二章

「俺は、人界で生まれて天界で育った」

「ジンカイとテンカイって?」

「あー、そっか、そこからか」

 今潦史 [ ラオシ ] らのいる、人々が日々を営むこの世界を人界と呼び、神や仙人の暮らす世界を、仙界あるいは天界、神界と呼ぶ。またそれとは別に、人が死んだ後にしばしの時を過ごす世界を、地界と呼ぶ。

 また、神は。あるいは偉業を成した者が人々に崇め奉られ、死後、あるいは生きているうちから、強大な力を持つようになった人。仙人は、天地を動かすほどに力はあるが、偉業を成さなかった、もしくは人に知られることのなかった者。道士は、その見習いといったところだ。

 そういったことをざっと説明して、潦史は、淡々と続けた。

「親父は李有 [ リユウ ] 、あるいは李無名 [ ムメイ ] 。まあ、名前で呼ぶ奴なんてほとんどいなかったらしいけどな。母親は孫明子 [ ソンメイシ ] 。育ての親は天敬尊 [ テンケイソン ] 。ついでに、この剣は飛嵐 [ ヒラン ] な。親父は [ ユイ ] の国王で、母親はその女官だった。二人とも、もう死んだけど。天敬尊は…天界の棟梁って言うか…とりあえず偉いさんで。俺は、その弟子だけどただの一道士」

 平坦に言って、解るか、とヒラクに訊く。一応と答えると、それから、と続けた。

「他の奴と違うっていうのは、天界にいた道士だからってのが大きいかな。天界にはある程度の力がないと行けないし、いたら、厭でも鍛えられるんだよ」

「…天界っていうのは、こことは違うんだろ? あんまり関わらないって言ってたし…それなのにどうして、ラオはここで妖怪退治してるんだ?」

「退治ってなあ」

 思わず呟いて、ヒラクの言葉に一層苦笑した。退治と言われると、いいことをしているような気がしてしまう。生きているものを、食べる以外の目的で殺しているというのに。

 少し、肩をすくめた。

「最近、妖がやたらと増えてるんだ。前はもうちょっと少なくて、人里に出て来るのも弱くて考え無しなのがほとんどだった。それか、人を喰うやつだけど。まあこれはそんなにはいないし。少し考えれば、人に関わってもいいことなんてないってわかるからな。それが今は、強くて、でもやっぱり頭の軽いのが多い。これだけ急に増えると、何か裏があると考えるだろう? 場合によっては天界の関わる分野ってことになるから、俺はその原因を探るために来たんだ。妖も倒しとけって言われてるけどな。新種は、天界に持ってこいとも言われてるし。…ついでに親父の最期に会いに行ったら、キョーダイやらシンセキやらに絡まれて命狙われてさー。冗談じゃないっての」

 最後の方はぼやきになっていたが、ヒラクはそうとは気付かずに、一生懸命に理解しようと頑張っているようだった。

[ むら ] で、怒って悪かったな。どこからどう命を狙われるかわからねーから、どうにも人の多いところは気が張って。ごめんな」

「別にあれくらい。…その後の方が容赦なかったし」

「何言ってんだよ。優しいくらいだぜ。俺なんか、空の上で足場がほとんどない所に置いてかれたんだからな。下手したら死ぬっての。自分でなんとか生き延びろって、ろくに草も生えてない山ん中に放り出された奴もいるし。それより、どうする?」

 問いかけに、ヒラクは不思議そうに潦史を見返した。

「術を覚えたら、人の中でも生きていける。この後どうするか、少しくらいなら手助けするから決めとけよ。あ、人襲ったりなんかしたら殺しに行くからな」

「なんだよそれ」

 それまでの和やかな表情を消して、ヒラクは潦史を睨みつけた。

「いや、なんだよって…」

「一緒に来るかって言ったのに。俺、なんにもわからなかったから。それなのに、言ってくれて嬉しかったのに。なんで今更そんなこと言うんだよっ」

「お前、言ってること無茶苦茶。…あー…、その、悪かったよ」

 今にも泣き出しそうな自分よりも図体のでかい男の背をなだめるように叩きながら、潦史は心中溜息をついた。何が哀しくて、男なんぞ慰める羽目になったのか。

 それでも、これだけ感情が揺らぎながらも、気がどうにか収まっていることに感心する。いつの間にか、一度は外した石を握り締めているからその助力もあるだろうが、それにしても大したものだ。妖の血を継いでいるということでほとんどの神仙は難色を示すだろうが、変わり者の天敬尊あたりなら、逆に興味を持つかもしれなかった。天界に預けるという考えが、一瞬思い浮かぶ。

 しかし潦史は、溜息をつくと、説得を試みた。

「俺といると確実に厄介事に巻き込まれるから、平和に生きるならここらで離れた方がいいと思ったんだよ。なあ、考えてみろ。俺は、敵だけはやたらと多いからな。下手すると、巻き込まれて死ぬことにもなるんだぞ」

「ひとりでいるのはいやだ! あそこには…戻りたくない」

「あそこ? いや、一人ぼっちになるとか、戻るとかじゃなくて。友達でも家族でもいくらでも作れるだろ。むしろ、俺といる方がそういったことは望めないし。…檻はないんだぞ、ヒラク。どこにだって行ける。誰とだって話せる。幸せだって、きっとみつかる」

 言っている途中で、ヒラクの恐れるものの見当がついて潦史はそう言ったが、ヒラクは頑なに首を振るだけだった。背を丸めて、まるで子供のようだ。

 潦史は思わず天を仰いで、何故か微苦笑した。

「馬鹿だな、お前。なんで好き好んで、厄介な方に来るんだよ。――好きにすればいい。やっぱり人の中で暮らすって言っても、ついて来るって言っても、協力してやるよ」

「――じゃあ、俺!」

「まるで子供だね、兄さん」

 すっかり夜になった空間を伝って、声が聞こえた。二人が声の主を探して首を巡らせると、三日前に、巻き込んで林まで一緒に逃げた青年が立っていた。ただ、あのときは茶色だった瞳が、今は黄金色になっている。初めて会ったときのヒラクと同じだ。 

「あれ? なんで…」

「礼を言いに来た、って感じでもねーみてーだけど?」

「また檻の中に入るの? 自分から進んで? ねえ、兄さん。もう僕たちだけなんだ。一緒に行こう」

「…お前ら、兄弟?」

 事態が呑み込めずにいるのか、ヒラクは呆然としてろくに身動きすらしない。潦史が素朴な疑問を口にすると、青年は険しい顔つきで睨みつけた。

「何なんだ、お前は」

「それ、説明したばっかなんだけど…とりあえず、こいつの知人だよ。そっちは?」

「兄さん、どうしてこんなのと一緒にいるんだよ。ほら、行こう。…早く!」

 反応を示さないヒラクに苛立ったのか、言葉が強くなっている。

 それでも結界内に踏み入らないのは、賢明と言うべきだろう。造りは単純だが、それだけに強い術式だ。結界作りにおいて潦史は、天界でも定評がある。しかしそれに気付いていながら出て来いと呼びかけるということは、ヒラクにそれだけの力がある、あるいはあると思い込んでいるということか。そう考えながら、潦史はヒラクをこっそりと小突いた。

 小声で、何か言ってやれと促す。

「…お前、誰だ?」

 どういう関係だよと、潦史は思わず呻いたが、青年はくすりと笑った。

「知らないのも仕方ないか。父さんは、僕らを別々に育てたからね。僕が兄さんのことを知らされたのも、随分経ってからだった。父さんは隠したがっていたみたいだけど。僕はずっと、会いたかった」

 ――何か凄く、厭な状況にいる気がする。

 潦史は、どうにか溜息を飲み込むことに成功した。

 ヒラクを「子供みたい」だと言いながら、自身の幼さに気付いていないらしい青年と、自分のことも他人のことも、まだろくに物事を知らないヒラクと。なんだってこんなところに俺が、と、密かにぼやく。自分の家族関係だけで手一杯で、他人のものにまで巻き込まれたくはないというのに。

 だがヒラクも青年も、そんな潦史の心情は一向に解してはくれなかった。

「行こう。僕らには、兄さんが必要なんだ。恐れることはないよ。僕と兄さんが揃えば、無敵だよ」

「駄目だ。俺は、潦史と行くから。お前も来るか?」

「あー…」

 少し思い込みは激しそうだが、親身になってくれそうな人がいるならそこでもいいじゃないかと、一層険しくなった青年の視線を受けながら、潦史は思った。部外者のはずが、いつの間にか関係者に。

 せめてヒラクが空気を察してくれたらと、考えても虚しくなることをつい願ってしまう潦史だった。

 青年は、ひきつった笑みを浮かべる。

「兄さん、時間をあげるよ。次までに、よく考えておいて。それが、最後だからね」

 それだけ言って青年は、密集している木々の向こうに姿を消した。懇願にも聞こえて、潦史は、もはや居はしない青年を目で追っていた。

「…何がしたかったんだ、あいつ?」

「知るか」

 心底不思議そうに言うヒラクに、八つ当たり気味に言い捨てる。

 なんだって、いい年をした大人同士の兄弟喧嘩に巻き込まれにゃならんのだ。理不尽だ。そう言ったところで、どうなるものでもない。

「…寝る」

「は?」

「邪魔したら殴る」

 困惑した目線を向けるヒラクを残して、潦史は手荒く防寒用の布を体に巻きつけた。ふて寝のようなものだった。

 翌朝。

「阿呆っ、寝て制御が解けたら意味ねーだろっ!」

 …潦史の大きな声が、静かな森に響き渡った。振り出しに戻る。 

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