道化師

  誰もいない舞台。
  道化師のような仮面をつけた青年、舞台袖からふらふらと歩いてくる。
  人を避け、あるいは話しかけるように。


 やあ、どうも。婚約披露に、変わった趣向だって? いやね、たまにはいいじゃないかと思ったんだ。姉はこの国を出てしまうわけだし、少しくらい、破目の外せる機会がある、というのもいいだろう? ああ、うん。そうだね。じゃあ。
 楽しんでますか、お嬢さん。そう? それなら結構。こんなピエロで良ければ、一曲お願いできますか? お上手ですね。僕? 折角の仮面舞踏会ですよ。この仮面の下が見たいというのなら、どうぞ、僕を思って、再会できるまで、赤いハンカチを使ってください。おや、曲が変わりますね。そろそろ失礼。
 おや、きれいな方がいると思ったら、姉上でしたか! 一曲・・・兄上が? そうですか、それは良かった。ええ、探してみます。あ。後で必ず、一曲お付き合いください。必ずですよ。
 っと、失礼。
 わ。こんなところに座りこんで・・・飲みすぎですよ。おおい、君。すまないが、この方を休めるところにおつれしてくれないか。ああ、そうだ。丁重にな。ああ。仮面が外れても、見ぬ振りをして差し上げるんだぞ。
 うん? 仮面舞踏会で名を訊くなんて野暮だぞ、ウォートン家の次男。何故判ったかだって? そりゃあ判るさ、君のその赤毛は、何よりも雄弁だ。本気で名を隠したいなら、染め子で色を変えるか、被り物でもするんだね。え? 君の兄だって? さっきの人が? なんだ、礼を言いたかったのか。いやいや、たいしたことはしてないさ。じゃあな。
 失礼、通していただけますか。

 ふう。少しばかり、人を呼びすぎたかな。どうせ、一人呼べば五人は来るんだ。もっと、招待状を減らすべきだったか。だけどまあ、このくらいいて、丁度いいのかもしれないな。俺は未だに、あの人に会うのを躊躇ってるんだから。
 ああ――。これだけ人がいても、仮面をかぶっていても、判ってしまうものだな。まあもっとも、服も仮面も、俺が用意させたから当たり前か。

 お久しぶりです、兄上。そう呼ばれる資格がない、だなんて。それなら僕だって、公爵家を継ぐ資格はないはずでしたよ。そうでしょう? ええ、今となっては、僕が正式に当主ですけどね。どんなに邪魔でも、必要としていなくても、ね。しかしそれなら、兄上が僕の兄上だということだってそうでしょう? 兄上は、きっと警戒なさっているのでしょうね。恨まれているはずの相手から施しじみた扱いを受ければ、そうも思うでしょう。けれど、考えてもみてください。兄上が上等の道を逸脱したおかげで、本来ならうち捨てられるも同然の扱いのはずだった僕に、こんなにきらびやかな生活が回ってきたのですよ。王に近しい血筋。何かあれば、王位にさえ就けるかも知れない位置に、僕はいる。辛い労働もせずに、人に指示を出す立場で。素晴らしい生活ではありませんか? ええ。本当に、そう思いますよ。やだなあ、眉間にしわ寄せて。その癖、まだなおってないんですね。――なんて。こう言えば、複雑ながらも兄上は安心するかも知れないけれど、残念ながら違いますよ。僕は、それはそれは悲しんだんです。そのことは、きっちり知って置いてもらわないと厭ですよ。騙しただなんて人聞きの悪い。あはは、懐かしいなあ。仮病少年でしたからね、僕は。だけど、いつも兄上には見破られてましたよ。鈍りましたね、兄上。本当に、お久しぶりです。誉め言葉と取っておきますよ。ありがとうございます。このくらいの性格でないと、貴族の腹芸は成り立ちませんよ。ああ、責めてるわけじゃあないんです。兄上。兄上は昔、僕に、自分のために動いていいと言ってくださいました。だから僕は、好きにやるつもりです。どうぞ、遠くで結果を見てください。その結果がどんなものであれ、できるなら、よくやったと誉めてください。兄上。もう、会えるのはこれが最後でしょう。僕たちを置いていったことを少しでも気に病むなら、どうか、この地を離れてください。お願いします。

  頭を下げる。そうして、顔を上げて。

 兄上。昔も今も、僕はあなたを兄上と呼べることが嬉しい。僕の家族は、兄上と姉上だけです。だから――とても悲しかったんですよ。

  くるりと背を向け、立ち去る演技。
  少し離れて立ち止まり、遠くから、じっと見つめるように。


 姉上は、人のいい男と一緒になって国を出る。兄上も、どうか、国を出てください。俺はもう、躊躇わない。

  目を逸らし、別の誰かに歩み寄って行く。

 君、白ワインに赤を注いでくれないか。――ああ、そうだ。ウォートンの長男が百合の部屋で酔い潰れてる。今のうちに、鍵型を取っておいてくれ。ああ。革命の成功を。――いや、これでいい。無理を言ったね、ワインをありがとう。
 あれ、どうしました、あなたのような美しい人が壁の花だなんて。ああ、休んでおられる。それは、失礼を。冷たいものでもお持ちしましょうか? そう、それは残念。では、あなたのお相手をできる果報者の戻らないうちに、退散するとしましょう。
 あ、君。グラスを頼むよ。もう一杯? いや、いい。一気に呷ったものだから、ほら、足がふらふらだ。
 おおっと、危ない。前を見て歩いてくださいよ。――なんだ、おおっぴらに話しかけるなと言っただろう。俺たちのつながりを知られたらどうするつもりだ。ふん、仮面なんて、何も隠せるものか。現に、ここには、これが俺だと知る者は多い。決行を早めろという話なら、聞かないぞ。それは話し合っただろう、革命を成功させるためには、準備が必要なんだ。時間がいる。ああ、わかったよ。それじゃあ、明日、話し合おう。――ほら、しゃんとしてください。少し、椅子にでもかけてたらどうです?
 ああ、姉上。約束通り、お相手を。最後だなんて、来れない距離じゃありませんよ。ねえ、姉上。兄上にお会いして、どうでした? ああ、それは良かった。ええ。僕も、これでようやく気が晴れましたよ。何言ってるんですか、僕は、姉上と兄上が、それはそれは、大好きだったんですよ。いえ、今だって大好きです。ねえ、だから、姉上。必ず、幸せになってくださいよ。いいえ、約束してください。そうすれば、信じますよ。ああ――そろそろ、宴も終わりですね。淋しくはありませんよ。終わったら、別の何かが始まるんですから。
 あ。どうも。いいえ、邪魔なんてとんでもない。むしろそれは、僕でしょう? これから夫婦になる人たちの邪魔なんて、ごめんですよ。では。
 姉上。どうか、お幸せに。ああ、厭だなあ、不吉なことを言わないでくださいよ。当たり前です、しっかりと、お二人の式も取り仕切りますよ。ええ、楽しみにしていてください。

 どうか、どうか、お幸せに。
 俺はもう、止まれないけれど。だから、姉上、兄上。どうか、お二人はお幸せに。俺は、この国を変えようと思う。変えられるかどうかは判らないけど、きっと。だから、姉上、兄上。姉上が国を出てしまえば、俺はもう、お二人には会えないでしょう。これで、お別れです。
 どうか、どうか。お幸せに。

そうして、また色々な人に声をかけながら、道化、退場する。

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