二章

 人の多いところに出るとき、潦史 [ ラオシ ] は大体、頭まで隠れる大布を被る。

 あまり夜中に出くわしたくはない格好だが、砂や日差しを防ぐためや宗教の教義、身分が高い者が顔を隠すためといった理由で身につける者も多く、そのうちの少なくない数の人間が頭から被っているために、悪目立ちはしない。

 潦史は、大きく分けて三系統の者たちから身を隠す必要があった。

 危険なのが、命を狙う者。これは主に、潦史の兄弟やその姻戚関係にある親族、あるいは一部の重鎮や貴族などに雇われた者。もっとも、大体が玄人なので、対応に困らないとも言える。

 厄介なのが、潦史を王位につけようと画策する者。そう多くはいないのだが、主に現在のままでは高い地位を得られない、だが野望のある者などが、藁よりも細い希望にすがろうとして、時には武力行使も辞さずに接触を図る。

 扱いに困るのが、潦史を助けようとするものだった。潦史のこれまでの事情は、多々悲劇的な尾ひれをつけて一般に流布している。そのために、「悲劇の皇子 [ おうじ ] 」扱いして過剰に手を差し伸べられると、そう無下にもできず、対応に困った。

 名前と、せいぜいが特徴しか伝わっていないはずなのに、よく見つけられると、潦史は半ば感心していた。今回、人界に降りた一月足らずで、その三種全てに遭遇している。

 結局のところ、素性を明らかにしておいて良いことというのは、今の潦史には思い当たらないのだった。

「ヒラク。俺のこと、しばらく女だと思ってろ」

「え? お前、男じゃなかったのか?」

「…だから、そう思っといてくれ、って言ってんの」

 最初は男女の違いも知らなかったんだし仕方ないよな、と思いつつも、潦史は少し苛立った。どうにも、大きな町に近付くと神経質気味になってしまう。

 改めて、男を見上げる。潦史の方が頭一つ分は確実に低いので、どうしても見上げる形になるのが、少し悔しい。

 濃茶の髪は、前髪だけは少し長めに残して、短く切ってある。潦史が、鬱陶しいの一言のもとに切ったのだ。長い前髪は、瞳の色が変わったときにいくらかは誤魔化すのに役立つかと思ってそうしたのだが、やはり潦史には邪魔そうに見える。自分の髪は長いのだが、これも好きで伸ばしている訳ではない。術を使うには、長い方が何かと便利なのだ。

 そして、十人並み程度には整った顔立ちも、少し厄介だと潦史は自分を棚に上げて思っていた。人の記憶に残ることは避けたいのだが、こればかりはどうにもならない。

「ヒラク、お前も一応被ってろよ。日除けにもなるし。ほら」

 潦史がヒラクと呼んでいる、一見して三十ほどの男に見える神や妖の混血者は、名を持たなかった。唯一顔を知っている男は、呼びかけることはあっても名前のようなものは口にしなかったのだと言う。

 ヒラク、というのは、一番耳にした言葉だという。普通なら名の他に、字と呼ぶ別名を名乗り、親や一族の長といった者ら以外にはそちらを呼ばせるものだが、必要を感じないのか、そちらは決めずに今に至っている。

 俺が名前を考えようか、とも潦史は言ったのだが、本人が決めてこうなった。そのことに、潦史は落胆した反面、安堵もした。

 名をつければ、逃れようのない縁が出来る。名付けたものに対して、否応なく大きな影響を与え、責任も負うことになるのだ。

「頼むから、目立ったことはするなよ? 要る物仕入れたら、すぐに出るからな」

「うん」

 ちゃんとはわかってないんだろうなあ、多分。

 そう心中で呟きながらも、まだしっかりとは被っていなかった布を目深に被る。長い髪は、一つにまとめてゆるく編んであった。大丈夫だとは思うが、うっかり布が取れてしまったときなど、編んでいるだけで女だと間違われやすい。女装までするつもりはないが、少々のことで厄介事が減るのであれば、やらないテはない。

  [ むら ]に入ると、それなりに交通の盛んなところであるらしく、簡単なものとはいえ、門があった。夜になれば閉ざされ、朝には開かれる門。それをくぐると、広場になっていた。大きく開けた空間は、しかし人と広げられた商品とで埋まっている。

 乾物、生物、布に小物、日用雑貨、農耕に役立つ動物、番犬やねずみ取りの猫、食材になる動物、売られる子供や大人。広げられた小さな「店」には装飾はなく、良くて日除け程度。商品の多くは、むしろでも引いた上に置くか、地面に直に広げるか。

 そんな広場を抜ければ、小規模な建物が立ち並んでいる。潦史の主な目的地はそこだったのだが、予想通りと言うべきか、一歩どころか半歩ごとに、ヒラクからの質問が矢継ぎ早に飛んできて、なかなか進めない。

 今まで外に出たことがないのだとすれば、むしろ大人しいと言える反応だった。潦史自身、これまでの人生のほとんどを天界で過ごしていたのだから、物珍しくはある。だが、これが子供ならまだいい。しかしヒラクは、外見は三十ほどの、一人前の男だ。本人のせいではないと判りつつも、潦史の苛立ちは募る一方だった。

 十数歩目にして、元から少なかった忍耐力が底をついた。

「なあヒラク、少し別行動にしよう。午刻になったら鐘が鳴るから、そのときにこの木の下で会おう。揉め事は起こすなよ?」

 大きな木の下で肩を掴んでかがませて、確実に言葉が聞き取れるようにして、潦史は一方的に告げた。

「それから、金か物がないと何も買えないから、見るだけだぞ。ほしいものがあったら、合流してから聞くから。いいか?」

「うん?」

「じゃあ、また後で」

 足早に歩み去る潦史をしばらくはぼうっと見送っていたヒラクは、右端の一角に興味を引かれ、楽しそうにそちらへ向かって行った。 

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