彼にとって、泣き叫ぶ子どもというものは珍しくなかった。

 目の前で人が殺されると、子供は、恐怖からか悲しみからか、力の限りに泣く。当時、度々組んだ男がいたぶることが好きで、わざと、子供を目撃者にして泣き叫ばせ、殺していた。

 しかしその少女は、まだ字が読めるか、認識できるかどうかという年齢でありながら、歯を食いしばり、全てを必死に目に焼けつけようとするかのように、彼を見つめた。深い、濃紺の小さな瞳。

 その少女を時々、彼は夢に見る。

 落ち着いた、静かな夢だった。それなのに何故か、目覚めると胸がざわめく。数少ない、目撃者を作った仕事だったからかもしれない。

『もしこの次に会って、その気があるなら一度だけ、反撃の機会をやるよ』

 最後の声変わりの途中の、ざらつくような己の声。

 繰り返されるその台詞は、今となっては、実際に発したものなのかも判然としない。

 少女の応えはなく、ただ、睨みつけるかのような瞳だけが、印象に残る。そうやって、彼は夢から浮上していくのだ。

 安宿で目を覚まし、彼は、再びまぶたを閉じた。もう少ししたら、日も昇るだろう。

 頭の中で、今日の予定を反芻する。簡単だ。街外れの屋敷に住む少女を一人、殺すだけのことだ。例によって理由は知らないが、彼の腕ならば、あまり苦しませずに死なせることができるだろう。

 彼は、殺人を生業としてはいるが、楽しむ趣味はない。

 人の一般的な活動時間になると、彼は宿を後にした。身なりは、一般的な旅装だ。少女が今は、同居人の帰りを待つ状態での一人暮らしとの、情報は得ている。

 呼び鈴を鳴らすと、赤毛の十五、六の少女が、扉を細く開けて顔を覗かせた。標的に違いない。

 そして、その瞳――あの少女だった。

 彼は、今までに殺した標的のことはほぼ覚えていたが、少女とそのうちのどれで接触したのかまでは覚えていなかった。写真と直に見るのとでは、大きく印象が変わる。

 驚きを、どうにか押し殺す。気取られてはならない。感情の揺らぎを知られることは、時として致命傷だ。

「――タツミ博士のお宅でしょうか」

「どのタツミ博士ですか」

 この少女には、少なくとも祖父と両親、それと従兄の博士たちがいる。その反応も無理のないもので、彼は、わずかに戸惑ったような表情をつくった。

「ああ。これはすみません、タツミ・レイジ博士のことを伺いたくて、タツミ・サトル博士にお会いしたいのです。私は、二三部隊の黒木と申します」

 そう言って、軍の身分証明書を見せる。

 こういったものは金でどうとでもなるもので、彼は、幾つもの身分証を持っていた。もっとも、その半分以上が使い捨てだ。

 標的があの少女だったところで、大筋は変わりはしない。彼は依頼を受けているのだから、果たすまでだ。 

 ただ、あの約束――交わしたかどうかも定かではないが、彼の中に根を張ってしまっている。これをどうにかしないと、先に進めない。

 いつもなら、このくらいの仕事は、標的が姿を見せたところで終わりだ。しかし今回は、少女の意思を確かめる必要がある。急な方針の転換だった。

「生憎と、父は亡くなりました」

 知っている。同業者の仕事だ。

 しかし彼は、心底残念そうにお悔やみを述べ、申し訳なさそうに、それならば資料か何かを見せてはもらえないだろうかと、頼みこんだ。

 少女は、渋いかおをしたが、いくらかやり取りをして了承してもらう。

 そうして少女は、彼を招き入れ、扉を閉めた。

「ところで、質問があるのだけど、いいかしら」

「え? はい、私に答えられる範囲でなら」

「十年以上も、殺し屋の仕事をしているの?」

 少女は、にこりと微笑んだかと思うと、素早く後方に飛び退った。彼は、呆気なく落ちてきた檻の中に囚われてしまった。

「機会をくれると言ったわね。ありがたく頂戴するわ」

 このくらいの仕掛けなら、隙を突けば出られるだろう。しかし少女は、意思を明らかにした。それならばせめてしばらくは、大人しくしているべきなのかも知れない。

 死にたいとは思わないが、生にすがりつくつもりもない彼は、そんな妙な終わり方もいいだろうと、思った。あるいは、これを待ち望んでいたのかもしれない。

 だが少女は、そこで肩をすくめた。

「と、まあ、懐かしの再会はこのくらいでいいかしら? 殺し屋 [アサシン] さん、少しの間でいいわ、手伝ってくれないかしら。報酬がいるなら払うわよ」

「――何?」

「あなたに恨みがないと言えば嘘だけどね、まだましだって身に沁みて判っているから、なんともね。母を狙って、あたしを人質に取ったり、両親と伯母の乗った車を吹っ飛ばしたやつらに比べると。比較の問題じゃないはずなんだけど、ねえ。それにあなた、今回はどちらかと言えば、あたしに近い立場のようよ」

 檻はそのままに、少女は話し続ける。

「昨日のうちに、この家を窺ってる奴らがいたのよね。少しつついたらあっさりと喋ってくれたけど、色々と知っているあなたとあたしを、まとめて片付けるつもりだったみたいよ。そんな小細工をするってことは、首謀者は軍ではないのかしらね」

 そんなことを淡々と言い、少女は、どこまでも自己主張する瞳を、彼に向けた。

「信じるかどうかは任せるわ。あたしとしては、協力してくれると助かるけど。確かめるなら、証人がここを真っ直ぐ行った奥の部屋にいるわよ。手を貸すつもりなら、しばらくは地下にいるから、そこに来て頂戴。仕事を続行するなら、命の保障はしないわ」

 やはり素っ気無く言い置いて、少女は去ってしまった。

 死さえも覚悟していた彼は、唖然として取り残された。

 しかし数秒で我に返ると、彼は行動を開始した。罠を仕掛けられていると知りながら、仕事を完遂してやるのも癪というものだ。まずは確認だ。しかし漠然と、あの少女は本当のことを言っている気がした。

 檻を抜け、告げられた部屋に入ると、物置のように殺風景な部屋に、三人の無骨な男たちが転がっていた。どれも、知った顔だ。

「ふん・・・増長していたか」

 自身に向けた呟きだったが、男たちは、過剰に反応した。

「おッ、おい、助けて行け、殺人人形 [キリング・ドール] !」

「止めを刺さないだけ、ありがたいと思え」

 彼が睨みつけると、それだけで、ぴたりと口が閉じられた。両手足を鉄具で拘束されているくらいのこと、自分で対処できるはずだ。見苦しい。

 一人が、汗を浮かべて必死の形相を形作った。

「何を聞いたか知らんが、俺たちは、お前に手を貸すように指示されたんだ、見殺しにする気か?!」

「そのくらい、自分でどうにかしろ」

 知らされることなく勝手に同業者を雇った時点で、契約は破棄だ。

 これで用はないはずなのだが、彼は、地下へと向かった。そして、絶句する。地下の工場のようなところで少女と向かい合っていたのは、今となっては全て破壊されたはずの、戦闘人形だった。

「来たわね。殺すか手伝うのか、どっち? 殺すなら、スカーの相手をしてからにしてね。手伝うなら、そこの手袋を嵌めて。手伝うふりをしてあたしを狙っても構わないけど、その場合、先に頭を潰されるだろうから覚悟してね。紹介するわ。リドル、あたしの相棒よ」

 少女は、一人てきぱきと準備を進めながら話す。診察台のようなところに横たえられているのは、はじめは人かと思ったが、よくよく見れば、機械人形(ドール)のようだった。

 宙に浮かんだ小さな人のようなものを、少女は相棒と呼んだ。

 彼は、一瞬は戸惑ったものの、手袋を確認すると、手伝いを申し出た。

 そこでもう一度、驚くことになる。少女は、戦闘人形の中身を、台に横たわるものに移すというのだった。高々十数歳の少女と、何の知識もない殺人者の手で。

「・・・無茶じゃないのか」

「あなたわ、言われた通りに動いてくれればいいの。指示はリドルがするわ」

「これ――は、何だ」

不可解なもの [リドル] よ。あたしの親友で相棒」

 そんなことを聞いても、何の足しにもならない。少なくとも、自然にある動物でも人間でもないと思いながらも、彼は素直に指示に従った。どうやら、彼の担当は力仕事が主のようだった。そうとなれば、少女は、一人で作業をこなすのと大差ない。

 しかし、そんな大変で複雑なことをやってのけながら、少女は、話しかけてきたのだった。

「あたしはタツミ・ユナよ。知ってるかも知れないけどね。あなたは? 言いたくなければ言わなくていいわよ」

 喋りながらも、さすがに、手元から目をはなすことはない。躊躇のない手付きだった。

「殺人人形」

「それは通り名じゃないのかな。それとも、そんな物騒な本名なの?」

 通り名を告げることだけでも十分なのだが、ふと、気が向いた。

「ウッド・スライサー」

「そう。ウッド、短い間だけどよろしくね」

 顔を上げ、深い濃紺の瞳の少女は、にっこりと笑顔を見せた。

 彼――ウッドの、胸の奥がかすかに、ざわめいた。

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