さびれた田舎の村だった。覇気のない素朴な村の広場には、今や村中の人が押しかけていた。大人も子供も、誰もが異様に残忍な瞳を光らせている。だが、そのことに気付く者はほとんどいない。

 その例外のうちの一人が、人々が注視している、言わば主役の片割れだった。つややかな髪と瞳は、同世代の若者と比べてかなりほっそりとした体躯とあいまって、まるで都の女形のようだった。その、端正な顔が人々に向けられる。

「これですね?」

 彼の足元に転がされた、もう一人の主役を指し示す。それは、両手を後ろ手に縛られ、汚れ、くすんだ赤髪を直に地につけ、黄金色の双眸を大きく見開いていた。

 傷つけられ、熱い砂に焼かれた肌はかなりの苦痛を伴うはずだが、取り囲む人々の誰一人としてそのことを気にする者はいなかった。むしろ、細身の少年の言葉に乗じ、野次を飛ばす。

 彼は、赤毛のそれを退治するよう頼まれていた。「数年前に捕らえ、何も食べさせてもいないのに生きている」と、村長は気味悪げに言った。このあたりに役人などが来ることは滅多になく、嘆願状は簡単に無視されてしまう。だから、『誰か』を待っていた。

 どうやって生き永らえているのかは判らないが、殺せないほどに頑強というわけではない。現に、村の若者たちは幾度も暴行を加え、怪我を負わせている。ただ、止めを刺す勇気がないのだ。あるかもしれない『何か』を恐れ、手を下せずにいる。

 そこへ訪れた道士を、たとえ年少といえども彼らが見逃すはずがなかった。そして今、娯楽の少ない村人たちは、これから起こるだろうことに期待を寄せていた。その思いが、どれほど人としておぞましいかも知らずに。

 だが、それは裏切られた。

 黒髪の少年は、袂から取り出した金色の輪をくすんだ赤髪に嵌め、涼やかに人々を見た。

「これを私にくださいませんか。丁度、旅の護衛の者が欲しかったので」

「だめだ! そいつがここへ戻ってきたらどうする!」

「そうだ! この町は終りだ」

「あたしたちはあんたみたいに逃げればいいんじゃないんだよ!」

「早くそいつを殺せ!」

 延々と続くと思われたそれは、少年の凛とした声と咆哮めいた悲鳴に遮られた。少しして、誰もが凝視する中、少年が口を閉じる。と同時に、赤髪のそれがぐったりと身を横たえた。人々が視線を交錯させ、騒ぎ出す一歩手前で少年が総白髪の老人に声をかけた。

「あの輪を嵌めていれば、僕には逆らえません。獣は痛みに敏感ですからね。この村を襲うことはないと、僕が保証します」

 人々は、少年に威厳を感じた。誰一人として、その言に逆らえる者はいない。せいぜい十六、七の少年道士に、畏敬の念を抱く。

「是非、我が家においでください」

 村長が「化物」を連れて行くことを認めたばかりか、そんな言葉をもらしたのは、それへの本能的な絶対敬服のためだった。

*   *   *

「お前、何故あんなところにいたんだ」

  [レイ] は、闇に囲まれた森の中で、さほど関心がなさそうに尋ねた。

 尋ねられた方は、慌てて口の中のものを飲み込み、一瞬、何かを思い出すかのように目を伏せたが、すぐに少年の闇色の瞳を見た。その様子には、出会ったばかりの戻を警戒するような素振りはなかった。

 あの後二人は、遠慮なくもてなしを受けたものの、食事と少女の身支度を終えると、すぐに村を出た。だから今、村を見下ろす位置にあるこの森にいるのだ。焚火の周りにのみ光の存在するこの場所に。
森の中
「おっちゃんたちがいなくなって・・・だから、一人になっちゃったから、村に行ったんだ。でも、閉じ込められた。誰も、話もしてくれなかった。おっちゃんたちとは、全然違った」

「おっちゃん?」

「えっと・・・山賊、してた。みんな、いい人だよ。楽しかった。でも、きっと・・・もう会えない」

 少年は息を吐き、汚れが落ちて鮮やかになった火色の髪を見た。その頭には、まだ金輪が嵌められている。

「おい、お前。生きていたいならもう人のいるところに出てくるな。この山の奥ででも人目につかないようにして暮らせ」

 この時代、人々には恐れの対象が山ほどあった。何もかもを孕む夜が、闇が恐ろしい。獰猛な獣が恐ろしい。ろくに太刀打ちできない病気、災害が恐ろしい・・・・。妖人も、そんな恐怖のうちの一つだ。

 妖人とは、 [あやかし] と人間との血をひく人物をさす。彼らは、大抵が鮮やかな色彩の髪や瞳と常人よりも優れたちからを持つ。中には、妖をも凌駕する能力を持つ者もおり、各所で対妖のたのみとされ、また、人に近い分だけ、それらよりも疎み、忌まれる。その為、横暴を振るう者も現れ、「人間」と「妖人」との溝は埋め切れないのが現状だ。

「どうして?」

 よく磨かれた金貨のような――稀にある「人間」の金色の瞳とは比べ物にならないくらいに鮮やかな  瞳が、なんの躊躇いもなく真っ直ぐに少年レイに向けられる。

「ねえ、どうして?」

「人のいるところにいれば、この先も昨日のようなことが繰り返される。だから、人前に出ないほうが幸せだ」

 自分が信じてはいないことを、戻は口にした。それは、彼であれば絶対に選ばない選択肢。だが。何年もの間村人たちの仕打ちに甘んじていた者が、自分と同じ [みち] を選び、生きていけるとも思えなかった。ところが。

「いやだ」

 それは、瞳の光と同じ真っ直ぐな声。

「独りでいるのは嫌だ。おっちゃんたちがいてくれたから、ムカシには戻れないよ。それに」

 僅かに強張り、大人びていたかおが、何の打算もない無邪気なものに戻る。

「あたしをゴエイにしたいって言ったよ?」

「・・・・・・・は?」

「言ったよ。だから、どこかに出かけるんだと思ってた。違うの?」

 不思議そうに覗き込む少女・・・女の子に、戻は呆気にとられた。確かにあのとき、彼はこの子――そのときは、男だと思っていたのだが――を助けた。金輪を嵌めるときに声をかけ、呪文に合わせて苦しむという猿芝居をさせたのだ。それは、彼の気まぐれによるものだった。あまりに他人 [ヒト] に押し付けようとする村人の言う通りにするのが癪だったというためでもある。ただ、それだけだった。

 はじめから、彼女を伴って旅をするつもりなどなかった。持っている能力も使わない妖人は、人の目を集めるだけのお荷物でしかない。戻は、そう思っていた。

 だが、気が変わった。

 放っておけば「嘘をついちゃ駄目なんだよ」とでも言い出しそうな彼女に、気を削がれたのかもしれない。

「お前、名は?」

[クウ] だよ」

「空。俺は戻だ。瞬戻。姓が瞬、名が戻」

「シュンレイ・・・・レイ?」

「明日にはここを出る。ついて来れないようなら、置いて行くぞ」

「うん!」

「早く寝ろ」

 空の弾むような笑顔が、見なくても判った。戻は、術のために消えることのない炎を背に、目を瞑った。

*   *   *

 翌朝、手早く朝食を済ませると、すぐに歩き始めた。道すがら、何年もしゃべっていない反動なのか、空はひたすら話し続けていた。戻の荷物を細い肩に担ぎながらも、疲れている様子はない。

 そんな調子で半日近く歩き、森の中に入っていった。そこに朽ち果てた小屋を見つけ、空が駆けて行く。どうやらここが住家だったらしいと察し、戻も歩みを止める。だが、小屋に入ろうとはしなかった。

 他人の過去まで背負うつもりは、無い。

 例え、小屋の中がどんなに荒れていたとしても、逆に、変わらないように見えたとしても、それは彼女クウの問題でしかない。知ったかぶりをして口を挟み、相手も自分も傷付けるなど、馬鹿げている。

 しばらくして空が小屋から出て来ると、そこに戻の姿は無かった。荷物は全て自分が持っているのだから、一人で行ったはずはないとは、考え付かない。ただ、不安で。恐くて。
過去の遺跡
「レイ? レイっ、どこ・・・」

「呼んだか」

 小屋の近くの木陰から、戻が姿を現した。無愛想に、素っ気無い台詞を口にする。だが、空にはそれで十分だった。誰かが自分の声に返事を返してくれる。それだけで。

 あの村で過ごした数年は、自覚の無いままに、確実に跡を残していた。

「どこに行ってたの? ・・・置いてかれたかと、思った」

「慌てるな。とりあえず置いていくつもりは無い。それよりも、空、お前今元気か?」

「え? う、うん」

 きょとんとしたかおで見返す空に、戻はついて来るように言った。

「多分、見ておいた方が良いものだ」 

 それだけ言って踵を返す戻を、慌てて追う。木の無い、人が四・五人はくつろげる場所に出て、ようやく戻は立ち止まった。そこには、大きな獣の骨が散乱していた。

 空は、それに見覚えがあった。はっきりとではない。だが確実に、自分はこれを知っている。

「これ・・・?」

「ああ。これが、お前が今まで何も与えられずに生きてこられた理由だ」

 戻は、そこで言葉を切った。無表情ながらも、少しばかり迷っているようでもあった。じっと、空がその瞳を見つめる。

「・・・名は忘れたが、飲み食いがなくても生かせる術がある。誰にでも、呪文を唱えなくてもできるから、正確には術ではないのかも知れないがな。ただ、術をかける相手を強くおもい、その身に付けていた物を持って何かに自分を食わせれば良い」

 必要なのは、相手の身に付けていた物以外には、意思の強さと術者本人のみ。生きながら食われることに耐え、対象をおもいつづける強さ。並大抵のことではない。そして、あまりに凄絶だ。それ故、禁じる必要も無い「術」。

「有効期間は、一年。恐らく、一年ごとに行っていたんだろう。こいつらが自ら進んで、な」

 この術を強いることはできない。考えてみれば、当然のことだ。激しい苦痛の中でそれ以外のことを考えるなど、強要されたからといってできるものではない。

 空は、散らばった骨を凝視した。様々な種族が混ざっている。近くには、すっかり色褪せた自分の服の切れ端があった。昔、この森の動物と遊んでいて破られたものだった。

「どうして・・・? だって、あたしなんにもしてないのに。みんなの事だって、考えてなんて・・・・」

「それだけ、ここの奴等にとってお前が大切だったという事だろう」

 それだけ言って、戻はその場を離れた。

 空は、ここに残るかもしれない。膝を抱え、歩き出せないままに。または、残った動物立ちと過ごすために。そうなれば、戻は今まで通りに一人で旅を続ける。むしろ、双方にとってもその方が良いのかもしれない。  

 ひとをあまり近付けないのは、戻の弱さであり、防衛手段でもあった。

「全く、とんでもない奴だな」

 自分が度し難い事を知っている。それでも、変えるつもりは無かった。気まぐれに助けた少女に、少なからず執着している事までは意外だったが。

 今は、待つしかできない。

*   *   *

「戻、おなかすいたよ。御飯にしようよ」

 夕暮れになって戻ってきた空は、軽く目を瞑っていた戻を揺さ振った。戻が、不機嫌そうに目を開く。

「遅い。昼飯もまだなんだぞ」

「食べてれば良かったのに」

「食料は全部お前が持っていっただろう」

「あ。ほんとだ」

 空腹を感じるということは、骨を埋めて来たのだろう。埋葬してしまえば、術は解ける。だが、二人ともそのことは口にしなかった。

「ねえ、早く食べようよ」

「・・・うるさい」

 群青色の夏空の下で、荷を広げる二人。その向こうでは、動物達の哀しげな鳴き声が聞こえる。  



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