三章

「あのさー。頼むから、変なこと言うなよな」

  [ むら ] 外れの人通りの少ない場所で、潦史 [ ラオシ ] はヒラクをほとんど睨みつけて言った。積んである角材の上に座っているが、その足元には、数人の男が転がっている。一人を除いて、全員が見事に気絶していた。意識のある一人は、ヒラクに両手を後ろ手にして捻り上げられている。半分ほどは、酒家 [ しゅか ] で見た顔だった。

 あまり人の来ない路地裏とあって、被害者と加害者の他に、目撃者は居ない。

 ヒラクは、不思議そうに潦史を見た。

「変なことって?」

「女装!」

「…そんなこと言ったかな、俺」

「女の格好ってのと一緒なんだよ。変装も却下な」

「なんで?」

「聞こえが悪すぎ。――ところで、おじさんに頼みたいことがあるんだけど」

 話を振られ、男は反射的に体を起こしかけたが、ヒラクに押さえられていて出来なかった。顔には、虚勢とは言い切れないふてくされた表情と、わずかな怯えが同居していた。ヒラクと似たような年齢だろうか。もっとも、ヒラクの年齢は判っていないのだが。

 店で金を見せつけて暗に煽ったこともあるが、こうもあっさり引っかかると、少し気の毒になる。反面、素直に馬鹿だなとも思う。

 酒家で漏れ聞いた話や店主らの話を頭の中で整理し直して、推論を確認する。慎重になる必要はあまりないが、それでもやはり、無駄足は省きたい。

「俺…いや、ヒラクの方がいいな。そいつを、優れた道士ってことで周商人のところに売り込んで欲しい。病気なんだろ、娘が」

 男が、訝しげな表情をする。旅の道士が祈祷や退魔を行って稼ぐのは珍しくないが、もっと真っ当な仲介者を選ぶ方法は、いくらでもある。男の反応はもっともだった。

 ヒラクに手を離すよう言い、潦史は、座っていた角材から跳び下りて男の前に立った。にこりと、子供のように笑いかける。子供は子供でも、悪戯小僧だ。

「悪い話じゃないぜ? 上手くしたら、あんたも紹介料くらいもらえるんじゃねー?」

「本当にそれだけか?」

 男は、体を起こしてほこりを払うような仕草をしながら、胡乱そうに潦史を見やる。

「ん?」

「それだけなら、わざわざ罠にはめることもないだろう。どんな裏があるんだ」

「んー、裏って言うか」

 ただの馬鹿じゃないな。

 言動に好感を覚え、潦史は知らずに微笑していた。どうせ関わるなら、馬鹿よりもこういった人物の方が楽しい。もっとも、だからといって手の内を明かす気もない。まあ手の内と言っても、迷惑をかけそうだから、巻き込んでも同情しなくて良さそうなのを選んだというだけのことなのだが。

 にやりと、笑って見せる。  

「最近、平和だったからな」

「なっ…お前は誓直子 [ セイチョクシ ] か!」

「そこまで偉くねーって」

 肩をすくめて受け流す。

 誓直子とは、「閑」の一言で一国を滅ぼしたとされる神の名だ。この人間出身の異端児は、まず国に結界――潦史がヒラクの練習用に張ったのと同様のものを張り、誰一人、何一つ国を出ないようにしてから各地の妖を集めて放ち、人々が怯え、死んで行く様を、やはり閑そうに眺めていたという。

 今よりも数の少なかった神々が決断を下したときには、全てが終わっていた。

 滅ぼされた国の名は「テイカ」といい、今では「諦歌」という字を充てる。恐怖に希望を諦めた人々の声が、歌のように――呪詛のように聞こえると。

 現在、誓直子は天界の奥深くに封印されている。そして時は流れ、人々の会話にものぼるようになった。近しい恐怖であった頃には名を呼ぶことさえ恐れられ、「禁名きんめい」とも呼ばれていたほどだ。

「俺と一緒にしたら怒られるぜ? まだ奉ってる奴もいるし。ま、おじさんたちにとっちゃ似たようなものってことになるかも知れねーけど」

 潦史は、言葉の中身よりも「おじさん」と連呼されて顔をしかめた男に苦笑した。開き直ったのか胆が据わっているのか。子供と侮っていないとは、なんとなく判った。

「で、どーする?」

 まさか断らないよなあ、と無言のうちに言って、潦史は殊更ににっこりと笑いかけた。

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