猫騒動以前

その枷は、見合うだけの対価を与えてくれるだろうか。


「柳上掾? 何をしておられるので?」
 思わず声をかけると、半瞬ほどだけ訝しげな、記憶を探るような目をしたがすぐに拭い去り、失礼にならない程度に首をかしげ、蓮に心当たりのないことを知らせる。あるいは、はっきりと姿が見えないためとの言い逃れも可能だ。その一連の反応だけで、有能と、少なくとも無能ではないと判る。年少での任官は伊達ではないらしく、主が気に入るわけだと、わずかの同情を込め、蓮は実感した。
「いや、失礼をいたしました。私は、延推の祭蓮。実質は、炎王・左将軍のお守りといったところですな」
「・・・お世話になっております」
「迷惑をかけたでしょう、うちの上官は」
「滅多にない経験をさせて頂きました」
 きっぱりと、笑顔で言い切る。大したものだ。
 柳静が先日、蓮上官に引っ張られ、城下町の裏路地での酒盛りに巻き込まれたとは、張本人から聞いて知っている。翌日、二日酔いのはずのところをおして出勤したことといい、頑張っている。もっとも、それだけ後がないということなのかも知れない。
 建前として、家柄を問わずの仕官を認め、それなりに実力重視の配官制度が整ってきているとはいえ、まだまだ風当たりは強い。蓮もある程度名の知れた家の出で、上官は現帝の末の弟だ。
 それにしても、静は文官のはずだ。今手に持っているものは、銘もなさそうな平凡な剣で、つい声をかけたのは、それを振るっていたからだった。
 静は、蓮の視線に気付き、軽く頭を下げてごく自然に、剣を後方へとずらして視線をさえぎった。
「見苦しいところをお目にかけました」
「失礼ですが、上掾は何故このようなことを?」
 文官であれば、剣を使えないことも珍しくない。両方身につけていることが理想ではあるが、逆に、武官にはろくに文章が作れない者も多い。
 静はわずかに、苦笑を形作った。
「一時は、武官に憧れていたのです。残念ながら、その才はありませんでしたが。その名残で、つい手にとってしまうのです」
「なるほど。しかし、宮内では止めておいた方がよろしいでしょう。どこで何を勘繰られるか、わかったものではありません」
「そうですね。ご忠言、痛み入ります」
 礼儀正しい礼を返される。
 蓮には、剣の腕が鈍らないように鍛錬を行うのは、自身を守るためではないかと思えた。たとえば、夜道で襲われたときに対処できるよう。穿ちすぎかもしれないが、あながち的外れでもないだろう。国の中枢を担うこの場所は、決して安全なところではない。
 蓮は、そろそろ衰死を考えてもおかしくない年齢となっている。まだまだ生きることもできるだろうが、病などで倒れても不思議ではない。そのうちの大半を宮中で、あるいは赴任地で過ごし、大きな功績がない代わりに、失態もなくやってこられた。十数年前に起こった宮中にまで賊の押し入った六国の乱も、どうにか生き延びた。
 現在仕える上官は、その乱のときに身を挺して守った人だった。上官は、命は守りきれたものの、あの乱を境に、どこか壊れてしまった。
 静は、壊れる前の上官を思わせた。内にあるものを隠し、他の全てと対等に張り合おうとする。自分が傷つくことも厭わず、自ら重荷を負う。ただ権力の波に呑まれ、どうにか溺れることだけをまぬかれてきた蓮には、そんな彼らはまぶしい。
「剣術を続けられるのであれば、良い師を紹介しましょうか?」
「ありがとうございます。ですが、私の腕など、遊びのようなものです」
 にこやかな拒絶に、それもそうかと息を吐く。知り合ったばかりで、差し出がましいことをしてしまった。
 どうにも年を取ってしまったと苦笑いし、二、三言葉を交わすと、いとまを告げた。


望んだものが得られるだけの力が、ほしかった。



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