを、痛いほどに知っていた。
――お兄さんが、王位に就いてくれたら良いのに。
まだ幼かった頃には、何度か言われたことがある。知識が増えてからは口にすることはなくなったが、まだ望んでいるだろうことは知っていた。
しかし潦史には、その気も、資格もない。母の位は低く、上にはそれぞれ「血統の正しい」兄たちが四人もいる。できない相談だ。
馬車は静かに、騒々しい通りを駆けていく。大通りからは外れているが人通りはあるため、速度はそれほど出ていない。ゆっくりと揺られ、やがて止まった。門番と供人との間にやりとりがあってから、再び動き出す。少しして、今度こそ本当に止まった。
外から戸が開けられ、潦史と麗春は外に出た。
半日ほども閉じこめられていたような気がして、危うく潦史は、飾り付けられて動きにくい女装束のまま、盛大にのびをするところだった。そんなことをすれば、服が乱れるのは目に見えている。まだ冷たさの残る風が心地いいので、それで我慢する。
目を向けた屋敷は麗春の邸に劣らず上等で、柱の細工も凝っていた。広い庭も、各所に巧みに木花が配され、わざとらしくないほどに手を加えている様が見て取れる。
「光柳様! 貴方がお開けくださったのですか?」
外向きの麗春の声に潦史が振り返ると、そこには長身の、二十歳前後くらいの男が立っていた。身成りは良く、麗春の対応からすると、この家の者か、それでなくても権門の子息といったところだろう。
「貴女がお越しになったと聞いて、待ちきれずに出てきてしまいました。ご迷惑でしたでしょうか」
「いいえ、光栄です」
「お世辞は要らないわよ、小妹。それでなくても、お兄さまは貴方にのぼせてしまっていて大変なのだから。優しい言葉をかけるにも、相手を選ばなくては駄目よ」
あでやかな美人、という言葉が浮かぶ。女は、庭に面した廊下にただ立っているだけなのだが、それでも十分に絵の題材になりそうだった。思わず麗春と比べてしまった潦史は、何か察したのか、麗春に睨み付けられて首をすくめた。
麗春は、その美人に向き直ってにこやかな笑顔になった。
「幾度もごめんなさいね、姐姐。こちらが、話していた友人です」
二人が姉妹と呼び合うのは、血が繋がっているからではない。親しくなれば、年齢が上の者を姉や兄と呼び、下の者を妹や弟と呼ぶのは一般的なことだ。潦史が、字とはいえ史明を名で呼んでいることの方が、実は異例なのだ。
美人は、穏やかに微笑んでいた。
「初めまして。柳明鈴と申します」
言葉の途中で召使いがやってきて、明鈴は潦史たちに断りを入れ、召使いの言葉を聞いた。その様は、一家を取り仕切る女主人のように堂に入っている。実際、結婚していてもおかしくない年齢だから、この家の女主人そのものなのかもしれない。姑や兄嫁がいなければ、そういうこともあるだろうと、潦史は思った。
「無断で入り込んだ不届き者がいたようです。兄様、そちらはお願いしますわ。私は、この二人とお話がありますから」
「ああ、判った。しばし、失礼いたします」
短く告げると、光柳は召使いに先導されて姿を消した。
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