市に持っていくと、七百や八百なら、あるいは五百なら、という者がいた。

 蔡からもらった路銀はまだ手元にあり、劉は、その値段で手放してしまっても問題はない。だが、龍神は信義を尊び、人を欺くことはないという。十万以下で売るなとの言葉を無視してしまうのも、なんだか申し訳ない。

 そんなこんなで劉は、毎日、椀を持って市に行くことになった。ついでだから、他にも細々としたものを売って、それでどうにか食べていけるくらいには稼げるようにもなった。

 龍宮を訪れてから一年以上が経ったある日、店に西域地方の客がやってきた。それ自体は珍しくもないが、並べてある品物の中から椀を見つけると、やたらに喜んで値段を尋ねてくる。

「二十万でどうだい?」

 高値で吹っかけるのは商売の基本で、あとは、客と店主がどれだけ値切るかにかかってくる。それにしても高すぎる値段だが、客は、平然と首を振った。

「品物ッてのは適正な値段でなくッちゃ。どうして、二十万なんて安値がつくンだ? だが、唐の宝じゃァない。これがあッたところで、何一つ利益はないね。せいぜい、場所を取るくらいだ。十万でどうだ?」

 訛って少し聴き取りにくい言葉の内容に、呆気に取られる。こんな椀に十万の値をつけることもだが、それよりも高値だと言いつつ値切るとは、どんな考え方をしているのだろう。普通、ほしくない素振りでガラクタ扱いをして、安値を口にするものだ。

 ここで強く出れば、もっと高値で買うのかもしれない。だが、龍たちと約束をしたのは十万だ。これ以上粘ることも、他の買い手に高く売ることも、約定とは外れる。

「ああ、いいよ。十万だ。今払ってくれるかい?」

「言ッたな。ちょっと待てよ」

 ぽんと出された代金に、よくもそんな重いものを持ち歩いていたものだと、少し呆れる。

 異国の客人は、劉の気が変わらないうちにとでも思ったのか、そそくさと椀に手を伸ばし、大事そうに懐に忍ばせ、満足げに息を吐いた。そうして、ちらりと劉に視線を向ける。

「これはな、m賓国の鎮国椀だ。m賓国にあッてこそ、人の病気や災難を払う。これがなくなッてからッてもの、国は大荒れ、戦争だッて盛ンだ。俺の聞いた話じゃァ、龍王の子に盗まれて四年近くが経つらしい。王は、国の半年の税収で取り戻そうとしてンだ。あんた、どうやッてこれを手に入れた?」

 うまく品物を手に入れたら、来歴に興味が湧いたらしい。劉も、盗品だったと聞いて興味を覚え、事細かに事情を話した。

 はァんと、客は鼻を鳴らした。

「m賓国の守護龍が天帝に上訴して、指名手配してた最中だ。これが、蔡が故郷を避けたッて理由だな。異界の役人は厳しいから、自首ができないンだ。あんたを使って、礼を口実に元に戻させたンだろう」

 あの礼儀正しいく美しい青年と少女が、と思うが、客は、得意そうに頷いて一人で先に進める。

「丁寧な言葉で妹に会わせたのは、親しみからじゃァない。十万を渡すって聞いて機転を利かして椀を渡すだろうッてのと、老母の龍が浅ましく、あんたを食べようとするのを防がせたんだろう」

「しかし、それなら手紙にそう書いておけばいいだろう?」

「途中で、誰に読まれるか判ッたもンじゃァないだろ。あんたとか」

「俺は、頼まれた手紙を勝手に読んだりはしない」

「ああ、そうかもな。でも、うッかりと見えちまうッてことや、宿の同宿人が覗き見するッてこともあるだろ」

「でも…食べられそうになんてならなかったし」

 そう言うと、それまでどこか小馬鹿にしたようなところのあった異国の客は、わずかに、哀れむような色を滲ませた視線を寄越した。

「気付かなかッたのか? あんたが飯食ッてたときに、涎こぼして、目を赤くしたんだろ。そりゃァ、今にも本性現して、ぱくりとやろうとしてたッてことだろうよ」

 まさかと思うが、少女の慌てた様子も思い出され、夫人の目つきを思い出すにつれ、否定できなくなってしまった。

「だけど…それならそうで、危険がないように配慮してくれたってことだろう?」

「そりゃァ、気も配るだろうよ。死なれたら、折角の計画がパーだ」

「計画?」

 男は、今度こそ呆れた目を向けた。

「これをあんたが売り払ッて、買ッた奴はm賓国に持ち帰る。十万も払うンだ、知ってる奴しか買わンだろ。盗品が戻れば、指名手配も解けるッて寸法だ」

 客は、言いながら椀の入った胸元をそろりと撫でた。

「これが再び世に現れたら、蔡も戻ッてくるだろ。喜びいさンでな。五十日後、漕水や洛水の波が上がッて、太陽を隠して暗くするだろ。それが、霞が帰ッた日だ」

「何故、五十日後に帰るんだ?」

「俺が椀を持ッて山道を越えて、国に戻るからだ。じゃァ、邪魔したな」

 話しきって満足したのか、どうやらm賓国出身だったらしい男は、あっという間に姿を消した。

 なんとなく裏切られたような気分になったが、考えてみれば、劉は何一つ損はしていない。むしろ、得をしている。それなら、むしろ礼を言うべきなのだろうか。

 首を傾げて、劉は立ち尽くしていた。美男の蔡と違って、劉がそんなことをしても、首筋を痛めたかのようだった。

「まあ…龍だしなぁ」

 そういう問題だろうか。




 五十日後、川まで行ってみると、たしかに大波が上がっていた。蔡は、故郷に帰れたようだ



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