二章

 大分歩いてから、手頃な大木の陰に荷物をまとめて置いた。中身は、ほとんどが食材や薬の材料だ。

「どのくらいいるかな」

「何するんだ?」

 手近な枝を拾い上げて杖のように持ち、ヒラクと眼前に広がる木々を見比べる。体全体で疑問符を飛ばすヒラクには何の説明もせずに、潦史 [ ラオシ ] は、枝で地面に線を引き始めた。そうして、木々の間を縫いながら、元の場所に戻ってくる。引き始めの線と繋げて、枝は適当に投げ出した。

「なあ、何するんだよ?」

「まあ、見てなって。あ、荷物持ってこっち来て」

 自分で引いた線をまたいだ向こう側で手招きをして、ヒラクが線の中に入ったのを確認すると、潦史は地面に右膝をついた。そして、左の手の平に右の拳を当てた後、左の手の平を立てた左膝に、右の拳を地面に、それぞれ当てる。

坤天子 [ コンテンシ ] の名に [] いて命ず。 樹々よ退け。急ぎ急ぎて律令の如くせよ」

 潦史が言い終えた途端に、草木が土ごと地面から抜けて動き出した。滑るようにして全てが動き終えると、後には、土に引かれた線に囲まれた丸い更地と、その線を囲むようにして密度を増した木々があった。線で囲まれた円内の植物が全て、線外のほぼ最短距離に移動したようだった。

「うわー。すごい!」

 円の直径は、ヒラクの五歩分くらいある。潦史は、荷の中から糸束を取り出し、自分の胸の辺りの高さに保ちながら木々に結びつけていった。地面には触れさせずに円を形作る。

 そうして、 [ たもと ] に手を入れると、青い拳大の石を取り出した。

「これ、持っとけ」

「何?」

「力とか押さえるのに、玉って結構使えるから。それは玉っていうほど洗練されてない原石だけど、将来補助なしでやること考えたら、そっちの方がいいから」

「いや…何するんだ、これから」

「…それも、言ってなかったっけ?」

「うん」

 不思議そうに見つめられて、潦史は頭をかいた。とりあえず、笑って誤魔化す。幾分冷静さを欠いたままだったらしいと、自省する。顔を上げてヒラクを見ると、投げ渡された原石を、返す返すして見ていた。

「前にも言ったけど、神気 [ ジンキ ] ってのは人界じゃ異質なものだ。人によっては浴びすぎるのはいいもんじゃないし、妖も呼ぶ。ここで暮らすためには、制御の仕方を覚えておいた方がいい。それを、今から教える。…まあ、教えるって言っても結局のところは、自分でコツを掴んでもらうしかないんだけどさ」

 今のところは潦史の髪で小規模な結界を張って押さえているが、何かの拍子に破れてもおかしくはなく、場合によっては行動も制限されてしまう。この状態で生活を送るには無理がある。やはり、本人に覚えてもらうのが一番だろう。

 そのために結界を張ったのだ。外から守るのではなく、内へ閉じ込めるための「円回 [ エンカイ ] 」と呼ばれるものだ。いちいち、ヒラクの神気で妖を呼ばれてはたまらない。

「まず、俺が手本見せるな」

 そう言って、腰の神剣を抜く。片刃の、柳葉刀の一種だろう。装飾よりも実用を重視して作られているが、それでも、柄には細かな龍の細工が施されていた。

 柄を左手で撫で、口の中で短い文言を唱える。そうすると、力が解放され、神剣から白い光が溢れ出す。普段はせいぜい、刀身の周りを青白い光が覆う程度なのだが、開放すれば土地神程度の神気は帯びている。友人――友神――から譲ってもらったものだった。

 ヒラクを見ると、どうも、まだ「手本」を待っているようだった。

「ヒラク。今、何が見えてる?」

「ラオが剣持って立ってる」

「そうか。じゃあ、見るのから始めないと駄目だな」

「見る?」

「光…じゃないかもしれないけど、剣の周りに何も見えてないんだろ?」

 握ったままの剣を示すと、ヒラクは不思議そうに肯いた。

 ヒラクには、何も変わったようには見えない。ただ、潦史が剣を片手に立っているだけだ。

 それぞれのものの気を見る、あるいは感じるというのは、術の基本と言える。判らなければ事の原因を突き止めることは困難を極めるし、そもそも神仙も、見えない者に対して大きな力を貸すことは、基本的にはできない。過去の歴史書には、はったりだけで術を行った強者も記されているが、これなど、例外中の例外だ。人外のものと対等かそれ以上の立場で渡り合うには、相手のことを正確に把握することが大切になる。

 潦史がしようとしているのは、だから、術の基礎を教えるようなものだった。

「そうだなあ…」

 ヒラクに目を凝らすと、居心地が悪そうに身じろぎした。資質を見極めるのは、言ってしまえば長所と短所とを探ることでもあるのだから、あまりいい気はしないだろう。

 しばらくそうして見つめてから、潦史はまぶたを閉じて眉間を揉んだ。少し、疲れる。

「穴掘りから始めるか」

「はあ?」

「その前に封印破るから、ちょっと待ってくれな」

 何が何やらといったヒラクだが、潦史は気に留めるでもなく近付くと、ヒラクの首に結び付けていた自分の髪を、至極あっさりと切った絶った。それだけで、潦史には、眩しいほどの白い光が飛び込んでくるように感じられる。制御されていない分、強烈だ。

 そして、にっこりと笑いかける。

「お前に体力があるのは判ってるからな。集中力弱そうだから、これが手っ取り早い」

「え…あの、ホントに、ほるの?」

「ああ。一生、俺の封印切らないように気を付けながらか、しょっちゅう妖惹きつけてその対応ばっかしてなきゃならないってのでいいなら、無理にとは言わないけどな。掘りやすいように枝、取って来る」

 言って、身軽に結界線を越える。

 内へ封じる結界なのにこうもあっさりと出られたのは、術式を行った本人だからではなく、結界類の大半が無効という特異体質のおかげだった。しかも、壊さずに自分に直接関わるところだけ無効化するというのだから、世にも珍しい。師で育ての親でもある天敬尊に見込まれた理由の一つでもある。

 適当な枝を探しながら、そうだ、と顔を上げる。

「先に言っとくけど、妖気なんか出したら遠慮なく殴らせてもらうからな」

 背を見せて木々の向こうに消えていく潦史が、なんだか楽しんでいるように思えたヒラクだった。

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