虚言帳

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2006.2

2006 年 2 月 1 日 如月です

 雨に閉じ込められるかと思ったけれど、夕方には止んで図書館と本屋に行ってきました。

 『漫画・嗤う伊右衛門』がいつも行っている本屋になくて、駅前まで行ってきました。家の近く(逆方向)の本屋に却ってあるかも、とも思ったのだけど、なかったときが口惜しくて。
 あの大型店でも一冊しか見当たらなくて、よっかったー、と思いつつ購入してきました。平積み確実だと思っていたのだけどなあ? 売れた?
 一度発売が延期されたのか何かで、このままでないのか、あれはデマ(というより立ち消え)だったのかなー、と思ったのだけど、出てよかったです。
 原作に忠実に、かつよりわかりやすく、という感じでした。それだけに、最期が哀しい・・・(そういえば私、原作を読んだときに「こんなの反則だ」と思いつつ泣いたような)。
 漫画を描いている人が凄く好きで、連載していた雑誌が廃刊して以来の初単行本(少なくとも私が知る限り)だったので、待ち遠しくてなりませんでした。満足。

 で、猫屋冊子をまとめるべく頑張ってましたー。
 あと少し作業が残っているのだけど、本文の量は、三冊とも51ページです。A5の二段組。両面印刷。
 だから、一冊が三十枚前後ということになりそうなので、ホッチキス通るかなーどうかなー、と未だに思案していたりします(苦笑)。しかし手作業面倒だな・・・(やり始めると多分没頭)。

 明日、冊子の作業が終わっていたら、更新をしたいと思います。どれ上げよう(貯蓄分)。

2006 年 2 月 2 日 天然麻酔、三度

 また、歯を抜いてきました。今日は親知らず。
 残るはあと一本・・・親知らずは、まだ三本残っていて、今回は残りは手付かずですが(レントゲンを撮ると確認できるけどまだ出てきてはいないし)。
 親知らず、他の歯なら治療をする程度ではあったけど、虫歯になっていたので。
 ところで、そのあたりの歯が痛んでいたのですが・・・お医者さんには、治療した以外に虫歯はないと言われたのだけど。原因が親知らずの虫歯だったのか、そのうち判ると思います(いつも痛いわけではない)。抜いたんだから、それが原因であってくれ・・・。
 そんなわけで、今日の午後数時間、眠って過ごしていました。だからかほとんど痛くはないけど、微妙にどろりと血のような感触があるー(泣)。
 ああ、歯医者は厭だ。

 今日の更新分は、去年の夏に、友人に遅れた残暑見舞いとして出したのだったか・・・随分と前の話ですね。ネタは、漫画家の坂田靖子から。  

2006 年 2 月 3 日 なんだか寝てました

 十時から歯医者に行って(抜歯したところの消毒)、うだうだと本を読んだりPCいじったり?(訊くな)していたら、あっという間に夕方でした。
 で、菓子パンを食べたら眠くなって、気付いたら夕飯。
 ・・・・・・・・・どこまで自堕落な生活ですか・・・。

 歯医者と言えば、お酒に強いと、部分麻酔が効きにくい(あるいは効かない)らしいです(by『死の雑学』)。
 強くなくていいよ!
 まあ私は、心配しなくてもしっかりと効いていましたが。でもあれですよ、抜歯って、拷問でもあるのですよ?(わざと痛く乱暴にやっているからでもありますが) そんなもの麻酔なしでって厭だ・・・!

 話は変わって。

 そろそろ、就職先からもらったテキスト(一般常識・礼儀作法)を読まないとと思うのだけど、延々放置です。ああ・・・もう卒論も終わったのだから。
 あと猫屋の冊子は、試算がすんだからいろいろとしないと、と思うのだけど、いまいち・・・実際に印刷してないしな・・・。でもまあ、今からやりますか。
 そんなわけで、今日か明日から一週間ほど受付です。少々お金がかかりますので、それでもよければお申し込みください〜。
 思っていたよりも書き下ろし本数が増えたのと、絵を一枚書き下ろしてもらう(絵の収録はそれのみですが)ことになったので、前者はともかく後者はね! いいよね! ということで。
 あ、でも発送できるのは結構後になると思います(汗)。製本が面倒ー。誰か手伝って(苦笑)。

 日記連載始めたら、四月までに一本書き終えられないかなー・・・。

2006 年 2 月 4 日 ちょっと裏切られた

 五日発売の雑誌、今日出ているかと本屋に行ったら、月曜に入ると言われました。あれ。大体、発売日が日曜にかかるとその前に出るのに?
 まあ、どうせ月曜にも漫画を買いに行くからいいのですが。ちょっとびっくりした。

 で、今日。
 午前中に図書館と本屋に行って、午後から卒論と、少なくとも(誰も申し込まなくても)二冊は作るから猫屋冊子を印刷しようかと思っていたら。
 え。どうして取り替えたインク、黒いのですか(いやそれは当たり前)。どうして白紙部分まで汚れるのー・・・。
 どうも問題ありのようで、返品です。い、印刷延びた・・・!
 全体的に黒いやつが一冊できた(卒論分)のだけど、これ、どうしよう・・・勿体ないから、自己保存これにしようかな・・・(それはそれで悲しい)。

 ところで、先月ここでやっていた33の質問で、私の手持ちキャラは服装にこだわらないねというツッコミをもらいました。
 うん、私も答えながら、どうしようかと思いました。
 何が一番問題って、私自身に服のこだわりがない(というと違うけど。消去法で幾つかは消えるのだけど)ので、それが反映されているということですねー。だって私、小説読んでて服装の細かな描写があっても、ほとんどわからないくらいだもの。
 それとあとは、上のカッコ内の注釈(?)のように、こだわりと言えないこともないけどでも大まかに見て区切ると「ない」になるよ、というあたりをどうしようかと思ってしまったり。というか、服にこだわる人って一体何をこだわってるの?(そのうち誰かつかまえて訊いてみるべきか)
 まあとりあえず、私の持ちキャラに服装美は期待しないでくださいねー(爆)。
 しかしそれもどうなのでしょうね・・・。

 そうそうそれと。
 前回の「牛とご飯」、up印をつけるのを忘れていたけれど、そのまま次の更新です(爆)。
 更新というか、先月のここのやつの拾い上げなのですが。早めにしておかないと忘れるから。

 ところで、「京都旅行どうしよう?」とメールを送った友人から返事がない場合、どうしたらいいのでしょう。
 二月半ばか末に行くのじゃなかったかな・・・いいのかこれで(反語)。

2006 年 2 月 5 日  行方不明多発すぎ

 つまりは、物の仕舞い方か記憶力が悪いという話。
 ノートを一冊探していて、これは見つけられたのだけど、メモ帳が未だ見つからない・・・(昨日から探している)。心当たりのあるところを探すから、そこにないとお手上げという私の探し方。
 というか、探し物も下手なのですよね。誰か伝授して。

 今日も、たらふく(?)本を読んでいました。至福。
 お手軽な幸せは、便利でお徳です。ああだけど、これだけ時間を費やすということは、それはそれで贅沢かー。
 『山のミステリー』『狂乱家族日記 参さつめ』『ソウルドロップの幽体実験』『殺竜事件』の四冊。
 『山のミステリー』は、中のデザイン(で、いいのかな。装丁は外観だろうし)がちょっとなあ。内容で四章立てているのに、全て統一のホラー仕様なのはどうかと思います。

 ところで、十六日に口頭試問らしいです。
 いやそれはいいのだけど。
 それまでにレジュメ(要約?)一枚って。一人十分の持ち時間で質疑応答が五分って。いや・・・普通のゼミしてれば、問題ないのだろうけど。今まで一度たりとも発表体裁をとっていないというのに何をどうしろってんですか・・・。一度だけ見たやつは二年前ですよ?
 先生・・・学生を買いかぶりすぎてやないでしょうか。それとも、自分が慣れてたら忘れるものなのねえ?!
 さて私は、ほぼ羅列のみの論文、構成が明確に判ってしまうレジュメなんぞにまとめられるのでしょうか。あと、約十日。

 そうそう、なんとなく気が向いたので、しばらくここに、「一章しか書けてないよ」「始まりの終わりまでで止まってるよ」な話を載せていきたいと思います。見直しもしてない。
 ・・・何狙いだ、私(謎)。

 そうそう、今日のこれは、「やみいろらせん」の一番最初の型の話です。書いたのは最近だけど、設定が。あともう一種類、考えたなあ。こっちは、書いていませんが。

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 「 いつかを夢みる 」

 夢を見た。
 そこでは、リウはまだ幼い少女だった。今も、大人と言い切るには若いが、その半分くらい、七歳や八歳、そんな年齢のときだったはずだ。
 八歳。繭にこもる、年齢だ。

「やっぱりここにいた」
 幼い少女は、そう言って、一人たそがれていた少年の隣に、当然のように腰を下ろす。
 しばらく、二人は並んで座っていた。
 知らない人間とであれば、気まずくなっただろう、長い沈黙。しかし少女――リウは、ただ淡々と、そこに座り、少年と同じように、岬の下の海を眺めていた。落ちても何とか泳いで帰れるかな、と、そんなことを考える。
「・・・どうして」
「うん?」
「・・・ここに、くるの」
 根負けして自分から話し出した少年を、海を眺めるのと同じように、大好きなものを見る目で見つめる。
「ばかだなあ、ロンは」
「・・・」
「ロンが落ちこんでるのに、ほうっておけるはずないじゃない」
 言ってから、首を捻る。
「落ちこんでるのとはちがうのかな。また、ファイたちに石投げられたんだって?」
「・・・リウは、いいよね」
「え?」
「どうしてぼくは・・・生き残ったんだろう」
 リウは憤然と、立ち上がった。ガラス玉のような水色の瞳で見上げる少年を、きつく睨み付ける。泣きたくもないのに、涙が滲んでいた。
「どうして、そんなこと言うの!? ボクは、ロンに会えてよかった! ロンが生きててくれてうれしい!」
「・・・そんなことを言ってくれるのは、リウだけだよ」
「だからなに? それなら、ボクが何人分でも言うよ。何回だって、どれだけだって言ってやる」
 しかし少年は、儚げに、微笑を返すだけだった。
 緑の島と、青い海と、笑う少年と。大好きな、大好きだった、リウの世界。

 繋ぎ止めて。何を言ってもいいから、少年を繋ぎ止めて、せめてもう少し話をさせてと、叫びそうになるのは目が覚めてからのことだ。目覚めてから、ああと、声を押し殺す。
 懐かしい、夢を見た。




「・・・むう」
 目を覚ましたリウは、いつの間にか頭からかぶっていた布を跳ね上げて、上体を起こした。束ねることさえ面倒で短くした髪は逆に寝癖が激しくなり、もう一度、伸ばそうかとも思う。
 女みたいに髪を伸ばすなんて厭だって、思ってたのに。
 内容はほとんど覚えていないのに、懐かしい夢を見たという思いと少年の面影を思い出し、幼い日の考えを思い出して、苦笑をこぼす。男の子になりたかった自分。違う、男よりも劣ると思われるのが、口惜しかったのだ。今では、それを逆手に取ったりもする。
「あーうー」
 とにかく起きなきゃだ。
 朝ご飯を食べたらすぐ出発だな、と胸の内で確認して、頬を軽く叩いて眠気を払い落とす。そうして身軽に跳ね起きると、昨夜のうちに用意してもらっていた、身支度用の水で顔を洗い、見なくても寝癖で荒れていると判る髪は、自分じゃ見えない、と嘯き、撫で付けるに留める。
 そうして、用心のために抱きかかえて寝ていた荷物を寝台から引っ張り出すと、軽い足取りで階下へと下った。この店は、よくある造りで一階が食堂と主らの生活の場、二階が宿となっている。 
「れ?」
 そろそろ日も昇ろうかという時刻で、普通なら早朝の出立を決め込む旅人が数人はいるだろうのに、いたのは、春だというのに厳重に布を纏った人物が一人だけ。見回しても、店員さえいない。
「これで、あたしが宿代踏み倒したらどうするのさー・・・」
 呆れて呟く。しかし返事もなく、リウは、たった一人の元へと足を運んだ。
「おはよーございます」
 にこりと、無邪気に笑ったつもりだが、布の人物からは何の反応(リアクション)もない。むう、と呟き、覗きこんで無理やり目を合わせると、思い切り不機嫌そうに睨みつけられた。
 しかし、リウは怯むでもなく姿勢を戻すと、じっと布の人物の全体像を見て、布で体格は判らないものの、不自然に厚みがあることに気付き、首を傾げた。
「もしかして、羽、出しっ放しだったりする? 両羽とか」
「あああっ、お客さんすみません、ちょっと出てました!」
 素っ頓狂に半ば叫びながらやってくる気の良さそうなおばさんに、リウは、返事をもらうことなく引っ張られてしまった。意外にというかでっぷりとした見かけ通りにというか、力が強い。
「朝食食べますか、食べますよね! すぐに作りますからそこに掛けててくださいね!」
 冷や汗を流しながらの笑顔に負けて、大人しく、カウンターに座る。布の人物は部屋の隅のテーブルに座っているため、小声で話せば内容が聞こえない程度には、離れている。
 スープをよそってパンを出す女を見ると、怯えているのが丸判りだった。先ほどの観察で予想はついたものの、背中が「聞いてくれ」と言わんばかりなので、そっと声を掛ける。
「あの人、何?」
 女性は、スープをパンをリウの前に置くと、本人はおそらく控えめに思っているだろう程に身を乗り出し、囁くような声を出した。
「二枚羽だよ、近付くんじゃないよ」
「見たの?」
「見なくたって、あの格好見りゃ判るさ。でもね。昨日、水を持っていったら、見ちゃったんだよ」
「うん?」
「おっきな黒と白の羽を! ここでもう二十年以上宿を開いてるけど、二枚羽の客なんて初めてだよ。そりゃもう、驚いたのなんのって。思ってた以上に不気味だよ」
「ふうん」
 適当に相槌を打ちながら、とりあえず朝食を平らげる。スープもパンも温かく、思っていたよりもおいしかった。昨夜は、遅くにたどり着いたため、ここで食事を取るのはこれが初めてだ。
「護衛もなしってことは、強いんだろうね」
「ああ・・・昨日、酔った客が絡んでね。高く放り投げてたよ。おかげで、今日は出足が遅いんだ」
 怯えて、出て行くのを待っているのだろう。それで誰もいないのかと、納得する。
 両羽――白と黒で一対の羽を持つ者は、一般的には無能力者とされている。だが、中には常人よりもはるかに強い能力を備えたものもおり、畏怖される傾向にあった。
 白い羽は、治癒と防御の力。
 黒い羽は、攻撃と破壊の力。
 強い両羽は、その両方を、桁外れの能力値で持つ者が多い。そして両羽は、羽が出しっ放しの者がほとんどだ。それが一層、差別化している。
「あんたは、昨日遅かったから知らないんだろうけどねえ・・・。一人かい?」
「うん」
「あんたみたいな小さい子が、たった一人で大丈夫なのかい?」
 善意から心配してくれているのは判るのだが、十六という年齢の割りに成長に乏しいのは、リウの悩みどころだ。答える笑顔の下で、ちくしょうと呟く。
「だいじょうぶ大丈夫。えーと、とりあえずごちそうさま」
 そうにこやかに告げて、ちらりと後方に視線をやる。
「ところであの人、男? 女?」
「男だったよ」
「そう。ありがと」
 笑顔で立ち上がったリウを、女は小首を傾げて見上げた。それに、くるりと背を向ける。布の男は、リウよりも早くに食べ始めていただろうのに、ようやく食べ終えようかというところだった。
「ねえおにーさん、相談があるんだけど」
 顔を上げて、はっきりとにらみつけられるが、笑顔は微塵も揺るがない。ただ、見上げた瞳が水色だったことに、夢を思い出して心の一部が揺らぐ。
 しかしそれは、水面下でのこと。リウは、にこにこと笑って男の前に立った。
「相談って言うか、取り引きかな。あたし、この先の森に行くんだけど、急ぎの用事がなかったら、護衛をしてもらえないかな。あそこ、力使えないのに色々出るでしょ?」
「・・・断る」
「急いでるの?」
「・・・断る」
「条件、聞いてからでも遅くないと思うけど」
「高いぞ」
 報酬がかな、と気付き、いよいよ笑顔を深める。笑顔というのは便利で、実に色々なものを隠してくれる。例えば、打算や緊張を。
「両羽の人って、大体、羽の出し入れの仕方がわからないだけなんだよね。走るのと代わらないんだけど、それが判らない。でも、ほとんどの人は走り方がわからないなんて言われても、当然のようにできる走り方を、教えることはできない。せいぜい、橋って見せるくらいしかね」
「・・・何が言いたい」    
「走り方、教えようか?」
 男が、疑いながらも、ほんのわずかではあるが、心を動かしたことが判った。
 本人もそれと悟られたことに気付いたらしく、忌々しげに舌打ちをした。ひぃと、かすれるような悲鳴を、後方で女が上げたのが判った。
「じゃあちょっ――」
 リウは、止める間も与えずに男が頭からかぶっていた布を下ろした。ところがそこで、動きが止まってしまった。ただひたすらに、男の顔を凝視する。
「何をする!」
「・・・・・・名前。名前、ねえ、名前は?! あなた、名前なんて言うの!?」
「は?」
 リウの勢いに押されてか、意外にもほとんど同年代の男は、不意打ちの声を漏らした。
「あたしは、リー・リウ。あなたの名前は!?」
「う、ウー・ラウイー・・・」
「フェイ・ロンアルじゃ・・・ない、の・・・?」
「違う」
 苛立たしげに、手を払いのけられる。声も、わざと低くしているのか、押し殺したものに戻っていた。
 リウは、がっくりと肩を落とした。
「そう・・・だよ、ね・・・」
 夢のせいだ。
 夢に、あの少年を見たから、思わずそうではないかと思ってしまったのだ。同じ色の瞳に、よく似た、あの少年が育って、苦労を重ねたらこうなるかと思うような顔に、飛びついてしまった。
 少年は、おそらくは生きていないだろうのに。
 リウの村と共に、葬られてしまっただろうのに。
 リウの故郷は、田舎の海に面した小さな村だった。都会の喧騒とは縁がなく、時々やってくる商人や芸人、出稼ぎから帰ってくる男たちの話が、何よりも楽しみだった。落ち着いたのどかな場所に、羽を――正確には、それに伴う力を、身につけるために繭にこもるのに、選んでやってくる者も、ごくたまにだがあった。そんな平凡な村。
 しかしそこは、リウが八歳のとき、一月こもっていた繭から出てみると、焦土と化していた。
 煙さえ疾うに消え去った、荒れた土地。リウの愛した緑はどこにもなく、広々とした海には、殺伐とした兵隊しかいなかった。反逆者が逃げ込み匿った村人も同罪と、全てを焼き払ったと噂に聞いたのは、随分と後になってのことだった。
 リウは、頑強な繭にこもっていたために、そして何よりも、人の来ない場所にあったために、見逃されたのだ。
 残っていた兵隊の目を掻い潜り、泥水を啜るようにして生き延び、様々なものを学び、身につけ、今ここにいる。村で過ごしたのと同じくらいの時間は、経っている。それなのに、こんなにも幼馴染を求めていたと知って、リウは、ひどく動揺していた。
 全て、夢を見たせいだということに、しておこう。
 そう思い、泣きたくなるような気持ちもすべて仕舞い込んで、固く目を閉じる。
「はは。ごめんごめん。知ってる人に似てたから」
 ひきつりながらも笑顔を浮かべるが、男は、胡乱そうに見遣り、ふいと横を抜けようとする。リウは咄嗟に、身にまとう布をつかんで引き止めた。
「・・・離せ」
「まだ話が途中」
「話なんて」
 今度は止まらずに、男の額に手を触れた。額同士を触れ合わせた方がやりやすいのだが、立ち上がられてしまうと、少しかがんでもらわなければ無理がある。ここは、頑張るしかなかった。
 触れた手に、感覚を集中させる。目を閉じて、自分が羽を仕舞うときと同じように、波紋の収まっていく水面を思い浮かべる。
 男が声を呑んだのは、背の羽が、体の中に折りたたまれていくことが判ったからだろう。目を明けると、予想に違わず、男のまとう布は大量の空間を含み、だぶついていた。
 にこりと、茫然とした顔に笑いかける。押し込んだ感情は、ちゃんと収まってくれているようで、こうするといよいよ幼馴染に似た顔にも、心の片隅がざわめくに留まった。
「今のは、あたしと共鳴させただけ。練習すれば、自分でできるようになるよ?」
 嘘だろうと、瞳だけで語る。ちらりと視線をやると、カウンターの内側にいる女も、同じように、驚愕に凍り付いていた。
「あたしも、はじめは仕舞い方が判らなかったから。だから、こういったこともできるようになったんだよね。どう? これが報酬じゃあ、不満かな」
 そう訊きながらも、リウは、自分の成功をほぼ確信していた。今まで、両羽相手にこの取り引きで成立しなかったためしは、なかった。 

 二人は、連れ立って森に入っていった。
 力を一切使うことのできないこの森は、野盗がよく出ることでも知られる。武器や体術を使うしかない分、力で劣る者には住みやすいのだろう。
 狙われやすい両羽ならば体術にも優れているのではないかというリウの予測は当たり、森に入ってすぐに、ばらばらとやってきた野盗は、ウー・ラウイーが一人で片付けてしまった。
「やー、スゴイすごい。立派リッパ」
 ぱちぱちと手を叩くと、今は纏っていた布を外したウーに、忌々しげに睨み付けられた。軽く、肩をすくめて返す。
「褒めてるのに、怒らないでよ」
「それが褒める態度か」
「はは。とりあえず、そろそろお昼にしようか?」
 入り口に張っていた者の仲間か別物かはわからないのだが、第二派をこれまたあっさりと拳でのしたウーに、そう呼びかける。律儀に言葉を返してくれるこの男は、思った以上にお人よしのいい奴ではないかと、密かに思う。
 宿で別料金を払って用意してもらった昼食は、固焼きのパンに野菜や肉を挟んだ簡素なものだった。それと、酒を一瓶もらってきている。
 さすがに、何人かがバラバラに倒れているところで食べる気にはなれず、少し進んだ日当たりのいい場所に座り込む。それを見て、ウーも、渋々と包みを開く。
「うん、やっぱりあの人、料理上手だね。ああでも、こんなおいしいの食べると、この先の野宿がちょっと厭になるよねえ」
「・・・どのくらい行くつもりだ」
 リウとは違い、ただ詰め込むように租借するウーを呆れたように見て、小首を傾げる。
「ここの真ん中って話だから、少なくとも一泊、下手したら三日くらいは野宿かな。ちゃんと、食料は持ってるよ。だから君は、最短で二日くらいは一緒にいてくれないとね」
 力が使えない森の中では、羽の出し入れもできない。羽は、物質よりは、力に付随する幻影のようなものなのだ。もっとも、質感はあるのだが。つまり、森を出てからでなければ、その習得もできない。
 ウーは、舌打ちを返した。
「態度悪いー。あたし、師匠になるわけだし? もうちょっとくらい、敬えとは言わないけど、打ち解けてもよくない?」
「断る」
「即断だし」
 そう言いながらも、リウは笑顔だ。
 大概のことは楽しめる自信のあるリウだが、とりあえずこの数時間、本当に楽しんでいる自分に気付き、囁く声もあった。この男は、ロンではないのにと。身代わりを求めるのは、ロンにもウーにも失礼で、卑怯なことだと。
 ロンは、もっとずっと優しかったよ。
 笑顔の下で、自分にそう返す。だから、この人が違うと知っている、と。
「冷たいなー、ウーは。こけても、手も貸してくれないし」
「俺が引き受けたのは、襲ってくるものの排除だけだ」
「またそんな。あれ、その定義でいくと、例えばがけから落ちたら、見捨てられる?」
「そういうことになるな」
「そんなことしたら、羽の仕舞い方学べないよ?」
「・・・」
 勝った、と拳を持ち上げると、睨まれた。
 今は茶化しているが、両羽にとって、羽が仕舞えないことは、死活問題につながる場合もある。
 白と黒で一対の羽は、気味が悪いというのが一般的な感想だが、きれいだと取る向きもある。そして、それが高じると、標本にされてしまったりもする。悪趣味な好事家の動きだ。そうでなくても、一部の力ある両羽にやられた憂さを、他の自分よりも弱い両羽に当り散らす輩も多い。
 目立つ羽を出し続けているということは、それらを引き寄せるということでもある。弱ければ死に、強くとも、嬉しい事態のはずがない。
「それにしても、両羽に羽の仕舞い方が判らない人が多いのは、どうしてかな」
「・・・お前も、そうなのか」
 独り言のはずだったのだが、思いがけず反応があり、リウは思わず目を瞠った。
「答えたくなければいい」
「あ。いや、そういうわけじゃないよ」
 一応興味は持っているのだと判り、意外に思っただけだ。食べかすを膝から払い落とすと、一度、目を閉じた。
「あたしは、白羽だよ。黒羽か、力のある両羽が良かったんだけどね」
「・・・両羽になりたい奴がいるか」
「ここにいる。もっとも、力が使えるっていうのが前提だけど。あたしは、守りに徹するなんて真っ平だった。両羽は両方使えるから、それは羨ましいと思ってた」
 おそらくは反論を、言いかけるウーを見つめると、口が閉じられた。
「君に説くのは愚かな話だけどね、攻撃力も持たずに、一人で生きていくのは難しい。だから余計に、そんな力がほしかった。まあ、治癒能力は大いに役立つんだけどね。疎んでるわけじゃない」
「・・・それなら、何故」
「羽が仕舞えなかったかって? これは予測だけど、多分、ショックで吹き飛んだんだよね。息の仕方が判らなくなるときって、ない? それと同じ」
 自然と、口の端が笑うように歪む。水色の瞳が、こちらを見ていた。
「羽化して出てみたら、故郷がなくなってたんだよね。丸ごと、さっぱり。焼き野原。骨だけが、一箇所に積み上げられてた」
「・・・宿で言っていた名は、家族か・・・?」
「ロンのこと? うん、家族って呼んでもいいかな。両親を殺されて、さまよってるところをお父さんが見つけてきて、ほとんど一緒に住んでた。いじめられっこで、小さいことでくよくよ悩んでて、弟分だった。大好きだった。間違えて、ごめんね」
 何かを言うように開かれたウーの口は閉ざされてしまい、強く唇を噛み締める。
 そんな反応に、もしかして慰めてくれようとしたのかなと思い、思わず笑みがこぼれた。やはり、お人よしでいい人だ。
「まあとにかく、これまでにも何人かに教えてきたし、腕は信用してくれていいよ」
「・・・他にも?」
「うん。いやあ、資本タダだしね。時間がかかっても、あたしは問題ないし。儲けさせてもらってます」
「悪徳」
「失礼な。真っ当な取引でしょ」
 警戒し、半ば呆れる視線に、胸を張って答える。
 人よりも苦労の多い両羽は、取引の方が快く応じてくれる。もっとも、それで助かっているのも本当だが。どちらかといえばその日暮らしのリウに、資産と呼べるようなものはほとんどない。
「じゃあ、行きますか」
 ウーも食べ終えていることを見て取り、立ち上がる。
 それから日が暮れるまで、人や動物を適当に払いのけながら、野宿に良さそうな場所を探して歩いた。時折、磁石で方向を確かめる。北に真っ直ぐに進めばいいのだから、確認は簡単だ。
 枯れ枝を集めた薪に火をつけると、チーズやパンをあぶりながら、ぼんやりとする。
「噂には聞いてたけどさ・・・ほんっと、多いよね、盗賊」
「食料も豊富だしな」
「それならそれで、自活で我慢しといてほしいよ。ああもう、次来たら、こっちからふんだくってやろうかな」
「・・・鬼だな」
「うるさい」
 大半をウーに任せているとはいえ、襲撃のあるたびに足を止めなくてはならず、これだけかかれば、明日中に到達というのはいささか厳しい。
 期限があるわけではないし森も好きだが、鬱陶しい。野生動物だけならまだしも、徒党を組んだ盗賊の群れは要らない。
 だから、茂みが音を立てたとき、リウは本気で殺気立っていた。
「いい加減に懲り・・・!」
「見つけたっ、俺の女神ー!」
「うわあぁあああぁっ!!」
 リウやウーとおそらくは同年代の、まだ若い男だ。ウーとは対照的なくらいに短く刈り上げられた濃茶の髪も、灰色の瞳も、人懐っこさがある。それなのにリウは、鳥肌を立て、ウーを壁にしてその背に少しでも隠れようとする。
 茂みから姿を現した青年は、しかし一向に気にした様子はなく、無邪気と言えそうな様子で、焚き火とウーを挟んで笑顔を振りまく。
「恥ずかしがるなよ、女神」
「ねえウーあれ何とかしてお願い」
「・・・害はなさそうだが」
「あたしの心理的に思いっきりあるから!」
 そう言っている間に、青年は回りこみ、ウーの存在を無視して近付いた。
「女神」
「イヤッ!」
 目の前にある顔に、リウは、目をつぶってウーの背中にしがみつき、男性限定の急所を蹴り上げた。大打撃(クリティカルヒット)。
「・・・・・・知り合いか?」
「知ってるけど知り合いたくなかったし断じて友達じゃないから!」
 悶絶して意識を失った男を見下ろして、ウーがリウを見遣る。毛を逆立てた猫のようなリウが落ち着くまで、今しばらくの時間を要した。その間、さすがに火に近すぎるとウーが男を押しやったが、目覚める気配はない。
 落ち着くと、とりあえずは焦げかけていたチーズやパンを片付け、荷物の中から軽くて丈夫な素材のカップを二つ取り出し、今朝宿で買った酒を注ぎ、一つをウーに渡した。
「・・・何者だ」
「ホワン・チェンフー。少し前に、盗みに入った家のどら息子」
「盗みまでやるのか?」
「珍しくないでしょ。それに一応、そのときは騙し取られた家宝を取り返しに行ったんだし」
 驚いた顔に、ちびちびと酒を舐めながら、あっけらかんと返す。
 ウーは、じっと倒れ賦した青年を見た。
「・・・恨まれて、というわけではなさそうだが」
「いっそ、恨んでくれた方が気が楽だった」
 げっそりと、言い返す。
 盗みに入ったときに、たまたま、夜遊びから帰った青年に出くわし、咄嗟に殴りつけたら、そのまま足を滑らせて階段から落ちたのだ。額を割って血を流す青年を置いておけず、仕方なく治癒を施したところ、途中で青年は目を覚ましてしまった。
「・・・変な奴だ」
「あたしだってそう思うよ! 目を覚ました途端、手を取って『女神』だよ?! 鳥肌立つって言うかもう本当、どれだけ、出血多量で死のうが放っておけばよかったって思ったか! 自分殴って怪我させた奴にほれるってどうよ? もうあんなの、誰かに熨しつけて押し付けたいよッ!」
 リウの語る心境は、既に怪談だ。
 しつこい上に財力と体力と根性があるものだから、どこに行っても見つけ出し、追いかけてくる。ここしばらく顔を合わせることがなく、ようやく、まいたか飽きて諦めたものと思っていたら。続行だった。
「・・・立ち入ったことを言うが、悪い話じゃないんじゃないか?」
「な・に・か・言った?」
 にっこりと、嫌がらせに笑顔を見せるが、少し身を引いただけで、それ以上怯む様子もない。
「そう変な顔でもないだろうし、財力もあるんだろう」
 確かに、どちらかといえばもてるだろう容姿で、家は金持ちだ。結婚を考えなくても、ある程度付き合って金をふんだくれば、今よりもいい生活ができるのは明白だ。
 しかし、きっぱりと首を振る。
「馬鹿は厭」
 二の句が告げず、動きを止めてしまったウーを恨みがましく睨みつけて、さらに続ける。
「そりゃあ、厭な奴じゃないのはわかるよ。友達付き合いならいいと思う、でも付き合うのは厭。あたしを無視してここまでの執念傾けられるのは重過ぎるし、大体何、女神って。気持ち悪い、絶対厭!」
「・・・・・・そうか」
 何故か、先ほどよりも身を引いたウーに肯きを返して、頭を抱える。
「ああーっ、捨てて行きたいけど、こんなところで野垂れ死にされたら夢見が悪すぎるし!」
 感情が昂ったせいで、涙がこぼれる。邪魔だなとぬぐっていると、視界の片隅に、反応が読み取りにくいが、どうやらうろたえているらしいウーの姿があった。
 半ば呆れて、可笑しくなる。
「悲しいわけじゃないよ。涙、出やすいだけで」
「・・・そういう、わけじゃ・・・」
「何が?」
 笑って訊くと、気まずいのか照れたのか、ふいと顔を背ける。
 ああ。やっぱり似てる。
「おい!」
「え?」
 ぎょっとした顔で見つめられ、首を傾げる。そうすると、頬から雫が垂れ、また泣いているのが判った。それも、さっきよりも、ずっと激しく。
「え。なん――」
「大丈夫か?」
 ウーに心配そうに覗き込まれて、納得した。こんなにも、似ているから。あの幼馴染の、不器用な優しさに。だから、悲しくなってしまった。
 リウは、膝を抱え、少しだけ静かに泣いた。
「・・・ごめん。吃驚したでしょ、涙が出やすくってさー」
 泣き終えると、そう言って顔を上げた。どれだけ似ていても、優しくていい人でも、あの少年でなければ、この先も旅を続けるつもりなら、あからさまな弱味を見せることはできない。悲しい思い出も、平気なふりをしていなければ、何が足元を掬うか判らない。
 だからリウは、なるべく笑顔でいるようにしている。そうすれば、色々なものが隠せるから。
「とりあえずあれは、目が覚めたら説得して帰してみる。・・・無理だろうけど。だから、見張りはあたしが先にやるね。枝だけ、もうちょっと拾っておいてくれる?」
「・・・ああ。わかった」
「よろしく」
 早速立ち上がったウーを見送ると、リウは、溜息をこぼした。
「もう。調子狂うなあ、お金とかで手を打って於けばよかった」
 ウーとの会話を心から楽しみ、ロンのことを思い出して揺さぶられる。自分も騙せたら楽なのになあと、声には出さずに呟いた。

2006 年 2 月 6 日 雪が!

 昼過ぎに、手紙を出しに行ったら雪が降っていました。音がするから、雨が降っているのかと思ったら。
 ボタン雪ー。ふわふわー。
 豪雪地方の方は、もう勘弁してというところでしょうが・・・そりゃ三メートルも四メートルも積もって事故も起きれば・・・積もるどころか降ることさえ少ない地域だから、つい、嬉しくなってしまいます。
 雨が先に降っていたのかはじめの方に降った雪が溶けたのか、ぬれた地面にわずかに雪が被っているところを歩いていたら、凍りかけていたのか、張り付くような感覚がありました。泥みたいな?
 このまま積もるかなーと思っていたら、しばらく降った後に雨になりました。残念。

 ところで、父の誕生日も近いので、『禁煙セラピー』という本を買ってきました(嫌がらせか)。
 読むだけで禁煙できる、と、一時話題になった本。利く(?)かも不安なところですが、話して読む(時間がある)のか。変に時間のない人だからなー。
 飲酒は、迷惑をかけなければ個人の自由だけれど、喫煙はなんとかしてほしいですね。喫煙の自由を叫ぶなら、非喫煙者の自由を阻害しないよう、副流煙を浄化するか己だけに逆流するような開発を行ってからにしてほしいものです。それか喫煙用の密室か確実に人の来ないところにでも行ってください(笑顔)。
 タバコの煙を吸っても死なないけど排気ガスを吸ったら死ぬ、なんてことを口にする人もいますが、程度が軽ければいいというものではありませんよ? 横領事件があるから万引きをしてもいい、なんて理屈にはなりません。

 昨日に続いてもう一話。
 あととりあえず一話あって、二話ほど(これは書き終えてはいますが)どうしようかというものと、書いた分を全部打ちこんでないのに続きをどこにやったか忘れたもの(またか)があります。ああそれと、長々と書いてるけどよくわからないものも。
 気が向いたら、全部載せてみます。

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 「 百物語 」

 鶴田一人[カズト]は、映像に凝っていた。
 映画を撮りたいというのは前々から思っていたことで、進学先も、そういった専門学校に決めた。両親は、自分たちに似ず意思の強い少年に説得は無理と、さして反対もしなかった。
 選んだ以上は辞めるなよ、などと決まりきった台詞も言わなかった。むしろ、息子がそんなことをするとは考え付きもしていない節がある。  

「よーし、そのままそのまま」  

 カメラの角度を選んで、固定する。高校生活の大半を費やしたバイトでためた、買ったばかりの何台目かのカメラだった。デジタルの方が何かと便利で安上がりなのはわかっているが、どうしても買ってしまった旧式だ。

「どうでもいいから早くしろー」
「なあなあ俺映ってる? ぴーす!」
「うわー、馬鹿だなお前。一人、絶対一生保存しとくぜ、これ。半永久的にさっきの間抜けなのが残るんだぞ?」
「フィルムって、そんなにもったっけ?」
「いや、無理だよ」
「でもお前、他のメディアに移すだろ」
「うん」
「いーもん、俺、懐かしむもんねっ、俺が有名になったらどっかに売り込んでもいいぞ」
「無理無理」

 車座になって、馬鹿話を続ける。一人を含めて四人、そこには居た。あとひとりが、まだ来ない。
 五人は、百物語を計画していた。言い出したのが誰だったか、今となっては思い出せない。おそらく、本人も意識していなかったような呟きがここまで膨らんだのだろう。「受験生の夏」というレッテルにも、いいかげん飽き飽きしていたこともあるだろう。
 模試に補習、勉強合宿。息抜きくらいほしくなる。
 そうやって、寮生は卓真と壮太しか残らないというこの川端学園男子寮での怪談話と相成った。カメラ回せば、と言い出したのは誰だったか。

「おっせーな、流の奴」
「ま、仕方ないんじゃない? あそこの家、過保護らしいから」
「それ以前の問題の気もするけど・・・」
「あっ、なあなあ、知ってる?」
「知らない」
「そうやって話の腰折るなよなー、性格悪いよ、卓真って」
「あー、悪くて結構。善人だね、なんて言われるより嬉しいよ」
「卓真に善人だって言う奴なんていないよな。あ、坂下がいたか」
「うわ、やめろよ。あの勘違い女」
「勘違いって言うか、思い込みじゃねー? 時々さ、うっとり自分の世界入ってんの。いやー、怖かったな。あれは」
「それより、壮太、何か話しかけてなかった?」
「あー・・・・うん、いいや。百物語始まったら言うことにする」
「え、何、怖い話?」
「んー、まあね」

 そこで、卓真の携帯電話が鳴った。それが「ルパン三世のテーマ」であることに、三人が爆笑する。お前らにこの良さがわかるか、と負け惜しみのように言って、二つ折りの電話を開く。  

『 ごめん、行けないかも。兄が帰ってきて放してくれない。あとで行けるようなら行くから、始めてて。 』

 没個性の字が並び、その下に流自作のナキウサギの小さな画像がついている。卓真は、文面を丸ごと読み上げた。三人は、揃って呆れのこもった溜息をついた。  

「なんだー、リュウ来れないのか」
「でも、行けるようなら行くってとこが流らしいな」
「友達んとこ泊まるとかってごまかせなかったのかなー。俺、結構楽しみにしてたのに。リュウの話って面白いからさー」
「無理だろう。橘さんとは家族ぐるみの付き合いらしいから、すぐばれるだろうし」
「他にそんな友達、いないしな」

 卓真の台詞に、再び溜息をつく。
 それをきっかけにして、壮太が職員室前のロッカーの上から拝借してきて取り付けた暗幕がしっかりと閉まっていることを視認し、卓真と一人、速人[ハヤト]が、車座の中央に並べていた不揃いの蝋燭に火をつける。すぐに、壮太もそれに加わった。
 使い差しのものがほとんどで、長さ順に並べている。短いものから順に、吹き消すのだ。人数分の蝋燭をつけるだけにするか百本にするかで多少もめたが、結局は百本で落ち着いた。

「なんか、目がいてーな」
「ほんと、くらくらする。あっついしね」
「締め切ってるから」
「多分、酸欠になるわ眠いわで、幻覚見るんじゃない? 百物語ってさ、そういう落ち」

 それぞれが言うが、そこには、ある種の場ができていた。
 風はないが呼吸で揺らめく蝋燭と、その熱や匂い、炎に照らされて違った風に見える顔。飛び切りの舞台に、そう待たずに沈黙が訪れる。
 そうして、物語が始まった。

「それじゃあ、さっき話しかけたやつから。この学校、川端高校って言うだろ? それなのに学園長は田畑だし、川端康成に縁があるってわけでもない。由来は昔、この学校が二本の川に挟まれて中洲みたいな土地に立ってたかららしいんだ。でも、今はそんな川ないだろ? これは学校の土地が移転したからじゃなくて、枯れたからなんだ。俺の話は、まだ川があった頃。その頃は男子校で、馬鹿なこともいっぱいやってて、校舎の窓から川に飛び込む、なんてことも平気でやってたらしいんだ。川は深かったし、校舎も近かったから。でもあるとき、屋上から飛び込むなんて馬鹿なことをやった生徒がいた。夏で浅くなってて、おまけにそいつは酔っ払ってた。部室で隠れ飲んで酔ってたときに、友達にそそのかされたんだ。そそのかした友達は、そいつと女の子を取り合ってたって話。それで、そのまま・・・。ぎゃっ、って声が聞こえたって。多分、飛び降りて途中で正気になったんだろうね。むしろ水音は小さかったんだって。それから、校舎内を千鳥足の男子生徒が歩くようになったんだって。おまえかー、おまえが俺を殺したのかーって。その後何人も、屋上から川に飛び込んで死ぬ生徒が続発したってさ。立ち入り禁止にしても、どこからか入り込むんだよ。それが、頭を悩ました当時の校長がお祓いを頼んだら、ぴたりと止んだんだ。そして、川が枯れた。でも、今でも土砂降りの雨の日なんて、声が聞こえるって話だよ」

「・・・小学生で、四年か五年のときだった。放課後に適当にグラウンドで遊んで、帰ろうとしたら体育館が開いてるのに気づいた。別に、無視して帰りゃ良かったんだけど、なんか気になって。他の奴も呼ぼうと思ったら、もういなくなってた。で、のぞいてみたら・・・・ありきたりだからあんまり言いたくないんだけど・・・おんなじくらいの年の奴が、自分の頭ついてたんだ。バスケットボールみたいに。学校の怪談とか、馬鹿にしてたけど、あれは怖かった。こう・・・ざあって血の気が引いて、足ががくがくしたけど、無我夢中で走って帰った」

「一時、カセットテープにCDダビングして、オリジナルテープ作るのにはまってたんだ、俺。明るい感じの曲、暗い感じの曲とかって、まとめて。何本も、そういうテープがあった。はじめは手持ちのCDを編集しただけだったんだけど、すぐにレンタルで片っ端から借りるようになって。そのうち、変なことが起きるようになった。とってるときは何ともないのに、テープを聞いたら変な間が入ってるんだ。はじめの方は、ああ、とるの失敗しちゃったな、と思ってたんだけど・・・どのテープとか関係なしに、俺が聞く本数分だけ、間が伸びるんだ。そのうち、音量上げても何も入ってないのかなって、テープはほとんどが使い回しだったから、伸びてて変に録音されてるのかもしれないと思って、音を上げてみたんだ。そうしたら、小さな女の子が歌ってるのが、入ってた。「風の谷のナウシカ」ってあるだろう、あれの中で主人公が歌ってたみたいな。でもあれは、ぞっとした。なんていうのかな・・・聴いてるだけで気が重くなるような感じで。今は、カセットは使わないようにしてる。作ってたテープも、捨てようと思ったけどほしがる奴がいたからあげた」

「妹が、うなされることがあったんだ。まだ小さくて、家族皆が同じ部屋で寝てたとき。少しして、風邪を引いたとか、ぐずってるとかだったらすぐに目を覚ますはずの母親が、身動きすらしないことに気付いた。起きるのは俺だけ。それで横でうなされてるから、一応起こそうとするんだ。だけど、妹の上らへんに白いものが浮かんでて、あれが戻るまで待たなきゃだめだ、ってどうしてか思ったんだ。そうしてるうちにまた眠っちゃって、何事もなく朝が来てた」

 壮太、速人、一人、卓真と時計回りに話していった。
 三順目あたりからどこかで聞いたような話になっていき、六順目ごろにはオチつかずのちょっと不思議かもしれない、程度の話になり、十順目を過ぎるころには壮太の独壇場と化していた。
 しかしそれも、八十話を超えると苦しくなってきた。明らかに、「えーと」「うーん」というつなぎの言葉が増えてくる。それでも、九十三話。
 九十四話目を言いそうで言えないという状態のときに、談話室の戸が開かれた。そこにも暗幕を張ってあったので、小さく悲鳴が上がる。少し暗幕がうごめいてから、六本の蝋燭が灯る室内に、五人目が現れた。
 場の空気に気付いて、ごめん、と口だけ動かして、一人と卓真が詰めた場所に座る。四人ともが、わずかに顔をほころばせているものの、目線で、話をするよう促した。

「鏡。小さい時、家にきれいな鏡があったんだ。丸い手鏡なんだけど、細工が凝ってて。多分、どこかの職人が造ったものだったんだと思う。かなり古いもの。今にしてみればそんなに大きかった、というわけでもないと思うんだけど、当時は小さかったから、すごく大きな鏡なんだ、と思ってた。顔が全部映って、それに・・・今になって考えるとおかしいんだけど、少し離すだけで、全身が映って見えた。お気に入りだったけど、家の物置に入れられてて、滅多なことじゃ触らせてもらえなかった。それが、小二くらいの時かな・・・たまたま物置の予備のかぎが手に入って、しょっちゅう入り込んでは遊んでた。鏡以外にも、珍しいものがたくさんあったから、絶好の遊び場だったんだ。中でも鏡は、何度も取り出して見てた。見るたびに鏡に映る全身像は小さくなって、まるでカメラを引いたみたいに見えたんだけど、あんまり不思議には思わなかった。そういうものなんだって、思ってた。代わりに、鏡の半分くらいのところに知らない人が映るようになってた。和服の男の人で、私が小さくなるにつれて、その人は大きくなるみたいだった。あるとき、アルバムの整理をしてたら古い写真があって、そこに鏡に映ってた男の人がいた。服は違ってたけど、絶対に同じ人。一枚だけだったけど、多分先祖の人か何かだろうと思って、父に訊いたんだ。あの人は、真っ青な顔で知らない、って言った。次の日学校から帰ったときには、物置のかぎは取り替えられてた」

 淡々と、記憶を探り出すかのような口調で、三話を話しきる。百話目を語り終えると、流は最後の蝋燭を吹き消した。立ち込めた闇が訪れる。 
 誰かが唾を飲んだ音や、衣擦れの音がする。

「いち」

「に」

「さん」

「よん」

「ご」

 沈黙を挟んで、誰かが噴き出した。一斉に、五人が大爆笑する。そしてそれに追い討ちをかけるように、「ルパン三世のテーマ」が鳴り響いた。

「あー、もうだめ、俺。なんか来るなんか来る、ってフインキなのに、何にもないしさー。ルパン鳴るし」
「そうそう、最後の方異様だったしね。緊張感ありすぎて。最後の話が怖かったら、パニックになってたんじゃないかと思うよ」
「得体の知れない怖さがあったぜ、最後」
「怖かった? 不思議な話だなあ、って思ってたんだけど」
「どうでもいいから灯りつけてくれ。ケータイの位置がわからない」
「光ってないの?」
「ああ。手元においてた筈なんだけど・・・上に何か乗ってるのかも」
「あはは、ゼッタイそれが妖怪だよ、決まり。カズ、タクの手元照らして。何かいるからさー」
「馬鹿。一人、とにかく頼む」
「うん、探してるんだけど・・・誰か、先にカーテン開けてくれる?」

 カーテンレールのきしる音がして、消し炭の濃闇からほの明るい薄闇に変わる。
 あった、と一人と卓真が揃って声をあげた。  

「・・・・今、誰か立った?」
「・・・・それって、結構離れ業だと思うんだけど、俺。全員座ってない?」

 ぎくりと、五人が顔を見合わせた。

「・・・っわーっ!」

 五人が我先に飛び出していった後の部屋で、暗幕は次々に開けられていった。
 そして薄闇の中には、携帯電話の着メロ特有の音で「ルパン三世のテーマ」が流れ、明滅する携帯電話の上には奇妙な物体が浮かんでいた。

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 そうしてこの後、都市伝説に絡めた感じで話を続けていくつもりだったのですが。二、三年放置?

2006 年 2 月 7 日 遊びの計画も一部は遊び

 友人と旅行の計画を立ててきました。計画というか・・・計画なんて言えるものじゃない、という程度に(何)。
 図書館で待ち合わせて、ひたすら旅行雑誌を集めてきて、二人で、机と椅子のある場所で読み漁っていました。大体の目星をつけてから借りて、ファミレスに移って(図書館の中だとあまり喋れないからー)。
 旅行雑誌を、一冊くらい買おうとは思うけど、見比べられるのは便利ですねー。似たような情報ばかりだけど、同じことが書いてあるわけじゃないものなあ。
 図書館で、四人がけのところに座ったら、たまたま中学が同じだった友人がいて驚きました。寝てたから気付かなかった。
 京都に近い大学に通っているということで、場所の確認なんかで相談(?)に乗ってもらったり。同じ机に座っていたあと一人が、少し迷惑そうでした(汗)。

 まあそれで、大体の見当をつけて。
 実際には、行ったところで地図片手に、ふらふらとしているのでしょう(苦笑)。
 のんびりとぼやりとするのもいいかなー。
 三泊するといったら、姉に「京都で三泊って」と言われましたが。いいじゃないかー。

 あとは、多分来月に大学の友人と神戸観光(西宮に通っているのにほとんどしてない)をする予定。
 もう一箇所くらいどこか行こうかなー。貯金ないけど。今、預貯金であるのは辛うじて十万程度。それで五月に給料もらうまでか・・・この頃、本もたくさん買うしなあ。むぅ。
 どこでどんな風に入用になるのか予想がつかないところが不安です。私の感覚で行けば、基本的に、本代とちょっとした食費以外は必要ないけど、そうもいかないだろうから。わからん。
 ああ、いやとにかく。
 どこかなー。比較的近場になるだろうなー。鳥取か岡山とかその辺か。ううむ。
 三月までにはバイクを買いたい(姉に借金予定)から、それの足慣らしに、しばらく走ってから兵庫県の北部のほうに行くってのもありかなあ。

 よく判らない企画第三弾。これ、まだまだ見直しが必要なやつなのですが(載せるな)。

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 「 夜明けの向こう 」

 そろりと、手を伸ばす。目指すは、黒革の本だ。銀でいかめしい彫り文様の施された、それ。
 装丁だけの値もそれなりだろうが、中身は、それどころではない。今となっては記憶の奥底、歴史の彼方に葬られたはずの呪文や儀式の数々。代償が大きすぎるがゆえに封じられたそれらを記す、一冊の本。禁呪ばかりを載せた、見る者が見れば目の色を変える書だ。
 慎重に伸ばされた手は、まだ発展途上のものだが、小さいとも言い切れなかった。
 その指先が、かすかに届く。
「ここの本を盗もうだなんて、ずいぶんと思い切った泥棒ですね」
 穏やかな声なのだが冷たく、あとわずかのところまで伸ばされた手は、そこで止まってしまった。
「とりあえず、名前と住処を訊きましょうか。ここではなんですから、あちらへ」
 有無を言わせぬ口調は、敗北を知らしめるには、十分すぎた。
「まったく、一度死んだら生き返るはずがない、という大前提をあっさりと無視してくれる輩が多すぎて、迷惑ですね」
「・・・だけどあんたは、死人を蘇らせるじゃないか」
 アウグスト・メンデルは、唇を歪めて笑った。
「やれやれ。私も、随分と有名になったものです」
 即座に役所へ突き出されず、実のところ、少年は、いぶかしみつつも怯えていた。アウグスト・メンデルは貴人で賢者との評があり、禁呪の使い手でもある。どんな人体実験をされるのか、考えたくもない。
 しかし話は、予想外の方向へと転がって行くのだった。
「その言いようでは、誰か生き返らせたい人がいるようですね。まあ、ここに来るのは、九割方そんなところですが。誰です?」
「・・・兄ちゃん」
「お兄さんを。それは兄思いなことで。しかし残念ながら、子供の自己満足で扱えるような物は、ここには何一つありませんよ。大人しく帰ることですね」
 突き放した言いように、少年の頭に血が上った。
 兄にかえってきてほしい。それしか、少年に出来ることはないのだ。自分のために兄は死に、そのせいで、母は廃人のようになった。
 だから、必死に調べて、学んで、最後はここしかないのだ。
「何がッ、あんたに、何がわかるんだよッ・・・!」
 激昂しすぎて、ろくに言葉が出ない。もっと酷い言葉をぶつけてやりたいのに、出てこない。睨み付けられているかさえも、視界が怒りに白く染まり、判然としない。
「ふむ」
 落ち着いた声は、わずかに意外そうに、息のような音を伝えた。
「わかりました。ここの閲覧許可を与えましょう。幾つかの約束を守るなら、好きなだけ調べて構いません。異存はありますか?」
「い――や。いいや、ない!」
「それなら、改めて名前を伺いましょうか。ちなみに、私はアウグスト・メンデル。ここの管理人です」
 ごくりと、少年は、知らずにつばを飲み込んでいた。集められるだけの書物が集められているという、この場所の管理者が、少年に許可を与えるというのだ。
 少年は、平静ではいられなかったが、どうにか理性を保つことには成功した。
「俺は――ハイン」
「ありふれた名ですね。ではハイン、今から言うことを忘れずにいるように。ひとつでも破れば、即刻出て行ってもらいますよ」
 少年が、目的への鍵を手に入れた、と感じた瞬間だった。

 それから少年の日々は、書庫へ篭り、本を読み漁ることになった。
 書庫に飲食物、水気のあるものを持ち込むことは厳禁で、夜間に灯火を灯すのはアウグストが同席している場合のみなので、水を持ち込むこともせずに頁をめくり、日が昇るまでと日が暮れてからは締め出される。食事は、日の沈んでいる間の朝と夜の二回。
 アウグストが宿を提供してくれたのは、意外ながらも嬉しい誤算だった。食事も、少年が二人分作るならということで、食べさせてもらっている。路銀が尽きかけたところだった身としては、訝しみながらも、突っぱねるわけにもいかない。
 ただ本を読むだけだとも言えるが、極限まで頭を働かせ、根を詰めて、膨大な文字列を追うのだ。食べ、休まなければやっていけない。
 そうして、秋も終わろうとする頃には、少年はすっかりこの生活に慣れ、蓄えられた書物の、実に、九割方を読破していた。家から持参した羊皮紙には、覚え書きやメモが、びっしりと書きつけられている。
 残りは、ほとんどが、アウグストが同席していなければ手を出すなと言われたものだった。そこには、黒革の禁書も含まれていた。  

「なあ、あんた」
「年長者は敬うように。何か疑問でも?」
 アウグストは羊皮紙の束をめくり、少年からは少し離れたところに椅子を持ち込み、見掛けだけは優雅に作業を進めていた。少年はその中身を知らない。当たり前と言えば当たり前のことだ。
 それにしても、アウグストには謎が多い。まず年齢不詳で、二十歳そこそこにも、三十や四十にも見える。下手をすると、五十にも。しかしおそらくは、三十程度だろうと少年は見ていた。
 生業も判り難い。少年は当初、奇人で賢者、世界最高峰の書庫の管理人、禁呪の使い手、といった情報を耳にしていた。しかし、ただそれだけで金が入ってくるわけもなく、その上、蔵書は保管することが目的であって、閲覧者はごくごく限られている。もっとも、法外な料金を取って閲覧を許しているのかもしれない。
 禁呪によって、何らかの仕事をこなしているようだと、少年にも知れた。
「・・・ただ年上ってだけで敬えねーよ」
「時として、知識は経験に適わないものですよ。まあ、年月を経れば必ずしも成長する、というものでもありませんがね」
「あんたは、ここの本を全部読んだのか?」
 忠言めいた言葉を無視した少年に、アウグストは、ただ軽く肩をすくめ、書類をひざに置いた。
「読みましたよ」
「だから、あんたは死人を蘇らせれるのか?」
「何故、今頃になってそんなことを問うのです?」
「・・・」
「禁書に目を通して、蘇生法のないことに失望しましたか? 折角、基礎のお浚いからはじめて、関係のなさそうな書も読みきって、ようやく秘密保持の必要な書を読むまでに到達したのだから、そのまま進めればよいでしょう」
 見透かされているかのようだった。
 黒革の本を開き、読み進め、得られたのは、死人が蘇ったかのように見せられる術だけだった。人の体に、動力の元になるようなものを入れて動かすという、術。それなら、載っていた。
 道は閉ざされたのかと、そう、思ってしまった。だから、他人の出した答えを、聞きたくなった。
「・・・あんたは。手に入れられたのか・・・?」
「君が答えを出したら、私も答えましょう。先入観を容れたくはありませんからね。好きに判断なさい」
 そう言って、アウグストは立ち上がった。片手には、紙束を掴んでいる。
「閉めますよ」
 少年は、無言で、のろのろと本を渡した。アウグストは、受け取ると丁寧に、書棚へと戻した。
 少年を先に立たせて部屋を出る。アウグストが鍵を閉めるのを、いつもは見たりしないのだが、このときは、ぼうっと、見つめていた。
 鍵をかけながら、アウグストは、振り返ることもなく言った。
「ここを出るつもりなら、忘れ物はないようにしてくださいね」
「馬鹿にするな・・・ッ」
 それが逃げ出すことを示唆していると気付くまで、疲れた頭には、少しの間が必要だった。
 睨み付けると、涼やかな瞳が見返す。相変わらず、超然としている。揺れてしまう、小さな自分とは違って。
「馬鹿にはしていませんよ。期待を抱いて撤退するのも、生きるためには必要な場合がありますからね」
「俺は、逃げない。使えない期待なんて持ってどうするんだ。本当のことを確かめて、何もないなら、とことんまで絶望して、地獄の底からでも、偽物じゃない光を見つけ出してやる」  
「いい心意気です」
 にこりと微笑むと、アウグストは、軽く少年の肩を叩いた。
「ここは冷えますよ。それに、おなかも空いてるんですよね」
 捉えどころのない男だと、思う。

 その、夜のことだった。
 地鳴りに似た大きな音で目を覚ました少年は、驚いて、眠気の残滓を伴いつつも、周囲を見回した。寝場所に間借りしているのは調理場横の小部屋で、元は物置だったのだろうが、何故か、寝室のように整えられていたところだ。
 窓のない部屋だから、ここにいても何が判るわけでもない。ようやく完全に目の覚めた少年は、そうと気付くと、上着を手に取って扉を開けた。
「そこにいなさい」
 開けた途端の声に、びくりと身をすくめる。しかし、アウグストの姿はなかった。暗闇に目を凝らすと、向かいの書庫に、灯りがともっているのが目に入った。
 何だか判らないが、とにかく行ってみようと足を踏み出すと、そこを掴むものがあった。
「えっ?!」
「いなさいと、言っているでしょう」
「あ・・・伝言人形」
 慌てて見た足元には、小さな泥人形があった。それが、少年の足を押さえている。
 言葉を伝え、相手がその通りに行動するかを見張る人形だ。声から推測するまでもなく、アウグストが置いたものだろう。伝言と監視だけならまだしも、動くものを作れる術者は、そうはいない。
 少年は、短く考え込む。
「つまりは、見られたくないことをやってるってことだよな?」
「そこにいなさい」
「やだねっ」
 人形を蹴り飛ばし、少年は、書庫へと駆けて行った。伝言人形が壊されたことは、アウグストへと伝わってしまっているだろうから、こうなったら速さ勝負だ。
 すっかり慣れた最短距離を走り、扉を押すと、鍵もかかっていなかった。
 駆け込み、しかし少年が見たものは、全くの予想外だった。
「何だ・・・これ・・・?」
 呆然と、自分が呟いたことにも気付かず、少年は、目を見開いた。棚の本が、手荒に引き出される。袋に詰め込まれ、時折、「お宝なんだから丁寧に扱え」と声が飛ぶ。
 盗賊と思い至ったときには、見咎められていた。
「何だ、ちび? なにしてやがる」
 それはこちらの台詞だと言いたいところだが、声も出なかった。
 男たちは、明らかに暴力に慣れている。本も、自分たちが読むのではなく、売り捌くために手に入れるのだ。この男たちにとって、本は、物好きから金を引き出す道具でしかないだろう。
 そんなものであっていいはずが、ない。
 全て、貴重な知識の詰まった、大切なものだ。
「な・・・何、してるんだよ、それをどうするつもりだッ!」
「ああ?」
「それは、お前たちなんかが触れていい物じゃない!」
「あぁん?」
 数人が不機嫌そうに、残りが面白いものを見つけたとでも言うように、少年を見る。獲物をいたぶる、獣の目だ。
 思わず、逃げ出したくなる。背を向けて、逃げ出して、それでも構わないのではないかと、そんな声が囁く。アウグストが困るだけで、少年自身は、大体は目を通している。全てを読みきったところで、人を蘇らせる方法など載っていないかもしれない。それでなくても、少年が男たちに敵わないのは明白だ。それでは、ただの犬死ではないか。
 それでも、体は動かなかった。
 ここで逃げ出すのは、厭だった。
「ここから出て行け! ここは、アウグスト・メンデルの書庫だ!」
 男たちの、馬鹿にしきった笑い声が聞こえた。それでも、少年は逃げようとはせず、それどころか、近くにいた男が本を袋に入れるのを、体当たりして奪い取った。
「ガキが!」
 殴られる、と、目をつぶった。ところが衝撃はなく、拍手の音が聞こえた。
 恐る恐る目を開くと、近くに立つのはアウグストで、書庫ではなく、町外れの城の遺跡だった。少年の位置は変わっているが、男たちは、書庫にいたのと同じような位置に立っている。
「よくできました」
「なっ・・・何だ?!」
「おい、ここは?!」
「本がねぇぞ!」
「はじめからそんなものありませんよ。あそこに押し入ろうとすると、ここに転送されるようにしてありますから。幻覚です」
 にこりと微笑むアウグストは、いつもと同じように、防寒服までが同じ黒一色だった。男たちが殺気立って睨み付ける中、アウグストは、涼しげに微笑している。
「いつもは、そこまでしませんけどね。お役目ご苦労様、大人しくしていれば、怪我をせずに済みますよ」
「なんだと、この野郎ッ!」
「仕方ありませんね」
 微笑んだまま、すうと目を開く。朗々と唱えた文言が、炎の幻術を出現させるものだと気付いた少年は、途中で耳をふさいだ。そうしてそのまま見ていると、男たちは、どれも怯えたように逃げ惑い、絶叫し、次々と倒れていった。
 全て倒れ伏し、少年が恐る恐るアウグストを見上げると、軽く、頭を撫でられた。どこか嬉しそうな、笑みが浮かんでいる。
 少年は、両手を離した。
「恐い思いをさせてすみませんね。怪我はありませんか?」 
「・・・何・・・だったんだ?」
「盗人ですね。あそこの建物は、鍵なしで二人以上が一度に入ると、ここに転送するようにしてあるんですよ。それよりも、私に弟子入りしませんか?」
「は?」
 予想外の言葉に、呆けて見上げる。
「正しくは、後継者になってほしいんです。膨大な書物も、管理を怠ればごみになってしまいますからね。アウグスト・メンデルの名を継いでもらえませんか」
 言葉の意味を飲み込むまで、少しかかった。その間、アウグストは、穏やかに微笑んで立っていた。
 馬鹿馬鹿しいことに、アウグスト・メンデルという名が代々受け継がれるものであるということに、少年はひどく驚いていた。てっきり、本名と思い込んでいた。
「なんで・・・俺」
「無謀さと根性と、考え方が気に入りました。君なら、本も大切に扱ってくれるでしょうし。ご両親は、君の意思に任せるということですよ」
「・・・?!」
「勝手とは思いましたが、誘拐犯にされても困りますしね。そもそも、身元の確認もせずに長く手元に置くのは無用心ですから。調べさせてもらいました。ご両親は、君がここにいることを知っていますよ、ダニエル君」
 全て知られていたということに、腹立ちと、恥ずかしさを覚えた。偽名を使ったことも、意味はなかったのだ。
 そうすると、今日のこれも、偶然ではないのだろうか。あの音も、わざと、立てたものだったのだろうか。
 つまりは、手のひらの上で踊らされていたということか。
「偽名を使う用心深さも、気に入った理由の一つですよ。名前を知られると操られる、という俗信がありますね。まあ、完全に嘘とも言えませんが、人にはあまり効きませんよ」
「・・・楽しいかよ」
「え?」
「楽しいか。そうやって見下して、弄んで! それで満足かよ?!」
「弄んだつもりは、なかったんですけどね」
 ふっと、淋しげな表情になる。ダニエルは、怒りが急速に冷えるのを感じた。
 アウグストは、背を向けた。
「戻りましょう。ここにいては、風邪を引きますよ。それでなくても、一日中本の読み通しで疲れているはずですからね」
 そう言って、一人、足早に去ってしまう。ダニエルは、転がる男たちを一瞬だけ見やって、アウグストを追いかけるべきなのかと、思いつつも立ち尽くしていた。

 それから数日は、変わりなく過ぎていった。ダニエルが食事を作り、二人で食べ、黙々と本や羊皮紙の束を読む。
 一度、気が向いて町に出ると、アウグストが意外にも町の人々に慕われていることと、遺跡には毎朝役所の者が巡回し、盗賊が転がっていれば捕まえるということを繰り返していると、知った。
 未読分も少なくなり、それに伴い、少なくとも現在、書庫の本に書き記されている中には、人を蘇らせる術はないと見当がついた。深い失望があったが、知識を活かして自分で見つけられないかと、そんな思いも芽生えてきた。
 ただそれは、罪悪感からではなく、欲なのだと、知りたいと焦がれる欲なのだと、薄々気付いていた。
 最後の一頁を読んでも、やはり、記されてはいなかった。
「答は出ましたか?」
 穏やかに尋ねられたのは、青空の下でだった。
 全て読み終え、書庫を後にしたダニエルを追うようにして、アウグストも外に出ていた。兄が死んだのも、よく晴れた日だったと、そんなことを思う。
「ここの本には、人の蘇生法なんて書かれてない」
「ここにない本は、写本の一切ないものと考えて間違いないと思いますよ。もっとも、原本のみのものも、ここにはありますが」
 つまりは、この辺りに出回っている本は、ほぼ揃っているということだ。――活版印刷が普及するのは、いま少し後のことになる。
「それなら、蘇生法は書かれてないんだろう。俺は、自力で探し出す」
「それが結論ですか」
「文句あるか?」
「いえ。立派です。それなら、最後の夕食くらい、私が作りましょうか。それとも、今からすぐに出て行きますか?」
 ダニエルが出て行くことが前提の言葉に、気後れした。今更、手遅れだろうか。そう思うが、確かめることもなく諦めるのも、厭だ。
 勇気を振り絞って、顔を上げた。
「前の、後継者っての、もう無理かな」
「え?」
「ここに残って、蘇生法を探すのって、駄目、かな」
「・・・・・・・・・歓迎します」
 長い間を置いて、にっこりと、アウグストは微笑んだ。
 胸の内の、恐れが消える。
「ただし、ちゃんと私のことを敬ってくださいよ」
 いたずらっぽく言う師に、さてどう答えたものかと、束の間考え込んだ。
 青空の下で見上げた書庫とアウグストと、今日でお別れでないことが、思った以上に嬉しかった。

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 この後、ダニエルが弟子入りしてそこに闖入者が来たり、とまあよくある流れになるわけです。
 ここで終わろうと思っていたのだけど、なんとなく続けたほうがいいような感じに。

2006 年 2 月 8 日 年を取ったなぁ

 というか、意志が弱くなったなと。

 午後から、本屋に行きがてら、古本屋に行こうと思っていました(どっちが主目的だ)。
 が、何故か昼を過ぎてから物凄く寒くなって・・・三時くらいには晴れていましたが。
 うん、明日にしよう、と思うには十分な寒さ(爆)。
 そんなわけで、今日は一日ぼんやりと過ごしました。ってか口頭試問対策しろよ私。

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 「 昨日の未来 」

<一日>

「秋衣ちゃん。秋衣ちゃん、起きてる? おーい、秋衣ちゃ・・・」
「寝てたわよっ、今度は何?!」
 まさかまた、ワニなんて拾ってきてないでしょうね。
 心の中で、半ば自棄気味に呟きながら、秋衣は戸を開けた。そして次の瞬間、絶句する。
 闇の中に、天使がいた。
 昼から降り出した雨は霧雨に替わっているが、霧夜はそれに濡れながら帰ってきたのか、ただでさえ艶のある髪が、絹のようなつやめきを見せている。
 そろそろ二十になろうかという年齢の霧夜は、少々童顔ではあるが恵まれた容姿だ。それにも関わらず、身なりには全くと言っていいほどに頓着しない。髪は邪魔になってきたら切るだけで、服も、あるものを気温に合わせて着込むだけ。
 今も、助手として働く医院で、ぼろぼろになって使わなくなった白衣を上着として羽織っている。秋衣はいつも、それでいいのかと言いたくなる。言ったところで、返事はわかりきっているのだが。
 それはいつものことで、とりあえずそこまではいい。
 注目すべきは、霧夜の背中で、金髪の少女が眠っているところだろう。十に届くかどうかという年齢が、余計に天使めいて見える。
 霧夜のみすぼらしい格好も気にならないほどに、絵にでもなりそうな二人に、秋衣は言葉を失っていた。
 美少女と美少年の組み合わせに、妬むよりも呆れる。
 容姿にそう劣等感のあるわけではない秋衣だが、霧夜と比較するのは間違っていると思うし、この少女とも、比べようなどと思わない。
 しかし、今問題になるのはそんなことではない。正直なところ、少女が美女であっても、ふたと見られないような不美人でも、嬰児でも、問題は同じだ。
「・・・・・・・・・・・・まさか。その子まで、拾ったなんて、言わないわよね?」
 曖昧な笑顔で佇む霧夜に、秋衣は、盛大に溜息をついて見せた。

 ホットチョコレートをカップに入れて、霧夜は椅子に座った。冷えた体を温めるように、カップを両手で抱えて、湯気の向こうをぼんやりと眺める。
 この建物は、アパート状になっている。一階で四部屋、計八部屋の二階建て。一応、正式に霧夜の持ち物ということになっているが、この町では、書類上の持ち主などということに、どれほどの価値があるだろうか。
 霧夜と秋衣がそれなりに平穏に居を構えていられるのは、このあたりで――闇医者を数に入れなければ――唯一の医師の助手という、そこに負うところが大きいだろう。もう一人、半住人とでも呼ぶべき者もいるが、それが訪れると知る者の方が少ないのだから、こちらは関係ないだろう。
 改造したキッチンは、そこだけ壁を取り払い、二部屋分の空間を繋げてある。どうせ食事は一緒にとるのだからと、外へ出る手間を省いたためだった。
「あたしの分もいれて」
 向かいの椅子を引いて、秋衣が座る。秋雨に冷えた夜で、先程見た格好の上に、焦げ茶のカーディガンを羽織っていた。
 一方の霧夜は、濡れきった白衣を脱いでタオルをおざなりに肩に掛けただけで、立ち上がるとタオルが落ちてしまっていた。
 棚から秋衣のカップを取って、鍋に残していたホットチョコレートを、軽く温め直して注ぐ。それを秋衣に渡すと、先程まで座っていた椅子に座り直す。また、カップを両手で持つ。
「ありがと」
「――あの子は?」
「体拭いて着替えさせて、今はあたしのベッド。ずっとぼうっとしてたわ。一言も話さないで。・・・どこで見つけてきたの?」
「・・・道端で寝てたから。僕も、何も聞いてない」
 責めるような調子を崩すことなく、秋衣は霧夜を見て溜息をついた。
「拾うのは勝手だけど、あたしに面倒を見させること前提で連れて帰るのは、ちょっと図々しくない?」
「それは・・・悪いと思ったけど、でも、放っておくのも危ないし、女の子だし・・・」
 実際、秋衣には迷惑をかけ通しで、悪いとは思っている。
 そんな言葉を受けて、苦笑を浮かべかけて、押しつぶしたのが判った。秋衣は、素直な分だけ、そういったことが判りやすい。
 隠すためにか、浅く溜息を吐く。
「事情が事情だから仕方ないけど、今度からは無しにしてよね」
「・・・ごめん」
「謝るなら、はじめから拾ってこないで」
「ごめん」
 それ以上に言える言葉もなく、俯く。
 霧夜の拾い癖はいっそ見事なほどで、犬猫は恒例、インコにアルマジロ。そうして、今度は人間。――いや、秋衣も、拾ってここにいるようなものだから、「今度も」となるのかも知れない。
 どれにも、最終的には落ち着き先を見つけるが、それまでの面倒は霧夜や秋衣が見ることになる。
「せめて、ありがとうくらい言ってもいいんじゃない?」
 秋衣の言葉に、思わず顔を上げる。次いで、そこに笑みが浮かんだ。
 本人に自覚はないが、秋衣が密かに「詐欺よ」と呟く笑顔だ。困ったように、秋衣は視線を逸らした。
「ありがとう、秋衣ちゃん」
「どういたしまして」
 ごちそうさまと言って、秋衣は、空のカップを流しに置いて、部屋へと戻っていった。
 その背を見送って、すっかりぬるくなったチョコレートを飲みきると、霧夜もカップを流しに置いて、ランタンの灯りを消した。
 ズボンは濡れていたものが体温で生乾きになって、気持ちが悪い。シャツも湿っている。シャワーを浴びたり湯を春だけの設備はあって、湯船にゆったりとつかるのに未練がないわけではないが、今は疲れの方が勝る。
 服だけ着替えて眠ってしまおう。――そんな素直な目論見は、しかし、寝室の戸を開けた途端に、総崩れの危機に瀕した。
 まず、灯りがともっている時点で異常だ。
「よう」
 ベッドの上でくつろいであぐらをかいているのは、上下とも黒の服を着た青年だった。ポケットには、黒眼鏡も差し込んである。素顔をさらした今は、人なつっこい笑みが浮かんでいた。
 ランタンに灯りを入れたのも、この青年だろう。
 しかし霧夜は、無言で、無断の侵入者に人差し指を向け、それを窓に向けた。出て行け。
「あ、ひでー。久しぶりに会う親友に、その態度はないだろー?」
「勝手に人の部屋に押し入るような親友なんて持った覚えはない。瞬殺されても文句は言えないはずだが、違うか」
「はあ。騙されてるぜ、秋衣ちゃん」
 半眼で睨み付ける霧夜を前に、いくらかふざけた空気を持った青年は、そう言ってわざとらしく溜息をついた。
 霧夜とこの青年との付き合いは、それなりに長い。九歳以来になるのだから、知り合って、十年ほどが経ったことになる。霧夜のこれまでの生涯の、約半分だ。
「僕は疲れてるんだ。腐れ縁の馬鹿な先輩の長話につき合うつもりも義理もない」
「相変わらず容赦ないな、お前」
「容赦のいる相手じゃないからな」
 更に言葉を重ねかけて、ようやく、青年のペースに乗せられていることに気付く。霧夜は、疲れたあたまを振った。
「とにかく眠らせてくれ。部屋の鍵はそこにあるし、ここで寝るなら布団は隣だ」
「なんだ、本当に疲れてるのか?」
 追い払う口実だと思っていたのか、青年は、拍子抜けしたように霧夜を見遣った。    
「ああ。帰ってくれるなら大歓迎だ」
 いくら言っても動かない青年をベッドから追い払い、布団をかぶる。着替えはこの際、断念する。
 思っていた以上に疲れていたのか、すぐに、霧夜は眠りに落ちていった。一人になった時点で、糸が切れていたのかも知れない。
「・・・眠るの早すぎないか、おい?」 
 一人残された青年は、寝入って身動き一つない霧夜を、呆れたように見下ろした。長いまつげの伏せられた顔を覗き込んでも、何の反応もない。起きていれば、とりあえず拳くらいはとんでくるだろう。
 少し馬鹿話をして、帰るつもりだったのだが。
「何か、こっちも面白そうなことになってそうだよな」
 青年は、そう言って笑みを浮かべた。
 普段は二人しかいない建物の中に、この夜は四人がいた。

<二日>

 寶医院は、昨日の急患のおかげで、今朝も混んでいた。
 昨日は、実に平常の十倍近くという患者が来院し、その多くが帰ったものの、元々基本的には入院患者というものがいないこの医院では、入院患者がいるというだけで、「混んで」いる。その上、昨日の余波で早朝に来る患者もいる。
 木曽寶の個人経営のこの医院は、三階建ての建築物の二階を丸々使った、専門無視のところだ。内科や外科やと、そんなことには構っていられない。もっとも、大半が外科――怪我ではあるが。
 入院患者に朝食を配膳していると、寶がやってきた。
「すまんな。飯まで作らせて」
 初老にはなるだろうが、まだ十分に元気な木曽寶は、タヌキに似た愛嬌のある笑みを浮かべていた。右手には、どろりと濃いコーヒーの入ったカップ。
 霧夜は、微苦笑を返した。
「先生に作ってもらうよりもずっと、材料に無駄が無くて安全ですから」
「ううむ、言ったな」
「言いますよ」
 近所の定食屋が休みで娘が外出していた時に、自炊しようとして鍋を二つ黒こげにしたのは、まだ記憶に新しい。
「なあ、俺もメシ!」
「先生、コーヒーにはミルクを入れて下さい」
「牛乳? あったかなあ、そんなもの」
「あります。貸して下さい、入れて持って行きます」
「むう」
「里香さんが呼んでますよ」
 たった三人しかいない寶医院の構成員のうちの一人は、寶の娘だ。娘と言っても秋衣の倍ほども生きているが、やはり元気な人だった。
 手招きする娘の姿に、溜息をつく。
「やれやれ。年寄りをこき使って」
「僕もすぐに行きます」
「ああ。急がんでもいい、と言いたいところだが、まあ、たのむ」
 コーヒーカップを取り上げられ、手ぶらで戻る寶から目を逸らすと、霧夜は早速、カップを持って身を翻した。
「なーあー、霧夜ってばー」
「呼んだか、羽澄」
 足を止めて振り返った霧夜の笑顔は、患者や秋衣たちに向けているものとは確実に違う、冷たいものだった。
 いくらか見慣れているはずの羽澄も思わず、何度も呼んだのにという言葉を呑み込んで、椅子から腰を浮かせかけていた。しかし、脇腹の痛みがそれを押し止める。
「や、あの」
「用がないなら呼ぶな。そもそも、どうしてお前がここにまで居るんだ」
 二人は、病室――と言っても、一部屋に寝台が三つとソファーが一つあるだけだが――にいた。羽澄が座っている椅子は隣から引っ張ってきたもので、寝台もソファーも、怪我人で埋まっている。
 それらの患者が音さえ立てないように気遣っているのは、昨日のうちに霧夜の性格を思い知ったか、今の不穏すぎる空気に恐れをなしたかのどちらかだろう。
 羽澄は、引きつった笑みを浮かべた。
「・・・俺の朝飯は?」
「ない」
「そんなあ」
 不満の声は子どもっぽく、椅子の背を前にして逆向きに座っていることもあって、図体だけ大きな子どもかのようだった。
 実際、早くに出掛けた霧夜を慌てて追った羽澄は朝食をとり損ね、実は昨夜も食べていなかったために、空腹に、思考も多少短絡になっている。羽澄にとって、空腹は理性の敵だ。
「恩人に対してそれはないよなー」
 拗ねるようにして、何気なく呟いた羽澄を、行きかけた足を止めた霧夜が睨み付ける。
「誰が。恩人だって?」
「助けただろ、今朝」
「そうか、あれを助けたというのか。割り込みさえなければ、怪我人もなく済んだはずなんだけどな」
 眼光が、一層冷え込む。もはや、氷点下二桁の域だ。
 今朝、診療所に向かう途中でたちの悪い酔っぱらいに絡まれた。そして、その男の持つナイフは、羽澄の脇腹に突き刺さった。
 いつもなら軽くあしらえたはずの相手に不覚をとったのは、やはり疲れていたのだろう。
 だが、傘を差していたのに、それで防ぐこともせずに、わざわざ身体を使って防いだのは――やはり馬鹿だ。どうしようもない大馬鹿者だと、霧夜は思う。
「霧夜、手を貸してくれ」
「はい」
 寶の声で、羽澄のことを意識の外へと追い出す。
 しかし、行きかけて足を止める。
「――残り物でいいなら、勝手に食べてろ。患者に何かあれば、すぐに報せるように。わかったな」
「おう。ありがとな」
 あまりに素直な言葉に、なんとなく、霧夜は釈然としなかった。

 その日の夜も、霧雨が降っていた。
 この町では、雨の降らない日の方が少ない。いい加減、汚れきった空気を伝って降る雨が体に良くないだろうことは判っているが、それでも、霧夜は傘を差す気にはなれなかった。傘が嫌いなのか雨に濡れるのが好きなのか、よく判らない。
 傘を差さない霧夜の隣を、やはり雨に濡れた羽澄が歩いていた。
「付き合うことはない。差せばいいだろう」
「いやまあ、俺もそう好きじゃないからな」
 差し出された傘をまるきり無視して、羽澄は、頭の後ろで手を組んだ。軽く目を閉じて、瞼に細かな雨を受ける。
 上下ともに黒の服を着て、茶のジャケットを羽織った羽澄は、その色ごと、この町に馴染んでいた。
 廃屋に見える崩れかけの建物にも、まず間違いなく人が住んでいる。ごみの散らばった汚い町角は、夜ともなれば灯りは乏しく、人身売買を行なう輩も闊歩する。いや、それは昼であっても大差はなく、軽犯罪まで数に入れれば、この町には犯罪者以外はいないかも知れない。
 拒むことはないけれど、優しく迎え入れてくれることもない。それは、よくある町の姿だった。
 それでも霧夜は、そんなこの町が嫌いではない。嫌いならばもっと楽だったかも知れないと思うが、そうはならなかった。生きることに必死で、そのくせ退廃しているような。そんな空気が、妙に愛しい。
「そういや、三谷のおやっさんの娘が行方不明なんだと」
 何気なく唐突に、羽澄は言った。
 三谷というのは、大きな組織の、半ばお抱え医者の名だった。羽澄も霧夜も、多少の面識はある。
「見事な金髪で、それは愛らしい女の子だとか。薫ってんだと」
 含みのある口振りに、霧夜は睨み付けていた。しかし羽澄は、口の片端を上げて笑っている。
「ついでにおやっさんも、このところずーっと、金城のところにいるんだよなあ。今までは、日に一度は家に帰ってたっていうのにな」
 にやにやと笑う羽澄の視線の先には、数人の男たちがいた。どれも、酔っ払いや、あるいは人身売買を目論むといった風ではない。見るからに、どこかの下っ端。
 霧夜は、苦々しく溜息をついた。
「お前の職業を忘れていた」
「あっ、何それ、酷いなあ。俺、今日はずっとお前と一緒にいただろ。相棒を疑うなんて、そんな子に育てた覚えはないぞ」
「昨夜か」
 軽口を無視して、霧夜は男たちを見据えた。
 周囲はぐるりと取り囲まれている。人数はあまり問題ではないが、もしも、秋衣たちにまで手が及んでいれば。がらくたを改造して、あの建物の周りはとりあえず守っているが、無事だろうか。何かあれば――羽澄といえど、ただでは済まさない。
 その気配を見取って、羽澄は口調を改めた。
「言っとくけど、俺、本当に何もしてないからな。俺の目論見は他にあるんだ。今は、こんなやつらは邪魔なんだよ。大体、お前の恨みを買うのだけはやめようって決めてるんだから」
「それを信じろと?」
「お前を怒らせたら、とてつもなく容赦がないって知ってなかったら、とっくに秋衣たち殺してでも、今の生活なんか辞めさせてる」
「――そうか」
「ああ」
 終始、淡々と言葉を交わして、二人は男たちに声をかけた。安っぽい挑発は、すぐに効果をあらわした。
「やっぱさー。復職しねー?」
「もう、顔向けのできないことはやらない」
 誰にとは言わない。言わなくても、羽澄はおそらく判るだろうし、判らなくても問題はない。
 霧夜が、本当に心底大切に想うのは、亡くなった姉と姪だけだ。五年前に失った、肉親。そうして、その喪失から引き上げてくれた秋衣や寶を、少なくとも自身よりは大切にしている。
 羽澄は、階段を上り終えた拍子に、一層、肩を貸している霧夜に体重をかけた。
「でもさー。俺、誰と組んでも長続きしないんだよな。なあ? 昔のよしみでさあ」
「無駄に喋るな」
 体調を無視して絡んでくる羽澄に言って、霧夜は戸を開けた。家に入るとすぐに、一旦羽澄を置いて、薬箱とタオルを探す。
 男たちを相手の立ち回りでは何事もなかったのだが、ついさっき、階段を上るときに足を滑らせて派手にこけ、羽澄の傷口が開いてしまっていた。元々、大きな傷ではないにしても、そう浅い傷でもないのだ。
「上がる前に、拭けよ」
「うん」
「お帰り――羽澄? うわあ、久しぶり。霧夜君と一緒だったの?」
 夕飯を作っていたらしい秋衣が、キッチンから顔を覗かせて、意外そうに首を傾げた。料理のために、いつもは下ろしている髪は束ね、紺のエプロンをつけている。
 羽澄は、それに気安い笑顔で応じた。
「おう、久しぶり。ん? そっちのちっこいのは?」
「ああ。薫、おいで。この人が霧夜君。薫をここに連れてきた人ね。そっちは、霧夜君の友達の羽澄」
「なんか、扱いに違いがある気がするけど?」
「気のせいでしょ」
 きっぱりと言いきられ、口の中で文句を呟くものの、秋衣の陰に隠れるようにして顔を覗かせた少女に、とりあえず、羽澄は笑いかけた。
 少女は、緑色の眼を大きく見張った。
「ユヅキ・・・?」
 少女の呟きに、瞬時、霧夜と羽澄が視線を交わす。しかし秋衣は気付かずに、少女を促してキッチンへと戻ろうとする。その際に、振り返って二人を見る。
「もう少し、時間かかるから。その間に着替えてよ、風邪ひくじゃない」
 咎めるように言い置いた秋衣と、一日足らずで秋衣になついたらしい薫とを横目に、二人はそそくさと奥の部屋へと向かった。   
 はじめは、そのまま入り口ででも手当をするつもりでいたが、話をする必要がある。玄関では、秋衣や薫に聞こえるかも知れなかった。
 一番奥まった部屋、寝室で、タオルを敷いて羽澄を座らせると、薬箱を開けた。「薬箱」とは呼ぶものの、実際には、ある程度の手当ができるだけの器具類も入っている。
「なあ。なんで、あの嬢ちゃんが弓月って名を知ってるんだ?」
「昔、三谷から仕事を受けただろう。そのときに、姿を見られたんじゃないか」
「じゃあ、やっぱり三谷薫って、・・・!」
 ぶつけた拍子に傷口に入り込んだらしいガーゼを引き剥がし、消毒液をかける。羽澄は、悶絶した。
「おまっ、わざとッ!?」
「涙目になってる」
 勿論わざとなのだが、霧夜はさらりと指摘した。その上で、動くな包帯が巻けないと言う。
「しばらくは、大人しくしていろ。なるべく動かずにいるんだな。傷が広がりかねない」
「そんな、折角面白そうなことになってるのに!」
「自業自得だ」
「足が滑ったのは俺のせいじゃない! 強いて言えば雨のせいだ!」
「日頃の行ないが悪い」
 きっぱりと断言されて、羽澄は泣き真似までして見せたが、霧夜は一向に取り合わない。ちくしょうぐれてやる、と呟くと、それ以上どうやってと、冷たく返された。  

 その夜、霧夜の部屋には大量の酒が運び込まれた。
 夕食後、霧夜の忠告を無視して外出した羽澄が、大量に持ち帰ったものだ。よくも一人で運べたものだと、感心しそうになって、霧夜は自分に溜息をついた。そういう問題ではない。
 突然の酒盛りに、秋衣も参加したがってはいたが、薫がいるからと渋々と諦めたようだった。
 壁とベッドの側面をそれぞれ背にして、二人は、床に座っていた。それぞれの手には、酒の入ったコップ。
「なんか、三谷のおやっさんが大きな秘密抱えてるって話だったんだよなあ。それ探ってたんだけど、娘がこんなとこにいるとなると。捕まってんのかな」
 無色の蒸留酒を水のように呷りながら、羽澄は軽く天を仰いだ。
 その向かいで、半ば無理矢理持たされた酒を嘗めながら、霧夜は無言だ。
「これは、あれだよなあ。下手したら、もう生きてないな」
「いや。まだ大丈夫だ」
「何を聞いた」
 まるで当然のように言う。やっと話す気になったかと、そう言いたげな表情を、いくらか悔しく思いながらも、霧夜は酒を呷った。
 一人で何もかもできるほど、霧夜は強くない。五年前に感じた無力はそのままで、今もまだ、あの頃の闇を引きずっている。
「――確認はしてない」
「この状態で裏までとってたら、俺、情報屋の看板下ろさなきゃだぜ? いいから、言ってみろ」
 悪までか類の利の羽澄に、ふうと、霧夜は息を吐いた。
「三谷は、何か組織に必要な情報を隠したようだ。引き渡す代わりに、金を要求した」
「あの人が? 金?」
「裏取りはお前の仕事だろう。それにおそらくは、三谷は自身の身の安全は求めていない。金というのも、目眩ましの可能性の方が高いだろう」
「嬢ちゃんのため、か――」
 揃って、息を吐く。
 期せずして、二人は同じ場面を思い出した。まだ、思い出にできるほどは遠くない、過去。
 二年ほど前まで、二人は組んで仕事をしていた。情報屋やスパイの真似事もしたし、必要であれば殺人も厭わなかった。わずか一年ほどで、それなりに信頼も得ていた。
 丁度、基盤が固まってきた頃に、二人は三谷からの依頼を受けた。それは、娘の――つまりは、薫の――母の殺害だった。
 薫の母はありふれた売春婦で、三谷との付き合いはあったが、薫の父親が本当は誰なのかは、判らないような状態だった。それでも娘として引き取り、育てた。押しつけられたのだ。それが、急に引き取ると言い出したのだった。
 愛情からであれば、三谷も違った手段を執っただろう。しかしその女は、偶然に見た娘が見栄えのする容姿であることを、使えると、金になるととったのだった。
 あれなら高く売れる。その言葉が、三谷に決断させた。そんな女が母だと、知られてはならない。
『私は、卑怯なんだよ。売春婦の死なんて、珍しくもない。捕まることだってないだろう。それでも――直にあの子の母を殺して、これまで通りに笑いかけることなんて、できない』
 懺悔するようだった言葉は、罪を押しつけることとなった羽澄と霧夜――弓月と遠夜へ宛てたものだったのか、自分を納得させるための独白だったのかは、今でもよくわからないでいる。
 クスリや生活の不摂生でぼろぼろになっていた娼婦の死は、よく降る雨のように、すぐにも人々の日常に紛れた。
 しかし、もしあの場を薫が見ていたとしたら。幼い少女は、それを日常とすることができただろうか。父が母を殺す依頼をしたことに、何らかの納得をしたのだろうか。
「ん? ちょっと待て、それでなんで『大丈夫』なんだ?」
「あの子が追われているからだ。まだ、人質の価値があるということだろう? さっきの男たちも金城のところの構成員だし、昨日会ったときにも追いかけられていた。よく無事だったと、むしろそういう状況だったな」
 相変わらず淡々と告げる霧夜を、羽澄は恨めしげに睨み付けた。
 このあたりから、二人の手酌は早くなっている。会話の合間に飲んでいるのか、飲んでいる合間に話をしているのか。
「それだけ判ってて、なんで俺を疑うかな」
「昨日の奴らはきっちり撒いたはずだったから。つい」
「場所で張ってたんだろ。ったく、そんなに相棒を疑うかよ」
「悪かった」
「おう。しっかり謝って反省してもらおう」
「しかし、疑われる羽澄の過去の行ないにも責任はある」
「なにぃ?」
「リゼル邸で、お前が勝手に囮にしたせいで、大変な目に遭った」
「だってあれは、俺の方には喰いついてこなかったし。大体、ちゃんと一言いっただろ」
「ああ。本当に一言で、しかも直前だったがな」
 昔のことも交えながらの話は、尽きない。学校に通っていた頃の話まで持ち出すと、いよいよ収拾がつかなかった。しかし不意に、羽澄が鋭く視線を投げかけた。
「で、どーするよ?」
 深く関わるつもりがないのなら、早々に手を引かなければ巻き込まれ、抜き差しならなくなる。そんなことは俺以上に判っているだろうと、わざわざ言い添えるのは、秋衣のために仕事を辞めた霧夜への、くだらない嫌味だ。
 霧夜の返答はなく、ただ淡々と、杯を重ねる。羽澄もそれに付き合うが、こちらは、色々と賑やかに言葉を連ねる。
「なあ。俺、他の奴と組んでも長く続かないんだって。ガッコからの付き合いじゃないかよ。なー、きりやー」
 ごねたり説得を試みたり、笑い話をしたり。
 それもやがては静かになり、その頃には、酒瓶はほとんどが空になっていた。羽澄は、ベッドに寄りかかったまま眠ってしまっている。
「・・・お前のことは嫌いじゃないけどな」
 嫌いだったなら、もっと簡単だっただろう。この町に対するのと似た想いが、胸を突く。嫌いであれば、ただ切り捨てて、顧みなければいい。それができないから、厄介なのだ。とても。
 残りのコップの中身を飲み干すと、立ち上がる。と、よろめいて壁に手をついた。頭はそれなりにはっきりとしているのだが――その自己判定も、あんな独白を吐くようでは怪しいが――先に、足に来たようだった。
「こんなに飲んだのは、久しぶりだしな・・・」
 面倒になって、そのまま腰を下ろす。立てた片膝を抱くようにして、そっと目を閉じた。明日、起きると体が痛いだろうがまあいいかと、思う。やはり、酔っているのだろう。

<三日> 

 翌朝、過去を詰め込んだ夢から抜け出た霧夜は、いつものようには体が動かないことに愕然とした。焦りを覚えながら瞬時に、全身と周囲の状況を確認して、溜息をつく。その間に、夢の残滓はすっかり抜けて、夢を見たことさえ、ほとんど覚えていなかった。
 ここは自分の寝室で、酒盛りをして眠ってしまったのだと、息を吐く。酒の残る息に、わずかに顔をしかめた。
 体が動きにくいのは、昨夜の酒が残っていて怠いのと、座ったまま眠ったせいで、体が強張っているだけのことだ。
「よお。目、醒めたか」
「・・・・・・起きてたのか」
 一足先に目を覚ましていたらしい羽澄に、霧夜は気まずいかおをする。
「習慣ってのは、どうしようもないって」
 笑って、わざわざ言わなくてもいいことを言う。嫌味な奴だと思いながらも、背を向けたはずの諸々がまだ身近なようで、一層、気まずくなる霧夜だった。
 今度は苦笑して、羽澄は、うーんと背伸びをした。
「まあそれはおいて、朝飯でも作るか。あの二人は、まだ寝てんだろ?」
「あの・・・起きてます」
「へ?」
 心なし、ぎこちない動きで二人が揃って顔を向けると、部屋の入り口に薫が立っていた。さすがに戸が開けば気付くはずだから、ドアも開け放していたのだろう。いくら屋内とはいえ無用心だったかとも思うが、もう遅い。
 戸口の少女は、申し訳なさそうに佇んでいる。
「秋衣さんは、まだ眠ってますけど」
 付け加えて、一度、薫は深呼吸をした。思いつめたような、真剣な表情が際立つ。
「トオヤさんとユヅキさん、ですよね・・・? あの。助けてもたって、お世話になって、あつかましいとは思います。でも、でもわたし・・・」
「薫ちゃん。先に、ご飯にしない?」
 穏やかに。酒瓶の林立した部屋で、軽く二日酔いの残る体で、霧夜はそう提案した。少し躊躇いはしたものの、薫は、こくりと肯いた。
 その隣で、羽澄はそっと溜息をついた。これはもう、受け容れる気だなと。
「なあなあ、霧夜」
「何だ?」
「こうも簡単に入れるのは問題だぞ」
 同じことを考えていたのかと、少し意外に思った霧夜だったが、続く言葉を聞いて、思わず殴りつけていた。
「秋衣がいつか夜這いしてくるぞ、きっと」
 派手に吹き飛んだ羽澄に、薫は、驚いて目を丸くした。

「じゃあ、行って来ます。薫、いじめないでよ?」
「なんで俺だけに言うんだよ」
「だって、霧夜君がいじめるわけないじゃない。あ、そろそろ食べるものなくなってきたから、帰りに買って来るわね」
 そう言って秋衣は、一日ぶりに出掛けて行った。行く先は近所の食堂で、秋衣はそこで働いている。昨日は薫のことがあって急遽休み、今日も休むつもりでいたのだが、薫はすっかり落ち着いているし、羽澄と霧夜が残るということで、出勤することとなった。
 そんな秋衣を送って部屋に戻ると、空気が張り詰めていた。
 羽澄は変わりないのだが、薫が緊張しているのが明らかに判る。霧夜は、わずかに苦笑した。
「もう少しだけ、待ってもらえる?」
 反射的にか、びくりと身をすくめた薫が、おずおずとではあるが肯いたのを確認して、薬缶を火にかける。戸棚から紅茶の葉を取り出して、カップも三つ、用意する。
「先に言っておくけど、僕たちはもう廃業したんだ。だから、十夜や弓月という名も捨てた。それをわかった上で話してほしい。当然、頼まれたからといって、期待通りのことをできると思われては困る。いいね?」
 やんわりと、拒絶しているとも取れる言葉だった。
 それから、お茶を淹れた霧夜が椅子に座るまでの間、空間は沈黙で満たされていた。
「それで?」
 湯気の上がるカップをちらりと見て、羽澄は声を出した。だが、返事はない。
「三谷薫ちゃん。俺らが廃業したってことで何を話せばいいのか判らなくなってるなら、とりあえず全部話せばいい。秘密は守る。その要求を断るかもしれないとだけ、理解しててほしい。仕事をしないなら話せないというなら、それはそれでいいと思う。他の奴の紹介くらいならできるぜ」
 わずかにうつむいて黙っている薫に、羽澄は、紅茶を飲んで続けた。
「ついでに言うと、探されてるぜ、薫ちゃん。親父さんは頑張ってるみたいだな」
「・・・何を・・・知ってるの・・・」
「俺は、情報扱ってるからな。身内に係るものなら、調べないはずがないだろ。どう転ぶかも判らない異分子なら、当然」
「異分子・・・」
 幼い顔が、更に青ざめる。
 羽澄は、嘘はついていないが、全てを真正直に告げているわけではない。昨日一日、ほとんど霧夜に張り付いていたようなものなのだから、何か使えないかと、漠然と手に入れていた事前収入の方がずっと多い。ただ、手持ちの札を入れ替えて示して見せる。それだけのことだ。
 霧夜は、貼り付けた笑顔を崩さない羽澄を、ちらりと盗み見た。
 一時的にでも傷つけずにすむ言葉を知りながら、敢えてその逆を択ぶ。それは、羽澄の自他への厳しさと強さ、それと弱さとをまとめてさらけ出す行為で、いつも霧夜は、胸を押さえつけられるような、無形の圧迫感を覚える。それが何に起因するのかは、未だに解らないのだけれど。
 話運びは羽澄に任せ、決定は霧夜に委ねる。それが今回、羽澄が協力する条件だった。
 本来なら振り払わなければならない手を取ってしまったのは、甘えと知っていた。
「・・・それなら」
 ぽつりと呟くように言葉を押し出して、薫は顔を上げた。翠の瞳は、意を決した者特有の光を帯びている。
「私が知ってるだけぜんぶ、話します。それで、私と父の命を、助けてもらいたいんです。むりなら、誰か紹介してもらえますか?」
「いいんだな?」
「はい」
 羽澄は、きっぱりと言ってのけた薫の、手元でかすかに波立つ紅茶の表面を、面白そうに見やる。霧夜もそれに気付き、口元がわずかに緩んだ。この少女は、強い。
 促されると、こくりと頷いた薫は、話をはじめた。
 話は、数日前へと遡る。
 その日の朝、薫はとりあえず二人分の食事を用意して、一人で朝食をとっていた。夜のうちに父が戻った様子はなかったが、それでも、日に一度は食事に戻るため、二人分を用意するのが常だった。不用であれば、別の機会に回せばいいだけのことだ。
 しかしその日、帰ってきた父は、いつもとは違っていた。
『いいか、薫。東地区の梧桐という家に行きなさい。名前を言えば、わかってもらえるはずだ。二度と、ここには戻るんじゃない。できるな?』
 薫が理解するよりも先に、父は小さなカバンを手渡した。そのときになってようやく思考を再開した脳が、何故と疑問を紡ぎ出す。
『――私は、もう足を洗うつもりだ。薫、お前を愛しているよ』
 それが別れの言葉だと気付いたのは、どうやってか言われた場所にたどり着いた後のことだった。
 東地区で待っていたのは、この西区とは中央区を隔て、比較的治安のいい場所に暮らす、温和な初老の夫婦だった。昔、父に命を救われたのだと感謝する二人は優しかったが、薫は、そこを抜け出した。
 二人が話すのを漏れ聞いた。父が何かを盾に金を要求し、そしてそれは、自分のためなのだと。
 そこまで話すと、薫は、再び口をつぐんだ。
 それは、霧夜が出会ったときにうわ言のように呟くものを漏れ聞いた内容と、大差ない。羽澄としても期待したものは得られなかったようだが、淡々と、どうすると、目線を向けて来た。
 一度、それを遮るようにゆっくりと、瞬きをする。
「わかった。僕にできるだけのことをしよう」
「それじゃあ――」
「ただし、幾つかの条件を飲んでもらう。それができないようなら、僕は動かない。いいね」
「はい」
 肯く薫は半ば涙ぐんでいて、霧夜は、重く息を吐いた。呆れ顔の羽澄も視界にあるが、敢えて無視を決め込む。
「まずは、君はすぐにここを出ること。東地区まで連れて行くから、とりあえずは、そこで身を隠しているように」
「はい」
「次に、時間がかかることをわかってほしい。一月や二月はかからないとしても、今日明日で片のつくことじゃない」
「・・・はい。わかります」
「それと、君のお父さんの命を助けられたとして、君と再会できるのかはわからない」
 さっと、表情の消えた顔を一瞥し、霧夜は先を続けた。
「助かったところで、金城からは追われるだろう。君がいれば、足手まといになる。それぞれが生き延びることを考えれば、分かれた方がいい。判断は、三谷さん――君のお父さんに任せる。それでいいなら、依頼を受けよう」
 そう告げると、少しの間、沈黙が下りた。

<四日>

「むかつくほど善人だな」
「誰が?」
 上下を黒で揃え、手袋まで黒い。そんな格好で、霧夜は羽澄を振り返った。羽澄の格好も大差なく、違うと言えば、霧夜のように生来黒くない髪と瞳と、上着がかかとに届くほどもありそうなロングコートというくらいだろう。
 霧夜の上着は身に合ったジャケットで、羽澄のそれは、動くには邪魔に見える。実際、邪魔だ。しかし、当の羽澄は、風になびく黒コートは殺し屋の基本だろ、と言うのだった。
 羽澄は遠慮なく、黒革の手袋で包まれた指先を、霧夜に突きつけた。
「誰がって? お前以外に誰がいるよ、え?」
 半ば冗談で半ば本気のような言葉に、霧夜は軽く自嘲した。
「善人だったら、まだこんなところにはいないよ」
「善人は生き残れない、って?」
「そう。言ったのは、そっちだろう」
 数年前、学校で交わした会話を思い出して、揃って苦笑した。学校に行けるのは、それだけの財力があるからで、それなりに未来の保障はあったはずだった。こんな今日が来るとは、本気では考えていなかった。少なくとも、霧夜は。
 しかし、それをすぐに収めて、目線を交わす。
 行く前のそれが、一気に過去へと時を戻す。ふっと、軽く眩暈を覚えたが、先に打ち破ったのは羽澄だった。
「じゃあ――っと、ゴーグルゴーグル。あれ、なんで俺が二個とも持ってんだ? ほら。地図は持ったな?」
「誰に言ってるんだよ、羽澄じゃあるまいし」
 羽澄から手渡された、色は濃いのに視界はそう変わらない特殊なゴーグルをかけながら、霧夜は口元に笑みを浮かべた。
「そっちこそ、迷子になっても助けには行かないからな?」
「いらねーよ」
「言ったな?」
「おうよ。迷ったら、自分で何とかすらぁ」
「迷う可能性はあると、認めたわけだ」
「・・・まあ、そういうことにしといてやる」
 言葉を投げ合う二人の口調は軽く、どちらも、口元は笑みにほころんでいた。
「じゃ、後でな」
「ああ」
 短く、一時の別れを告げると、霧夜は、羽澄に背を向け、慣れ親しんだ闇へと入って行った。

 薫に告げたことは、嘘ではなかった。しかし、嘘になるかも知れないとは、思っていた。
 薫が父親と別れてから、二人が話を聞いた時点で、すでに五日ほどが過ぎている。薫を探してはいたが、悠長に判断を見送るよりも、行動に移すだろう。
 そこで二人は、あの後すぐに動いた。
 霧夜が薫を梧桐という家に送り届け、羽澄は情報収集に回る。夜には、霧夜が梧桐夫妻から聞いたことや羽澄の集めた事象などを照らし合わせ、作戦を練る。翌日には、霧夜は午前のみ寶医院で働き、仮眠をとって夜を待った。
「――始まったな」
 口の中で呟いて、霧夜は、身をひそめていた廊下の隅から、研究室の中へと体を滑り込ませた。服は着替えて、警備の者の分を借りている。
 室内の者が、わずかに困惑したような眼差しを向けたが、口元を覆うマスクで顔の下半分は隠してある。いつもより、低い声を出す。
「地下が襲撃されました。念のため、避難ブースへの移動をお願いします」
「襲撃?!」
「敵は少数です。避難は、万全を期してのことです」
 先ほどから、地下から聞こえる音と連絡の取れない通信回路に浮き足立っていたのだろう。数人いた研究者たちは、慌てながらも素直に、研究品や資料に鍵(プロテクト)をかけると、一階までの退路に通じる隣室へと姿を消した。
 霧夜はすぐに、隣へとつながった扉に鍵をかけ、服を着替えても移していた発信機のボタンを押した。これで、羽澄に連絡が取れたはずだ。
「・・・派手な・・・」
 手近なパソコンの鍵(ロック)を解除してデータベースを洗い出しながら、絶えず階下から聞こえる音に嘆息する。
 三谷の身柄奪回を受け持った羽澄は、好きに暴れているようだった。いや、出掛けに金城の対立組織を煽ってきたから、そちらの方かもしれない。何にしても、後々まで禍根を残すほどに暴れなければいいがと、少しばかり気にかける。
 しかし、火事は起こしてもらわなければ困る。拾ってきた死体を、三谷に偽装する手筈は、すでに整えてあるのだ。
「これか」
 厳重に鍵(プロテクト)のかかったファイルを見つけ出し、鍵を解除して書き替える。満遍なく置き換えると、消去する。そうして、次のパソコンに移る。
 次からは、予め用意しておいたプログラムを読み込ませるだけで済んだ。ファイル名さえ判れば簡単だ。ネットワーク化されているものはそのプログラムに任せ、孤立しているものを片端から替えていく。
 それが済むと、今度は棚や机の書類を調べて、パソコンで消したファイルの関連物を手早く集めた。
 全てを終えると、もう一度、ポケットから小さな機械を出して、押す。赤く光ったのは、羽澄からの応えだ。
 今のところは、順調だ。
 三谷を連れ出して、代わりの死体を火をつけて燃やす。その一方で、三谷が隠していた情報(データ)――新しいヤクの生成法を記したものを破棄していく。三谷が、その方法を世に出すつもりがないと確信してのことだった。もっとも、これは思い込みかもしれない。
 研究室を出たところで、足を止めた。
 廊下は、静まり返っている。地下の騒動は収まったのか、人の声もしない。火をつけたら適当に逃げるとは言っていたが、巻き込んだ競争相手も逃げたのだろうかと、思う。
 ごく自然に視界に入ってきたスーツの男に、霧夜は息を吐いた。
「――是非、お会いしたいとのことです」
「だと思いました。上ですか」
「こちらへ」
 淡々と言葉を交わして、霧夜は男の後に従った。

「久しぶりだね、霧夜君。この間は、私の部下が失礼をした」
 二人きりの最上階で、霧夜は無表情に、相対した初老の男を見返した。男の言葉に棘はなく、いくらか淋しげでもあった。
「ご無沙汰しています。お元気そうで」
「君も元気そうでよかったよ。――今は、診療所で働いていると聞いていたのだがね」
「ええ。先生が、とても良い方なので」
 嘘をつくつもりはない。しかし、素直に全て話すつもりも、全くなかった。
 金城慎次は、霧夜の義理の兄にあたる。霧夜の姉が金城と結婚したのが、十数年前のことだ。霧夜が姉やその娘の愛とともに過ごしたのは数年のことで、その間と寮制の学校に通っている間は、霧夜も金城の庇護下にあった。――いや、それは今もなのかも知れない。安全な生活は、後ろ盾があってのことなのかもしれなかった。
 五年前。姉と愛が金城を恨む者に殺された。
 その後も、金城は面倒を見ると言ってくれたが、その手を払ったのは、霧夜の方だった。
「ああ・・・評判は良いようだね」
「はい」
「・・・また、顔を見せに来てくれると嬉しいよ」
 返事はせず、一礼して背を向けた。
 妻を愛し、子供を慈しんでいた男が思い出を共有するのは自分だけで、だからこそ哀しげな顔をするのだと知っていた。幸せだった時間を思い出すのは霧夜も同じだが、諦め懐かしむには、強すぎた。
 霧夜は今も、姉と姪を喪ったと知ったときの絶望と、金城と己へと向けた憎悪を、鮮やかに思い出せる。二人を護れなかった憎しみは、どうやっても打ち消せなかった。
 建物を出るとすぐに、霧夜は変装に着ていた服を脱ぎ捨てた。夜気は細雨を含んで重く、脱いだ下に来てた黒のシャツも、すぐにじとりと重くなった。草叢にひそませていたジャケットは、元の倍以上には重く冷たく、着る気にはなれない。
「・・・どうせなら、一気に降ればいいのに」
「ああっ、やっぱりこんなところで黄昏てる!」
 三谷をつれ、とうにこの場を離れているはずの羽澄の声に、霧夜は慌てて顔を背けた。
「こっちこっち」
 羽澄は木の下で手招きをしており、霧夜は渋々とそれに応じた。実際のところ、建物を出たばかりの遮蔽物のないところに立ち尽くしているのは、無用心に過ぎる。
「あれだけ言っといて、お前のが迷子になるなんて手に負えないよなー?」
「・・・迷子になったわけじゃ・・・」
「素直に、暗くて迷ったって認めろよ」
 一歩先を行きながら、小声なのにはっきりと聞きとれる声は、からかうように明るい。
 その「距離」に、音もなく荒れていた心の内が、少しずつ穏やかさを取り戻していく。剥き出しになっていた感情が、徐々に収まっていく。
 金城の本拠地から十分に離れ、一時的に三谷を隠した倉庫にたどり着いたときには、霧夜は大分調子を回復させていた。そして何故か、話題は「どっちがコントロールがいいか」になっていた。
「よし、こうなったら決着着けるぞ。銃を二挺用意するから、逃げるなよ」
「射撃の腕とコントロール力とは違わないか? 小石でいいだろう」
「じゃあ、両方。それで文句ないな?」
「そこまでして負けを認めたいというなら、止めはしないよ」
「言った――何してんだ、おっさん」
 言い合いを止めることなく倉庫の扉を開けた羽澄と霧夜は、一斗缶を振りかざした三谷の姿を、呆気に取られて見やった。
 返事はなく、硬直して一斗缶を持ったまま動かない中年男と、お互いとをちらりと見て、二人は溜息をついた。
「説明が足りなかったんじゃないか? ――下ろしますよ。手を離してください」
「ちゃんと言ったと思ったけどなあ。――おっさん、先言っとくけど俺ら、銃もナイフも持ってないからな」
「お前のちゃんとはあてにならない。――とりあえず、座りませんか?」
「うわひどっ、そんな風に見てたなんて。――座れよ。立ってて疲れないか?」
 気軽に会話を続けながら、扉はすぐに閉め、一斗缶も遠ざける。ランタンに火を入れると、羽澄と霧夜は、適当に中身の入った麻袋を引っ張ってきて、その上に座った。
 一人立ち尽くしていた三谷は、二人から促されるに至ってようやく、不恰好に腰を落とした。糸を切られた人形のようだった。
「さくさくっとまとめると、自殺するか逃亡するかしたくて、俺を気絶させようとしたけど、予想外に二人いてしかも気付かれて――気付くも何もないけどな、あれじゃ――うわあどうしよう、って状況だったって思っていいのか?」
「色々余計」
「うるさいなあ、間違ってはないだろ。な?」
 二人分の視線と羽澄の呼びかけを受けて、三谷は、息を吐いた。気の抜けたそれが、気の抜けた笑いになる。
「思い出した。――君たちだったのか」
「・・・それも、言ってなかったのか」
「あー・・・そういやそうだったような。薫ちゃんに頼まれたってのは言った、ぞ?」 
「やっぱり、全くあてにならないな」
「くっ」
「気付かなかった私が悪い。彼を責めないでくれないか。ええと――十夜君、だったかな」
 どこか、諦めたように笑う。
 視線の先に、誤魔化すように笑う羽澄を捕らえながら、霧夜は仕方なく肩をすくめた。勝手に拝借した倉庫は、鍵も閉めてあるからとりあえずは大丈夫だろうが、無駄に時間を使うのも馬鹿げた話だ。
「そっちの君は、弓月君、だったかな。娘に頼まれたというのなら、まさか、あの子が<夜>に依頼をしたというのかな・・・<夜>は、消えたと聞いていたが・・・」
 捨てた名前には触れず、羽澄はにこりと笑った。
「万屋の<夜>は消滅したけど、小さなお嬢さんに頼まれて臨時復活でね。感謝なら、無鉄砲なお嬢さんと、お人よしな俺にしてくれよな」
「お人よしじゃなくて、お祭好きなだけだろう」
「まー、あえて否定はしないけどー? 女じゃなくって女の子に弱い奴に、言われてもへこまないしー?」
 拳を握りしめるが、ぶつけずにおく。姪の姿を重ねてしまい、子供に弱いのは事実だ。それに何より、ここで引っかかると、また話が逸れる。
 文句を溜息に押し込めて、霧夜は三谷を見据えた。
「余計とは思いましたが、新薬のデータは消しておきました。書き換えてから消したので、復元しても誤魔化せると思いますよ。書類も、判る範囲では燃やしました。研究室の他にも残っていたのであれば、不十分ですが」
「いや、私の知る限り、持ち出していないはずだ。この数日の間に動かしていたら判らないが。――ありがとう。凄いな、君たちは。そんなことまで知っているなんて」
「あのデータに鍵をかけたのは、あなたですね?」
 三谷は、霧夜の言葉に、自嘲するように笑った。
「ただのお抱え医師の私が、そんなことをしたのは意外かな」
「あんたは元々、研究者だろ。どっちが本業だっておかしくない」
「全てお見通しか」
「調べたわけじゃないけどな。たまたま耳に入っただけで」
「依存が、これまでの物よりも格段に強い。知らせることを拒んで殺されるなら、いっそ賭けに出ようと思ったんだよ」
 そこで、羽澄が首を傾げた。
「そもそも、新薬の発見だか何だかを知らせなかったら良かったんじゃないのか? 秘密裏に消しとけば、問題なかっただろ?」
「無理だよ」
「なんで?」
 三谷ではなく霧夜からの応えに、羽澄は、少し頬を膨らませた。幼い仕草に、思わず微笑がこぼれる。
 それで一層、むくれる羽澄だった。霧夜は、軽く肩をすくめる。
「全てのパソコンに、大なり少なり同じ物が入っていた。共同の研究で、あなたが早くに見極めたというだけの物でしょう?」
「それだったら、どの道発見されるんじゃないか」
「だから、全てに鍵(ロック)をかけて先に進みにくくさせて、自分は取引できるほどの情報を持っていると思わせたかった。違いますか?」
「なんだってそんな面倒なこと」
「それでとりあえず、開発は遅れるからな」
「でも、無視して進められたら――別にいいのか。引き伸ばしには失敗したけど、そもそもは変わらないわけだし」
 なるほどねと呟く羽澄に、霧夜が肯く。三谷は、そんな二人を、半ば呆然と見ていた。
 そうして、クッと笑う。
「とんでもないな、君たちは」
「それはどうも」
 期せず声が重なってしまい、霧夜と羽澄は、厭そうに顔を見合わせた。

<数日後>

 今日も忙しく、霧夜は働いていた。
 この数日というもの、わすかながら、いつもより患者が増えていた。その増えた分は負傷者が多く、人数に比べて、いささかせわしくなった。
「今まで来なかった顔が増えたなあ。気付いてたか、霧夜」
「はい。金城のところの構成員が流れてきていますね。何かあったんでしょうか」
 シーツやガーゼを取り替えている里香の代わりに器具を煮沸消毒しながら、霧夜はさらりと言ってのけた。嘘はついていないし、そういったことを表に出さないのは、慣れたことだ。
「ああ、金城のところか。あそこはたしか、立派なのが一人いたはずだがなあ。どこかいっちまったか?」
「そうですね。とりあえず、千客万来でいいんじゃないですか?」
「うーん、どうせ儲けなんて少ないんだ、もう少しのんびりした方がいいなあ」
「里香さん、次の方をお通ししてください」
「はーい」
 おい霧夜、里香、と寶は恨みがましく言うが、霧夜どころか里香も取り合わず、待たせていた患者を呼びに行く。むう、と老年医師は口を曲げて、霧夜を軽く睨みつけた。
 いつもは眠たげな目も、眼光が鋭くなると貫禄めいたものがある。しかし霧夜は、素知らぬ顔で、消毒を終えた器具を片付ける。
 寶は不意に、にやりと笑った。
「霧夜」
「はい」
「お前も、しばらく助手をしているな。どのくらいになる?」
「大体二年ですが・・・それが?」
 にやり、と。
「今日の診察はお前にたのむ。厄介なのは、わしが見てやらんこともないがな」
「・・・先生?」
「なあに、向こうにいる。じゃあ、任せたぞ」
 宝は、腹痛を訴える患者を連れた里香と入れ替わりに出て行ってしまい、霧夜は短く溜息をついた。少し驚いたような里香に肩をすくめて見せると、腹を括った。
 向かいに座った青年に、にこりと笑いかけた。
「どんな風に痛いか、具体的に教えてもらえますか?」
 穏やか――ではないかもしれないが、そこには、日常があった。


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 ありえねーだろッ、と、言いたくなるくらいに都合のいい展開ですねー(自分で言う)。
 あと十年くらいして、その気があれば書き直したいです。はい。
 これはあと、秋衣と羽澄を中心にしたものがあって、全三部なのですが。ここでつまづいて先が書けないという事態に。

2006 年 2 月 9 日 流離ってきました

 「さすらう」って「流離う」と表示するのですねー。しらなんだ。

 さて、本屋に行って図書館に行って古本屋回ってきました。風が冷たいですねー。
 色々とうっかりとして帰って来たり・・・。目的の大半はこなせたけどさ。
 青春十八切符は春は売り出されたっけ、という確認と、京都の旅行雑誌の入手を忘れてきました。むしろ、こっちを主目的に持って行った方が良かったのじゃないかという内容です(爆)。
 古本屋は、結構収穫があって楽しかったのですが。

 ところで、一度ある程度の分量を書いた紙を、やはり紛失したようです。心当たりのとこは全部探したけどない。間違えて捨てた?
 当面書かないけど終わってないやつ、ってことで、二作分、どこかにまとめてあるはずなのだけど。おかしいなあ。
 仕方がないから、今打ち込んでいるところから先、書き直しかなあ。分量はそれほどではないから、できないことはないけど。あー、面倒ー。だけど、日本の昔話やら伝承やらの本を読み出すと、あの話を書きたくなってしまうので、何とかしたいのですが。むぅ。

 ああでもやはり、「書きたい」よりも「読みたい」の方が勝りますね。というよりも、家で書く習慣がないだけか?(今までは講義や授業の最中)

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 「 明日への帰還 」

 願えるものならば 僕のいない明日を

「ドクター? 生きてるか?」
「死んでたらまず、君のところに出ていってあげるよ。嬉しいだろう?」
「げ」
 瓦礫を無造作に放り投げながら、リライは器用に首を竦めた。
 その隙間から、眼鏡に白衣、おまけに優面という、「いかにも医師」の外見の男が見える。さすがに、瓦礫のせいで砂埃を被っている。顔も、いくらかは傷があるようだった。
「空恐ろしいこと言ってっと、このまま放置していくからな!」
「おや。そんなことをしたりしたら、トウェイに怒られると思うけれど?」
「襲撃で、ドクター・アデルはつぶれてましたって報告しとくよ」
「・・・まあ実際、いつ死んでもおかしくないしなあ。あ、こら、もっと丁寧にしなさい」
 どれから除けたら崩れないか、埋まっているアデルが安全かを考えもせず、手当たり次第に瓦礫を投げ捨てていくリライに、アデルは顔をしかめた。だがそれを、少年が気に留めることはない。
 ところが、全身の現れたアデルを見て、リライは絶叫した。
「バッカやろーッ!!」
 甚だ不名誉な評価は、砂埃を押しやる風に負けず、長々と尾を引いた。

 人通りの多い廊下の片隅で拳を喰らった頭をさすりながら、リライは、昼飯にありついていた。太陽は既に、本日の最高位置を下り、落日を目指して傾いていっている。余暇と豊富な資源があれば、お茶を楽しんでいる時間だ。
 しかし、リライの手元には、パンが二つとスポーツドリンクが一本。ついでに、人通りの多い廊下は少しばかり埃っぽい。
 せめて、もう少し落ち着ける場所で食べたいところだが、奇襲にあったアデルの診療所の他にも、被害を受けたところが多発しており、広い空間の場所は臨時会議室や作戦室、救護室に化けてしまい、かといって自室に戻るのも面倒だ。慣れたことと、微小の埃くらい、あっさりと無視してしまう。
 廊下を通る人々に半ば呆れられ、苦笑やからかいの言葉を向けられながらも、リライは無言で食事を続けた。リライはよく、「お前が静かなのは黙っているときだな」と言われる。この基地で生まれ育っただけに、通り掛かる大半が顔見知りだ。知らない顔は、臨時で訪れている者なのだろう。
「あ、リライ! こんなところで何やって・・・お昼、まだだったの?」
 最後の一切れをよく噛みながら、肯く。声の主はリライの良く知る少女で、物を食べながら喋ったら殴る、という方法で、食事のマナーを叩きこんでくれた一人でもある。
 キョウコは、苦笑してリライの頭を撫でた。二人は同い年のはずなのだが、よく、キョウコはリライを子供扱いする。口の中のものをすっかり飲み込むと、リライはそれに抗議するかのように、キョウコの手を掴んだ。
「俺に何か用? これから、西の邑に行かなきゃならないんだけど」
「知ってる。私も行くの。一緒に乗せて行ってくれるでしょ? でもその前に、ドクター・アデルが呼んでるわ。行きましょう」
「はあ? なんでおれが?」
 思い切り、顔をしかめる。
 ここの優秀な医師であるアデルの腕を、リライも認めてはいるし言葉に出すほどには嫌いではないが、苦手なのは確かだ。どうにも反りが合わない、というのは、おそらくはリライの一方的な感想なのだろうが。
「あなたが今日助けて、ついでに、ドクターのお気に入りだからでしょ」
 何でもない事のように言うキョウコに、リライは目を吊り上げた。立ち上がって、キョウコに詰め寄る。二人の身長は、ほとんど変わらなかった。これは、キョウコの背が高いと言うよりは、リライがまだ成長途中だからであろう。そうであってくれ、と、少年は密かに願っていた。
 ほぼ同じ高さにある瞳を、睨み付ける。
「誰がお気に入りだって?」
「食べ終わったなら行くわよ」
 リライに背を向けて、背筋の伸びた、いつも通りの姿勢で歩き出す。リライは、一瞬間を置いて、パンの入っていた袋を丸めて向かいにあるごみ箱に投げ込むと、まだ中身の残っている水筒をベルトに挟み、キョウコを追った。
 キョウコの黒い髪にアデルを思い出し、厭な気分になる。もっとも、顔の輪郭にあわせたように短いキョウコよりも、アデルの方がずっと長いのだが。
 度々怪我をするリライは、あの医師を訪ねては説教や軽口を聞かされるのだから、わざわざ顔を合わせたくはなかった。それでなくても既に今朝、腹の立つ思いをしている。 
「あの馬鹿医者、実は死にたがってないか? 怪我してるならはじめに言いやがれってんだ。何で俺が、トウェイに殴られなきゃならないんだよ」
「あら、殴られたの。お気の毒さま。でも仕方ないわよ、ドクターは大切な人だもの。この基地どころか、下手したら世界にとってもね」
「だからって、俺が被害を被るいわれはない! 俺はドクターの番犬じゃないんだからな」
「着いたわよ?」
 キョウコの指し示した先では、大量の洗濯物がはためいていた。休息所を兼ねているその場所の、腰掛けるのに丁度いい石に座って、彼の人物はいた。  
 白衣に、黒の髪。細いフレームの眼鏡のレンズの向こうには、濃い蒼の瞳が見える。深い傷のあった左腕や腹、つぶれかけた右足は、服と白衣で判らなかった。
 アデルは、にっこりと微笑んだ。
「私も、君を番犬に雇った覚えはないね。ペットに、というなら別だけど」
「余計悪いわっ」
「リライ」
 噛み付かんばかりのリライをなだめて、キョウコがアデルを見る。アデルは、表情を改めて頷いた。
「トウェイたちにも了解を得てある。私も、君たちと一緒に行かせてもらうよ。ただ、まだまともに歩けなくてね。着く頃には治っていると思うんだ。肩を貸してもらえるかな?」
「・・・何?」
「君たちの行く邑に、大統領の息子が訪れていたことが判った。怪我もしているらしい。恩を売っておく、いい機会だろう」
 大統領といっても、慣例的にその呼び名が残っているだけで、昔ほどの権力も勢力もない。基地が邑を助け、その見返りを受ける。基地は幾つもあり、その基地を緩く統括する連邦に、大統領がいる。調整役、とでも言うべきだろうか。
 リライは、青褪めた顔でアデルを睨み付け、身を翻した。
「リライ! どこに行くの!」
「トウェイんとこ。おれは、こんなこと、引き受けない」
「リライ」
 キョウコが、困惑したように言う。だが、リライは振り向きもしなかった。その背に、アデルが呼びかける。
「リライ。僕の怪我を気にしているなら、心配は要らない。・・・すぐに治る」
「変異体だから?」
「ああ」
 怪我をしても、一般人とは比べ物にならない速さで傷跡も残さずに治る。生活が以前に比べて過酷になり、変異体と呼ばれる特殊能力を持つ者が増えたが、アデルはその中でも特殊だった。
 医療に役立たせられないか、不老不死にまで発展できないか、不死身の兵隊を作れないか。そうやって、その身を狙われる。それと同時に、並外れた知性を宿す脳も含め、アデルは「貴重」だとされている。
 冗談じゃない、とリライは思う。
 リライも変異体だ。だが、アデルのように狙われることはない。けれどそれが、決して気分のいいものでないということくらいは想像がつく。
 それに、リライは知っている。怪我が治るとき、アデルがどれほどの激痛を感じているのか。治療目的とは別に、よくアデルの元へ派遣されるリライは、彼が、酷く苦しんでいるのを知っている。迅速な回復は、それだけ圧縮された、激烈な痛みを伴うのだ。
 アデルは、ただの、たまたまそんな体質になってしまっただけの、人間のはずだ。彼は、超人でも救世主でもない。痛みを抱えることが、当然であるはずがない。和らげることや止めることができないなら、せめて、回復中は、安静にしているべきではないのか。
 それなのに――連れて行けと? 政治的優位のために?
「くだらねー理由」
「僕が自分で決めたんだ」
 揺るぎのない声に、リライは短く、舌打ちした。

「飲むか?」
 水筒を差し出され、アデルは、ありがとう、と言って受け取った。中身は、ぬるくなったスポーツドリンクだった。
「水筒なんて、よく持ってたね」
「昼飯の残り。置いて来そこねた」
 二人とも、砂塵にまみれている。一応この邑は緑地にあるとはいえ、近くまで砂地が迫っているのだから、無理もない。
 昼に一度着替えたはずの白衣は、また汚れてしまっていた。砂のせいもあるが、主には血のせいだ。大統領の息子を助け、その他に怪我をした人々の手当てもした。力仕事には向かない分、得意分野を活かすしかない。
 キョウコは、この後の邑の復興のために、話し合いに参加している。そういったことが、彼女の得意分野だった。
 基地に非参加の盗賊集団、俗に言う「山賊」の襲撃は、しばらくはないだろうということだが、警戒を怠っていた邑も、これで気を引き締めるだろう。この程度の被害で学べたのは、幸いというべきだ。下手をすれば、改善の余地もなく叩きのめされていた。もしかしたら、警備に基地から数人出すことになるかもしれない。
 だがそれは、今のアデルたちの知ったことではない。
「なあ、ドクター」
 何、と言ってリライを見る。
「変異体だからって、気にするなよ。あんただって痛いときは痛いって、言えばいいんだからな。変異体が他と違うってんなら――俺だってそうだ」
 リライが見ている方に目を向けると、男が立っていた。そして、その男とアデルの直線状の空間には、針が浮いていた。麻酔針だと、見て取る。
 リライは、動けないでいるらしい男のところに歩いていった。恐怖に怯えた瞳に、リライの姿が映る。そっと首筋を押さえると、男は、動脈の血流を止められ、意識を手放した。次いで、その体が崩れ落ちる。
「荷物が一個増えたな。ドクター、縄取ってくれる?」
 振り返って、ごくごく当然のように言う。まるで、りんごを拾ったかのような対応だ。しかし、アデルは応じられなかった。
 呆然として固まるアデルに溜息をひとつ残して、リライは、「力」を使った。ふわりと、車の中の縄が浮かび上がる。それを手元に引き寄せると、慣れた手つきで男を縛り上げた。
 リライが速やかに男を荷台に放り込んでもまだ、アデルはぼうっとしていた。
「ドクター? 俺、言ったよな?」
「あ・・・いや・・・知ってた、けど・・・」
 少なくはない変異体でも、その力をおおっぴらに使う者は、意外に少ない。頭では理解していても、力を見せた途端に拒絶される場合が多いからだ。それに、消耗もする。リライが、殊更に手を使わずにロープを動かしたのは、その逆で、アデルに見せるためだっただろう。
 リライがそういったことを一切隠していないというのは、基地でもよく耳にする話だった。だが、実際に見るは初めてだ。
 何かを言おうとしながらも、言葉が浮かばずにいると、キョウコが姿を見せた。アデルが気付いたことに気付くと、にこりと、笑みを浮かべた。
「リライ、ドクター。帰りましょ、話は済んだわ。あれ、これ何?」
「んーと、土産? ドクター狙ってたから、とっ捕まえた。とりあえず連れて帰るだろ?」
「まあ・・・そうね。あ、ちょっとリライ、なによこの針! 危ないじゃない!」
「ありゃ、忘れてた」
 言うと同時に、針が落ちる。キョウコがそれを摘み上げ、荷台の男の服に刺し留める。そして自分も、さっさと乗り込んだ。
 彼女にとっても、それは、驚く事態ではないかのようだった。
「ほら、ドクターも乗って。帰るぜ?」
「ああ・・・」
 帰るという響きに、何か救われた気がした。絶対に、リライには、そんなことは言えないけれど。
「帰らないっていうなら、是非とも置いて帰りたいけど」
「ふうん。僕にそんなことを言っていいのかなあ? 次に怪我でもして帰ってきたときには、とっておきの治療をしてあげようか?」
「・・・・・やっぱ、置いて帰りてえ・・・」
 薄闇の中、車は走って行った。

 願えるのならば。また、明日を迎えられることを。


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 ひょんなこと(ところで「ひょん」って何?)から、友人から「明日への帰還」という題をもらって書いたもの。
 私はこの一話のみのつもりで送ったら、当然のように「続きは?」と返って来て、え、続き書くのこれ、となりました(苦笑)。少し書いて送ったけど、止まってる。
 いやしかし、何も考えずにでっち上げたものだから、続きを考えるに当たって、色々とまずいな、と思う点も出てきたり。何より、そういった組織を機能させることに関する私の知識が薄いことが痛い・・・。よくある漫画の、読みきり書いたら好評で連載決定、のような状態(え)。あるいは、受賞デビューしたら受賞作品はそれで終わりのつもりが続編を書くことになっていた、のような。
 ちなみにこれが、上で挙げている行方不明になった分と一緒にあるはずの行方不明です。一部、手書きで少しだけ書いているところが行方知れず。

2006 年 2 月 10 日 愕然。

 今日、夕飯を食べていて、ご飯茶碗を持ったつもりが味噌汁椀で、ぶちまけました。
 ご飯の重みに備えてもったものだから、軽くて勢いが、ね。
 吃驚した・・・自分で吃驚したよ本当に(爆)。

 ようやく、打ち込みが終わりました「月を仰ぎて夜を渡る」。
 大体、猫屋の中篇と同じくらいの長さです。しかし、うじうじと思い悩んでいるのがそのうちの三割ほど。無駄に長いな・・・。
 それに時間を取られて、今日は中途半端ものの掲載もなしです。どんどん長くなってくるから(汗)。

2006 年 2 月 11 日 本日の主役

 父の誕生日だったので、姉がケーキとワインを買ってきてくれました。
 誕生ケーキ、というか行事ごとのケーキ。前までは手作りだったのだけど、最近は買っています。それもおいしいけど、多分そっちの方がおいしいけど、少し淋しいなあ。まあそれなら、お前が作れって話ですが。

 ところで今日は、卒論発表会のレジュメを作っていました(まだやってたのか)。
 どう考えても、B5一枚には収まらない・・・余白をほとんどない状態まで削っても無理がある・・・。
 そんなわけで、無理やり二枚に収めて、それとは別に、どう考えても読みにくいだろ、という状態で一枚に収めたものも。両方印刷して、二枚でもいいと言われたら二枚の方を使おう・・・(泣)。
 だけどまだ、発表用の原稿ができてないのですけどねーっ。PCって、逃避しやすいですねっ、お気に入りサイトのリンクをたどってみたり!(没)
 もういいよ、最悪、論文の一部を切り貼りしただけの、思いっきり文語調のやつを読んでやるッ(泣)。

 今、松谷みよ子さんの『民話の世界』という本を読んでいます。
 私は、幼年時に都道府県の民話シリーズを読んでいたので、民話や伝承・伝説は、どうも惹かれるものがあるのですよね。直に語られるものを、聞いたことはないのですが。
 そのシリーズも、監修か編集にこの方が加わっていたと思います。
 憧れ、といっていいものか判らないけれど、凄く好きな人です。片端から読んでいく、というのではなくて、ふとしたときに目に付いたら手に取る、という感じで。
 ところで民話シリーズは、何故か兵庫県を読んでいない、という変な後日談がついたりします。しかも気付いたの、中学校や高校に入ってから(爆)。

 今日のシリーズ(?)更新分は、ちょっと反則。書き終えたのは・・・二年くらい前?
 設定は気に入っているのだけど、どうにも話運びが下手で、どうしたものかと放置したままになっている一品。
 さすがに長いので、初めの方だけ。
 あっ、友達に読んでもらって訂正した方がいいって言われたところ、直してない・・・もう忘れたよ(汗)。

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 「 蒼天冥地 」

 < 序章 >

 昔、一つの国があった。国と呼ぶには幼く拙かったが、敢えて呼ぶのであれば、やはり国だっただろう。まだ、人々の中に妖魅と神との明確な境界が引かれていない頃のことだった。
 統治者の名前は、今では深い歴史のひだの奥に沈み、見つけ出すには手間がかかる。対して、今でも人々の記憶に刻まれ続けている名がある。
 誓言。
 ――あるいは、誓直子。
 その国を滅したとされる男は、大人に囲まれて育った。「信託の童子」と呼ばれ、予言を望む者が多く訪ね、国の統治者とも近しくつき合っていた。
「つまらない」
 それが、少年の口癖だった。
 その度に、大人たちは競うように少年に擦り寄った。美しい少女、愛らしい動物、珍しい食べ物、多彩な旅芸人。様々な物が惜しげもなく与えられたが、それもまたつまらなかった。
 歴史の中に、名を没してしまった女がいる。
 別段際立ったところもない、ごく普通の少女だった。違ったのは、誓直子をただの少年として扱った点だった。
 少年は少女に惹かれ、やがて二人は子を成した。しかし、誓直子は我が子の顔を見ることなく、人として存在することを辞めることとなった。
 栄える誓直子らを妬んだ者であったか、誓直子の子も力を持つことを畏れた者であったか、忌んだ者であったのか。判然とはしないが、誓直子の子は、生まれてすぐに川に流された。母は、子を助けようとしたが、そのまま溺れ死んだ。
 誓直子がその「未来」を知ったとき、王に伴って遠出していた。愚かな何も知らない只人のように。誓直子は家に急いだ。――間に合わないと知っても、信じられずにそうせずにはいられなかった。
 ただ悲しむには、力がありすぎた。
 妻子を殺した者たちを殺し尽くし、「つまらない」と呟いた。血に塗れて、小さく。
 そして、誓直子はありとあらゆる手段で妖魅を喚び、国を滅ぼした。神々は、力を持ちすぎた「誓直子」という存在を抹消することもできず、神として天界へ迎えた。
 誓直子には、生まれて一度も泣いたことがないという逸話が残されている。

 < 第一章 >

「お主の子を、わしに預けてみぬか」
 ラオが生まれたとき、父はそう言われたらしい。厳しいはずの警備を飄然とかいくぐり、現れた老爺。神仙だと思ったという。
 後年、そう語ったところ、息子はふくれっ面で、「それってさー、ほんとだったからいーけど、魔物だったら今頃俺、死んでんじゃん」と言い放った。薄情とのレッテルを貼られた父は、苦笑を返すに留まった。
 裏面を言えば、たとえ魔物でも、一縷の望みをかけて託したかもしれなかった。王位に就くとの予言を受けて生まれたラオは、兄やその母、母方の親戚などから命を狙われていた。その上、女官でしかなく後ろ盾のない、おまけに産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった母をもったラオは、「神のうち」と呼ばれる七歳未満で殺されただろう事は、容易に想像出来たのだ。
 八歳になってからは毎年一度は訪ねてくれる息子を、父は心待ちにしてくれていた――らしい。亡くなる、その最期まで。
 父にはとても可愛がられていた。宮中しか知らない自分と違い、思うがままに生きる子を、羨ましくも思っていたのかもしれない。
 しかしそんな父も、もうないのだった。

「あーっ、つっかれた――っ」
 一面緑の地面に倒れ込むように寝転んで、ラオは梢で見えない空を仰いだまま、少しの間目を閉じた。
 どれだけ金ばらまいてんだと、声には出さずにぼやく。多分に、呆れが混じっていた。
 刺客を放ち、賞金をかけ、役所にも当然手配して。たかだか予言のためにそこまでしなくても、という考えは、この当時としては珍しいが、本人にとっては至極真っ当なものだった。
 仙界にでもこもっていれば問題はないのだが、近年増えた妖魅狩りを行なう身としてはそうもいかない。大体、このくらいは覚悟のうちだ。
 溜息をつくよりも先に、思いついて言葉を探す。
「えーっと。天呼! 俺今、罪状どれくらい?」
 ラオの呼び声に応じて、子宝祈願の人形のようなものが現れる。中空に浮き、手には巻いた書と墨のたっぷりと含まれた筆を持っている。
 天呼には、人の死後の賞罰を決める材料となる善行や悪行を記す役目がある。ちなみに、それ以外の生物を担当しているのは地呼だ。彼らが幾人いるのか、それとも一人なのか、個人的な付き合いもあるが、ラオも知らない。
 仙人として生死の輪から離れることもできるラオだが、今のところは人として留まっているため、天呼も記録を続けている。
 童結いの地呼は、外見に違わず、童子のような声を発した。
「凄いよ。善行悪行ともに、一般的なものをはるかに越える数だよ。全部読み上げようか?」
「いや。いーや、どーせ、ろくでもないのばっかだろ。それだけ判ればいいよ、ありがとう。上で誰かに会ったら、『僕は今日も元気です』って伝えといて。特に、新羅天あたりに」
「・・・嫌がらせ?」
「おう」
 ただでさえ問題児で、その上今回穢れ役となったラオを、必要とはしても好ましく思っていない者は多い。その表立った者が、新羅天と呼ばれる神だった。もっとも、飽くまで表立っては、の話だが。
「あ、天呼。いーもんやるよ。じーちゃんとお茶でもしてこい」
 以前買っておいた果実を乾燥させた干菓子を、投げ渡す。
 ラオを仙界へと誘った老爺、天敬尊は、度をこしかねない甘党だった。
「ついでにこれ、李天塔に渡してくれねーか?」
 知り合った人に譲ってもらった文鎮を渡す。
 李天塔と呼ばれる武神は、今やラオの必須武器となった剣をくれた。便利な(と、ラオは認識している)神剣だ。その礼のつもりか、ラオは、行く先々で李天塔の気に入りそうな細工物を見つけると、なるべく手に入れるようにしていた。
「それじゃあ、潦君、無茶はしないようにね」
 両手に荷物を抱えて、天呼は姿を消した。
 寝転がったままだったラオは、もう一度目を閉じると、反動をつけて撥ね起きた。地面に刺したままだった剣を引き抜くと、血や土をぬぐい取り、当たり前だが転がったまま動かない屍に目をやる。溜息をつくと、手際良く金品を取り上げて、近くの枯れ木を適当に折って土を掘り始めた。
 地神の坤天子の名を使ってその眷属に掘らせる、あるいは術で穴をあけてもいいのだが、このくらいは自分でやりたかった。自己満足だとの自覚はある。しかし、自分が納得しなければ、前には進めない。
「とわっ?」
 同じ年頃の少年に比べてはいささか早く穴を掘り、六人の遺体を埋めようと地上に跳び上がったラオは、思わず奇声を発していた。
 近くに転がった死体を、蓬髪の薄汚れた人・・・のようなものが喰っている。
 的確に急所を突いたためにさほど傷ついていなかった遺体が、無残に食い荒らされている。好きな部位でもあるのか、六つとも全て、同じようなところに、歯で抉ったような痕がつけられていた。
 「えーっと」と呟きかけて、慌てて言葉を飲み込む。
 はっきり言って、無駄に厄介事に首を突っ込む気も必要もない。
 さてこの場合、どうしたものか。穴に戻って身をひそめるか、静かにこの場を立ち去るか、妖魅と判断して攻撃するか。
 最後のは避けたいなあ、でも問題になっている妖魅だったりしたら、後で何を言われるか。人とは思えないけど、普通の妖魅とも思えない。厄介だなあ。
 そんなことを考えていると、黄金色の瞳と目が合ってしまった。
「いや、俺通りがかっただけだから。じゃ。・・・って、ダメ?」
 獲物を狙う獣そのものの相手に対して、ラオは深深と溜息をついた。面白くもない冗談でも言ってしまった気分だが、それを早々に切り替える。
「正当防衛だからな。――来々」
 右手の親指を立てて、それに直角になるように中指と人差し指を伸ばし、薬指と小指を内側に曲げる。中指と人差し指を黄金の眼の者に向け、次いで、天に向け、短く叫ぶ。叫ぶのと同時に腕ごと振り下ろすと、その示す軌道に沿って、雷がはしった。
 並の道士であれば、中指と人差し指の間に符を挟んで行う。「符揮」と呼ばれる術だ。上級者になれば、ラオのように符なしでも行える。そのときに引き起こされる現象が召雷か召炎か、あるいはその他の何かか、また威力はどのくらいかというのは、全て術者にかかっている。符によって行なうときは、符の種類に依る場合が多い。
 雷が落ちて、発火こそしなかったが、煙が上がる。
「・・・埋めるか」
 身動きしない焼き焦げた物体を前に、ラオはそう呟いた。
 先の六つの死体をまず、掘った穴の底に並べる。普通、体の一部を失った死体には代わりに布を詰めるのだが、ラオはそこまで親切でも閑でもない。これだけでも偽善がすぎると、自分でも思うほどだ。ラオにしてみれば、とにかく自分が納得しさえすればいいだけのことだ。
 飛び入りの七体目に手をかけたところで、ラオは動き止めた。蓬髪の汚れた顔を凝視して、おむろにそれの頬に手を当てる。そして、うーん、と唸って腕を組んだ。
 しばし迷った末に、中空に目線を上げる。
「学識! 学識、ちょっと来てくれ」
「なんですかあー」
 茶に呼ばれていたのか、先ほど天呼に渡した干菓子を両手で抱えて、やはり小さな人形のようなものが現れる。食べるのを邪魔をされたせいか、幾分むくれていた。
 しかしラオは構わず、落雷で気絶しているものを示した。
「こいつが何か判るか?」
「・・・どうしたんですか、これ」
 学識は、大きく眼を見開いた。邪魔をされたことなど忘れたかのように、その瞳からは好奇心や探求欲というものが読み取れた。
 学識は、神仙界――天界の知恵袋のような役目を負っている。わからないことを訊けばまず答えてくれるし、わからなくても、本人の旺盛な知識欲で答を見つけるなり推論を立てるなりしてくれる。
 その学識は、今、固い干菓子を握りつぶす勢いで掴み、倒れている者のあちこちを引っ張り、つつき、いじっている。
 その様子に、ラオは苦笑をもらした。
「おーい、一応まだ生きてんだぞ。考えてやれよ」
 しかし、ラオの言葉は学識には届かなかったらしい。学識がつつくのを止めて顔を上げたのは、随分と経ってからのことだった。
「見たところ、霊獣と人と天狗と雷龍を足して、三つに分けたような感じです。珍しいですよ、これは!」
「四じゃなくて三で割るのか?」
「はい。凄いですよ! 連れて帰っちゃ駄目ですかね?」
「止めとけ。多分、虎番が入れてくれないって」
 律儀に忠実な門番を思い出してか、浮かれていた学識は溜息をついた。弟子入りを認められた道士でさえ、少しでも不審なところがあれば追い返しそうになる虎番のことだ。妖魅の混ざった者など入れるはずもない。学識は、珍しいのに・・・と、残念そうに呟いた。
 ラオは、それをあえて無視した。付き合っていては話が進まない。
「性格とか戦闘能力とか、判るか?」
「わかりませんよ」
 あまりにあっさりと言われ、危うく、どつきそうになったラオだった。それをどうにか、なけなしの気力で押さえる。
「だって、もともとの素質はある程度予想出来たとしても、性格なんて育った環境がものを言うんですよ。当然、戦闘能力だってそれに付随するんです。そのくらい、潦君だってわかってるはずじゃないですか」
「ああ・・・そうだよな。ごめん、ありがとな」
 訊いた自分の方が間抜けだったかと、ラオは素直に頭を下げた。それなりに付き合いのある学識は、にっこりと笑うに留まった。
「では、また何かあったら呼んでください」
 空間に溶けるようにして学識が姿を消すと、ラオは溜息をついた。足元に転がるものを見て、再び溜息を吐く。
 とりあえず、六つの死体を埋めるべく、ラオは立ち上がった。

 窓の反対側の寝台にそれを投げ出すと、ラオは、半ばその反動にしたがって、隣の寝台に体を投げ出した。
 自分よりもふた回り以上は大きそうなヒトガタのそれを背負っての移動は、さすがに疲れた。禁呪を使って重さを禁じることで軽くはしたが、体積はどうにもならない。
 風の術式でも使えば楽だったのだろうが、始末すべきかもしれない者の為に力を借りるのは気が引けた。かといって、ラオ自身の術では、長時間浮かばせた上の移動の維持は、体力の消耗が著しい。
 結局、直に引っ張って行くのが一番無難だった。
「あーもう。厄介事ばっか!」
 道観に宿を求めると、ラオと似たような年だろう十六、七の青年が、黒い人のような物体を背負ったラオを見るなり、震える指で魔除けの印を結んだのだった。ラオはなんともなかったのだが、背から聞こえた弱々しい呻き声に、やはり妖魅の血が混じっているのかと、改めて納得した。
 その間も、青年は必死に結界強化に努めていた。普段から道観には魔除けがほどこしてあるが、強い力を持つ者には効かないこともあるので、怪しければ印を結ぶよう言われているのだろう。
 苦笑いして、ラオは背負っていたものを一旦下ろした。背負っていては、何かと自由が利かない。改めて青年に相対すると、明らかに怯えているのが判った。こういうことは初めてだったのだろう。
 ラオは、出来る限り真面目な、しかし人のいい笑顔を作った。
「失礼しました。私は、道浩、字は潦史といいます。西からの旅の途中なのですが、少しの間、宿をお借りできないでしょうか。荷屋でもいいので、せめて一晩、お泊め頂ければ有り難いのですが・・・」
「・・・人、ですか・・・?」
「はい、私は」
 そう言ってにっこりと笑んだラオを、青年は、ただただ呆然と見ていた。
 その後、どうにか青年を言いくるめると、今日は私たち二人だけで心細かったんです、と、建物内にいたもう一人にも紹介された。二人とも、血のつながりはなく、孤児らしかった。
 だが、礼英という十前後の少女は、いくら李v、字を旺共と名乗った青年がなだめても説得しても、ラオとそのつれに怯え、旺共の背から出ようとはしなかった。 
「道殿、入ってもよろしいですか?」
「ああ――はい」
 体を起こすと、素早く身なりを整えて立ち上がる。何事もなかったように笑顔で迎えたラオに、旺共も笑顔を返した。
「食事はどうなさいますか? こちらに持って来た方が良いでしょうか」
「お願いできますか?」
「はい」
「申し訳ありません。あまり長く、目を離しているわけにもいかないので・・・。迷惑をおかけします」
「いえ、このくらいのことは。それでは、お待ちください」
「はい。ありがとうございます」
 寝台の上の黒いものに一瞥をくれてから、旺共は出て行った。戸が閉まったのを確認すると、ラオは、困ったように浮かべていた笑みを消した。
 人が妖魅になったものであり、戻す方法を調べる為に連れて行こうとしていると説明しているが、果たして信じているだろうか。それ以前に、ラオ自身、どうするつもりなのかもよくわかっていなかった。
 ぼんやりとしていると、足音と、続いて戸を叩く音がした。
「道殿」
「はい。どうも、すみません」
 二人分なので、怯えたままの礼英が、心細そうに李旺の後ろについている。礼英は、本を置くと即座に、小走りで部屋を後にした。
「礼英! ――すみません」
「いえ。こちらこそ、迷惑をかけてしまって申しわけありません。厄介事を持ち込んでしまって・・・」
「・・・今は、眠っているのですか?」
「はい。多分、そろそろ目を覚ますと・・・」
 合わせたかのように、寝台の上のものが身動きをした。びくりと、旺共の肩が撥ね上がる。そして、真っ青な顔をして、そそくさと出ていこうとする。「失礼します、それでは」と言えただけ、大したものだろう。
 李旺が出ていくと、ラオは息を吐いた。旺共という男、懐かれたのか探られているのか、それとも単に話好きなのか。門からこの部屋に移るまでの間にも、色々と話しかけられて正直、うんざりしていた。
「・・・う・・・・・・」
「起きたか? お前、言葉は・・・」
 いつでも術をかけられるようにしながらも気楽に声をかけて、ラオは硬直した。
 あのときは何も感じなかった。それなのに、滅多にお目にかかれないほどの力の持ち主だと、直感が告げる。心中密かに、自分や旺共よりも礼英の方が見る目があるらしいと、呟く。
 そうしてラオは、寝台の上でそれが起き上がるのを、じっと見ていた。下手に手出しすれば、まずいことになる。少なくとも、この建物が跡形もなく消え去るくらいには。
 黄金色の瞳は、少しの間部屋をさまよっていたが、ラオの上で止まった。
 次の瞬間には、それは跳び上がっていた。一切の無駄も躊躇もなく、的確に急所を狙ってくる。ろくに手当もしていないというのに、大した回復力だ。ラオは、それらを紙一重で避けながら、右手で印を結ぶ。
「縛」
「でっ」
 ラオの一言で途端に足の動きを封じられて動けなくなったそれ――二十歳前後の男に見える――は、派手に転んだ。ラオは、素早く食事の盆を抱えて反対方向に避難した。避ける際に、無理に体を捻ったせいで少し腰が痛い。
「てめッ」
「腹減ってんだから、邪魔すんなよな。しばらく、そこに居やがれ」
 そう宣言して、炒められた米を口に運ぶ。状況を一切無視して食事を始めたラオを、男の姿をしたそれは、恨みがましく睨みつけた。
 そして、盛大に腹が鳴った。
「あ? お前、食ってただろ?」
「何がだよ! もう何日も食べてないんだ!」
 記憶がないのか、と、呟く。いつの間にか、威圧的な気は消え失せていた。
「じゃあこれ、食うか?」
 ラオが盆を示すと、男は、随分幼く見える仕草で、首を傾げた。
「なんだ、それ」
 ――少し話してみて判明したことによると、男にとっての「食事」は、いつも同じ、変わらないものであるらしかった。
 その内容をどうにか詳しく聞き出して、似たようなもので大丈夫だから食えと押しつけると、少し警戒して、恐々と匂いをかぐ。一口食べると、あとは早かった。
 二人が黙々と食事を終えると、ラオが盆を持って立ち上がった。返してくる、と言って部屋を出る。その背に、「足を元に戻せっ」という声がぶつかった。

 そう広くない建物のはずなのだが、ラオは盆を持ったまま、食房を探してさまよっていた。
「あっ!」
 視界の隅をよぎった少女を追って、小走りになる。少女は、怯えて立ち竦み、逃げることも出来ないようだった。ラオは、そのことには気付かない振りをして、笑顔で話しかける。
「ごちそうさま、ありがとう。これ、どこに戻せばいい?」
「・・・・・・こっち」
 今にも泣き出しそうな瞳が逸らされて、俯いたまま、礼英は歩き出した。しかしその肩を、ラオが掴んで止める。少女の、怯えた瞳が見上げた。
「ごめん。やっぱこれ、頼むよ。それと、結界張って・・・いや、廟にこもってるんだ。俺の言ってること、わかるよな?」
 怯えながらも、こくりと肯き返す。
 ラオは、盆を渡すとその肩を、元気づけるように軽く叩いた。
「よし。――巻き込んで、ごめん。じゃあ、またあとでな」
 それだけ言って、後ろを振り返ることなく、あの男のいる部屋を目指して急ぐ。食房の位置が判らず迷っていただけなので、元いた位置ならちゃんと判る。そして、何より目印がある。
「――なんで、神気なんか立ってんだよ!」
 吐き捨てるように呟く。焦りが、もどかしい。
 神気とは、文字通り神の気、あるいは気配を指す。しかもその発信元は、丁度男のいる部屋の、男のいる辺りだ。神の誰かが降りて来たと考えられないこともないが、ラオの知らない気配であり、よほど、男自身が発していると考えた方が有り得る。
 学識の見立てが外れていたか、足りなかったか。天狗や霊獣どころではなく、神そのものの血を引いているのではないか。案外、人との間に子を為す神は多い。ラオがざっと思い浮かべるだけで、十は心当たりがあった。
 そしてまずいことに、神気に惹かれる魔物は多い。
「外、出ろ!」
 入り口近くにいたために戸に頭を打ちつけた男は、薄茶の瞳に涙を滲ませていた。だがラオは、構わずその腕を掴んで引っ張る。建物ごと攻撃されたら、防ぐだけで手一杯になってしまう。しかし、ラオは逆に引っ張られて、のめり込むようにしてこけてしまった。
「ふざけるなよ、おい」
「ふざけてないっ! お前がやったんだろ!」
「あ。――解呪」
 自分に呆れる間も惜しんで、男の額に右の掌を当てて言う。男の足への束縛は消え、ラオに引かれるままに、窓から外に出た。
「なんなんだよ、いきなり」
「訊きたいのは俺の方。とりあえず、その神気なんとかしろ」
「ジンキ?」
「・・・無自覚かよ」
 苦く呟いて、気を探る。一事的になら、封じられるかもしれない。
 ラオは、口早に呪を唱えると、左手で自分の長い黒髪を一本、抜き取る。そして、わけがわからないまま見ていた男の首に巻きつける。驚いて身を引きかけた男の胸倉を、素早く掴んだ。
「いいか、外すなよ。無駄に妖魅を呼ばれてたまるか」
「へ?」
「自覚がないのは判るけどな、だからって責任がないわけじゃないからな。しっかり働けよ」
「は?」
「ほら、来た」
 そう言ってラオが示した先には、巨きな虎がいた。まだ遠いが、巨き過ぎて近くに見える。それが、裏の山から下ってくる。そして、地からは黒いもやのようなものがいくつも沸き出て、宙に浮かんでいた。
「なんだ、あれ?」
「触るなよ。浮虎と眷属の凝影だ。凝影――黒いやつは、触れると力を吸われる。何か、武器は持ってるか?」
「爪」
「使うなよ、死ぬぞ。ほら、これ貸すから。丁重に扱えよ。そっち、任せるからな」
 肌身離さずにいた神剣を、抜き身で渡す。自分は、それとは別に短刀を抜く。
 まあ、一匹で済んで良かった――と思ったラオは、甘かった。浮虎とも凝影とも、ラオたちとも離れたところで爆風が上がる。ラオは、唇を噛んだ。病にいればある程度は結界で護られるはずだが、二人とも、無事だろうか。
「目標外してんじゃねーよ、方向オンチ」
 低く毒づく。
 ラオは、周囲を見た。凝影は、次々と沸いてくる。神剣で斬ればすぐに力を失うが、源泉を見つけなければきりがない。しかしとりあえずは、数を減らさなければ身動きが取れなくなるだろう。
 ラオが短剣で凝影を斬ると、呆気なく霧散した。それに倣って、男が神剣を振るう。剣を使ったことがないらしく無駄の多い動きだが、凝影を避ける身のこなしには目を見張るものがあった。
 凝影が半数ほどに減った頃に、ようやく浮虎が到着した。巨きな虎は、四本足で歩く割に、妙に人間臭い表情をした。
「ああん? どっちだ、俺のメシは?」
 死角を減らすために背中合わせで立つ二人を見下ろして、虎は言った。しきりに鼻を動かしているのは、気配などを嗅覚として感じる性質からだろう。
「あらあ? どうして二匹もいるのかしら?」
 どこか間延びした高い女の声に、ラオは頭を抱えたくなった。白い羽根を持った人形の妖魅、九妖だ。厄介なと呟きつつも、凝影を切りつける手は休めない。二体の妖魅同士、相打ちでもしてくれれば楽だが、そう望むには中途半端に知性がある。
 虎が、ぎろりと女を睨みつけた。
「なんだあ? こいつらは俺のメシだぞ」
「その言葉、そのまま返したいところだけど。ねえ、半分ずつにしない?」
「ああ?」
「私たちが争えば、その間に逃げちゃうでしょう? あんたの眷属も役に立ってないみたいだし。だったら、一人ずつで我慢した方が良くないかしら?」
「うーむ」
「私は、小さい方でいいから」
 九妖の性質として、汚れたものを嫌う傾向がある。だからだろうなと思いながらも、小さいと言われたラオの機嫌は、降下の一途をたどっていた。
 ただでさえ刺客の来襲に気分を害し、突如襲われたことに腹を立て、その上に得体の知れないものを担いで道観に押しかけて肩のこる言葉遣いで会話をし、無自覚に妖魅を呼ばれ――。 
 自分たちを殺してから「話し合い」をしようなどと言う選択肢を考え付かなかったことを後悔させてやる、と、こんなときにまで回りくどいことを考える。だが実のところ、憂さ晴らしの八つ当たり対象でしかない。
「そっち、頼むな」
「え?」
「剣刺しゃ、死ぬ」
 短く言って、走り出す。九妖の近くまで行くと、跳躍して屋根に跳び上がり、九妖に近付いた。
「あらあ、わざわざそっちから来てくれるの?」
 笑う女に、薄い笑みを返す。そして、短刀を閃かせる。だが九妖は、やはり余裕の笑みを浮かべていた。
 九妖の体液は、高い酸性を持っている。濃硫酸並のそれは、水中に混じれば毒に変化し、地に浸みれば作物が育たなくなる。また、その爪には、触れただけで死に至る猛毒がある。
 だから、人の多くは九妖を傷つけることは避け、また、傷つけようとしたところで、その毒爪に倒れることが多かった。
 しかし、ラオは笑った。
「相手が悪かったな、不美人」
 冷ややかなラオの言葉に言い返す間もなく、九妖は絶叫した。神剣と同じ性質の短刀は、妖魅には甚大な被害を与える。それを、心臓に柄が埋まるほどに深く突き刺したのだ。
 男に神剣を持たせて注意を向けさせ、故意に気を押さえてはいたが、気付かない方が間抜けなのだと、ラオは考える。
「燥天子の名に於いて命ず、炎よ、燃やし尽くせ! 急ぎ急ぎて律令の如くせよ」
 苦しみもがいて中空で体勢を崩した九妖の体が、一瞬で炎に包まれる。
 それが炭になって地に落ちたときには、浮虎の体も、神剣に貫かれて地に伏していた。少し驚いて見遣ると、男と眼が合った。
「やるじゃん」
 にっこりと、ラオは笑顔を向けた。

「なあ・・・」
「ん?」
 湯を借りて汚れを落した二人は、寝室でくつろいでいた。男は、髪を濡らしたままラオを見た。黄金にも茶にも見えた瞳は、今では薄い茶に見える。どんな法則で変わるんだろうと、ラオはぼんやりと思った。
 今は簡単な術で神気を押さえてはいるが、いつまで保つか、あまり自信はない。
「お前、俺を殺すんじゃなかったのか?」
「はぁ?」
 ラオは、訝しげに首を傾げた。まだ湿っている長い黒髪が、その動きに従って流れる。普段は束ねているから幾分ましだが、こうしてほどいているとやっぱり鬱陶しい、との思いが頭を過る。
 だがそれとは関係なく、ラオは男を少しの間じっと見てから、ああ、と呟いた。拘束されたことで、最悪の事態を考えたのだろう。
「あのときはお前、俺を殺そうとしただろ。今はとりあえず違うみたいだし、真面目に戦ってたし、敵意はないみたいだから殺す必要もないだろ。何、死にたいのか?」
「いいや」
「じゃあいいじゃねーか」
「でも、なんであのとき剣なんか・・・」
「一対二や一対三より二対二のが断然楽だろ。悪い奴じゃないみたいだし、それで背中でも斬られたら、見る眼がなかったってことで」
 あっさりと言い放つラオを、男は呆れたように見やった。あまりに潔いのか楽天家なのか。
「それでさ、お前何者? はじめ見たときは間違いなく人妖だと思ったけど、それだけじゃないみたいだし変に人間じみてるし。親とか、どこで育ったのかとか、聞かせてくれるか?」
 言葉としては依頼だが、実際には、有無を言わさぬ圧力がある。尋問と言った方が正しいだろう。
 しかし男は、そんな威圧に気付いた様子もなく、首を捻っていた。 
「オヤとかニンヨウって何だ?」
「・・・本気で言ってるのか、それ?」
「?」
 ラオは、思わず頭を抱えた。まるで子供を相手にしているような気がする。成りがでかいだけに調子が狂う。
 少しの間考えて、仕方ないかな、とラオは呟いた。
「しばらく、俺と一緒に旅するか? さっきみたいなのが時々――じゃないな、しょっちゅうあるけど。どうだ?」
「うん」
「じゃあ決まりな。俺はラオ。お前は?」
「・・・何が?」
「名前だよ、名前。俺は李浩とか李潦史とか道潦史とか色々あるけど、呼ばれるだろ、名前」
「ない」
「ない? それが名・・・なわけ、ないよな?」
「こうやって話をするのも、ほとんどはじめてだから・・・」
「お前、今までどんな生活して――礼英?」
 戸口に立つ礼英の姿に気付き、ラオは眉根を寄せた。ひどく蒼褪めているのが、離れていても判った。近付くと、震えていると気付いた。
「礼英。どうした?」
「・・・・・・李兄が・・・離れに・・・」
 九妖によって破壊された離れに、幸いなことに旺共と礼英はいなかった。廟は、反対側だったのだ。その片付けは明日、日が昇ってからと言っていたのに、不用意に近付いて妖魅に捕まったと言う。それを聞いて、心の内でだけ舌打ちをすると、ラオは手早く髪をまとめて剣を取った。
「二人はここに・・・」
「いや」
 礼英が、怯えた瞳を向ける。
 旺共に聞かされた話を思い出す。礼英は、家族を妖魔に殺され、その後、持て余した村人から人買いに売られた。そこから逃げ出して、この道観に逃げ込んだのだ。
 男が妖魅に関わりがあるとは、黙っているよう旺共に言ったのだが、知ってしまっているのだろうか。それとも、残される、ということ自体が怖いのか。
「ラオ。俺が行く」
 そう言ってごく自然に部屋を出ようとした男に神剣を渡して、ラオは礼英の目線に合わせて膝をついた。
 大きく開かれた眼は、覗き込んでいるラオを捕らえていない。まだ震えている。ここに報せに来るだけで精一杯だったのだろうと判る。華奢な肩に両手を乗せると、一瞬だけびくりと、身動きした。
「礼英。俺の声は聞こえているよな。俺は、旺共のところに行く。礼英はどうする? ここに残っても向こうに行っても、何にもお前を傷つけさせないようにする。守る」
 一言一言、ゆっくりと、ちゃんと届くように。
 礼英の瞳が、ようやくラオを見る。
「礼英が選ぶんだ」
「私――行き、たい」
「よし」
 優しく礼英の頭を撫でて、笑顔を見せた。ここで不安にさせてはいけないと、半ば自動的にそんな行動をしている。
 ラオは、仙界で育った。人界での記憶は、八歳以降のものしかない。
 周りにいるのは、姿形はともかく、そのほとんどがとてつもない「老人」だ。そのおかげで、ラオは神仙の中にいれば間違いなく「子供」だが、その言動に触れているせいで、父に会いに人界に下りたときには、「大人」のような考え方をしていることに気付かされる。
 それに、こういった対応は、弟妹がいるので慣れてもいた。
「行こう」
「はい」
 礼英の小さな手をとって、自身もまだ大人になりきっていないラオは、部屋を後にした。

 離れの中には、至るところに凝影が浮かんでいた。ラオと礼英が到着したときには、気絶している旺共を庇うようにして、男が剣を振るっていた。旺共を連れ出せればいいのだが、倒れた柱に挟まっているようで、無理に引っ張るのは危険だ。そして丁寧に助けようとすれば、凝影が傷害になる。
 俘虎を倒したときには姿を消していたから、どこかへ逃げたのだと思っていた。とんだ失態だ。
「まだ生きてるな?」
「どっちが?」
「お前は判ってるよ、馬鹿」
 思わず苦笑しながらも、礼英を庇い、近付く凝影を短刀で斬る。
「礼英、結界張れる?」
「いえ・・・術も何も、学んでなくて・・・」
「きっと、やったら伸びるぜ。それじゃあ、これの源泉の位置は判るか? 何か変なところ、多分下の方だと思うけど。違和感だけでいい、気付いたら教えてくれ」
 自分も離れの中を見回して、源泉を探す。源や本体と言う者もいるが、とりあえずそれを潰せばいい。
 凝影って嫌いなんだよな、強くもないくせに判りにくくって。溜息を押しつぶして、ラオは周囲の影を切り払っていく。一応はこの短刀も神気を帯びているから小さな結界代わりにはなるが、二人となるといささか心もとない。
 礼英の「眼」は優れているという、確信があった。
「あそこ・・・李兄の・・・下・・・中・・・・・・?」
 言われて目を凝らすと、確かに、一際濃い影が見える。
 ラオは、礼英には気付かれないように溜息をついた。いっそ李旺が死んでいれば作業は楽なのだが、それは望んでいないし、時間の経過からみるとまだ望みはある。骨を折るだけの価値はある。
 土中を好む凝影は、時として人の中にも棲みついた。
「礼英、これをしっかりと持っててくれ。鞘からは抜かないで。目もつぶってろ。いいな?」
 頷くのを確認してから、短刀を鞘に入れて渡すと、ラオは一歩、礼英から離れた。短く、呪を唱える。これで、子供一人を守りきれるくらいにはなったはずだ。
 ラオは、器用に凝影を避けて旺共たちに向かって歩いて行った。避け切れない凝影は、袂から出した符を当てると、符もろとも消し炭になった。
「おい、剣貸せ。で、危ないから、向こう行ってろ。避けるくらいできるだろう」
「は?」
「そのままだと、もろに余波受けるぞ」
「え? な・・・ッ?」
 男から神剣を取り上げると、もう見向きもしなかった。
 必要なのは、集中力と根気。剣の柄を両手で握ると、はっきりと凝影の源泉が見られるように目を凝らす。それと同じくして、口中で呪文を唱える。その間、身を守る術もなく、凝影の格好の餌食となった。力を吸い上げられて、脂汗が浮かぶ。
「――解」
 最後の一言をはっきりと声に出して言って、旺共の心臓目掛けて剣を突き立てる。
 どす黒い風のようなものが旺共の胸元から突き上げて、其処此処に浮かんでいた凝影の姿が消えた。

 ラオたちが訪れた翌日から、破壊された建物を直すために人の出入りが増えていた道観も、数日もすると、人の出入りは相変わらず多いものの、それなりに落ちついてきた。他出から帰った人々はしばらくは呆然としていたが、今では、精力的に建て直しを行っている。
 すっかり片付けられ、骨組から作られていく光景を見ていると、微笑ましい気がした。元凶が何考えてんだろ、とラオは自分に突っ込みを入れたが、やはりその口元には微笑が浮かんでいる。 
「おーい、行かないのか?」
「って―・・・。ヒラク、お前馬鹿力してんだから、もっと考えろよ。下手したら怪我するとかしてもおかしくないんだからな」
「あ、ごめん」
「・・・悪気ないってのは判ってっけど・・・」
 あっさりとした謝罪に、ラオは溜息をついた。この何日かの間で、男に「常識」がないことは改めてはっきりとしていた。
 丹念に訊いたことによると、どうやら独房のようなところで生活し、言葉も、たった一人だけいた人物の独白や一方的な語りかけから覚えたものらしかった。生まれ持った能力に対してもこの世界についても、ほとんど知識がない。
 不安は大いにあるが、だからといって男をこのまま置いて行く気も、ラオにはない。見つけた以上、せめて常識くらいは教えるべきだろう。自分は李敬尊に見つけてもらえて、男にはそれがなかった。そういう親近感があるのも確かだった。
「・・・まあ、いいか。行こう」
「うん」
 ラオの隣に立つ男は、少なくとも茶の瞳のときには、充分に人に見えた。どうやら、妖気が出るのは黄金の目のときで、気が高ぶるとそうなるらしいということが判った。神気は茶の瞳で、平常時。訓練次第でどうにかなるだろう。
 こうして、二人の旅は始まった。

2006 年 2 月 12 日 突っ込みの種類

 卒論発表のための原稿を書いていて(といっても卒論を要約して文体を口語ににじり寄らせた程度)、私はこれを本当に読むのかと、ちょっと、非現実さに襲われてしまいました。
 いやだってあんなの語られても何言ってるかわからないよきっとー?(内容の問題よりも日常生活に一般的でない言葉が使われているから。咄嗟に変換できないと思う)
 あああ。厭だなー。
 私が書いたのじゃない論文を他の誰かが要約してこれ読んでくださいね、って渡されたやつの方が、ましな気がするなあ(それはただの朗読だ)。

 まだ半分しか終わっていないので、もう半分、要約を続けねばなりません。
 そのあとで、声に出して読んでみて、十分程度になるかどうか(多分一人で読んでたら早口になるだろうから八分程度?)。
 だ・・・誰か代わって!!

 その逃避がてら、「青空に白い月」というやつを書いていました。
 えーっと、多分今、半分か三分の二くらいのところでしょうか。うだうだと長くて厭になりますね(同意求めても・・・)。
 日本の龍神が出てくる予定なのですが、私の日本の龍の知識は、昔話ですよ。幼い頃に読んだものでしかないですよ。うわー・・・嘘くさくなりそう・・・(爆)。

 今日の中途半端更新は、「夜道」と「虚言帳から」にある「夢戦」の変形というか、元々の形。
 これも、設定は好きなのだけど・・・。

 完全には尽きていないけれどとりあえず、これにて、変な更新期間終了です。

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 「 夢戦 」

 ひょうと、風が吹く。
 それは、ぬるりと生臭い匂いを運んできた。室内ということもあって、凝って濃くなった血臭に、司は、軽く眉を寄せた。
「人の体って、案外血があるものだなあ。そう言えば、人体の数割は水分だったか」
 人が一人、大量に血を流して息絶えている状況での台詞としては、冷たくのんびりとしている。
 それに、びくりと動きを止めた人影があった。
 死体に屈み込み、しきりと血肉をすすっていたそれは、ぬらりと濡れた顔を上げ、声の主を探した。ぐるりと、机やパソコンの並んだ部屋は、かがんでいると無機質なジャングルかのようだった。人影は、ゆらりと身を起こした。
 戸口に立っていた司は、暗闇の中で人影と目が合い、浅く息を吐いた。変わりに、血の匂いのする空気が、するりと胸中に入ってくる。
 相対した人影は、月を背負う逆光ながら、輪郭でスーツを着ていると判った。印象としては、ありふれた勤め人。男だろう。
「昨日くらいに、警告がいったはずだけど?」
「・・・処理人か」
「始末屋の方がいいなあ。なんとなく」
 にこりと笑んで、すうと目を細める。その手には、いつの間にか、一振りの刀が握られていた。抜き身で、ごくわずかに、赤みを帯びた光がまとわりついている。
 片腕で無造作に構えられた刀の切っ先は、微塵も揺らがずに男に向く。
「こうもきれいさっぱりと、無視されると、却ってやりやすくっていいけどね。覚悟はできてる?」
 廊下の窓が開いているのか、ざあと吹きつけた風が、背後から、司の羽織を揺らす。短い髪もかき回されて、わずかに、迷惑そうに顔をしかめたが、視線を動かすことはなかった。
「くッ」
 先に動いたのは男の方で、司は、それを待っていたかのように一歩を踏み込む。
 前のめりに体重を掛けて迫ってくる男の両腕は、弧を描いた鎌状になっていた。鋭い刃は、獲物を易々と切り裂けるだろう。司は、その両腕に抱かれるように歩を進め、勝利を確信して嗤った男よりも寸瞬早く動き、逆袈裟懸けに切り落とした。慣性で迫る刃から逃れ、右後方に跳ぶ。
 倒れる体を見つめる視線に、感情は読み取れない。
 死体は、司の目の前で姿を変えていく。体が縮み、全身を覆う毛が伸びる。最終的に残ったのは、肩から胴にかけて、高圧のガスバーナーででも焼き切られたかのような、大狸ほどの獣の屍骸だった。
「颯、後はよろしく」
 血振るいのように刀を振ると、消えた。代わりかのように現れた小柄な少年に、苦笑を向ける。白い狩衣姿の少年は、笑顔を返した。
「うん」
 少年は、司の後方からひょいと姿を覗かせて、二つの死体――加害者と被害者、あるいは被害者たちのそれに近付いて、ちいさな手をかざした。ぼうと、青白い炎が上がる。炎は、二つの死体を取り込んで、呑み込んだ。
 次いで炎は、部屋中に飛び散った血を喰らい尽くす。その部屋が惨劇の痕跡を失うまでに、そう長くはかからなかった。
 最後に司は、念のため指紋の残らないよう羽織の袖越しに、窓の鍵を開けた。血臭を払うためだ。
 ひょうと、風が吹き込んだ。

2006 年 2 月 13 日 下手すりゃ血染め

 歯を抜いてきました。
 短期間で三本も抜くのは珍しいのか、助手さん(?)に「もう慣れたでしょー」と言われましたが。いやいやいや。未だに十分きっぱり恐いですよ!
 特に今日のは、あっさり抜けた前の二本よりも頑張ってくれて、一体口の中がどうなっているものかと怯えました。うん、ちょっと手こずったらしい。
 なかなか血が止まらず、止まっていないまま痛み止めを飲んでニ、三時間寝て起きたら、抜いた後のところに、血の煮凝りのような物体が。体の外側の傷だったら、瘡蓋できかけ、という状況なのかな。地の塊の半液体固体版。
 はじめ、それが血の塊だと気付かず、歯茎腫れてる?と大いに焦ったのですが、違いました。それが張り付いてたー。
 ああもう吃驚です。もう歯は抜きたくない・・・でも、親知らず、まだ出てきてないけどあと三本あるのだよねー。ううむ。

 ところで、今日のこれで、もう異状がなかったら終わりということで、となったのですが。
 あれ、今まで抜歯した翌日、消毒に来てたのに?
 別に必要なかったのでしょうか。よくわからない・・・。

 しかし、うっかり寝ている途中に涎でも垂らしてたら、まくら血染めですよ。厭だなそれ。  

2006 年 2 月 14 日 思ったときには妨害

 図書館帰りに、近所のケーキ屋で生チョコを買って帰ろうと思ったら、雨が降って断念しました。
 基本的には、自分が食べたかっただけだけど・・・バレンタイン、とことん縁がないらしいです。

 午後から友人が来て、なんだかいろいろと話してました。バイトの話を聞くと、裏話が聞けて面白いです。
 小学校からの付き合いになりますが、いまだに、ある程度の距離があって、それが逆に話しやすい感じで。向こうがどんな捉え方をしているか知りませんが。でも、高校と大学が同じところにならなかったのは、いい方向に動いてるだろうと思うけど。
 とりあえず、彼女の大学での話を聞いていると、「え、どれだけ皮(=猫)被ってるの?!」と言いたくなります(笑)。
 きっと、そこにいるのは私の知らない人だ・・・(笑)。
 その友人も地元にいそうなので、この先も、適当にほとほとと付き合っていけるといいなー、という感じ。
 「恋愛しなくても不思議じゃないよな!」という話で、盛り上がったり。あー・・・本当に、私の回りは縁がない。というか、普通に恋愛してても、私に相談されることはまずないから、気付かないだけかもしれないけど。

 そういえば、卒論の発表会ってどうすればいい、という相談をしたりもしました。
 うー・・・いや、卒業できるだろうとは判っているのだけど、折角の機会だし、妙なところで見栄張りなので、上手くやりたいとどうしても思ってしまって。
 読み上げる原稿、後は結論だけ(まだやってたのか)。明日、おそらく半日がかりくらいで印刷です。友人の卒論のコピーをもらう代わりに渡す私の卒論、まだ印刷してない(汗)。
 ええと・・・こ、小人さん、手伝って・・・!(by「靴屋の小人」←靴屋じゃないし)

 話は変わりますが、面白そうなのでやってみました。
 内閣府適性・適職診断
 http://www.neutra.go.jp/diagnosis/

 「自分の趣味を活かした仕事に向くタイプ」
 ほんとうはやればできるのですが、どうしてもマイペースになってしまい、一般の組織の中での仕事になじむのが難しいタイプです。組織の中での仕事をこなすためには、無理をしてがんばる必要があるでしょう。何かの趣味があれば、それを活かしてプロになったり、教えたりすることはできるでしょう。いつか、自分にとってやりがいのある仕事や趣味が見つかるはずです。それをうまく活かして、人生をエンジョイしてください。

 「マイペースの学究肌タイプ」
 やさしくて賢くて、とにかくマイペース。自分の好きなことしかしないという傾向に走りがちです。社会のルールにもわりと無頓着ですが、何か自分の分野を見つけていれば、そこについては博士になるくらい詳しいタイプ。いわば学究肌です。この分野で才能を発揮して、大輪の花を咲かせることもできるでしょう。しかし、一般の組織のなかでなじむのに努力を要するでしょう。通常の一般職の仕事などよりも、基礎研究や文献整理などに向く場合がありますので、研究所や学校関係であなたの個性が十分に活かされるかもしれません。

 ・・・趣味を生かして仕事にできるなら、やってるさ! 誰か斡旋してくれよ! と、ちょっと思ってしまいました(苦笑)。本屋とか司書とか学芸員とかさ!
 まあ接客業は、それはそれで楽しいのですけどね。ただ、責任がかかってきて、それでも楽しめるのかは疑問のあるところですが。

2006 年 2 月 15 日 当然ですが自力で

 当たり前の話ですが、小人さんは出てきてはくれなかったので、自力でやりました。卒論、人に渡すのと自分用に五部。・・・阿呆だろ私。

 今度は、ちゃんとインクカートリッジが動いてくれてよかったのだけど、紙を切ってしまったせいか、紙詰まりが多かった・・・それとも、カートリッジの填め方が悪かった?
 印刷ミスが多くて、紙とインクが勿体ない。
 そしてもう面倒になったので、ホッチキスでとめただけですが。そして余白をあまり作っていなかったので、とても読みにくいですが。
 とりあえず明日、二部持っていこ。

 えー、まあそれで結構時間を喰いました。予想通り(嬉しくない)。
 明日の発表用の原稿も打ったけど、十分って意外に短いな、とがしがし削ったら、今度は逆に短くなったかも・・・。まあいいやもう。

2006 年 2 月 16 日 いろいろと賑やか

 行って来ました、発表会(?)。卒論の。

 行く前に、見直し用にと、自分の話を学校のプリンターで印刷していたら、ゼミの友人に会って微妙に焦りました。み、見せられん・・・!
 いやしかし、百枚くらい印刷したのですが。・・・質疑応答時に必要かと両面印刷した自分の論文を持っていったのですが、その後、提出していた論文は返却され(学校に置いとかないのかよ!そんなだから過去の卒論が読めないのだよ先生!←他のゼミは先生が保管しているし他の学科は学校図書館に置いてある)、友人にもらう予定だった卒論を受け取り、全部で、A4の紙三百枚以上・・・。
 他に細々としたものもあるし、ファイルの重さとか。電車用の本とか。・・・重かった。

 発表は、やはり削りすぎたのか、七分くらいでした。早口だったのもあるかなー?
 引用が多くて羅列しただけのようになっている、という指摘は重々承知していたので、まあ、ねえ。でも、自分の考えを書いているからいいと言われ、一安心でした。
 というか単に、一次資料(?)を読んでいたら、他の人の研究論文を読む余裕がなくなってしまっただけなのですがね・・・。それに、誰かの考えを引くというのは、結構難しいです。ちょっと苦手。
 自分の感想なら、よほど飛躍していない限り、「だってこう思うのだもの」で押し切れるので、楽です。

 その後、友人と待ち合わせて、三宮をふらふらとしてきました。
 ほしい本を数冊買って、カバンの重量は更に追加(爆)。
 友人がゴスロリ系統(ごめん、あまり細かい区別つかないや。ゴスロリとかメイドとかロリータとか)が好きなので、そんな店を見てきました。というか、私は単に付き添いだけど。見るのは好き。
 試着していたけれど、普通に似合う友人なので、感心。・・・感心というか(苦笑)。
 やー、ああいうのはかわいいし、似合う人が着ているのを見るのはいいけど、特に自分で着たいとは思いませんねー。あ、でも仮装になら着てみたい。カツラとかあるといいですねー。

 さて、そろそろ荷造りした方がいいかなー。
 二十日から二十三日にかけて、京都の友人宅に泊まってきます。適当にふらふらと、趣味に走った京都観光をしてきます。
 荷造り・・・まあ、着替えを入れるだけだけど。あ、お金下ろしてこないと。

 ところで、全然まったく関係なく話は変わりますが、今日ふうと、シュムとカイ(「台風の目」)が、外的要因はそのままで逆だったらどうなってるだろう、と思いました。
 多分カイは、むしろ前向きに(?)、シュムと別れることになる死を恐れるのだろうなー、とか。
 シュムは、にっこりと笑ってカイに「好きだよ」とか言ってそうだなー、とか。
 あー・・・逆の方が素直だったのかな、この場合。

2006 年 2 月 17 日 買い物というか何と言うか

 謝恩会の会費を振り込んできました。
 や、出席しないのですけどね。それなのに払うってどうよ。記念品贈るって言われてもいらねぇよ記念品。・・・と思いつつも。
 一応、ゼミに代表者(幹事?)のような人がいるし、悪いかなーとか。記念品要らないからばっくれようかと思わないでもなかったけど。
 というか。先生からは参加費取らないからって、非参加者からまで取り立てるなよ・・・謝恩会開催自体、支持してないし・・・。それでも、参加費が数千円程度で神戸(比較的近い)なら考えないでもないけど、大阪で一万超すとなー(非参加者の入金はそこまではない)。
 文句を言えばいいのだろうけど、ゼミの中で一番親しくない(仲が悪いわけではないです)子と微妙に仲をこじらせそうになるよりはいいか、とか考えてしまう小心者です。ああ、強くなりてぇ。

 でまあ、その振込み先の銀行が、駅近くにしかなさそうだったので(ATMもないんだかあるんだかで)、ついでに京都行きの際の切符を買ったり、お菓子を買ったり(お菓子がいるほど電車に乗ってない)。
 自転車を止めようとしたら、自転車の整理をしている人が他にとめてあった自転車を寄せて場所を作ってくれたのだけど、お礼を言ったら、「僕かと思ったらお嬢ちゃんやったんか」とさらりと言われました。お嬢ちゃんて歳でも・・・(苦笑)。

 図書館で予約していた本やら書架で見つけた本やらを借りてきて、ほくほくする反面、期限内に読めるかと、ちょっと不安だったり。
 さすがに、旅行に行くのに図書館の本を持って行くのはなー。なくしたら大変だし。
 まあ、返却まで数日あるし、よほどでない限りは読めるでしょう。

 前々から、「夜明けの晩」の登場人物でもっと書きたいと思っていたのだけど、現代にもってきて(あれは一応近代をイメージ)書きたいなと思いはじめています。
 従妹の双子姉妹が出てくる、というのは、あれを書き終えた直後くらいから考えていたし。
 近代のままでもいいのだけど・・・今の私の知識量では無理だ。できないことはなくても、襤褸だらけです。まあだからといって、現代に移すのも卑怯というか・・・ですが。
 だけど現代ものは現代もので、東京に土地勘はないのにあの辺りの言葉遣いで喋る登場人物たち、という不思議空間を展開して、微妙です(爆)。

2006 年 2 月 18 日 夜にコンビニ

 午前中、適当に本を読みながらうとうととしていたら、何故か駅前に行くことに。
 母と、服を見てほろほろと歩いてきました。
 やっとスーツが買えた!(*大学卒業学年・就職活動済)

 で、夜は姉の旦那さん(予定)と食事会でした。うん、両親へのお目見え。私はご飯食べてただけでしたが。
 ご飯が食べ足りず、家に帰っておむすびを食べたりお菓子を食べたりしていたら、姉に「食べ過ぎ」といわれました。ううむ。しかし姉は小食なので、微妙にあてにならない。

 そんなで、お酒を飲んでいたら、つまみに「ハバネロ」が食べたくなって買いに行ってきました。ついでに雑誌の立ち読みと。
 「ハバネロ」よりも「ベビネロ」のが好きなのですがねー。ただ後者は、すぐに食べてしまって。
 だけど「ハバネロ」、辛くッて味がわかりませんね・・・(爆)。

 少しだけど、アルコール入って眠いです。
 あーもう、とっとと寝よう・・・。

2006 年 2 月 19 日  馬鹿が列成しやってくる

 うとうとと居眠りしたり、本を読んだりビデオ見たりしてました。
 何か私今日、やけに寝ていた気がする・・・朝食食べた後とか夕飯食べた後とか。

 今日読んだ本が、いまいちだったり。
 うーんー、児童文学好きだけど、微妙に対象年齢の高くなったそれはあまり好きじゃないなあ、と思ったり。海外のそのあたりのやつは、真っ向から恋愛やら性やらを取り上げるから。
 途中で読むのやめようかと思いつつ読みきったけど、でもちょっとあれだなあ。

 日本の龍神が出てくる(予定)の話が、どうにか山場になってきたかなー、と思いつつ、半ば並行して「台風の目」と「夜明けの晩」を書いているものだから、主人公の喋り方が似通っていて少しへこみました。
 というか私は、「男の子のような女の子」が多いよね・・・と、改めて思ったり。その理由は、厭になるくらい明確に判っているので語りませんが。うあー、あれだけ書いてすべて類似品、ってのもちょっと哀しいなぁ。
 ところで、べらべらと喋ってくれる奴の方が動かしやすいのに、主要なところに無口な奴を置いてしまうのはなぜでしょう(没)。猫屋は、三人ともべらべら喋ってくれて楽だったな・・・。

2006 年 2 月 23 日  帰宅しました

 筋肉痛で金欠でそれ以外は無事に帰りました。
 京都で筋肉痛かよと言うなかれ・・・鞍馬山は意外に大変だった(楽しかったけど)。

 楽しかったです、京都。
 嵐山行ったり北野天満宮行ったり鞍馬行ったり伏見行ったり。というか、友人宅に泊まり込んだこと自体が楽しかったというか。
 夜の酒盛りとか鍋とか、ケーキ買ってきて夜中に食べたりとか。暴飲暴食は、自宅で家族といるとあまりやらないから。

 それにしても、歩き倒しな四日間でした。
 月曜日に雨の中嵐山を散策、友人宅に行ってスーパーに買い物、というのは序の口でした。
 火曜に、北野天満宮から二条城まで歩いて、四条河原町辺りに行った上で三条に行ったり。・・・晴明神社にちょっと寄ったら、四年ほど前に行ったときよりも、変に俗っぽくなってましたよ・・・公認の晴明グッズとかって・・・(爆)。
 水曜は、鞍馬山を登って下って貴船神社に行って、駅まで三十分ぐらい歩いたり。
 木曜は、伏見をうろついて酒造の見学したり、姫路に帰ってきて家の最寄駅から全部で確実に五キロは超えてそうな荷物背負って歩いたり。
 今日もだと思うけど、この数日、寝つきがよくって健康的でした(笑)。

 北野天満宮の近くに、「釜めしかあさん」というお店があります。ふらりと入ったお店だったのだけど、おいしかったですよご飯ー。
 サイトもあるので、興味があればそちらに〜(リンク張っていいのか判らないから放置。検索したらすぐに出ますよ)。
 近くに行くときにはおすすめです(何故か微妙に広報)。

 鞍馬山は、鞍馬寺に行くまでの石段は、まあ、言ってしまえばありふれたものだけど、「根の道」という、貴船(ってこれ地名?)に抜ける山道は、なかなかに楽しいです。
 ・・・翌朝、予想を裏切らずに筋肉痛になったりしましたけどね・・・。
 貴船神社は、手前のお社は新築したようで新しい感じだけど、奥宮に進んでいくと、そうでもなくなっていく感じで。

 伏見に、キザクラの記念館と月桂冠の酒造館が目当てで行ったのだけど、竜馬通り(だったと思う)という商店街のような通りもあって、そこも、もっとじっくり散策すればよかったかも・・・。
 キザクラの記念館は、過去のキザクラのCMが見られて、はじめの方の妙に物語のあるCMが楽しかったです。そうして見終わると、「かっぱっぱー」のあの歌が頭の中を回る(笑)。
 そして、河童の資料館!
 各方面からの情報を集めて、多角に捉えてまとめた河童の資料が、ほしくてたまりませんでした(苦笑)。河童に関して、あれだけ一度に見られるのは、ちょっとないのじゃないかな。しかも全国規模で。少しでも興味のある人には、かなりおすすめ。
 あれ、図録が千円くらいで置いてたら勢いで買ってたよ。いいなあ、あんなの、近所にほしい。入り浸るよ。
 月桂冠は、入館料を取るけど、お土産に180mlのお酒をもらえて利き酒ができることを考えると、無料同然のような気がします。日本酒は、辛口でも甘みがあって好き。
 竜馬通りに新撰組のピンバッヂのガチャガチャがあって、思わずやってしまいました。二回やって、ほしいのから一番遠い二つが出てきました(爆)。
 この辺りから少し離れた伏見稲荷にも行ったけど、少し見ただけで帰ったので、またいつか、伏見に行きたいなー。今度はちゃんと見て回る。

 どこに消えたものか、やたらとお金を使ってしまった日々でしたが、まぁたまにはいいかなー。
 とりあえず、相変わらずわがままだった気がする私に付き合ってくれた友人たちに、感謝一頻りです(苦笑)。

 あ。稲さんから「カラオケバトン」が来てたから、回答をば。

●平均的に何回くらい行く?
えー・・・行くときは、何故か重なったりするのだけどな・・・平均すると、多分、一月か二月に一度くらい?

●何時間歌う?
まれに二時間で、あとは大体、五時間くらいが多いような。地元のカラオケ屋が、五時間パックなるものを設定しているので。

●何人くらいで行くことが多い?
大体、私を入れて二人が多いですねー。

●よく歌うアーティスト名または好きなアーティスト名(何人・何グループでも)
ポルノグラフィティ、平川地一丁目、ってところでしょうか?
歌手よりも曲限定ということが多いからなあ。

●十八番は?
・・・ガラスの十代?(何故)
得意かどうかと言われてもなー。カラオケの選曲は基本的に、(歌うのが)好き嫌いでするからなあ。キーが合わないとかリズムに追いつけないとかは、そりゃ選びませんが。

●一番最初と最後の歌は?
て、適当。
ああでもはじめは、「タッチ」が多いな、なんとなく。

●次にマイクを渡す(バトンを渡す)人(上限なし・必ず一人は記入)
ええと。「必ず」とあるので、ここは、バトンを折っておきましょう(天邪鬼)。

2006 年 2 月 24 日  うだうだと

 小説読んでました。のったりと。
 図書館行ったら、どうも明日あたり予約した本が届きそうで、また行くのかよと一人突っ込んでみたり(一週間は預かっていてくれるのだけど)。
 明日は、午前中に図書館行って、午後は就職先にもらったマナーのテキスト読むかなー。もう一週間後か、ガイダンス(会社の)。

 梶尾真治の『精霊探偵』という本を読んでました。この人の本は、これで二冊目(正確には一作目は、雑誌に連載していたものを読んだだけで単行本では読んでないけど)。
 どちらも、面白いのだけど終わり方に納得がいかない・・・。
 凄く、楽しめるのですよ? 展開は気になるし、文体も読みやすくて過不足無しのような感じで。・・・でも、終幕が。
 そう感じるのがこの二作だけなのか、他もそうなのか、もう少し読んでから判断しようと思います。好きなのだけどなー。最後がー。
 終わり方が悪いというよりも、ええっ、そこで切るの?!という感じで。気にならない人は気にならない、のかな・・・。

 ・・・時間はあるのに、いろいろとやり残していることや、友人知人への不義理が目に付きます。
 な、何してるんだろ私・・・。

2006 年 2 月 25 日  残りの日々を数える日々

 就職先からもらったテキスト、まだ読んでないよ・・・今日も結局やる気が起きなかった。
 問題を解いて提出しなければならないのですが、大丈夫ですかね、私。
 まあ最悪、テキスト読まずにやるけど。あるいは、読みながらやるけど。ああいうのは、身につけるのが大切なのであって、どうやって覚えたかは問題ではないよね!(そうか?)
 あー・・・やる気起きないな。なまじ、ある程度は知っているだけに・・・。

 さて今、なんとか「青空に白い月」と「台風の目」と「夜明けの晩」を書ききりたいと頑張ってます。類型だろうが、あるものはあるのだから、やりきってしまわないと気持ち悪い。
 でも・・・どうだろうあれは、面白いのか、と思い出すと、もう駄目ですね。す、進めない・・・!
 そりゃ私だって、極力、無駄なことはしたくないわけで。
 ああでも書けるんだから書いてしまいたいしー。それに、あと二回、学校に行くので、それまでに書き上げて、見直し用の印刷を学校のプリンターで終わらせたい・・・(セコイ上に、その日にパソコンを使える部屋が開いているのかどうか判らない)。

 ところで。

「・・・また。先輩、理事長室でくつろがないでください。勝手に」
「なんだ? いいだろ、別に」
「良くないですよ。鍵を変えても入ってくるんだか・・・そうだった、万能鍵(マスター・キー)。ちょっと来てください」
「お前、先輩は敬うものだろ。物扱いするな」
「ああそうですか。じゃあ、理事長として言わせてもらいます」
「俺は顧客だぞ、鄭重に扱え」
「残念ながら、顧客は先輩の保護者の方ですね。そちらから苦情が来ないなら、敬う必要もいわれもありません。あるいは、苦情を受けたところでありません」
「む。ああ言えばこう言う奴だな」
「その言葉、そっくりお返しします」腕を掴み「それよりも鍵です、鍵」


 という会話に基づいて性格付けをしたのに、なんだか展開が、そんな会話が出てきそうにないような。あ、あれ?

2006 年 2 月 26 日 また負けた・・・

 何にって。睡魔です。
 ああもうホント私、眠るのも夢みるのも好きだけど、寝ずにいられたらどれだけか時間を使えるかと考えると、眠りたくなくなりますね。寝るけど。

 とりあえず、会社からもらったテキストは一通り目を通して、同封されていた問題も解いたので、明日にでも提出してこようと思います。
 あのテキスト、いろいろと突っ込みたいところはあるけれど、一番(?)、「上司から飲みに誘われたら、できる限り応えましょう」というのに吃驚しました。
 うーん、今の風潮には逆行しているよねー。仕事とその他分けたい、って方が優勢ではないでしょうか?
 ビジネスマナーの本を読んでいると、時々、マナーじゃなくて上位者に都合よく動かせる仕組みがそれじゃないか、と思ったりしますね。

 そんなで今日は、本読んだりしながらほてほてしていたら、昼寝してしまいました。
 あー・・・自堕落な日々だねー・・・。

 話は変わりますが、今、「ハムナプトラ」を観ています。
 冒頭を見て、神官に対する刑罰で、生きながらミイラにするって妙じゃないか?と思ったのですが、どうなのでしょう。
 罰則とするなら、殺した死体を野ざらしにして獣に食わせるとか、そっちの方のような気がするのだけど。だって、生き返りたいがために、肉体を保存しようとしたのでしょう? 罪人にそんな手間隙かけるなんて。(生きたまま棺桶に閉じ込めてもミイラになるとは限らない。いくら乾燥している地域でも、大多数は腐るよ内臓とか)
 蟲のようなものに食わせて、永遠に苦しみながら生きる、ってのも、ちょっと変な感じ。
 事実を脚色して物語にするのはいいし常套手段だけど、うーん、疑問。

2006 年 2 月 27 日 大きな音に弱い

 今日から始まるラジオドラマの「風神秘抄」を聴こうと、携帯電話のアラームをセットしていたら、音量を下げるのを忘れていて、鳴ると知っていながら(設定したのがなる三十分ほど前)、大いに吃驚しました。
 何やってんだ私。

 今日ものほのほと本を読んでいました。
 この数日、上田早夕里という人の本(三冊しか出てない?)を立て続けに読んでいました。神戸出身で姫路在住とのことで、姫路文学館に実習に行ったときに、地元の作家という紹介で、名だけは聞いていたのですけどねー。そしてそれ以前に、表紙の絵に惹かれて図書館で手に取ったりもしていました(でも借りるには至っていなかった)。
 はじめが「小松左京賞」ということでSFだったのだけど、そして二冊目もそうだったのだけど、三冊目は、現代。
 読みやすさでは、神戸のフランス菓子専門店の、ちょっと謎めいた話(?)というところで三冊目が一番だったけど、話の筋は、不安定にもハッピーエンドだった一冊眼が好き。ちなみに、はじめに読んだのは二冊目(それから残りを借りた)。・・・何か矛盾してる気がする・・・。
 すらすらと読める文体で、SF設定の二冊は、半分を超えたあたりから一気に読める感じです。うん、SFはね。設定の説明がほぼ不可欠で、そこでちょっと読みにくさとかが出てしまうから。この人の書き方は、少ない方だと思うけど。

 それにしても、女性作家の描く男性の方が、男性作家の描く男性よりも(比較的)かっこよく思えることが多いような気がするのは、何故ですかね。私だけか?
 そのあたり、もっと他の人の意見を聞きたいところだけど、どうなのだろう。男性読者からすると逆なのか、とか。
 女性が描く方がかっこよく思えるのは、いくらかあこがれや理想が加味されて、作者と自分自身の理想形がかけ離れていない限り、共感するからかなーと思ったりするのですが。男の人が女子高に憧れるみたいな(ちょっと違う)。
 実際の女性よりも、女形(歌舞伎の女性を演じる男性)の方が女らしいとか、そういった類でしょうか? これも違う?

 話は変わって、また日記連載を始めようと思います。・・・多分(え)。
 なんとか、来月中に書き終えたいなと思ってのことですが。さーてどうなるでしょう。
 とりあえずは、今欠けている分を区切りのいいところまで掲載していくのですが、今日の分は、一度、ここに載せたことがあるのだよなー。でも一応序部分なので。
 あ。これ、「話置場」にある「闇夜の晩」がほぼ設定そのままだけど、舞台は現代です。似非現代。

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 あれ、ここは?
 ああ、そうだった。真っ直ぐに歩くのだった。出口は、着けば判るからって。
 後ろを振り向いちゃいけないって。
 真っ直ぐ、歩いて行きなさいって。

「あー・・・後ろ、振り向きたくなってきちゃった」
 冗談めかして、わざと声に出して言う。
 そうでもしなければ、不安に押しつぶされそうだった。ここで座り込んでしまうか、振り向いてしまうか。
 ただでさえ、随分長いと思える時間を、この暗闇を歩いているのだ。前も後ろもないような暗闇を、多分前だろうと思う方向に向かって。
 ここに連れてきた男と出会ったのは、自室だった。紅子は、寝台に横たわって医療器具につながれたまま、何度目か判らない生死の境を彷徨っていた。詰めているはずの医師たちは、紅子が意識を取り戻し、男の姿を認めたときは、どこにもなかった。
 男から話を聞いて、即座に、先日読んだばかりの物語を思い浮かべた。
 驚くほどに病弱な体で外出もままならない紅子にとって、読書は最大の時間の消化の仕方だった。もっともそれも、長時間は困難という制約がついていたが。
「つまり、あなたがメフィストフェレスで、私がファウスト博士というわけね?」
「・・・まあ、そんなところだな」
「あら、あなたもあの話を知っているの? 悪魔も、本って読むのね」
 長い沈黙の後に、渋々といった体で返された言葉に、紅子は目を見張って言った。先程よりも長い沈黙の後には、溜息だけが聞こえた。
 そうして、約束をしてこの暗闇に連れてこられた。契約を交わすのは、この後だ。
「それにしても、悪魔って親切よね」
「・・・そんなことは、はじめて言われた」
「そうなの?」
「何故」
「だって、報酬は後払いでしょう。ずる賢いと聞いたから、詐欺紛いで命だけ掠め盗られたら話は別だけど。先に願いを叶えてくれるのだから、親切よ」  
「・・・そういう、ものか・・・?」
「ええ。だって、報酬先払いだったら、自分の願が叶うところを見届けられないでしょう? 私はね、あの人たちが舌打ちするところを、しっかりと見届けたいの」
「・・・親族を殺すのが、お前の願いか?」
「まさか。そんなにすぐに、楽になってもらっては困るわ。あの人たちは、私がいて、ぬかりなく財産を見張っているだけで迷惑なのだもの。それなら、散々迷惑をかけて、私自身は生活を楽しむの。私が非の打ち所がないくらいに健康で、誰にも邪魔をされずに、厭になるまで私自身が楽しく生きることが望みよ。もちろん、羽山成の当主になって、散々親戚一同に迷惑をかけてね」
 そうして、契約のために出された条件が、この暗闇から戻ること。禁止されたのは、後ろを振り向くこと。
 もしその禁止を破れば、どうなるかは知らないと言われた。
「だけど、駄目よね。禁止事項って、まるで破らせるためにあるみたいなんだもの。機を織る鶴の姿を覗き見してしまった人の気持ちが分かるわ」
 やはり声に出して言って、紅子は足を早めた。
 一切光のない暗闇のせいで、時間感覚など、疾うに麻痺している。それでなくても、自分の足で歩く機会すら少ないのだ。
 はじめこそ、歩いても歩いても息切れもせず、倒れることもない体に喜んだが、ここまで来ると不安が勝る。少し、飽きたこともあった。
「駄目よね、駄目よ。それに、後ろを見たってどうせ、何にもないんだから。ああだけど・・・・」
 ぴたりと足が止まったのは、もう十回ほども、そんなことを一人で呟き続けた後だった。
 止まって、ゆっくりと、恐々と首を動かす。三度ほど躊躇った後、思い切って体ごと振り向く。
「・・・あら」
 一瞬、鏡があるのかと思った。しかしすぐに、違うと判る。手が伸びてきて、首に触れたのだ。殺されると、そう、思った。
 咄嗟に、後ろに倒れ込む。思い切り打ち付けたお尻が痛いが、それに顔をしかめるよりも、向かいに立つ「自分」に目を見張っていた。
「ええと、離魂病? ゲーテ尽くしなのね・・・なんて、言ってる場合じゃないみたいだけど・・・」
 更に手が伸びてきて、逃げたいのだが、しっかりと腰を下ろしてしまっているため、動けない。そもそも、体を動かすことに慣れていないのだ。
「どうなるか知らないって、こういうことなの。自分で自分に直接殺されるなんて、ちょっとできない体験よね。離魂病でさえ、直接じゃなかったはずよ」
 気が動転して、一層口数が増える。それでも紅子は、無表情に見下ろす「自分」を、じっと見ていた。
 死はあまりに近すぎて、そのものに忌避は薄い。ただ――それが唐突なものと知ってはいても――わけが判らずに終わるのは、好みではない。   
「あら?」
 喉にからみつく手にろくに抵抗もせず、紅子は、その眼を覗き込んだ。
「あなたの眼。悪魔さんに似てるわ」
 手が、力を込める寸前で消えた。手だけでなく、もう一人の自分そのものがいなくなった。
「え? 何?」
 次いで、闇が消える。慌てて見回すと、そこは自室で、寝台に寝ていた。急に頭を動かしたものだから、既に馴染みの、きつい眩暈がおきた。
「契約には、血を使う」
「え? あの、悪魔さん?」
 暗闇に入る前に、幾つか会話を交わした男が寝台の横に立ち、感情のないような表情をしていた。
 暗闇に入る前の状況なのだと、気付くのに少しかかった。
「何だ」
「私、どうして帰ってこられたのかしら。後ろを振り返ってしまったのよ。自分に殺されるところだったのに。そういえばあの私は、あなたに随分と似てたわ」
「お前は、条件を満たした。だから契約を・・・」
「待ってよ。だから、満たしてないわ。出口を見つけてないし、後ろも振り返ったのよ」
 困惑したまま、紅子はか細い声で反論した。男は、溜息をついた。
「あれが条件だったんだ」
「どういうことよ」
「あそこから、帰ること。条件は問わない」
 では、もう一人の自分がこの男だと、見抜いたから戻れたのだろうか。気付かなければ、ずっと歩き続けたか、そのまま殺されたか。そんなところだったのだろうか。
「・・・嘘、ついたのね?」
「悪魔はずる賢いものなのだろう?」
「騙された・・・?」
 呟いて、溜息をつく。そうして一度、深呼吸をした。
「まあいいわ。契約を」
「ああ」
 静かな夜の、出来事だった。

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 「台風の目」の、過去の話を書きたいなーと思い始めています。・・・以前に挙げたやりたいこと一覧、ほぼできてないのに・・・そして先に本編書けよって話ですね(途中で止まってる)・・・。
 シュムがセレンと出会ったときのことあたりが。
 だけど、過去の話なのに現在と変わってなくてもいやだなあと、思ったりして、具体化はしばらくなさそうですが。・・・うん、それよりもね・・・。

2006 年 2 月 28 日 実はもうとっくに日付越えていますが

 ラジオで聴いた、はんこの宣伝(?)の会話が忘れられません。
「私、ハンコって押すの苦手なんですよー」
「そうですねー」
「でもほら、これだと、きれいに押せるんですよー」
 ・・・え。そこで同意しちゃっていいの?! 絶対、その後の言葉受けて同意しないと駄目だろ!?
 誰一人として突っ込まなかったけど・・・(その番組に他にも人はいたはず)。いや、突っ込めないだろうけど。宣伝用の時間は決まってるだろうからさ。でもそれはないと思うよ!(笑)
 タイミングって難しいですねー(そういう問題?)。

 今日は、父の仕事の手伝いをしていました。臨時バイトというか。
 道路のアスファルト舗装の面積を測るという、一人じゃできないけどとりあえず一人がしっかりしていれば、誰にでもできる簡単な仕事(何しろ小学生の頃から時折手伝ってましたから)。基本的に私は、メジャーを持って印をつけながら移動するだけです。
 やぁ、父の仕事って、幼い時分から疑問だったのですよねー。一体あれは何なのかと。未だに、よく解らなかったりするのですが(爆)。
 土木設計業なのだとか。・・・えーっと、で、それ何?

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 年が明け、七草粥も啜り終えた頃、ようやく、待ちわびていた新学期が始まった。
 約二年前に購入したマウンテンバイクを走らせながら、下手したら、日本で一番学校が好きな高校生だなと、羽山成皓は苦笑した。
 しかしこの気持ちは、例えば、病弱でほとんど学校に通えない子供や、家が嫌いだが街中に遊びに行こうとも思わない子供なら、あるいは理解してくれるかもしれない。
 学校前の坂道を登り、息が切れ、汗が流れるのも、嫌いな感覚ではない。
「おはよー、羽山成」
「おはよう」
 自転車に前かごのついた、いわゆる「ママチャリ」に乗った少女と並走して、笑顔を返す。
 皓のクラスメイトの少女、梨木茜は、登校時のみ束ねた長い髪に、度の軽いふち無しの眼鏡。平凡な形のセーラー服、ただし色は黒に水色のスカーフ、という制服は、二人の通う私立梨園学園の高等部の制服だ。
 美人とは言わないが、服や身なりを選ぶだけで美人になるだろう、との予想がついた。
「ねえ、数学やった?」
「やったけど、自信ないよ。僕は文系・雑学が専門」
「この歳で専門なんて絞るもんじゃないよ」
「天才は、幼少のみぎりからその才を見せるらしいよ?」
 校門をくぐり、指定の駐輪場に到着する。比較的早い時間のため、止めてある台数は少ない。
 カバンを前かごから出す茜を待ち、並んで教室に向かう。皓自身は、背負う型のもののため、その必要はない。
 一月前半の朝の風は冷たく、皓は、コートの下で身をすくめた。隣では、生足で、ポンチョのようなマフラーをしただけの茜が、平然としている。自律神経が壊れていないかと、疑う瞬間だ。
 さらりと、束ねていた髪を下ろした。
「凡才でも、努力すりゃ一流にはなれる」
「数学学者になるつもりはないって。梨木さんに譲る」
「いらない。あたしは、新聞記者か弁護士か検事になるの」
「そうだった」
 約七ヶ月前、四月の入学式の日に自己紹介でそう述べて以降、茜は時折宣言する。厳密には、その三択だけが選択肢ではないらしいのだが、なんとなく、その目的は窺い知ることができるような気がする。
 一年生の教室は三階のため、二人は、せっせと階段を上った。土足で、靴を履き替える必要はない。おかげで、靴箱にバレンタインのチョコ、といった微妙に厭な状況は、成り立ちようがない。
「そこで相談」
「答を写すなら、高木か雪村さんが妥当かと」
「・・・わかった」
 そもそも、高校生になって冬休みの宿題もないものだ、と思わないでもないが、放っておけば、自主的に勉強する者がどれだけいるのか。皓も、好き好んで教科書を広げようとは思わない。
「ところで、羽山成。イヴに告白されて、その後どうしたの?」
「・・・どうしてそれを」
 二学期の終業式の日、皓は、見知らぬ後輩に告白された。中等部からやって来た少女は、文化祭のミスコンで賞を取ったと、控えめに自慢していたが、皓にはとんと覚えがなかった。中等部の文化祭の日は、生憎と弓道部の対外試合の日だったこともある。
 とにかくその少女は、付き合ってくださいと、可愛らしく告白したのだった。断り、ぼろぼろと涙を流された後味の悪さは、年を超えた今でも残っている。
 茜は、いっそ嘆息をこぼした。
「羽山成、あんたねえ、中三で途中入学してから、どれだけ告白されたか覚えてる? 注目の的なの、いい加減に自覚なさい」
「うーん」
 確かに、本人にはどこがいいのか判らないまま、いくつものラブレターをもらっている。
 友人たちに言わせれば皓は、見掛けと飛び抜けてはいなくても頭が良く、弓道部と空手部の期待の星、となる。男友達は、その後に、何でお前の友達やってるんだろう、と続くことも少なくない。引き立て役に甘んじるつもりはない、とは、半ばは冗談だが、残りは本気だった。
 教室の前まで来た二人は、扉に手をかけ、あ、と言って顔を見合わせた。
「今日は遅い方か」
「まあ、始業式だもんねえ。早く来る意味ないわね」
 朝早くの教室で、一時間目の予復習や宿題をすることの多いクラスメイトがいる。生徒のいない間は施錠する決まりのある教室の鍵を、だからその少年が開けているのが常なのだが、体育や芸術授業のときは、早くは来ていない。
 それをうっかりと忘れていた。
「取って来るよ」
「寒いところに、一人出待ってろって言うの? あたしも行くわよ」
 本当に寒い、と訊きそうになったが、なんとなく止めておく。しかし、むき出しの足には、鳥肌も立っていないように見えるのだが。
 皓は、アルミサッシの窓に手をかけ、すりガラス越しに見える鍵の様子を伺いながら、ゆすってみた。徐々に動いていた鍵は、やがて、完全に外れた。アルミサッシの窓は、こうやって開けることもできる。
「開いたよ」
「・・・見事ね」
「鍵だけ取って来るから、カバンよろしく」
「わかった」
 呆れたような茜に微笑して、皓は、身軽に身を翻した。職員室は渡り廊下でつながった隣の校舎の二階で、走ればすぐだ。
 鍵がないとはいえ、教室に二つある扉のうち後方は内側から開くのだから、急ぐ必要もない。だが皓は、走ること自体を楽しんでいた。
 リノリウムの廊下を、スニーカーの底で摩擦を感じながら蹴り、十数段ある階段の、半ばほどで、ひらりと軽く飛び降りる。思った通りに動く体が、こんなにも嬉しい。病の癒えた人が健康をありがたがるように、そう思う。
「!」
 駆け、急ブレーキをかけようと思っていた職員室の扉の前に、中から現れた人影に、衝突してしまう。前のめりになっていたこともあり、思い切り、額を打った。 
「・・・何をしている」
 頭上からの低い声に、慌てて体勢を立て直し、誤魔化すように笑みを浮かべる。
 目の前に立つのは、背の高い男だった。コートを腕にかけているのは、暖房の効いた職員室の中から出てきたところだからだろう。
「勢い余って。すみません、名井コーチ」
「はしゃぎすぎるな。気をつけろ、皓」
 名井響は、教師ではない。弓道部と空手部のコーチだ。本職は会計士ということになっているが、その肩書きも一部で、梨園学園を運営する理事長の、財務管理や運用などを一手に担っていると、知る者は少ない。
 皓はその数少ないうちの一人だが、学内では基本的には、一部員とコーチとしてのみ接している。
「はい。また、放課後」
 ぺこりと一礼し、当初の目的である鍵を取りに職員室に入る。入ってすぐのところに、学年とクラス順に並べられた鍵と日誌を掴むと、変に温かい部屋を、そそくさと後にした。
 実のところ皓は、クーラーやヒーターの冷暖房が苦手で、大好きな学校生活のうち、それらが完備されているという点だけは、完全無欠にいただけないと思っている。
「コーウ」
「秋山先輩? 何があったんですか」
 出てみると響はもうおらず、代わりかのようにかけられた声に、首を傾げる。
 皓と同じ、黒の素っ気無い学ランにダッフルコートを重ねた秋山和利は、左手をコートのポケットに入れたまま、ものぐさに右手を上げてこちらに向かっていた。
 やってきた方向には校長室と放送室があるが、そのどちらかに用があったのか、職員室の前方の扉から出ただけなのか。まあ、そちらには階段もあるのだから、それだけの可能性には限らないのだが。 
 和利は、人の悪そうなかおをした。もっとも、これはこの人の地顔だ。
「何かって何だ? 俺が早く学校にいたらおかしいか? 天変地異でも起こるってか? ああ?」
「しょこまふぇいっふぇまふぇんっふぇ」
「何言ってるか判らん」
「誰のせいですか」
 頬を引き伸ばされれば、まともに喋れるわけがない。判りながら言っているのだから、人が悪い。
 名残で痛む頬を両掌で押さえながら、皓は、和利の顔を見て溜息をついた。
 異例ながら、一年生だった先年から今に到るまで、生徒会長を務めている和利と皓が知り合ったのは、去年の高等部の文化祭の成果だった。
 一部が破目を外しすぎ、後夜祭で、予定になかったキャンプファイヤーのような巨大焚き火を出現させてしまった件で、和利は理事長に直談判に行ったのだ。事前に消防局に連絡し、類焼がないように十分に配慮した、確かに、教師には事後承諾になってしまったが、しかし生徒会執行部及び実行者数名に対する処分は重すぎる、との抗議だ。
 実際のところ、その決議は高等部のみで決まったことだったのだが、抗議にあった校長は、冷静に激しく演説を行う生徒会長に辟易し、そこまでは行くまいと、理事長に責任を転嫁したのだった。姑息な手段に過ぎないが、相手が彼でなければ、成功したかもしれない。理事長は独断専横の人だと、一部の生徒に広がるほどの噂になっていたのだ。
 そして皓は、和利に出会った。
 梨園学園高等部の生徒会長は、学園長が羽山成皓といい、一生徒に紛れていると知る、数少ない一人になったのだった。
「で、何か用ですか」
「いや、ちょっと景気づけにな」
「びりけんさんじゃあるまいに、僕の顔に利益はありませんよ」
「びりけんさん?」
 通天閣に行ってください、と言って説明を放棄し、皓はあっさりと背を向けた。
 既に、教室の鍵を取りに来た何人かと顔を合わせている。登校のピークが迫る頃だ。
「おい待て、なんて冷たい後輩だ」
「じゃあ、あつい先輩。用意しなくていいんですか? そのために、放送室に行ってたんじゃないんですか」 
「ん? あ。よく判ったな。そうだ、俺は忙しい。閑人の相手をしている暇はないのだよ」
 ふははは、と、悪人のような作り声を残して、和利が去っていく。たまたま行き合わせてしまった生徒は、笑い声に何事か、とぎょっとしたかおをして、発生源が生徒会長と知ると、何だ、という顔つきになる。
 優れた、と、変な、という意味を共に持ち合わせる意味での奇才の生徒会長は、今や、この高等部の名物だ。
 皓は、生徒会の提出してきた企画案と、終業式の後輩の泣き顔を思い出し、深々と溜息をついた。それでもきっと、幼等部から大学院に至るまでの学園全体とは言わずとも、高等部をあげてのバレンタイン・イベントは、生徒に支持されることだろう。
 気疲れに溜息を落としながら、しかしその半分ほどは、それらの全てを楽しいと思っている自分を、皓は自覚していた。
 誰かを傷つけようとも、無理に自分を抑えることなく過ごす日々を、皓は、大いに愛していた。



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