三章

 ヒラクの分の道衣 [ どうい ] を調達し、男に伴われて、二人は周の家に向かった。

「おい、大丈夫なんだろうな」

「大丈夫って、何について?」

「何って…」

「夜になったら、酒でもおごってやるよ。おじさんの仲間も含めてな。で、あそこ?」

 こんな地方の [ むら ] には不似合いなくらいに立派な構えの屋敷を指差す。商家の門には召福と商いの神として知られる天照君 [ テンショウクン ] 絵符 [ えふ ] が貼られている事が多いが、ここは、珍しく貼られていない。あれらは魔除けにもなるしなあと、潦史 [ ラオシ ] は考えた。

 周の屋敷は、村のほぼ中央に位置していた。

「さあ、頑張ってくれよ。ヒラク老師 [ ラオシ ]

 軽く言って背を叩くと、師の役を割り振られたヒラクは、いくらかぎこちなく肯いた。

 道衣は簡素なものだからあまり違和感がないが、潦史に「老師」と呼ばれると変な気分だ。ヒラクは、白い道衣に身を包み、術用の鏡や剣、玉などを持った潦史をちらりと見た。当人は、視線に気付かずに、「おじさん」と話している。

 男が家人を呼んで門をくぐると、潦史はヒラクの一歩後ろに、控えるように従った。

「余計なことは言うなよ」

「うん」

 当たり前だが、自分の気を制御する以外の [ すべ ] を知らないヒラクに、道士の真似事が出来るはずもない。人払いをすることを前提として、その交渉も潦史が行うことになっていた。格式張った道士の中には、弟子に雇い主とのやりとりを任せる者も多いので、特に怪しまれることもないはずだ。

 それでも、屋敷内に招き入れられたときには、ヒラクは緊張していた。

 外観を裏切らない広い屋敷で、たくさんの人が立ち働く気配もある。だが、そのほとんどが息をひそめるようにしているのが妙だった。

 途中、「おじさん」は別の部屋へと案内され、ヒラクと潦史は主人の元へと案内された。ヒラクには、部屋に座す中年の男を見るなり、潦史が溜息をついたのが判った。

「ようこそおいでくださいました」

 礼儀正しくきっちりと挨拶をする男に応じて、潦史に促されたヒラクも礼を返す。そうして座るよう促され、ヒラクが座ったのを確認し、その傍らに潦史も控えた。

 束の間、沈黙が降りる。

「突然に伺って申し訳ありません。李氏からの紹介だけでは、不安でしたでしょうか」

 潦史が控え目に言うと、男は言いにくそうに口を開いた。

「いえ、その…幾人もの方がおいで下さったのですが…逆に悪くなる事もありまして…」

「率直に言わせていただければ、悪化したのは何もなさらなかったからでしょう。いかに優れた者でも、屋敷を訪れただけでは何も出来はしません。そうでなければ、多少は事情が異なったかもしれませんよ」

 心なし蒼褪めたような男に、潦史は嘘っぽい笑顔を向けた。

「決めかねるのであれば、御主人と相談されてはいかがですか? このまま放置すれば、悪化することだけは確実です」

 今や、相手は完全に血の気が引いている。底の浅い男だと、潦史は心中で舌打ちした。こんな男を使っているようであれば、主人もたかが知れている。冷然と、そう考えた。

「…何を言われているのか…」

「わかりませんか。それでは、何のお役にも立てないようです。老師、お [ いとま ] しましょう」

「ま…待ってください!」

 正直は美徳だよな。

 「底が浅い」から「愚直」へと男への評価を改める。この場合、使えないのはこの男ではなく、そんな人物にこの役目を振った主人の方だろう。断って部屋を出て行った男の後姿に、潦史はそう思った。

 ふと気付くと、ヒラクが何か言いたげにこちらを見ていた。潦史は、声には出さずに唇の動きだけで「説明なら後でする」とだけ告げると、ただ肩をすくめた。いつ他の者が入って来るかもしれない状態で、説明を始める気にはなれない。

 しかし二人は、長く待たされた。耳のいいヒラクが時々、屋敷内で交わされているらしい会話の端々を、やはり唇の動きだけで潦史に伝える。潦史は、「お嬢様が」「また発作が」という言葉と、それに続いて離れの奥へと小走りに駆けて行く足音に興味を示した。 

「離れか。正確にどの部屋にいるか判るか?」

「行けば、判ると思う。――うん」

 一度耳を澄まして確認すると、ヒラクはこくりと肯いた。

「じゃ、行くか」

「へ?」

「だって、ここにいても [ らち ] があかねーし。それに多分ここの主人、はじめっから娘を切り捨てるつもりだぜ。使用人の方がよっぽど心配してる。だろ?」

 立ち上がって戸を開けたところで、先ほどの男よりもでっぷりとした、悪趣味に色の散りばめられた着物の男と顔を合わせた。潦史の台詞が聞こえていたのかいないのかは判らないが、主人は間の抜けたかおで潦史を見ている。つい今しがた、部屋について戸を開けようとしたところだった。

 主人は、立派な髭を蓄えているにも関わらず、貧相な印象を受ける男だ。強者に対してへつらう姿を、容易に連想出来た。この男に比べれば、最前の使用人の方が威厳があるようにも思える。

 自分とそう身長の変わらない小男をわざと見下ろして、睨みつける。

「一つ、言っておく。妖物との取引は、必ず盛大な破滅を呼ぶ。あんたがやってるのは、腹が減って自分の尻尾を食う蛇と変わらない」

 冷えた目を主人から逸らすと、立ち尽すその横の戸を大きく引き開け、潦史は部屋を出て行った。ようやく立ち上がったヒラクが、その後を追う。

「誰かッ! あいつらを生かして出すな!」

 後ろで [] える、男の声を聞き流す。

「はっ。人殺しまで引き受ける使用人なんて、ここには居やしない。用心棒はどうかしらねーけど、金弾まなきゃまず無理だろーな」

 いつもと違って押し殺した低い、冷たい声で [ わら ] う。ヒラクは、気遣わしげにその背を見た。少しして立ち止まったが、こちらを向きはしなかった。

「ヒラク、娘を頼む。出来れば使用人は傷付けないようにして連れ出して欲しい。無理にとは言わないけどな。第一は自分の身の安全だ。俺はおじさんを連れて行くから、おじさんに襲われたとこ、あそこで会おう。――頼むな」

 軽く笑みを含む声。だが結局、潦史はヒラクを見ずに駆けて行った。

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