二章

 それからひたすら地面に穴を掘らされ、その上頭上からは色々と物を落され言葉を投げつけられ、ヒラクは穴を自分の身長の二、三倍はあろうかという深さまで掘り進んだ。そうして眠りについた翌日に、突然に自分を覆うもやのようなものが見えるようになった。

 そこで次の段階に入ったのだが、意図の判らない会話や問いかけはますます増え、やはり物も、時々落とされる。

 例えば。

「妖と人の違いって判るか? もう、どっちもそこそこ見てきただろう」

「姿!」

「ハズレ、人妖は見た目は人と変わりません」

「におい…味!」

「食ったのかよ」

 あるいは。

「じゃあ、死ぬって何だ?」

「生きてないこと」

「他には?」

「動かない。何もできない。――笑うなッ!」

「いやあ。単純だなあ、ヒラク。単純で素直で幼い」

「幼いって何?」

「未成熟、未発達、発展途上、何かが足りない」

「何だよそれ」 

 云々。

 そういったものの効果なのか、ヒラクは青い石の力を借りながらも、己の気をある程度は制御できるようになった。それが、始めてから三日目の朝から昼にかけてのこと。もっとかかると予想していた潦史 [ ラオシ ] は、心の中でのみ感心した。

「じゃあ次は…の前に、昼飯だな。食ったら、次は石なしでやれるように練習な」

「やってやらぁ…今に、見てろ…っ」

 関係のない者が見れば、いたぶっているとでも思ったかもしれない。そうでなければ、投げ物を介したどつき漫才か。

 初めこそ言われたことに大人しく従っていたヒラクだが、時間が経つにつれて口答えが多くなり、時には癇癪を起こして暴れもした。石や砂などが飛び交い、一般人であれば死にかねないどつき合いだ。

 余談ではあるが、飛び交う物にも負けず行き交う言葉のおかげで、ヒラクの語彙は格段に増えた。思いがけない余禄だ。

「ほい、メシ」

 深い穴の中に、水を入れた竹筒と笹でもち米を包んだ [ ちまき ] を投げ入れる。底でヒラクが受け取ったのを確認して、自分の分の粽を手に取る。

 冷たい粽をほおばりながら、潦史は温かいご飯に思いを馳せた。これからは、日々刻々と寒くなっていく。夏が始まって長くは経っていないが、この辺りの夏と秋は短い。その分、冬が長いのだ。

 食料の保存がきくという点ではありがたい冬だが、寒さは旅の大敵だ。下手をすると凍死しかねないし、そこまでいかなくても体力が削られる。

 潦史が人界に降りてきたのが春の終わり頃だから、それなりの月日が流れている。ヒラクに出会ったのは数十日ほど前に過ぎないが、過ごした密度は、その数十日の方が確実に濃いだろう。

 とりあえず、ヒラクが石なしで制御できるようになったら、穴から引き上げて鍋でもしようと決意する。相手が地中にいると、投げ渡すには冷えた固形物の方が安全だったのだ。おかげでこの三日、温度の下がっていく風に吹かれながら、冷たいものしか食べていない。目に見える物の多い地上よりも、地中の方が集中力を高めるのに適しているだろうと思って行かせたのだが、少なくとも風がないのが少し羨ましい。

 結界の維持にも多少力を使っているし、何が起こるか判らない。力の温存のため、風を止める術も術式も使えない。天地に直に働きかける術式も、神々を介して天地を動かしてもらう術も、それなりの消耗を伴うのだ。

 ふっと、苦笑めいた溜息をもらす。まだまだ、師匠たちのようにはなれない。

「なあ、ラオ」

「ん? 食い終わった?」

「いやそれもだけどそうじゃなくって、お前って何なんだ?」

「何って、何が?」

「凄く強いだろ。 [ むら ] の奴らはそんなに強そうじゃなかったから…何か違うんだろ?」

「あー…」

 ここまでの道中、物事を知らないヒラクからの質問に答えることに終始していたために、潦史自身のことにはあまり触れていない。知識が増えて、ようやく疑問に至ったというところか。

「後でな。はい、休憩終了」

「げっ」

 あたふたと石を握り締めるヒラク。

 この日、ヒラクは地中での制御に成功し、地上でも、石があれば制御できることが判明した。

「飲み込み早いなー。コツ掴んだらすぐか。天才型だな、お前」

 干飯と根菜を味付けした干物を水でじっくりと煮込んだものを掻き混ぜながら、久々の温かいご飯にそわそわと落ちつきなく待つヒラクに、潦史が感心するように言った。言われた方は、褒められたのかと嬉しそうに顔を輝かせた。

「でも天才型って、大体無しか有りの両極端で厄介なんだけどな。一度出来ると極めるかと思うような勢いで修得するけど、出来ない事はてんで駄目」

「…それって、いいのか、悪いのか?」

「さあな。ほら、火傷するなよ」

 木の椀と、近くの枝を削って造った即席の匙を渡すと、勢い良く食べ始める。潦史も、慌てて自分の分をよそう。軽く四人分は作ってあるが、うかうかしていると一杯しか食べれなかった、ということにもなりそうだった。

 そうやって食べながら、潦史は向かいに座る、泥ですっかり黒くなっているヒラクを見た。

 ヒラクは潦史を何かと訊いたが、それは潦史がヒラクに訊きたいことでもあった。箸の使い方はさることながら、服の着方も、男女の違いや年齢による違いもよく判っていなかった。身の回りのことができないだけならどこかの貴人ということも有り得るが、あの出会い方とここまでの知識の欠落は、それでは説明できない。貴人が、人を――少なくとも、獣のように食べるはずもなかった。

 知能が劣っているのではなく、知識を与えられていなかったようだ。一人だけ見知っているという、独白したり呼びかけたりしていた人物は何がしたかったのだろうか。

「ヒラク。お前本当に、一人しか見たことなかったんだよな?」

「うん」

 突然の質問に、ヒラクは [ さじ ] をくわえたまま頷いた。

「どんな奴とか、部屋の様子とか。悪いけどもう一度、聞かせてくれないか」

 会った当初に訊いていたが、あのときはヒラクには全くといっていいほどに、常識も知識もなかった。比較対象も、例えにできるものも何も知らなかったのだ。今なら何か違うだろうかと、それで解ったところでどうするつもりだとも思いながら、潦史はヒラクの言葉を待った。

「…檻、だったんだろうな。売られてた動物と同じで。暗いところで、扉が一つ。飾りなんて何もなくて。白くて長い髪の…年寄りが、よく何かを呟いてた。地面に何か書いたり。それがどういうのか、よく覚えてないけど。…何もかも変だったんだな…今思うと」

「変っていや、どこの家だって何かしら変なもんだぜ。俺も、てっきり誰でも空飛べたり術や術式が使えるんだと思ってたときがあったしな。ほら、椀貸せ」

 ぶっきらぼうに言って、ヒラクの手元の椀を引っ手繰る。いつもが気が抜けるほどに脳天気なだけに、沈まれると調子が狂ってしまう。

 しばらくして鍋が空になると、調理で余った水を入れ、椀にはそれぞれ焚き火で沸かした湯を注ぐ。湯気が上がった。

「この後だけど」

 湯を啜る。天界には既にあるが、人界で茶が一般的になるにはもう少し時間がかかるだろう。今はまだ、薬扱いだ。何かと茶碗を抱えていた天敬尊 [ ししょう ] の影響か、潦史のその様は、外見にそぐわないほどに堂に入っていた。

 この三日の間に身についた条件反射で、ヒラクは背筋を伸ばした。この点において、潦史はヒラクの師なのだ。

 その胸元には、革紐で巻き絡められた青い石がぶら下がっている。石の重みで首筋に跡が残りそうになっているのだが、ヒラクはあまり気にしたふうではなかった。我慢強いのか鈍感なのか、潦史にはまだよく解らなかった。

「一日くらい気を押さえていられるようなら、もう終わりにしようと思ってる。お前なら、一日保つならまず大丈夫だろう。石は無しで。保たなかったら、何回でもやり直しな。ほら、石外して」

「う、うん」

 厳しいことを、笑顔で告げるところが怖い。ヒラクは顔をひきつらせた。

「じゃ、今からな。始め」

「わわわっ」

 慌てながらも、ヒラクの気が収束していくのが判る。俺が飛嵐 [ ヒラン ] を手懐けるのにももう少しかかったのにと思うと、潦史は、少し複雑な気分だ。

 それに、他に手段が浮かばず変則的にではあるが、自分が術を教えているのも何か、こそばゆいような気がする。天界ではほぼ常に、自分が教わる側だった。

「ちょっと歩いてみて」

「うん?」

 首を傾げながらも、立ち上がって歩く。特に変化は見られず、安定していた。

「いいぜ。大丈夫だ。それで、何から話そうか?」

「へ?」

「お前が訊いたんだろ、俺が何なのかって。知りたくないなら言わねーぞ」 

「あ。だって、話変わってたし…」

「で?」

「何者なんだ?」

 そういう訊き方って一番答えにくいんだぜと言って、潦史は苦笑した。小さく息を吐いて、 [] き火を見つめる。

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