ブロク「夢戦」保管庫



夢戦始動〜  2004-06-09 21:29

 基本的には、ゼミや講義で使った漢文の訳文を載せたいと思っています。
 『史記』の次の正史(中国の王朝で認められていた正式な歴史書)の『漢書』から「游侠伝」、清代に編纂された小説集の『太平広記』から「龍」と「豪侠」です。
 後は、資料調べで発見した物事や、その他雑学などメインで。

 全体的にそうですが、特に漢文。
 訳文といっても、素人訳な上に意訳になるだろうので、わかりにくいところやおかしいところがあれば、突っ込みを入れていただけると助かります。

 難しいものではなくて、簡単に楽しめるものを書きたいと思います。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 …そのうち、漫画や小説のレビューなんてできているかも知れない(笑)。


魔女への処罰 2004-06-09 21:59

 注*一部残酷な表現があると思われますので、苦手な方はご注意ください。

 魔女狩り、魔女裁判というものがありましたね。
 …といっても、実際見たわけではないので、「あったらしいですね」というところですが(苦笑)。

 この魔女狩り、少しでも魔女と疑われればもう終わり、といっても過言ではない状態でした。
 一例を挙げれば、疑いのある者を手足を縛り付けて河に投げ込み、浮かんできたら「魔女だ!」と殺し、沈んだら「人だったんだな」という判定。
 「どっちにしても死ぬがな!」ってのは、今だから言えることですね。当時言えば、自分も魔女の仲間入りです。戦時中の「非国民」のようなものですかね。
 そしてこれ、気に食わない奴を殺してくれる、という意識も手伝って、密告が大流行だったとか。いつの時代も、誰も望まなければ悲劇は起きない、というその通りです。 

 そうそう、「魔女」と言いますが、実際には、男性も多く処刑されたそうです。

 その魔女の処刑方に、「火あぶり」というものもありました。
 まあ、別に魔女裁判を引っ張ってこなくても、一般の処刑方としてもあったのですが。

 その火あぶり、柱のように立てた木に縛り付け、下に藁やなんかをおいて火をつける、というもの。
 これって、焼死のように思えますが、実はほとんどが煙による窒息死らしいです。
 ある意味、それの方が楽と言えます。
 窒息死というのも苦しいらしいですが、それでも、肉が焼かれる痛みはないわけですから。そうなると、痛みに気絶もできないらしいです。
 だから、火あぶりで最も残酷なのは、あおいで煙を遠ざけ、窒息死させず、本当に焼け死なせることなのだとか。

 どうにも痛い話です。

 …しょっぱなからこんな話で申し訳ありません(汗)。
 それにしても、どこでそんな知識を仕入れたのかが不明。多分、小説じゃないかと思うのですが。
 因みに、そんな話を思い出した発端は、ある友人の発言でした。

「魔女の火あぶりって、ロープでくくりつけるやん。あれって、燃えるうちに落ちるんちゃうかって思った時期があったなあ」(関西圏在住)

 上記の耳学問を披露したところ、驚かれました。
 しかし、そんなことをふっと思い出す友人も友人で。案外、同類です(笑)。


キリストの磔 2004-06-09 22:27

 「キリストの磔」…また、痛い話が続きます(汗)。
 痛い話は好きではないのですが。むしろ、嫌いなのですが…嫌いだからか、何故かよく覚えていたり。
 そうして、歴史ってそういった話が付き物なのですよね。

 さて。

 今、「パッション」という映画をしていますね。私は見に行っていないし、実はよく知らないのですが…なんでも、キリストがゴルゴタの丘で磔になるまでの、何日間かを描いたものだとか。
 その、磔の話。

 稀に、掌や足首などに、傷もないのに血が滲み出るという「聖痕現象」なるものが現われる人がいるとのこと。
 磔にされたときに釘を打ち付けられたところから、血が出ると言うことらしいです。

 しかしこれ、本当にその場所なのか。

 実際に磔にしたときに、掌なんかにくぎを打ってしまったら、骨の間で、体の重みに耐えかねてずり落ちてしまうのだという話。
 だから実際には、手首のあたりの、骨を狙って釘を刺したのではないかということらしいです。…絶対痛い(それどころじゃないけど)。

 これは、テレビで「聖痕現象」だったか「聖遺体(キリストの遺体)を包んだ布」だったかの検証をやっていたときに知ったことだったと思います。
 へえ、人間の体ってそんな風なんだ、と思ったものです。
 …でも、例えば磔の木に胴をぐるぐる結びつける、とかしてればなんとかなる気もしますが…。まあ、それだとキリスト像のように格好良く(?)はなりませんね。

 ついでに、「13日の金曜日」に見られるように、西欧(キリスト教圏)で「13」という数字が忌まれるのは、ゴルゴタの丘の結末へと導くことになった、ユダの裏切りから来るそうです。
 ユダが「13使徒」「13番目の使徒」だったからと…

 あれ。

 今辞書を引いたら、ユダも入れて「12使徒」になっています。…あれ?
 ユダが裏切った後に入ったマッティヤも入れての13??

 誰か、詳しい方がいたら教えてください。
 てっきりそう思ってた。そんな記述を読んだ気がするのだけど…あれ?

 お願いします。


李白 2004-06-12 22:42

 今、漢詩で李白をしています。

 それで、今日やった詩。

 牀前看月光
 疑是地上霜
 挙頭望明月
 低頭思故郷

 牀前に月光を看(み)
 疑ふらくは是れ地上の霜かと
 頭(こうべ)を挙げ明月を望み
 頭を低(た)れ故郷を思ふ

 「静夜思」という題で、有名なのでご存知かも知れませんね。私は、高校の漢文でやった覚えがあります。
 意味は…まあ、読んだままなのでなくてもわかります…よね?
 補足までに、牀というのは寝台(ベッド)のことです。中国では、唐代には既に、寝台で寝る習慣がありました。
 明月は、曇りなくきれいな月のこと。満月もこう言います。

 講義中、何故月光を霜と見間違えたか、という問いがありました。
 私は何も考えていなかったのですが(爆)、「故郷のことを考えていて、霜の多い地域だったからふっとそう錯覚したのではないか」という意見が出ました。
 あー、成る程と素直に納得。
 実際の李白の故郷がどこか知りません。李白自身のことを詠んだのではないと仮定すればどうとでもできるのですが、まあそこはそれ。

 そしてこのとき。ふうっと考えたことがありました。
 以下、完全な妄想です。

 寒い冬の、獄中のこと。
 小さな窓から辛うじて月の見える、そんな場所。
 夜中に目が覚めて、あまりの寒さと、寝ぼけ眼に映った月光の白さに、目を奪われる。
 そして昔、一面の霜を見た日のことを思い出す。
 故郷を想い、唯一見える月を見る。

 て――突如辛気くさい詩になりますね。
 しかし何故獄中なのかは、もう、よくわかりませんね。本当に、何故なのだろう。

 李白は、「詩仙」とも呼ばれ、ろくに仕事もせず、各地を放浪していました。
 その詩は見事で、天から落ちてきたのではないかとの評もあったようです。
 当時としては型破り、破天荒な行動の数々に、異国人説はもとより、突飛なものでは宇宙人説まであるようです(笑)。
 だったら、李白の詩の好きな現代人がタイムスリップして――というのは、三文小説のようなSFネタですね。


『漢書』游侠伝 1 2004-06-19 23:32

( 飽くまで意訳です。間違っている箇所などあるかも知れないので、発見されましたら、是非ご一報ください。
 なお、この訳は大学の講義を元にしています。 )

 朱家<シュカ>は、魯の国の人で、高祖と同時代の人である。
 魯の国の者は儒教に則って行動ししていたが、朱家はおとこだてで知られていた。
 朱家の面倒を見ている武勇者は百人にも及び、その他にも、面倒を見ている凡人は言うまでもなく多かった。
 しかし、朱家は生涯その働きを誇って人に示すことはなく、この行為を言いふらすことはなかった。諸々の危機や困窮を助けた行ないも、人に知られることを嫌がった。
 他者の手助けをするのには、まず、貧しく身分の低い者から順に行なった。
 家に余分な財産はなく、衣服は人からもらったものを身につけ、食事は味が薄く、乗り物は子牛でしかなかった。ひたすら、人の危急に駆けつけるのは、自分のことよりも優先させていた。
 密かに季布<きふ>の窮地を救い、その後季布は出世したが、生涯、恩返しを求めて季布に会うことはなかった。
 函谷関<かんこくかん>より東に住む者で、首を伸ばすようにして交流を望まない者はなかった。

 楚の国の田仲<でんちゅう>は義侠心で知られていた。父は朱家に仕えていたが、自分で、自身の行ないは朱家には及ばないとしていた。

 田仲が死んだ後には、劇孟<げきもう>という者がいる。


高祖…漢の創立者、劉邦のこと
季布…漢の建国に活躍した武将
函谷関…関所の名前。河南省霊宝県の北東にある



『漢書』游侠伝のこと 2004-06-19 23:46

 1に書いていますが、朱家は、自分の功を誇ったりしない、なんとも奥ゆかしい人だったとか。

 そして、そのことについて触れた、先生の言葉を思い出します。

「だけど、自分のやったことを隠してたら、こうやって後に残ってないんですよね。それが不思議だなあって思うんですよ」

 それに大笑いでした。
 いやまあ、そうですよね。そうも思えますよね。
 まあとりあえず、朱家自身が黙っていても、助けられた方が話していれば、残るのでしょうが。

 なんとも楽しい発言の多い先生で、元々好きではあったけれど、中国文学を専攻に選んだことに、いくらかの影響はあると思います。
 ――しかし、非常勤講師のため、ゼミの先生は別の方(その先生はその先生で楽しい方)なのです(笑)。


『漢書』游侠伝 2 2004-06-22 23:23

 ( 飽くまで意訳です。間違っている箇所などあるかも知れないので、発見されましたら、是非ご一報ください。
 なお、この訳は大学の講義を元にしています。 )

 劇孟<げきもう>は、洛陽の出身であった。
 周の国の人は商売で資産を為したが、劇孟は、おとこだてによって名を為した。
 呉楚七国の乱のときに條候<じょうこう>が太尉<たいい>となり、駅伝の馬車に乗って東に行き、今にも河南に到着するところで劇孟を部下にして喜んで言った。
「呉楚の諸侯は、叛乱を起こしながら劇孟を味方にしようとしなかった。だから私には、呉楚の諸侯の叛乱が成功しないと判った」
 世の中は大いに乱れ動き、大将軍(=條候)が劇孟を得られたことは、敵国を一つ攻め落としたようなものだと言われた。
 劇孟の行ないはとても朱家に似て、博打を好み、少年のような遊びをすることが多かった。
 しかし、劇孟の母が死ぬと、遠方から、葬送のために豪勢な乗り物に乗った人々が駆けつけた。
 劇孟が死んだときに至っては、家にはわずかな金もなかった。


 呉楚七国の乱…紀元前154年。前漢の皇帝に対して、呉・楚を中心とした七諸侯の起こした叛乱。三ヶ月ほどで、全てが制定された。
 太尉…官名。武事を司る。



杜甫 2004-10-09 23:53


 今日の講義で、杜甫の「登高」という詩を取り上げました。 

 杜甫は、唐代の詩人です。
 「詩聖」とも呼ばれ、天才と名高い李白と並び称される人物ですが、当時の評価としては、そう高いものではなかったようです。
 出世にも恵まれず、あちこちを放浪していたようです。

 この杜甫、略歴や人物評を読んで得た人物像は、重荷のはずの家柄や自負にのしかかられて、やたらに高い理想を持って、それを追い求めてしまった人。
 そんなにも高く理想を持たなければ、十分に幸せになれたのではないのかな、と思います。つい、「もういいよ、もういいから、休みなよ」と、肩を叩きたくなってしまうような(苦笑)。
 李白と会ったことがあり、そして李白の詩をとても誉める詩も残しています。そういったことも、奔放な性格の李白の、自分とは違う部分に憧れを持っていたのではないかと、勝手に想像しています。

 「登高」というのは、重陽の節句(菊の節句・九月九日)に、高台に登って健康祈願をしたり酒を飲んだりと、そういったことをすることを指すそうです。
 (訳は、ほとんど先生がなさったものを写しています)

 風急天高猿嘯哀
 渚清沙白鳥飛廻
 無邊落木蕭蕭下
 不盡長江滾滾来
 萬里悲秋常作客
 百年多病獨登臺
 艱難苦恨繁霜鬢
 潦倒新停濁酒杯

 風急に天高くして猿嘯(えんしょう)哀し
 渚清く沙白くして鳥飛び廻る
 無辺の落木は蕭々(しょうしょう)として下り
 不尽の長江は滾々(こんこん)として来たる
 万里悲秋 常に客と作(な)り
 百年多病 独り台に登る
 艱難苦(はなは)だ恨む 繁霜の鬢
 潦倒新たに停(とど)む 濁酒の杯

 風はきびしく 空は高く 猿の声が哀しく聞こえる
 渚は清らかで 砂浜は白く 鳥が飛び回っている
 落ち葉は果てることなくはらはらと散り行き
 尽きることのない長江はこんこんと流れ来る
 何処までももの悲しい秋が広がり 私はいつも旅人である
 生涯病を得て ただ独り高台に登る
 多くの苦労に白髪になってしまったのがとても恨めしい
 老いぼれて更にはどぶろくもやめてしまった

 晩年の作ということもあり、全体的にもの悲しい空気の漂う詩です。
 前半が、広大な自然を読み上げて、後半が自身のことという対比も、それを一層に煽り立てている気がします。

 が。

 どうにも私は、もの悲しくって、淋しくって、孤独で病や老いも抱えて。
 そんなイメージを持っているにも関わらず、それに反することもなく、だけどこれはちょっとした愚痴だよね、と思ってしまいます。

 一つには、これが対句や音の調子をきっちりと考えて造り上げたものだということ。
 技巧として、とても優れているのです。これ以上の出来の詩は作られることはないだろう、と言われるほどだということです。
 つまり、さらさらっとその場で詠んだ、というものではないのですよね。
 はじめがそうだったとしても、それを練りにねって、推敲を重ねて、ここまで造り上げたわけです。
 自分にも人にも厳しい杜甫は、きっちりと造り込まなければ、愚痴を言えなかったのではないかと、そう思ってしまうのです。

 もう一つには、最後の一句、「潦倒新たに停(とど)む 濁酒の杯」。
 老いて、病勝ちだからといって、本当に悲嘆に暮れているのなら、そのまま酒を呷って酔死してもいいだろうにと。
 辛くて孤独でも、生きようと思っているからこそ酒を断つのであって、だから絶望はないだろうと思うのです。
 まあ、濁り酒(どぶろく)は安酒だから、それすら買う金がない、と嘆いているのかも知れませんが。

 以上二点は思い込みや深読みに近く、根拠としては不十分ですが、詩の解釈なんて、思い込みがほとんどですよね(苦笑)。

 とにかく私には、この詩の根底には、考えるまでもなく、前提として「生きていく」ことがあるような気がしてなりません。
 だからこそ、愚痴だと思うのですよね。

 辛い、孤独だと、そう言えるようなら、まだ(例えほんの少しでも)大丈夫なのだろうなと、そう思います。


漢詩作成 2004-11-10 21:31

 学校の講義で、「漢詩を作ってみよう」ということになりました。
 …そう言えば先生、前期から、「最終的には漢詩を作ってもらえたらいいなと思ってるんですけどね」と仰っていましたね…。

 しかし、その漢詩作成方法(五言絶句)。

 一、韻事句(二句目と三句目の最後が韻を踏む)を決める
 二、主題は絞る
 三、転句(三句目)を選ぶ

 しかも、一句五文字のうちの上二字と下三字と、分けて考えるという。
 …詩作?

 とりあえず、提出用に作ってみました。二首。

 東山曙光紅
 湖心残夢風
 人生無所答
 四海酒杯中

 東山 曙光紅なり
 湖心 残夢の風
 人生 答ふる所無し
 四海 酒杯の中

 …ちょっと綺麗なようにも思えるけど、何も考えていなかったり。
 参考語句の中から、感覚的に拾い上げていっただけです…。

 鏡中増白髪
 世路已無望
 年少前途遠
 酒杯百事忘

 鏡中 白髪増し
 世路 已に望み無し
 年少 前途遠し
 酒杯 百事忘る

 …こうして見ると、二字目と三字目できっぱり別れてますね…。
 そして、どちらにも「酒杯」が出てくるところが少し笑えます。二首目は「酒香」にしようかとも思ったけれど、なんとなく。

 言葉選びは楽しかったけれど、何か違う気も…。
 漢詩作りって、こういったものなのでしょうか…?


海幸山幸 2004-12-09 16:33

 『古事記』の中に、「海幸(彦)山幸(彦)」として知られる話があります。

 海幸彦という兄と、山幸彦という弟がいまして。ある日、弟が兄に「それぞれの道具を取り替えよう」と言い出したのです。
 断わったものの押し切られ、二人は、それぞれの道具を取り替えて、海幸彦は山に、山幸彦は海に行きます。
 ところがそこで、山幸彦は、兄の釣り針をなくしてしまいます。
 海幸彦は怒って、山幸彦が代わりにつくった釣り針でも納得せずに、探してこいといいます。
 そして、探しに海に入った山幸彦は、そこで海の神の屋敷に辿り着いて、海の神の娘と結婚します。
 釣り針を見つけ、海の底から帰るときに、山幸彦は海の神に水を呼ぶことと干上がらせることのできる二つの珠をもらいます。
 そして、それを使って兄を屈服させました。

 大まかにいって、こんな話。
 細かく見ると少し違っていて、その上昔話風ですが、こんなところです。
 ちなみに、私が初めて読んだのは、昔話が何本か収録された絵本だったように思います。「金太郎」も一緒に収録されていて…。

 釣り針くらいで、お兄さん酷いよなあ、仕返しされても仕方がないよなあ、と思ったものでした。
 その本では、山幸彦が決死の覚悟で海に入ったような、そんな書き方をされていたような気もします。だから、余計に。

 ところが。

 この箇所を、先日、大学の講義でやりました。
 そのときに先生が仰っていたのですが、古代は、道具は、使う者の魂がこもった、とても大切なものだったらしいです。
 今でも、「包丁は料理人の魂だ!」などと言いますが…。

 つまり、それを交換しようと言い出した山幸彦は、物凄く非常識なのですよね。わがままと言うか。
 兄の海幸彦は、何度かその案を断わっています。それなのに交換して、挙げ句になくしてしまえば、それは怒りますよね。

 その上、海の底で結婚して、釣り針のことを思い出して溜息をついたのが三年の後。…遅くないですか、それは。
 その後、海の神に、「釣り針を返すときはろくでもないものになるように呪いを唱えなさい」と助言され、「田を作るときは、お兄さんと違うところにつくれば、お兄さんの方に水を行かせないようにしよう」と言われ。

 そこまで追い込んで、海幸彦が攻撃してきたら水攻め(もらった珠で)です。
 結局、海幸彦は、山幸彦の家臣になるということで決着がつきました。

 うーん。

 凄く納得がいかないのだけどなあ…。
 まるで、はじめから、山幸彦が、兄を追いつめようと企んでいたようではないですか…。

 そして一番納得がいかないのは、それを勧善懲悪(ではないけれど、それに近い)にとっていた自分…というか、読んだ本。
 道具の大切さ(当時の考え方)を知っていなかったからですが。

 どうしようもないしどうするつもりもないけれど、少し腑に落ちません。

 ちなみに、講義で使っているのは新潮社のハードカバーの『古事記』です。西宮一民さんが校注をされています。
 古文の横に訳文が書かれているという形式なので、慣れていないと読みにくいかも知れませんが、注も沢山あって、少し詳しく、という場合にはいいのではないかと思います。

 注:海幸彦も山幸彦も、それぞれ別の名前もありますが、ややこしいので、ここでは統一しました。


疑問解決 2005-02-03 23:11

 『游仙枕』(話梅子/アルファポリス社)という本を読みました。
 中国の怪奇小説(この場合の「小説」は、今日本で使う創作の物語としての小説のものもあるけれど、随筆のような「小さな話」が主)集。それの、和訳です。
 『游仙枕』という一つの話ではなくて、色々な時代の色々な書物のものを、内容ごとにまとめて掲載。
 不思議だったり恋愛譚だったり幽霊や化け物の話だったり。素っ気ないくらいに散らばった、そんな感じのものたちが面白いです。

 固い訳ではなくて、いくらか手が加わった意訳のような形なので、かなり読みやすいです。
 役職や風習が、あまり説明されることなく書かれているから、少しは引っかかるかも知れないけれど、気にならない人は気にならないですよね。読んでいて、なんとなくわかるということもあるし。
 文章が読みやすいのが、かなりなところ強みではないかと思います。

 ところでこの本のおかげで、数年来の疑問だった、紙銭(しせん・紙のお金。燃やすことで、死者などの手に渡るとされている。現在の中国にもあり、沖縄にも似たような物が伝えられているらしい)は果たして実際の紙幣と同じ値なのか、というものが解決しました。
 燃やしたら、あの世でお金になるからといって原料は紙なのだし、同じではないと思うけどな、でも、実際より安かったら、財産を奪い殺したら幽霊になって祟り出て来てその詫びに紙銭を燃やした、というのがあるのに変だよなあ、と思っていたのです。
 本文中の記述(今手元にないので正確なところが思い出せないのですが)から、十分の一以下ではないかと推測。二十万分を払うと約束して、供物なども合わせて二万かかる、とあったから、そんなところなのでしょう。
 時代で変遷はあったとしても、同価ではなかっただろうということで。解決解決。
 そうすると、紙銭を焚いての詫びは、奪った金の十倍くらいを燃やしたのか、祟った幽霊は手に入れられたからとその差は気にしなかったかなのでしょうか。

 また疑問が(笑)。
 一体、何にその話が載っていたのかを忘れてしまったから、今度何かで見掛けたら、注意して読もうと思います。…何で読んだのだったかなあ…?


卒業論文 2005-04-23 00:05

 大学の卒業論文の題目(仮)が決まりました。

 中国古代・中世における「竜」の諸相

 ということで。
 そもそも、竜に関する文章を片端から読もうとは思っていたのですが。ただそれだけのことなのに、物凄い量ですよ…一体何割読めるのか。

 中世というのは、五代(唐の次の時代)くらいまでなので、そこまでを中心に。
 宋以降になると、戯曲や講談本(?)や白話文学がそろそろと出て来て、厄介だということもあって、そこで区切り。
 近世になると、物語性(作り物語)が高くなってくるのですよね。唐でも、大分その傾向がみられていますが。

 そんなわけでそろそろ、集めた和訳を読み込んで、なおかつ訳文のないやつを訳していかないとなのですが。
 ……就職活動で時間取られるのが厭ー…夏休みも走り回ることになったら、ほぼ確実に満足できる物は書けないだろうなあ…(没)。
 資料探しや訳は、どうしても、まとめてやらないと効率が悪いのです。
 項目立っている物は少ないから、該当個所を探すだけでも大変だし。

 まあ、頑張ろう。
 出きるなら付録で、竜宮についても触れたいし。

 それにしても、参考資料で欲しい本がとりあえず二冊あるのだけど、『中国神話・伝説』も『中国古典読法通論』も、一万円超えるって…学術書ってそんなものですけどね…。両方買うと、三万弱です。
 ど、どうしよう…。  


楽しませてもらってます 2005-11-13 19:51

 卒論、次の金曜が第一稿提出(そうして先生に見てもらって助言などをもらう)なのですが。
 今、書いてます。
 書けども書けども終わらず、結局、七割くらいしか集められなかった資料(しかもそのうちの一割ほどは未訳で読めていない)は、ようやく半分くらいですが…資料並べて論を展開するから、今、まだようやく三割といったところ…終わらない。

 まあ、それは措きまして。

 後漢の人に、王充という人がいます。どんな人物かというところは調べていないのだけど、役所勤めをしていたかどうかはおいても、知識階級ではあったと思われます。
 彼の書き記した、『論衡』。
 龍に興味のある方は、お勧めです。「龍虚」と「乱龍」の章だけでも、読むことをお勧めします。この二章は、ほぼ丸々龍についてです。
 特に「龍虚」は、前漢までの龍について書かれた文章が、出典名つきで引用されているので、なかなかに面白いです。

 そうして何よりもお薦めしたいのは、その論の飛躍ぶりです!

 実は、論理展開苦手だろうと言いたくなるような。だけど、読んでいると、論じるのが好きだろうなというのは感じられるのです。
 上に挙げた二章以外は、あまり読んでいないから、全体に渡ってそうなのかは判らないのですが、論述が上達しているか、一体何を語っているかが気になるところです。
 卒論が終わって時間ができたら、一通り読んでみたいな…。

 明治書院の「新釈漢文大系」から、上中下の三冊で出ています。
 三冊と言っても、原文と訓読文(読み下しただけのもの。古文のような感じ)と訳文が載っているから、分量は無茶苦茶多いというわけではありません。多いけど。
 余裕があれば、訳文と原文をつき合わせてみて、どうしてそんな訳になるかと確認するのも面白いです。直訳かと思っていると、意外と意訳だったりするのですよね。

 平凡社の「東洋文庫」からも、こちらは訳のみで一冊、出ています。
 どちらも、大体の図書館に置いてあると思います。

 どうぞ、お手にとってみてください。

 …さて、続きにかからないと…。  


龍の話 2005-12-27 01:51

 「中国の古代・中世の文章における龍の諸相」という卒業論文があらかた書けたので、その資料に使った『太平広記』の話を訳したものを載せていこうと思います。
 元々は、早めにここに上げて、卒論で利用するつもりでいたのだけど…(苦笑)。

 訳は、基本的には、ゼミの先生のものによります。
 私が訳をして、そこに先生が訳されたものと違っていると訂正、といった方法で訳文を作成しています。

 間違い・疑問点などあれば、指摘していただけると助かります。  


酒屋の土龍 2005-12-27 01:56

 江陵の趙という老女は、酒を売って商売をしていた。
 義熙年間(405−418)に、部屋の中で突然地面が盛り上がった。老女は見て優れたものだと思い、朝夕酒を注いだ。あるとき一匹のロバに似た頭を出したものを見た。しかし地面にははじめから穴はなかった。
 老婆が死ぬと、家の者は、土の下で慟哭するような声を聞いた。子孫が地面を掘ると、一匹の妙なものがうごめいているのを見た。大きさはよく判らず、あっという間に姿を見失った。
 俗にこれを土龍という。  


劉甲の娘 2006-01-06 22:13

 南北朝・宋の劉甲は江陵(湖北省)にいた。
 元嘉年間(424−453)、劉甲の娘は十四歳で、容姿は端麗、未だかつて仏教典を読まなかった。(ところが)急に法華経を暗唱した。娘の生活している部屋は、間もなく奇妙な光があり、娘は言った。
「既に正しい学問を修得しました。どうか二七日の祭事(人の死の十四日後にする法事)をしてください」
 家族はそのために高座を置き、宝帳を設けた。娘は座に上り、高度な講論を行い、人の幸運不運を説いた。諸々のことは全て当たった。遠くの者も近くの者も敬い礼を払って、感じ入って物を差し出し、宝物を投じた。数えることはできないほどであった。衡陽(湖南省)の王がいて、自ら部下を率いてこれを見た。
 十二日が経って、道士の史玄真が来て言った。
「これは化け物だ」
 いきり立って行く。
 娘は既に知っており、人をやって門を守らせ、言った。
「魔物が間もなくやってくるでしょう。道服を着た者は、全て入れてはなりません」
 真は服を変えてたちまち入った。
 娘ははじめはまだ罵ったが、真はまっすぐに進んで、水を娘に注いだ。そうすると、にわかに息絶え(気絶し)、しばらくして生き返った(意識が戻った)。今まであったことを問いかけたが、全て知らないという。
 真が言うには、「これは龍の化け物だ」ということだ。これから正常な状態に戻り、嫁いで宣氏の妻となった。

(『太平広記』収録『渚宮旧事』)  


卒業論文の話 2006-02-08 20:57

 まあわりとどうでもいい話なのですが。
 私(今現在で文学部日本語日本文学科中国文学専攻)の卒論製作の経路などを書いていこうかと。
 別段、面白い話ではないですよー。

 建前としては、何かしら卒論なり調べ物の役に立てば、ということで、本音としては、ただの備忘録。
 記録をつけるのが好きなのです。
 大体、途中で放り出しますが(爆)。しかも、終わった後でっていまいち役に立たない…。

 卒業論文の題名は、以前にも書いたけれど「中国の古代・中世の文章における竜の諸相」です。

 まず、何故龍になったのか。

 これは、はじめのゼミのときに、「どうしてこの(中国文学の)ゼミにしたのか」、という自己紹介のような質問のときに、
「中国を題材にした小説が好きで、それと、龍も好きなので」
 といったことを言ったところ、
「ああ、龍ねえ。あれはいいよ、あれをちゃんとやったらいい卒論が書けるよ。それなら、龍についてやろうか」
 え。
 いや、悪くはないけど…あれ私卒論龍で決まり?
 と、おそらく軽口だっただろう先生の反応を受け、知りたかったしまあいいや、となんとなく決めたのでした。軽いな。

 ちなみに、先生のおっしゃった「やる」というのは、卒論のことではありません。
 そもそもゼミでは『太平広記』という「龍」や「神仙」「酒」といったように、項目立てて物語を編纂していたものを読んでいく、ということになっていて、その項目は、先生が事前に(適当に)決めていたものでした。
 それを、分量も丁度いいし変更しようか、ということに。
 ありがたいけど吃驚しました。

 あー、でも、変更前の「道術」にも興味があったのだけど。

 そして、四人しかいないゼミで、私が早々に題目を決めたところ、もう一人も何故かすぐに決めて、あとの二人が急いで(慌てて)決める事態になり、妙に早くに目的の定まったゼミとなったのでした。
 急ぐ必要なかったのだけどね…いや、早くに決めた方が、資料が集めやすくて、いいには違いないですが。 

 そんな感じで、大学三年生のゼミが始まりました。  


そうして資料集めが始まる 2006-02-09 21:09

 資料集めです。

 当初私は、『太平広記』に龍の話はたくさんあるし、これ全部まとめるだけでいいのかなー、と思っていました。
(言いわけのようですが、二つ上の先輩方の卒業発表を拝聴する機会があって、その先輩方の使用資料がほとんど『太平広記』のみ、と言っていいような状態だったのです。だから、そんなものかと思っていたのでした。)

 が。先生が、資料を見るのにいいからと出して(探して)下さった『古今図書集成』を見たら。ものっすごくいっぱいあるのですけどー。
(『古今図書集成』も、『太平広記』同様、項目ごとにそれに関連した過去の資料をまとめたもの。ただ、前者が清代の編纂で各時代のものに散っているのに対して、後者は宋代編纂の半数近くあるいは以上が、唐の作品で占められています。)

 しかもあっさりと、
「文章を書き写す間に変化したりするから、他に資料があったらコピー取っといた方がいいよ」

 …まあ実際問題、とりあえずは「。」で区切れが示されている『太平広記』はまだしも、それすらない『古今図書集成』では、高校程度の漢文より少しは理解できます、でも現代中国語も話せません、という読解能力で読むことは、八割方不可能。

「日本語訳があるやつは、なるべくそれ使いー」
 というありがたいお言葉に、同意しないことがありましょうか(反語)。

 幸いにも、通っていた大学は、中国文学は日文科にひっそりとゼミが紛れているだけの存在だというのに、専任講師は三人もいて、書籍も比較的潤沢という、恵まれた環境。
 まあもっとも、書籍の潤沢さは、日本語訳の本があることよりも、中国文の本があることでしたが。 

 余談ながら、中国文学のゼミの(学生における)知名度の低さは、四人いる同学年のうち、ゼミの説明会(というものがあってそこに来ていた人のゼミの中から選ぶ)以前にその存在を知っていたのが、私だけだったということからも窺えます。
 一応、学校案内のパンフレットにもあったのだけどね…(実はこの大学に決めた理由の四割程度がそこにあった)。
 ついでに、私たちの上の学年では中国文学ゼミの希望者はなく、更にその上(卒論発表を見学させてもらった人たち)が三人。下の学年では、これも三人で、ただし先生が違うという、上下ともに先輩後輩のない、寂しいゼミでした…。

 さて次は、(ようやく実用的?な)資料の探し方。  


ありすぎるのも困りもの 2006-02-12 13:55

 資料探し、ということで、まずやったのが、『古今図書集成』に収録されている作品の整理分別、でした。
 一体何の書物からいくつ引用されているのかが判らないと、探すのも困る。
 データベースを作る、というほどではありませんが、とりあえず、書名とそれの掲載されているページとを一覧にしました。

 五十音順に並べる、といったことをしたのは随分経ってからで、あまり便利という意識もなかったけれど、この一覧を作成していなかったら、困っただろうとは予想がつきます。どこに何が書かれていたか、覚え込むほど記憶力はよくありません(これが、せいぜい数枚の話ならそれでも済んだかもしれないけど)。

 それとこれは、間抜けなことに大分後になって必要性に気付いたことですが、書物の成立年代について調べること。
 私の場合、ややこしくなるので「古代・中世」と区切り、唐代までで区切ろう、というものでした(一覧を作った時点では、そんなことは考えていませんでしたが。そう決めたのは三年の夏だったかと)。
 だから当然、五代のものは一応集めるとしても、宋・元・明・清といった時代の資料は必要がないわけです。
 でも『古今図書集成』は、清に編纂されたため、そのあたりも大量に収集。

 この書物の成立年代というのが、また厄介でして。
 ある本に「漢の劉某が書いた」とあったかと思えば、別のものでは、「それに擬して宋の江某が書いた」とあったり。作者がはっきりしていて、その活躍年代が調べられればまだしも、作者不詳、従って成立年代も不明、とこられると、もう。
 本によって微妙に食い違っていたり、諸説あって、よくわかりません。
 比較的有名な『山海経』(おそらくは当時の王朝以外の、知識人にとってのいわゆる未開地を想定して書かれただろう架空の地理誌。摩訶不思議な獣や妖怪、植物、鉱山に神々が掲載されているため、一部では呆れるほどにメジャー)を例に取れば、これは、周の戦国時代頃から前漢にかけて書き足されていった、と見られているのだとか。
 …おかげで、これ一冊の中に食い違う記述はあるわ、どれがいつごろ書かれたものか(少なくとも素人目には)さっぱりだわ。

 もうその辺りは適当に、曖昧だったらばっさり切る、幸いに資料はたくさんあるし、ということで無視していきました。
 書物の成立年代調べに主に使った本は、『中国神話・伝説辞典』(袁珂/大修館書店/1999)と『中国学芸大辞典』(近藤杢/東京元々社/1959)の二冊。これはどちらも、日本語で書かれています。(前者は訳書)
 他に、中国語の人名事典なども使ったのですが…うっかりと控え忘れて、参考文献に挙げ損ねました(汗)。
 あ。あと、京都大学が出していた中国書の目録のようなものも(これもうろ覚え)。
 本の成立王朝と著者が載っているので重宝したのですが、あっさりと□(不明)とされていたりして、がっくりときた覚えも。

 そうそう、資料調べ、面倒だけど、本の題名だけでもメモを取っていったほうが、後々楽ですよ。当たり前のことですが。
 後でパソコン検索で、と思っていたら、結構時間を喰いました(というよりも無茶をする。下手をしたら、再会不能…)。  


雨頼み 2006-02-12 14:11

 唐の昔の兵部尚書の蕭マは、かつて長安の長官だった。
 その頃に都が日照りになり、とても暑い気が凝り固まって、蒸して流行り病を引き起こした。代宗は大臣や部下に命じ、役人を行かせて山川に祈り祀らせることを一月ほどもしたが、暑さはますます盛んになった。
 そのとき天竺の僧の不空三蔵が静住寺にいた。三蔵は念仏を唱えることで龍を招き雲雨を興すことをよくした。
 そこで、蕭マは寺に行き、三蔵に言った。
「今いよいよ盛んな暑気が幾月も続いています。主上は気に掛け憂い、楽しみを減らし食を減らし、飢饉を心配し、民の病を憂いとしています。どうかわが師(尊称)よ、祈りの場を作って雨を降らせてください」
 三蔵が言う。
「たやすいことです。しかし龍を招いて雲雨を興せば、私が恐れるに、風雷の振動が、農業生産に害をもたらすでしょう。どうして農業を補えましょう」
 蕭マが言う。
「あっという間に鳴る雷と激しい雨は、なるほど穀物を実らせることはできませんが、暑熱を涼しくして、少しばかりでも人民の病を解決するのには十分です。どうか辞退なさいませんよう」
 三蔵は仕方がないので、その弟子に命じて、木芙蓉の皮をわずかに一尺ほど(約30センチ)とらせ、小龍をその表面につないで、香炉瓶の香水を前に置かせた。
 三蔵は、呪文を唱えて舌を震わせ、祝詞を叫んだ。呪文をしばらく唱え、木芙蓉の皮につないだ龍を蕭マに預けて言った。
「これを曲江の中に投じてください。投じ終えたら速やかに帰り、風雨の強いところに無理に行くのではありませんよ」
 蕭マは、言われた通りにこれを投じた。
 たちまち白龍のわずか一尺ほどのものが現れ、ひげを揺らし鱗を振るって水から出て、にわかに身長が数丈に伸び、形は白絹を引いたようで、たちまちに天に到達した。
 蕭マは馬に鞭打って駆け抜け、数十歩に及ばずして、雲の色が凝り固まったように黒くなり、暴雨が激しく降った。永崇里のあたりで、道中の水は既に溝を決壊したかのようだった。

   (『宣室志』)  


便利な時代です。 2006-02-14 00:36

 さて、探す書物の一覧ができたら、後は探すのみ。

 まずは、日本語訳のあるものからですね。中国語が堪能なら、訳文を必死に探す必要もありませんが…。

 とりあえず、「新釈漢文大系」(明治書院)と「全釈漢文大系」(集英社)というシリーズに、比較的有名な中国古典書が収められているので、それを書架で直接、片端から探していきました。
 当たり前ですが、図書館で(揃える財力なんてあるはずがない)。
 この二シリーズ、原文と訳文、書き下し分、注釈が全てあるので、かなり便利。論文引用の際は原文が必要になるのですが、『太平広記』や『古今図書集成』は、誤字脱字が多いので(これに限った話ではありませんが)、訳文だけだと原文も探したほうがいい、という手間がかかるのが、これはない。
 それに、原文と並べて置かれていると、どの文をどう日本語に訳したかが判りやすいですしね。

 それ以外には、「中国古典文学大系」(平凡社)と「東洋文庫」(平凡社)のコーナーをうろついていました。これは訳文のみです。
 訳文のみでは、他に「中国古典新書」(明徳出版)もあるのだけど、これはほよんどが抄訳(一部のみの訳)なので、私の場合は、該当箇所は少なかったですね。学校の図書館では、このシリーズはまとめて置かれているわけではなかったし。

 そして、そういったシリーズものを制覇(?)したら、パソコンの出番です。
 パソコンというか、蔵書検索のためのデータベース。今は大抵のところにありますが、なければ、紙媒体の目録で探すのでしょうか?(その調べ方はしたことがない)

 これはまあ、ネット検索と似たようなもので、違うものも引っかかって下手したら千何件…ということにもなるので、似た系統のものは近くにある、ということを考えつつ、適当に検索していきました。
 私の通っていた大学の図書館は、六階+地下一階+別館に周密書庫という構成になっていたので、探している本を調べると、階ごとに分けてメモを取っていました。混ざると、探している記号そのものがなかったりしますからねー(他の階にある)(その方が間違いが判りやすくてましなのだけど)。

 目当ての書物を見つけたら、検索がついていれば一応それで探してみて、『古今図書集成』は「〜篇」にある、ということが書かれているものもあったので(章分けがなければ当然それもないわけですが)、それを頼りにもしつつ、最終、はじめから最後まで流し読み。
 原文が併記されている場合、意外に、原文を見ていった方が「龍」という字が発見しやすかったりもしました。何故だろう。

 みつけたら、コピー。著作権の問題は、学術利用ということで。
 付箋があると便利だけど、ページ数のメモでも可。ちなみに、あまりにも一般常識のことですが、不特定多数の人が使う本への書き込みは禁止です。鉛筆だろうと言語道断。書き込むなら、コピーを取った紙か自分で買ったものにしましょう。

 このとき、中国の怪奇小説を集めた本にも目を通すと、案外、捜していたものが収録されていたりもします。
 私がお世話になったものは、『唐代伝奇集』(平凡社)、『中国神話・伝説辞典』(大修館書店)、『中国の神話・伝説』(東方書店)、『中国怪奇小説集』(光文社)など。他にもいろいろとあります。
 ちなみに、中国の幽霊話(だけでもないけれど)を読むなら、澤田瑞穂氏の著書は必読ではないかと。  


原文の世界。 2006-02-14 23:00

 日本語訳のあるものが出尽くしたら、次は原文(中国文)。

 現代中国語になっているものもありますが、それだと、簡体字が読めることが前提。古文の方が、現代中国語の基礎のない(少ない)人間にはわかりやすいです。
 これは、古文の方が、字は漢和辞典を引けば大体載っているし、高校や中学校で漢文をやっていれば、その基礎も手伝ってくれるから。

 余談ですが、台湾では今も古文が使われているので、台湾の文章は、比較的読みやすいです。ネットで文章を探すときは、(簡体字がわかれば別だけど)台湾のものを探すほうが楽です。
 ネットで探す、という方法もあって、検索が使えるのでそれはそれで楽なのだけど、打ち出しが面倒で、私は使いませんでした。
 ついでに、ネットで個人的に訳文を載せているところもあるけれど(私もやってますね)、書籍を使うときもだけれど、原文と訳を照らし合わせて読んで、参考程度に使う方がいいです。どこからそんな訳が、というものも、時々あるので(書籍でも)。

 あ、原文の資料検索。

 『宣室志』や『捜神記』のように、分量があったり有名だったりで、それだけで本になっているものもありますが、便利なのが、『百部叢書集成原刻景印』 (藝文印書館)や『四庫全書』のような、複数の書籍が集められた、全集のような本。
 索引もついているので、位置を確認したら、索引で必要な本を調べます。

 他に、補足資料としては、百科事典や国語辞典も有用です。
 資料に使わなくても、言葉の定義に迷ったときには、調べましょう。言葉を調べているはずが、つい関係ないところを読んでしまったりもするけど(苦笑)。  


そもそも卒論って。 2006-02-15 21:49

 卒論は何か、どう展開するものなのか、というのは、きっと人それぞれなのでしょうねー。
 学生ごとに違うだろうし、指導する先生によっても違うだろうし。

 私のゼミの先生は、よく言えば自主性を認めてくれて、悪く言えば…放置、でした。

 放置が悪いのかは諸説あるだろうけれど、むしろ、びっしり口を挟まれても困るだろうけど、基本形すら示してはくれませんでしたよ…?
「好きに書いたらいいから。形式とか気にせんと」
 …論文なんてほとんど読んでない人間に、そんなことを言わないでくださいー…。
 いえ、指導はしてくれましたが。書いたものを提出して、明らかに違う部分や文章としておかしいところを訂正していただいて。

 でも、好きに書けって言われてもー!

 とりあえず、
「卒論なんて、難しいこと考をえなくても、きっちり資料を読んでまとめるだけで立派なものができるから」
 という言葉を念頭に置いて、「論文って言うか…列挙してるだけだよな、これ」というものですが、書き上げるに至りました。果たしてあれで良かったのか。

 先生が、誰かの論文を読むよりも一次資料を当たっていけばいい、むしろ、似たようなものを読むとその考えに引っ張られるから、自分の考えがまとまってから余裕があるなら参考に読めばいい、という考え方をされる方だったので、龍に関する論文はほとんど読んでいません。
 過去にそういったものを読んだことはあるけど、あまり覚えていないのと、中国の龍が単品で取り上げられているものはほとんど読んでいなかったので、後で読もう、と思っていたら、そんな余裕もなく終わってしまいましたよー。

 今までに、自分と似たものをやっている人がいないかを調べてからやれ、と、取り上げる分野の論文に一通り目を通してからにしろ、という向きもあるのでしょうが(むしろ一般的?)。
 まあ、学生の卒業時のまとめだし、というところで結構甘く見てくれているんだろうと思います。あの先生。
 良いのか悪いのか判りませんが。

 だけど先生。
 提出のファイルの表書きのしかたとかは、教えておいてくださいよー…!(提出時に困った)   


劉貫詞 2006-07-21 00:00

 唐の洛陽の劉貫詞は、大暦年間(766‐779)のときに、蘇州で物乞いをしていて、蔡霞といういきいきとしていて優れている爽やかな書生に会った。出会うやいなや親しくなり、貫詞を兄と呼ぶ。
 やがて飲食物を携えて来て宴会となった。
 その盛りに言った。
「兄上は、今ひろく世間を渡り歩いておられます。何のためですか」
 (貫詞は)言った。
「乞食をしてるんだ」
 霞が言う。
「あてにしていることがあって、ひろく郡国を行くのですか」
 (貫詞が)言う。
「風に吹かれるままに行くだけだ」
 霞が言った。
「それならば、どのくらい(お金を)手に入れて止めるのですか」
 (貫詞が)言う。
「十万だ」
 霞が言う。
「風の吹くままに行って十万を望むのは、翼がないのに飛ぼうとするようなものです。例えどうにかして得られたとしても、数年を費やします。私は洛陽の辺りに住み、貧しくはありません。ある他の事情で故郷を避け、便りも長く絶えていますが、故郷を懐かしむ気持ちがあるので、兄上が(私の)ために帰ってくださるようお願いします。(洛陽に帰る)途中の旅に費やし、気ままな旅をしたいという望みは、そう月日をかけずに実現します。いかがでしょう」
 (貫詞は)言った。
「言うまでもなく願うところだ」
 霞はそこで銭十万を(貫詞に)やり、手紙一通を渡して言った。
「旅館で突然に(親しくなり)お世話になったので、ちゃんとしたお礼もしていません。ですから真心を表しましょう。私の家長は鱗のある動物(=龍)で、渭水(長安郊外を流れる川)の橋の下に住んでいます。目を閉じて橋の柱を叩けば、きっと応じる者があり、迎え入れて住まいに連れて行ってくれるでしょう。母がお目にかかるときには、私の妹に会いたいとたのんで下さい。(私とあなたとは)兄弟になっている(兄弟の契りを交わした)のだから、いい加減な扱いはしないでしょう。手紙の中でも妹に出て挨拶をさせるようにしました(妹に挨拶をするようにと書きました)。妹は若いけれど、生まれつき頭の回転が早く、妹を(あなたを)手助けする中心人物とすれば、十万文の贈り物も、妹はきっと承諾してくれるでしょう」

 貫詞は(長安に?)帰り、渭水の橋のたもとに到着した。
 (川の)流れは深く清らかで、どういった方法で(蔡霞の実家に)たどり着いたものかと考えた。
 しばらくして、龍神が私を騙すこともないだろうと(いう気になったので)、試しに目を閉じて橋の柱を叩いた。
 突然に返事をする者があったので、目を凝らして見ると、橋も流れも消え、朱色の門の豪邸があり、(大小様々の建物が立っているために)楼閣が不揃いに並んでいた。
 紫の衣の使者が拱手(両手を胸の前で重ねて組む敬礼の一種)をして門の前に立っていて、貫詞がやって来た目的を尋ねた。
 貫詞が「呉郡から来ました。お宅のお坊ちゃんの手紙を持っています」と言うと、問いかけた者(=紫の衣の使者)は手紙を持って入り、しばらくしてまた出て来て言った。
「大奥様がお招きです」
 大広間の中に入った。
 大奥様という人物は四十歳ほどで、服は全て紫の、美しい容姿であることが判った。
 貫詞がお辞儀をし、大奥様がお返しの挨拶をして、礼を言った。
「息子は遠くに出掛け、長く便りが途絶えていました。あなたが、数千里の距離を手紙を持って来くださったことをねぎらいます。息子は若いときに上官の機嫌を損ね、その恨みがまだ消えていないのです。一旦逃げ去ってから、三年間音信が途絶えておりました。あなたがわざわざおいでくださらなかったら、(私の)心配は積もり積もっていたでしょう」
 言い終えると、座るようすすめた。貫詞は、
「(あなたの)息子さんが兄弟の契りを交わしてくれました。彼の妹は、すなわち私の妹です。妹さんともお目にかかりたいものです」
 と言った。
 夫人が言う。
「息子も手紙の中でそう言っておりました。娘は今丁度髪をとき終った(=身支度の済んだ)ころです。間もなく出て来てお目にかかるでしょう」
 突然青い衣の者が来て言った。
「お嬢様が来られます」
 年は十五、六で、容姿は一世を風靡するほど、(見るからに?)頭の良さは人に勝っている。
 挨拶を済ませると、母の側に座り、命じて食事の用意をさせた。それ(食事)もとても手が込んでいて清潔だった。
 向かい合って食べるときに、大奥様はたちまち 目を赤くして、貫詞をじっと見た。娘は急いで、
「お兄さんが頼んで来て下さったのよ、しばらく礼を守ってください。まして、愁いを消してくださったのです。(貫詞を)動揺させてはいけませんよ」
 と言い、(また妹が)
「手紙の中の兄の言いつけでは、百個(一千文を一つにまとめてある)の銭をお贈りするようにとのことです。(しかし)一人では持ち上げにくく、軽くして差し上げましょう。いま、一つの器を差し上げます。その価格は(十万に)相当します。いかがでしょう」
 と言った。
 貫詞が言う。
「すでに(私たちは)兄弟です。一通の手紙を持ってきただけで、どうしてその贈り物を受け取れましょう」
 大奥様が言った。
「あなたがお金がなくあちこちを回っていることを、息子は詳しく述べています。今その要請にそいたいと思います。断ってはなりませんよ」 
 貫詞はこれに礼を言い、(大奥様は)命じて鎮国椀を持ってこさせた。
 また食事を進める。
 大奥様はまた眼を見張って見つめ、目が赤く、口の両端から涎が落ちた。娘が急いでその口を覆って言った。
「お兄さんは深い真心を込めて(手紙を)人に託されました。このようなことをすべきではありません」
 そうして言う。
「母は年配で、気の狂う病気の発作が起きています。ちゃんともてなすことができません。お兄様(=貫詞)は、しばらく外に出ていてください」
 娘は懼れるように、青い衣の者をやって椀を持たせ、自らついて行って貫詞に授けて言った。
「これはm賓国の椀です。その国はこの椀で災厄を鎮めます。唐の人がこれを得ても使い道はありません。銭十万を得るには、これを売って下さい。その下(の値段)では売らない方がいいでしょう。私は母の病のために、いつも側に控えています。最後までお見送りはできません」
 お辞儀をして(屋敷に)入った。
 貫詞は椀を持って行き、数歩行って振り返ると、碧の深い水に高い橋、さながら、初めにたどり着いたときのようだった。手の中の椀を見ると、黄色の銅の椀だ。その価格は、ただ三〜五の銅銭(程度)。
 強く思うのは、龍の妹のでたらめだろう。

 持って市に売った。
 七百や八百を払う(と言う)者があり、また、五百の(を払うと言う)者もある。(貫詞は)龍神は信義を貴び人を欺くことはないだろうと思い、毎日(椀を)持って市に行く。
 一年余りに及び、西市(長安にある)の店にふっと胡人(中国北方や西域地方の民族)の客がやってきた。椀を見てとても喜び、その値段を尋ねた。
 貫詞は言った。
「二十万文です」
 客が言う
「品物は適正な値段でなくちゃいけない。どうして二十万文で留まろうか。しかし、中国の宝じゃない。これがあったところで何の利益があるか。十万文でどうだい」
 貫詞は、初めに(龍と)約束したところでよしとし、再び(買い手を)広く求めず、ついに、これで認めて取引をした。
 客が言う。
 「これはm賓国の鎮国椀だ。その国にあっては、大いに人の病気や災難を払う。この椀が失われてからというもの、その国は大いに荒れ、戦争が盛んに起こった。俺の聞いたところじゃ、龍王の子に盗まれて已に四年近く。その君主は、国中の半年の税収で取り戻そうとしてる。あなたはどうやってこれを手に入れたんだ」
 貫詞は詳しくそのありのままを告げた。
 客は言う。
「m賓の守護龍が上訴して、指名手配していた最中だ。これが、霞が故郷を避けた理由だ。異界の役人は厳しく、自首することができない。あなたを使って口実を設けて元に戻させたんだろう。丁寧な言葉で妹に会わせたのは、親しみからじゃない。老いた龍が賎しく、あるいは(あなたを)喰らおうとするのを慮って、その妹にあなたを守らせたのだ。この椀が現れたら、彼もまた(戻って)来るだろう。それも心配を消す方法だ。五十日後、漕水や洛水の波が上がって、太陽を(隠して)暗くするだろう。これが霞が帰った目印だ」
 (貫詞が)言う。
「何をもって、五十日後に帰るとするんです」客が言った。「俺が(椀を)携えて山道を通って、ようやく戻るからだ」
 貫詞はこれを覚えておいて、期日になって行ってみると、本当にその通りだった。

 (『太平広記』収録『続玄怪録』)  


翻案、というと聞こえがそこはかとなくいい 2006-07-21 00:10

 有名なところ(?)で言えば、中島敦の『山月記』や芥川龍之介の『地獄変』ですか。
 それぞれに、中国小説と仏教説話から材をとった小説です。…有名すぎて、例に挙げるのもおこがましい…(苦笑)。
 そんなわけで、いじってみました。

 …いじらない方が良かったのでは、という突っ込みはなしでお願いします…。

 『続玄怪録』の「龍貫詞」からです。  


奇縁 1 2006-07-21 00:13

 そのとき劉貫詞は、蘇州にいた。
 出身は洛陽なのだが、安史の乱に巻き込まれまいと故郷を後にし、鎮圧された今なお、ふらふらとしていた。日々というのは、案外それなりに生きていけるものだと思った。
「おっと、すみません。前をよく見ていなかった」
 青年の涼やかな顔を、思わずぽかんと見上げる。鼻筋の通った美男子で、気品もあり、賢そうだ。これは人種が違うなと、ぶつかられた劉は、ほとほと感心した。
「何か?」
「え。あー、いや。こっちも悪かった。ちょっとぼーっとしてた」
 小道で行き会った青年は、蔡霞といった。
 そうして、どこをどう気に入られたものか、気付けば、酒食を馳走になっていた。
 頭の回りが早いからか、蔡の話は実に面白く、ほろ酔い気分も手伝い、劉は、滅多になく楽しいひと時を過ごした。これは随分とついている日だと、満足げな息がこぼれる。
「ところで」
 既に手酌になっている酒を注ぎ、蔡は首を傾げた。子供のような仕草だが、線の細いこの青年には、よく似合う。
「兄上は、広く世間を渡り歩いておいでのようですが、どのような目的からですか?」
「ただの物乞いだよ」
 劉の方が年長だからと兄と呼ぶが、蔡のように、姿かたちも家柄もずっと優れた青年に言われると、こそばゆいものがある。
 それにしても、俺が学者や学生みたいに大したことをしてるとも見えないだろうにと、少し呆れながら、劉は肩をすくめた。
 霞は、わずかに微笑したようだった。
「何か目的があって、郡国を見聞しているのではないのですか?」
「金が溜まるまで、風の吹くままに行くだけだ」
「では、どのくらい手に入れれば止めるのです?」
「十万だな」
 たった今思いついた金額だが、ただの戯れだ、大きく言ったってかまわないだろう。
 そう思っていると、間に受けたのか、蔡は思案顔になった。
「あてもなく十万を求めるのは、翼がないのに飛ぼうとするようなものですよ。例えどうにか得られたとしても、数年を費やします」
「まあ、そうだなぁ」
「どうでしょう、兄上。私は、洛陽の辺りに住んでいました。事情があって故郷を避け、便りも久しく絶えていますが、懐かしむ気持ちはあります。兄上も洛陽のご出身ということですが、戻って言伝を頼めないでしょうか。私は貧しくはありませんし、洛陽への旅に時間を充てても、気ままな旅をするという望みは、そう年月をかけすとも実現します。如何でしょう?」
「言うまでもない」
 書生というのは回りくどい言い方をするものだと感心しつつ、劉は、思いがけない話に同意した。いずれは戻るつもりでいたのだから、不都合もない。勢いというものは大切だ。
 蔡は、秀麗な顔に淡い笑みを浮かべると、懐を探って小さな袋を取り出した。わけもわからず受け取って、重みに目を瞠る。のぞいてみると、相当の貨幣が納まっていた。 
「これをどうしろって言うんだ?」
「路銀に使ってください。少々お待ちを。今、手紙を書きます」
「ちょっと待て!」
「はい、お待ちください」
 にこやかだか喰えない笑顔で、平然と言葉を受け流す。いくら頼まれて行くからといっても、この額は多い。枚数を数えなくても、そのくらいは判った。
 ところが蔡は、「貧乏ではないと言ったでしょう」「失礼とは承知ですが、今はこのくらいしか報いる術ができないのですよ」と、劉の言い分など聞こうともしない。
 やがて、書き上げた手紙の墨を乾かすと、折り畳んで差し出した。
「突然のことで、ちゃんとした御礼もできません。ですから、誠意を示しましょう」
 礼どころか、おつりが返る。そう言う劉を黙殺して、蔡は、心持俯かせていた顔を、すうと上げた。
「私の家長は、鱗のある動物です。渭水の橋の下に住んでいます」
 突然の告白に度肝を抜かれたが、言われてみれば、青年のかもし出す雰囲気は、常人とは異なる。家柄のせいと思っていたが、あたらずとも遠からずといったところか。
 それにしても、龍だとは。
 信じきれず蔡をまじまじと見てしまうが、青年は、平然と言葉を続けている。
「目を閉じて橋の柱を叩けば、きっと応じる者があり、迎え入れて住まいにお連れするでしょう。母に会われるときは、妹に会いたいと頼んでください。わたしたちは兄弟の契りを交わしたのだから、いい加減な扱いはしないでしょう。手紙にも、妹に挨拶をするよう書きました。妹は若いけれど生まれつき頭の回転が早いから、妹に任せれば、十万の贈り物も、きっと承諾してくれるでしょう」
 思いつきで口にした金額を、律儀に礼として与えようとしてくれている。いささか慌てて断ろうとするが果たせず、いつの間にか、蔡の言う条件で話はまとまってしまった。
 どうしたものかと思ったが、相手が納得しているのだから問題はないのかもしれない。龍と人では感覚が違うということも考えられる。
 そんな理屈をこねて、酒盛りの翌朝、早速、劉は旅路に着いた。


 久方ぶりに帰り着いた郷里は、年月というよりも戦乱で大きく変わっていたが、劉は、昔我が家のあった場所に行くのも宿を取るのも後回しにして、渭水の橋のたもとに足を運んだ。
 川は深く、流れも速い。さて、どうやって、おそらくは水の下にあるだろう蔡の実家にたどり着いたものか。
「まあ…龍神が、わざわざ俺なんかを騙すはずもないか」
 呟いて、目を閉じて橋の柱を叩く。鈍い音がした。
「どちら様ですか」
 返事があったが、近くには誰もいなかったはずと目をあけると、橋も川も消え、朱色の門の豪邸があった。門の向こうに、大小様々な楼閣が建ち並んでいる。
「うわ…」
 これが、噂に聞く龍宮か。
 唖然としてそんなことを考えていると、声の主らしい紫の着物の男が、両手を胸の前で重ねて組んで、敬礼をした。
「どのような御用でしょう?」
 格式張った使用人に、咳払いをひとつ落とし、慌てるなよと、自分に言い聞かせる。
「呉郡から来ました。お宅の若君の手紙を持っています」
「お預かりしましょう。少々お待ちください」
「いえ、用事はそれで済ん…おーい」
 予想以上の豪邸に、手紙を渡して帰ろうかと思ったのだが、使用人は、滑るようにして門の内に姿を消してしまった。
 仕方なく、豪邸の様子を半ば呆れ、半ば感心して眺める。それにしても、ここは地上なのか、水中なのか。息はできるが、地上にこんなものがあれば誰もが知っているはずだ。
 劉は、しばらくして戻ってきた使用人を、少しばかり意外に思った。金持ちの家の取次ぎは、長くかかると相場が決まっているというのに、随分と早い。これも龍だからか。関係ないか。 
「大奥様がお呼びです」
「いや、俺はこれで」
「どうぞ、こちらです」
 帰ろうにも、ついてきて当然とばかりに劉が動くのを待っている。ここで行かないのも失礼かと思い直すが、どうにも、龍というものは人の話を聞かないのかもしれないと、蔡の涼やかな顔を思い出して溜息をついた。あるいは、蔡一族の傾向か。
「そのー、大奥様は、どんなお人…って人じゃないのか。方ですか?」
「会われれば判ります」
 そりゃそうだ、という言葉は腹の中だけに収めておくことにした。
 案内された大広間では、その大奥様が待ち構えていた。四十歳ほどの年齢だが、美しい容姿をしている。服は全て、そろいも揃って豪奢な紫色だ。
 お辞儀をすると、丁寧なお礼が返ってきた。そうして、じっと劉の顔を見つめる。
「息子は遠くに行ったまま、長く便りが途絶えておりました。数千里の距離を経て、手紙をお持ちくださったことに感謝します。あれは若い時分に上官の機嫌を損ね、その恨みが未だ消えていないのです。逃げ去ってから、何年もの間音信が途絶えておりました。あなたがおいでくださらなければ、心配は尽きなかったでしょう」
 そうした長い礼を述べると、劉に座るように勧めた。そこでようやく、口を挟む余地が見出せた。
 家に入る方法が言われた通りだったのだから、他の忠告にも従った方がいいのだろう。
「息子さんと、兄弟の契りを交わしました。彼の妹は、すなわち私の妹です。妹さんにも、お目にかかりたいものです」
「息子も、手紙にそう書いておりました。娘は、今、ちょうど身支度の整った頃でしょう。間もなく、出てきてお目にかかりますわ」
「お嬢様が参られます」 
 突然に、青い服の者が先触れに訪れ、足音のなかったことに驚いた劉は、しかし、すぐにそれどころではなくなった。
 姿を見せたのは、十五、六の少女。皇帝さえ射止めそうなほどの美貌で、見るからに頭が良さそうだ。うっかりと、見とれてしまう。
 少女は、挨拶を済ませると母親の側に座り、食事の用意をするよう命じた。あっさりとしたつれなさは、蔡に通じるものがある。さすがは、兄妹。
 手が込んでいる食事を向かい合って食べていると、夫人は、劉をじっと見つめた。みるみる目が赤く染まる。龍にはよくあることなのだろうか、一体何事だろうと思っていると、少女が、慌てて母親に話しかけた。
「兄様が頼んで来て下さったのよ、しばらく礼を守ってくださいな。まして、愁いを解消してくださったのですよ。動揺させてはなりませんわ」
 そうして、美しい笑顔を貫詞に向ける。
「兄の言いつけでは、十万の銭をお贈りするようにとのことですが、重くなりますので、軽く致しますわね。今、椀をひとつ差し上げます。その値が十万に相当します。如何でしょう?」
「既に、私達はきょうだいです。ただ手紙を持ってきただけのことで、どうして贈り物を受け取れるでしょう」
 慣れない言い回しを口にしてはみたが、今度は夫人が口を開く。
「あなたが、手元不如意で各地を渡り歩かれていることを、息子は詳しく述べています。あれの言い分に沿いたいと思います。断ってはなりませんよ」
「はぁ…ありがとう、ございます」
 気圧され、つい礼の言葉を口にしてしまう。
 そうすると夫人は、使用人に命じて椀を持ってこさせた。やはり、龍は我を通す。それとも単に、俺が流されやすいのかと、疑いを抱く劉だった。
「どうぞ、召し上がってくださいませ」
「はい…いただきます」
 そうは言ったものの、夫人は、またもや目を瞠ってじっと劉を見据え、目を赤く染め、口の両端から涎をこぼしている。劉が声をかけるよりも先に、娘が、慌てて母親の口元を袖で隠した。
「兄様は、心から信頼して手紙を人に託されたのですよ。このようなことをしてはなりませんわ」
 少女は、母親に言い聞かせ、困ったように劉を見つめた。
「母は年で、気の狂う発作が起きて、きちんともてなすことができません。お兄様は、しばらく外でお待ちください」
 そうして、心配そうにしながらも青い服の召し使いに椀を持ってこさせると、少女も劉について行き、椀を手渡した。
「これは、m賓国の椀です。m賓国ではこの椀で災厄を鎮めるのですが、唐の国の人がこれを得ても、使い道はありません。十万を得るために、これを売って下さい。それ以下では売らない方がいいでしょう。私は、母の病のために、いつも側にいます。申し訳ありませんが、最後まではお見送りできません」
 そう告げて、お辞儀をして屋敷に戻っていく。
 あっさりとした別れに未練がましく姿が消えるまで見送り、劉は、椀を持って外に出た。
 ところが、数歩進んで何気なく振り返ると、豪邸と門は姿を消していた。深い川も高い橋も、一瞬たりとも姿をくらましたことはないと言わんばかりに、はじめに見たときと同じ姿で在った。
 思わず、瞬きを繰り返す。
 夢でも見たかと思うが、椀がある。もっとも、両掌に収まった椀を見てみると、ただの黄色い銅の椀だ。どうみても、三〜五銭がいいところだろう。
「うーん。あの子の思い込みなのかなぁ」
 そうでなければ、価値観が違うのだろう。龍だからか、母親も少し様子がおかしいようだったから、何か気を患っているのかもしれない。
 そうは思ったが、せっかく善意でくれたものだ。試しに、市に持っていってみることにしよう。もしかすると、本当に値がつくということもあるのかもしれない。何しろ、龍のくれたものだ。


 市に持っていくと、七百や八百なら、あるいは五百なら、という者がいた。
 蔡からもらった路銀はまだ手元にあり、劉は、その値段で手放してしまっても問題はない。だが、龍神は信義を尊び、人を欺くことはないという。十万以下で売るなとの言葉を無視してしまうのも、なんだか申し訳ない。
 そんなこんなで劉は、毎日、椀を持って市に行くことになった。ついでだから、他にも細々としたものを売って、それでどうにか食べていけるくらいには稼げるようにもなった。
 龍宮を訪れてから一年以上が経ったある日、店に西域地方の客がやってきた。それ自体は珍しくもないが、並べてある品物の中から椀を見つけると、やたらに喜んで値段を尋ねてくる。
「二十万でどうだい?」
 高値で吹っかけるのは商売の基本で、あとは、客と店主がどれだけ値切るかにかかってくる。それにしても高すぎる値段だが、客は、平然と首を振った。
「品物ッてのは適正な値段でなくッちゃ。どうして、二十万なんて安値がつくンだ? だが、唐の宝じゃァない。これがあッたところで、何一つ利益はないね。せいぜい、場所を取るくらいだ。十万でどうだ?」
 訛って少し聴き取りにくい言葉の内容に、呆気に取られる。こんな椀に十万の値をつけることもだが、それよりも高値だと言いつつ値切るとは、どんな考え方をしているのだろう。普通、ほしくない素振りでガラクタ扱いをして、安値を口にするものだ。
 ここで強く出れば、もっと高値で買うのかもしれない。だが、龍たちと約束をしたのは十万だ。これ以上粘ることも、他の買い手に高く売ることも、約定とは外れる。
「ああ、いいよ。十万だ。今払ってくれるかい?」
「言ッたな。ちょっと待てよ」
 ぽんと出された代金に、よくもそんな重いものを持ち歩いていたものだと、少し呆れる。
 異国の客人は、劉の気が変わらないうちにとでも思ったのか、そそくさと椀に手を伸ばし、大事そうに懐に忍ばせ、満足げに息を吐いた。そうして、ちらりと劉に視線を向ける。
「これはな、m賓国の鎮国椀だ。m賓国にあッてこそ、人の病気や災難を払う。これがなくなッてからッてもの、国は大荒れ、戦争だッて盛ンだ。俺の聞いた話じゃァ、龍王の子に盗まれて四年近くが経つらしい。王は、国の半年の税収で取り戻そうとしてンだ。あんた、どうやッてこれを手に入れた?」
 うまく品物を手に入れたら、来歴に興味が湧いたらしい。劉も、盗品だったと聞いて興味を覚え、事細かに事情を話した。
 はァんと、客は鼻を鳴らした。
「m賓国の守護龍が天帝に上訴して、指名手配してた最中だ。これが、蔡が故郷を避けたッて理由だな。異界の役人は厳しいから、自首ができないンだ。あんたを使って、礼を口実に元に戻させたンだろう」
 あの礼儀正しいく美しい青年と少女が、と思うが、客は、得意そうに頷いて一人で先に進める。
「丁寧な言葉で妹に会わせたのは、親しみからじゃァない。十万を渡すって聞いて機転を利かして椀を渡すだろうッてのと、老母の龍が浅ましく、あんたを食べようとするのを防がせたんだろう」
「しかし、それなら手紙にそう書いておけばいいだろう?」
「途中で、誰に読まれるか判ッたもンじゃァないだろ。あんたとか」
「俺は、頼まれた手紙を勝手に読んだりはしない」
「ああ、そうかもな。でも、うッかりと見えちまうッてことや、宿の同宿人が覗き見するッてこともあるだろ」
「でも…食べられそうになんてならなかったし」
 そう言うと、それまでどこか小馬鹿にしたようなところのあった異国の客は、わずかに、哀れむような色を滲ませた視線を寄越した。
「気付かなかッたのか? あんたが飯食ッてたときに、涎こぼして、目を赤くしたんだろ。そりゃァ、今にも本性現して、ぱくりとやろうとしてたッてことだろうよ」
 まさかと思うが、少女の慌てた様子も思い出され、夫人の目つきを思い出すにつれ、否定できなくなってしまった。
「だけど…それならそうで、危険がないように配慮してくれたってことだろう?」
「そりゃァ、気も配るだろうよ。死なれたら、折角の計画がパーだ」
「計画?」
 男は、今度こそ呆れた目を向けた。
「これをあんたが売り払ッて、買ッた奴はm賓国に持ち帰る。十万も払うンだ、知ってる奴しか買わンだろ。盗品が戻れば、指名手配も解けるッて寸法だ」
 客は、言いながら椀の入った胸元をそろりと撫でた。
「これが再び世に現れたら、蔡も戻ッてくるだろ。喜びいさンでな。五十日後、漕水や洛水の波が上がッて、太陽を隠して暗くするだろ。それが、霞が帰ッた日だ」
「何故、五十日後に帰るんだ?」
「俺が椀を持ッて山道を越えて、国に戻るからだ。じゃァ、邪魔したな」
 話しきって満足したのか、どうやらm賓国出身だったらしい男は、あっという間に姿を消した。
 なんとなく裏切られたような気分になったが、考えてみれば、劉は何一つ損はしていない。むしろ、得をしている。それなら、むしろ礼を言うべきなのだろうか。
 首を傾げて、劉は立ち尽くしていた。美男の蔡と違って、劉がそんなことをしても、首筋を痛めたかのようだった。
「まあ…龍だしなぁ」
 そういう問題だろうか。

 五十日後、川まで行ってみると、たしかに大波が上がっていた。蔡は、故郷に帰れたようだ。


奇縁 2 2006-07-21 00:12

 蛇足っぽいので、反転でお願いします(汗)。(ということで、当時は白地でした)


 そのとき蔡霞は、蘇州にいた。
 出身は洛陽なのだが、わけありで故郷にも実家にもいられず、この地に移ってきた。もう、数年になるか。
 別段家族を大切に思っていたわけでもなく、これはこれで面白いと思っていた。――当初は。この頃ではいい加減、逃亡生活にも飽きてきた。妹あたりと、他愛ない無駄話をしたいとも思わないでもない。
「おっと、すみません。前をよく見ていなかった」
 ぼうっとしていた蔡は、素直にそう言って謝った。小道の曲がり角でのことで、どっちもどっちといった状況だ。蔡は、そんなくだらないことでも因縁をつけて喧嘩を吹っかけてくる人間がいると知っていたが、今回は違ったようだ。
 ぬぼっとした男は、二十を幾つか超えたところだろうか。蔡の外見よりは、幾つか年長か。
 男は、蔡の顔を驚いたように見つめた。度々あることだが、あまりにあからさまだった。あからさま過ぎて、腹立ちよりも可笑しさがこみ上げてくる。
「何か?」
「え。あー、いや。こっちも悪かった。ちょっとぼーっとしてた」
 そう言って、呑気に笑う。
 その瞬間に、ひとつの策を思いついた。今の状況を、変える方法。人選を間違えなければ、上手くいくかもしれない。
「旅の途中ですか?」
「あー、まあそんなもんか。あちこち、歩き回ってはいる」
「では、色々とご存知でしょうね。私は、董家の書生の蔡霞と申します。よろしければ、お話などお聞かせ願えませんか?」
 不思議そうに目をしばたかせた男は、劉貫詞と名乗った。
 酒と食事を交えて話をするうちに、男が、経歴に似合わず呑気な性格だということがわかった。頭が悪いわけではないのだが、鈍さとお人よしが、利発さから遠ざけている。 
 ある種、人の上に立つ人間にとって、得がたい人材といえるかもしれない。この男の忠誠を得られれば、そこそこ使えて裏切りの心配のない部下ができる。
「ところで、兄上は広く世間を渡り歩いておいでのようですが、どのような目的からですか?」
「ただの物乞いだよ」
 もちろん本当の兄というわけではなく、劉の方が年長ということにした方が無理がないからだ。
 苦笑して肩をすくめた劉は、卑下するでもなく、苦笑いするようにして言った。楽なこととも思えないが、不満がなさそうなところが不思議だ。
 まったく、いいところでいい人間にぶつかったものだ。
「何か目的があって、郡国を見聞しているのではないのですか?」
「金が溜まるまで、風の吹くままに行くだけだ」
「では、どのくらい手に入れれば止めるのです?」
「十万だな」
「あてもなく十万を求めるのは、翼がないのに飛ぼうとするようなものですよ。例えどうにか得られたとしても、数年を費やします」
「まあ、そうだなぁ」
 そう言いながら、酒でほんのりと顔を染めた劉は、何一つ気負うものがない。いっそ、見ていて羨ましくなるほどだ。もっとも、蔡が心底立場を交換したいと思うことはないだろう。
 蔡は、笑みを置いて劉を見つめた。
「どうでしょう、兄上。私は、洛陽の辺りに住んでいました。事情があって故郷を避け、便りも久しく絶えていますが、懐かしむ気持ちはあります。兄上も洛陽のご出身ということですが、戻って言伝を頼めないでしょうか。私は貧しくはありませんし、洛陽への旅に時間を充てても、気ままな旅をするという望みは、そう年月をかけすとも実現します。如何でしょう?」
「言うまでもない」
 即座に話に乗ってきた。実際、滅多にない儲け話なのだから、のらない馬鹿はいないだろう。さして金銭に執着のなさそうな男ではあるが、必要なものくらいは判っているのだろう。
 蔡は、懐を探って財布のひとつを引っ張り出すと、中身を確認することもなく劉に渡した。渡された方は、訝しげに中を覗き、驚いた顔をした。 
「これをどうしろって言うんだ?」
「路銀に使ってください。少々お待ちを。今、手紙を書きます」
「ちょっと待て!」
「はい、お待ちください」
 今更何を断る必要があるのかと思ったら、なんと、返そうとしてくる。知識と情報さえあれば人界で金を稼ぐくらい造作もないことなのだが、劉にとってはそうではないのだろう。
 渋い顔で返そうとするのを、どうにか持たせる。
 洛陽まで、まさかこの男は、ろくに金も持たずに行くつもりなのだろうか。折角の好意なのだから、素直に受け取ればいいものを。
 書いた手紙の墨を乾かして渡すと、今度はあっさりと受け取った。「突然のことで、ちゃんとした御礼もできません。ですから、誠意を示しましょう」
 さて、ここからが問題だ。
「私の家長は、鱗のある動物です。渭水の橋の下に住んでいます」
 蔡が龍と聞いて、劉はわかりやすく目を向いた。信じ難い、と言うようにまじまじと見てくるが、負の感情や、嘘と笑い飛ばす素振りは見られない。
 これなら大丈夫そうだと、蔡は先を続けた。
「目を閉じて橋の柱を叩けば、きっと応じる者があり、迎え入れて住まいにお連れするでしょう。母に会われるときは、妹に会いたいと頼んでください。わたしたちは兄弟の契りを交わしたのだから、いい加減な扱いはしないでしょう。手紙にも、妹に挨拶をするよう書きました。妹は若いけれど生まれつき頭の回転が早いから、妹に任せれば、十万の贈り物も、きっと承諾してくれるでしょう」
 実際、妹なら、頼んだこともはっきりとは頼まなかったことも、しっかりと汲み取ってくれることだろう。
 人のいい劉は、それからもしばらく話をした後、翌朝早くに旅立って行った。


「おかえりなさい」
 久方ぶりに家に戻ると、家族や使用人が無駄なほど大々的に迎えてくれた。その間始終、にこやかに微笑んでいた蔡の妹は、母親が寝室に下がるとようやく、笑顔を脱ぎ去ってそう言った。
 この妹は、よくよく猫を被っている。
「ああ、ただいま。色々とありがとう。助かったよ」
「そうね、大いに感謝してもらいたいわ。一角の人物ならともかく、ただの凡人を邸に入れるなんてって言われたり、お母さんを抑えたり、大変だったのよ。それでなくても、お兄さんの上官には色々と言われたし」
「悪かった。今度、何かしてやるよ。どこか連れて行こうか?」
「それじゃあ、どこに行くか考えさせてもらうわ」
 つんと、素っ気無く応じる。しかし実際、迷惑をかけたには違いなく、蔡も文句は言えない。
 それだけで自室に戻るかと思いきや、妹は、意外そうに首を傾けた。
「ところであの人。人間って、どれもあんなのなの?」
「いやいや、彼は、稀有な人材だよ。どうしたんだ、お前が興味を持つなんて珍しい」
 箱入り娘で気軽な外出を禁じられているということもあるが、この妹は、機会があっても人界に出ようとはしなかった。
 妹は、見かけだけは可憐な姿で、可愛らしく肩をすくめた。
「お兄さんが兄弟の契りなんて結ぶから、驚いたんじゃない」
「便宜上、そうなっただけだろう? もう二度と会うこともないんだ、どうということはないだろう?」
「…お兄さんって、やっぱりお兄さんよね」
「何のことだ?」
「少しは変わったかと思ったら、全然だもの。面白くない。あの人も、災難ね。お礼を言いに行くくらいしないの?」
 妹の呆れたような発言に、蔡は、驚いて瞬きを繰り返した。一体、何を言い出すのだろう。
「礼なら、お前がやってくれただろう?」
「手紙のお礼じゃなかったの?」
「ああ、そうだ。ちゃんとしただろう?」
「椀を戻す手助けをしてくれたことに対しては?」
「何? 必要はないだろう?」
 何故か妹は、深々と溜息をついた。
 相応以上に報いているはずだ。路銀は渡し、ただ文を届けただけにしては法外な値の礼物も渡した。その礼物が戻るべきところに戻ることで、劉は望んでいた金を手に入れ、蔡は家で戻ることができるようになった。一挙両得だ。
 どこに、礼など言う必要があるだろう。
「…あの人、一年以上も市場に立っていたわよ? その手間に、お礼を言う必要はないの?」
「金がほしかっただけだろう?」
 あの椀は、みるべき者が見なければ、その価値には気付かない。その人物に出会うまでに、少々手間取っただけのことだろう。蔡には、感謝する必然性も、当然ながら文句を言われる心当たりもなかった。
 だが妹は、呆れるように肩をすくめる。
「ちょっとないわよね、あそこまでの愚直さって。騙して悪いって思うものよ、まっとうな心を持つならね。もう自由の身なんだから、会いに行くくらいすればいいのに」
「気に入ったなら、お前が行けばいいだろう」
「厭よ。私が世話になったわけでもないのに、どうしてわざわざ」
 お休みなさい、と告げ今度こそ自室へと去って行った。別に、劉に惹かれたとか人間に興味を持ったというわけでもないらしい。
 ただの交換条件に拘るなんて妙な奴だと思いつつ、蔡も、数年ぶりの自分の部屋へと引き上げた。   


訳本紹介 2006-08-18 23:50

『中国犯科帖』 波野徹(編訳) 平河出版 

 十数年前の出版なので、おそらく絶版・・・少なくとも、オンライン書店では見当たりませんでした。と、図書館か古書店でならお目にかかれるかもですよ!
(私の出会いは後者です)

 「公案もの」という、裁判の絡んでくる話を取り上げたものです。
 これがまた、ひとつのジャンルとして成り立つくらいには数があるのですよね。似たものも多いけど、微妙に違っていたり。

 基本的に、裁判ものは古今東西面白い話が多いですが、幽霊が出てきたり神のお告げがあったり、かと思ったら、それらがあったふりをして犯人に白状させたり。
 「名裁判官」がそう思えなかったりして、うっかりと突っ込みを楽しんでしまったり(これは私だけか?)。

 直訳に近い文章で、慣れないと少し読み辛いかも。
 だけど、ルビを濫用といいたくなるほど活用していて、原文の単語をそのまま使っていたりします。訳をするときには役立ちそうだなと、密かに思ったり。本格的に学んでいる人であれば、その必要もないのかもしれないけど。何せ私は、かじった程度なので。

 『太平広記』を大学卒業間際に全巻(+索引)購入したので、あれもちょろちょろと読んでいきたいのだけどなあ・・・(多分大まかな意味しか取れませんが)。
 今は、日本語の小説を読むだけ出ていっぱいです・・・いつか。


追記。

 この本の訳をされた方は、日本文学者だったような気がします。既にうろ覚えですが(汗)。
 そうすると、正直なところ、訳は怪しく・・・本として出版するくらいだから、ちゃんと中国方面の人に見てもらっているだろうと思いますが。
 ゼミの先生曰く、日本文学(に限らず)専門の人が、一部の引用だからと我流で漢文を訳すと、多々間違いが見られるという。漢字だから、と甘く見てしまうことが多いそうです。
 実際、漢和辞典を引けば驚くぐらい、日本語の意味と違うものも多いです。ましてや文法が違いますしね。

 そこのところ注釈…!

 恥は恥として置いておきます。もし、勘違いしそうで紛らわしいというご意見があれば、ちゃんと訂正します(ってはじめからそうしろよ)。  


時間が経ち 2006-10-20 23:46

 大学卒業してから半年以上ですかー。
 卒論で漁った龍関係の短文を載せたい、と借りたブログなのに、ろくに載せられていませんね・・・『太平広記』(原文)も購入したのに。卒業間近に(爆)。

 実際問題、一日の半分近くを仕事や移動で家の外にいて、残りの半分以上は眠っていて、他にもご飯や風呂やとなると・・・残った時間は(日本語の)本を読んでしまうしなあ・・・。

 うん、でも面白い話が多いので、いつかは。『太平広記』の龍の項目が終わったら、他にも手を伸ばしてみたいし(どんどん意訳度が上がります)。  


記憶改竄捏造、はじめました。 2006-11-26 01:01

 何気なく、今までに書いた文を読み直してみました。
 …とりあえず、誤字の多さは突っ込む気も失せたので放置します…(没)。

 ここを借りた当初の目的を、卒論(前年度に提出済み)について色々と語ろうと思った、からと思い込んでいました。
 違う違う。
 どうも、講義やゼミで訳した文を載せたかったのと、耳学問の雑学を披露したかったようです。忘れるなよそんなこと。

 しかし、途中から摩り替わった目的の卒論。
 資料の捜し方やらゼミでの経緯やら書いていますが、今となっては記憶の彼方…読み返してみて、そういえばそんなことをしたような気がする、程度…(苦笑)。
 覚えているうちに、あれだけでも書いておけてよかったです。

 それにしても、今同じことをやれと言われたら、多分難しいのではないでしょうか。まだそんなに経ってないのに…。
 自力で中国古文が読めるのかが、今、とても心配。訓読点のついてない『太平広記』、購入したのにちゃんと読めるのでしょうか。

 余談ついでに、卒論について今でもありありと思い出せることもあります。

 十二月中頃、切羽詰っていました。
 十二月の頭から急遽始めることになった短期のアルバイト(クリスマス戦線に向けて。八時間の勤務と一時間十分の休憩)と、家の事情とが重なった上に普通二輪の教習にまで通っていまして。
 …これで、取り組む時間がたっぷりと取れたら不思議ですよね!

 案の定時間が足りず、葬儀場の控え室(?)にまでPCを持ち込み、ゼミ内での提出期限前には明け方(当時最高記録)まで書いて…でも書ききれず、最終、ゼミの先生まで直送することになりました。ゼミの提出には間に合わなかった…(この提出は先生に見てもらうためで、学校への提出ではありませんでしたが)。

 それにしても、書いても書いても終わらない、と叫んでいましたよ。
 もっとも、それは比喩のつもりで言っていて、卒論書くってこんなものなのかなー終わらないなあ、という気持ちでいたのですが。
 後で知りました。
 私の提出量は、約百枚(一枚の規定が33×30とかそんなよくわからない数字だった)。原文転載が多いから、そのせいだなー、他のゼミよりは多いけど、きっと同じゼミの子はこんなものだろうなー、と思っていました。
 提出時に聞いたところ、約半分でしたよ…。

 そりゃ終わらないはずだ。


四本足は椅子以外食べる人々 2007-01-23 22:34

 きっとこれは偏見に基づく発言か、逆に、中国の人が豪語したかどちらかだと思うのですが。時々目にする表現。

 ええと、龍ですよ。

 龍に関する文章を探して、色々と読んでいて、見つけたものに「龍肉はおいしい」というものがあります。
 …ええ、食べるんですよ。食べたんですよ。そしておいしいと言ったのですよ!

 多分一番古いのは、『漢書』(だったと思うけど既に記憶が定かでない。資料やらメモやら…出せるけど取りに行くのが面倒だ/爆)。

 夏王朝(注1)の時代には、龍を飼育する係というものが設けられていたのだそうです。
 そしてあるとき、その役人が龍を死なせてしまいました。そうして(何故か)、塩漬けにした龍肉を王に食べさせました。
 すると王は、おいしいからもっと寄越せ、といいました。しかし龍肉なんぞそうそうありません。暴戻な王の怒りを恐れ、役人は逃げてしまい、以来、朝廷に龍の飼育係という役目はなくなりました。

 かなり乱暴にまとめると、こういう感じの話。

 そして、別の書物(これはもう時代も名前も忘れた…部屋に行けばちゃんと判るけど…)には、龍が宮城の中庭に墜落死して、それを羹(あつもの)にして食べた、いい味だった、というものが。

 あとこれはかなり時代が下って唐前後(百年単位で/汗)の書物に、あるとき客人らに料理を振舞っていたら、張華(注2)が刺身を見て、これは龍肉だ、酢を振りかけてみたら何か起きるだろうといい、その通りにしてみたら、五色の光を放った、という話が。
 …光放ってますよ。酢をかけて。どんな化学反応だ。

 ちょっと食べてみたいな龍肉! だけどきっとおいしいだけで、効能はないのですね?(人魚肉のように不老不死、とか) 
 まあ、竜骨が薬になる、というのは言いますけども。
 しかしこの竜骨は、大体は動物の化石らしいです。そして薬屋に売られていた竜骨から、恐竜の化石の発掘に至ったなんていう実話もありますね。

 龍を食べる、という記述は(私が行き当たった中には)少なかったですが、でも全くないわけじゃなというところがなんとも…楽しい。
 しかし、知らずに食べた王様はともかく、知っていて羹を口にした人たちは凄いと思いますよ(笑)。


注1 現在実在が確認されている中国最古の王朝・殷のひとつ前にあったとされる王朝。現在は実際にあったという説が有力。
注2 『博物誌』という書物を記したとされる人物。物凄い知識人として有名(?)。  


図書館の本 2007-01-24 00:17

 図書館愛用者です。
 読みたい本全部買ってたら、購入費だけで破綻するけどそれ以上に置き場が全くないよ! 図書館は、私の家外書庫です(笑)。

 その図書館。

 先日本を借りたら、返却日の判子を押された紙が変わっていました。
 今までは、分館の連絡先一覧だったのですが今は、「本を大切に扱いましょう」という、例えば物を食べながら読まない、書き込みをしない、といった具体的な注意。
 とうとうか…と思ったものです。

 破れているのやら染みはまだしも、書き込みや切抜きが赦せないですね私は。

 破れや染みは、迂闊で軽率ではありますが、そうしようと思ってのものではないのが大半。
 対して書き込みや切抜きは、わざとです。
 メモを取ろうとしてうっかり書き込んだ、自分の本と間違えて書き込んだというのも故意ではないかも知れないけど、それなら消せばいい。消せない(ペンで書き込んだ)なら、責任をとって買い替え負担をするべきでしょう?(館の人に申告して。買い替えの代金負担になるのか、程度によっては注意だけなのか、私にはそういったことは全然わかりませんが)
 ついでに、本に付録でついている小物(カードや地図や型紙、栞など?)を盗るのは窃盗ですね。戻し忘れていたなら、正直に言って返してきましょう。

 自分の本なら、何を書き込もうが破ろうが捨てようが燃やそうが、勝手です。個人的にはどれも厭ですが。多分作者や出版に携わった人としても、(書き込みは微妙だけれども)嬉しくはないだろうと思うけれど。
 でもそれは、その人のものだし。そうしたことで困ったことが起きても、自業自得で困るの本人だけだし。
 だけど図書館の本は、共有物です。上の方で私、「家外書庫」と言っていますが、それは「思うままに好き勝手していい蔵書」という意味ではありません。断じて。
 その購入・維持が税金だから、じゃあ税金を払ってる俺のものだー、などと言う人がいたら、凄いと思います。そこまで我田引水の思考回路、よく大っぴらにさらして恥ずかしくないですよね? 
 つまりそれは逆に、その人だけのものではないのは当然で。文句があるなら、どうぞ、日本の税金をお一人で負担してください。完全な私設書庫を作る方がお安いです(多人数が利用するのでなければ「図書館」とは呼べないだろうので「書庫」です)。
 まあ、そこに自力で気付くようなら、そもそもそんなことしないだろうけれど。

 書き込み、大学の図書館が酷かったなー。
 明らかに講義での試験対策だろうという、書き込み。ちょっと唖然としたものです。…まさかあの書き込み主の中に、司書課程履修してた人はいないだろうな…。

 関係ないけど大学図書館といえば、卒論の資料集めに使いたかった本と、私も履修していた講義の前期試験の内容が勝ち合って、試験は夏休み前に終わったというのに、夏休みいっぱい貸し出されていたことが…貸し出し期限過ぎてるのに…お願いだから、読み終えたら期限内に速やかに返してください…(泣)。
 まあねっ、試験対策に借りてそのまま放置ではなくて、興味があって借りて、返しそびれて夏休みということもありうるけどねっ。試験対策で借りて興味を持って以下同文、ということもあるだろうけどねっ。
 それならまだまし。いや、興味あろうがなかろうが、読んでいようが読んでいなからろうが、正規の手続き内で何とかして欲しいですけどね。返却期限切れてなかったら、あそこまで腹立ってなかった。

 そうそう大学図書館といえば。
 私の通っていた大学は、私が入学の前後頃まで、本の帯はおろかカバーさえも、外して捨てていました。しかも、公共図書館でおなじみのビニールカバーもなし。
 本、エライ殺風景な上に傷んでました(いや、ビニールコーティングも、本自体にはあまりいい対応ではないのですが)。
 …私、講談社新書(旧版)のカバーしたなんてあそこではじめて見たなあ。『解体新書』の挿絵(?)なのか、ちょっとグロテスクな図が躍っていました…カバーなしでは人前で読み辛いような(苦笑)。
 そしてあるとき、ある教授が、あるシリーズの一括購入を希望して、通ったのだそうです。
 楽しみにして研究室に行ったら(そこに置いてくれるということだったらしい)、カバーが全て外され、区別のつきようもなく並ぶ真っ白な本。洋書で、カバー下は一切装丁のないものだったそうです。
 激怒して司書のところに怒鳴り込んだらしいけど、カバーは捨てられてしまった後だったかな…そのあたりの顛末はよく覚えてないですが。
 私の在学中にはカバーもつけての配置となって、ちょっと落ち着きました。カバーも本のうちですよね。

 閑話休題。

 扱いの酷さも気になるけれど、貸し出し期間の守り具合も気になります。
 そりゃあ人間、きっちりきっりち規則を守れることはありませんよ。本の返却だって、例えばあと少しだけで読み終わるからと、引き伸ばしてしまうこともあるでしょうよ。本当に行く時間が取れなくて、遅れることもあるでしょうよ。突然事故に遭って身動きが取れないとか旅行前に返し忘れたとか。
 かく言う私も、今まで一度も期限越えなかったことないよ!なんて口が裂けても言えません。
 それでも、極力努力はしてますよ。なんとか結果を伴わせるように。 

 ところで、予約がたくさん入っている本の方が、ちゃんと貸し出し・返却されている印象があります。
 予約がたくさん入っていると判っているから、早めに返そうと努力するのかなあ。そうでなくても、予約して読みたいと思うのだから、早く読み終えるというのもあるでしょう。
 逆に、予約したのが一人だけという状況で…最高、三ヶ月ほど待たされたことが。
 あ、あの、貸し出し期間、二週間。予約した時点で既に貸し出し中なのに。その人が借りたばかりとしても最大二週間、次に借りた人が、予約本預かり期間の一週間をぎりぎりまで使ったとしても、最大三週間。
 …長かったよね…あれは長かったんだよね…?

 まあ借りる側ばかりでなくて、予約の手続きがされていなかったとか予約本を借りようとして他の本を渡されたとか返却したのに返却処理されてなかったとかあまりにも館の人が無愛想で怖かったとか、館側の人の問題もあったりしますが。
 だけど、無愛想はともかく、ある程度の失敗は仕方ないものなあ。一切の失敗なしで仕事しろなんて言われたって無理ですよ。改善策はとってもらうとしても。

 これも本の話ではないですが、図書館の仕事。
 私は、司書になりたいなーと司書資格をとってもいるのですが、バイトや体験でも、仕事をしたことはありません。
 だけど、肉体労働で雑務が大半というのは、想像つきますよね?
 本なんて、重いですよ。紙の束でさえ重いのに、ハードカバーになったらそこに、更に重みが加わるわけですよ(外殻分)。それを持ち上げて下ろしてって、鉄アレイ持っての運動と大差ないじゃないですか。思い切り体全体での運動にできない分だけ、負担は大きいですかね。
 そして、利益目的ではないけど接客業だし。接客業なんて、人の数だけ、いいことも悪いこともありますよー(考えたら私、初対面の人苦手なのに、今の仕事までほぼ接客業しかしたことない)。
 考えたら判りますよ。図書館や本屋を頻繁に利用している人ほど、解ると思います。
 なのに何故か、図書館の講義では肉体労働で仕事中は本なんて読めませんよ、ただ本が好きなだけでは勤まりませんよと、何人もの先生に言われました。つまりはそれだけ、そう思っている人が多いと。
 不思議。
 あーでも…司書資格履修の講義で、調べものが厭だと言った人や本の扱いが物凄く雑な人とか、見たなー。資格取得にもお金かかるのに、どうして興味ない資格取ってるのかと思ったものだけど。

 世の中、不思議なことが多いです。

 あ。脱線に次ぐ脱線で終わったなあ(苦笑)。
 えー、図書館の本は、規則を守って大切に使いましょうね、ってことで。  


映画の話。 2007-01-27 23:16

 映画を観るのが好きです。
 まあ映画というか、物語の作り物自体が好きなのですが。ドラマでも小説でもゲームでも。

 で、うちの父。
 年季が入っていて、私とは比べ物にならないほど見ています。何せ、二流館三流館でたくさん観たらしいし。
 最近、ネットオークションで安値でLDを買い漁るのは、何とかしないと床が抜けそうなのですが。ビデオも着実に増殖中です。…母の目が痛い。
 以前、OA機器のセールスに来た人(二十代)が映画好きなんですよー、と言ったらしく、話込んだらしいのだけど。全然知らんかった、と帰って来ました。…年齢差。年齢差、考えようよ。 
 時間だけで考えても、高校生時代から色々と観ていてた父と並ぶくらい観るとなると相当ですよ。

 まあ父は措いて。

 私自身は、テレビで見るのが主でした。映画館にはろくに行かず。というか行けず(子供に映画鑑賞の代金は高い。親が連れて行くならともかく)。
 大学生になって、いくらは観ていましたが、むちゃくちゃ観たというほどでもないですねー。
 基本、邦画。

 でも「好きな映画は?」と言われると、ぱっと浮かぶのは、「スニーカーズ」と「マスター・アンド・コマンダー」です。何故。
 「踊る大捜査線」は大好きだけど、あれはあまり、映画、という感じはしないのですよね。やはりドラマの延長線上。

 「スニーカーズ」は、ハッカーたちの大企業への意趣返し(って大雑把に過ぎる)。
 派手な映画ではなかったのですが、高校生くらいのときに深夜テレビで観て、その後ビデオを買いました。でも再見してない(爆)。
 実際のハッカーから苦情のなかった数少ない映画、との評を聞いたのは、随分と後になってからのことでした。それだけ「らしさ」が出ていたということなのでしょう。

 「マスター・アンド・コマンダー」は、はじめは観るつもりもなかったのだけど、あるブログで感想を見て、異様に気になってその翌日に観ました(笑)。映画館で、題名すら言えませんでしたよ。
 面白くて勢い込んで原作も読んだのだけど、そちらはあまり面白いと思わず、一巻だけでした(苦笑)。最近、ようやくDVDを購入。うっかり間違えて、おまけ映像とかのない方を買ってしまったけれどね!(爆)

 洋画の題名は、無茶苦茶さも陰日向に見られる、昔の方が良かったなあ。
 「The great sleep」が「三つ数えろ」だとか。題名ではなくて明らかに内容からだろこれ、とか、いやいや意訳しすぎ!だとか。微妙に著作権侵害っぽくなりながら、でも、その方が馴染みはあるなあと思うのですが。
 今は、上に挙げた二作もだけど、読み方を片仮名にしただけというものが多いですね。それならいっそ英語のまま載せろ、という気がします。
 題名は、予告編よりも大切なのに。

 映画。
 今は、「どろろ」が気になるなー。観に行けるかなあ。  


盛り塩 2007-04-22 01:05

 水商売では盛り塩をするといいますね。それと何故か、事故の多い交差点にあるコンビニの入り口に盛られていたり。

 この二種は、系統が違います。

 水商売の方の理由は、客寄せ。まあこの場合は、男性を、ということになるのですが…(ホストクラブではどうしているのか)。
 この由来は、日本だったか中国だったのか忘れたのですが(私の知識は常に耳学問)、後宮にあるそうです。
 日本にしても中国にしても、後宮というのは言ってしまえば、帝や皇帝の跡継ぎを作るために、その気になりそうな女性たちをわんさか集めた場所です。
 時代と人によって人数は変わりますが、その目的のみで召抱えられた人だけを数えても、毎日順繰りに回っても一年かかるよ…といった事態が冗談でなくあったりしました(そこに更に、世話役の女性に手を出したりして増える)。
 それだけいれば当然、満遍なく回ることなんてできるはずもないし、する義務もない。
 まあ普通、お気に入りに入り浸り、数人いたとしたらそこを日ごとに回るとか、そういったことになるわけです。
 でまあ、対する女性たちは、生活やらお家やら矜持がかかってきます。
 寵愛を受ければ、親兄弟や親戚が引き立てられるかもしれないし、自分の後宮での地位も格段に上がります。

 あるときの帝(だったか皇帝だったか)は、気まぐれに、移動手段の牛車の牛に任せて夜のお相手を決めていました。
 そこで考えたある女性、部屋の前に塩を置きました。
 塩は動物にとって、なくてはならない必要物質。そこに目をつけて牛をおびき寄せたのでした。

 …という話が由来だと、どこかで聞いたような。

 余談ながら、誘き寄せるのとは逆に、対抗相手から足を遠のかせる方法として、相手の部屋の前に糞尿をばら撒いたりする手段も取られたそうです。
 恐ろしいといえばいいのか、いっそ馬鹿らしいといえばいいのか。

 閑話休題。

 コンビニの盛り塩、もとい、幽霊避け・厄除けの盛り塩は、もちろん後宮には由来しません(多分)。
 こちらはあまり詳しくないのですが、塩そのものに浄化の力がある、というところからきているのでしょう。
 お葬式のときにもらう、清めの塩ですね。お相撲さんの土俵入りのときの撒き塩とか。(これは怪我をしたときの消毒も兼ねているとかいないとか)
 入り口に一対の盛り塩を置くのは、だから、境界線を引いて、内に害のあるものを立ち入らせない、ということかと思うのですが。どうなのでしょう。

 「盛る」というのは、神饌(神への供え物)に使われる作法でもありますね。
 そう考えると、神に供えることで守ってくださいと言っているのか、対するもの自体を神(この場合、自分たち以上に力のある不可知のもの)と看做して、備えるから祟らないでくださいと、訴えているのか。
 誰か、調べていそうな気もしますね。本が出ていないかな…探してみよう。

 ところで、塩の浄化作用も不思議。何故そんなものあるとされたのでしょう。
 命(生存)と密接に関ってくるからかなあ。命を支えるから尊いもの、神秘のもの、と発展することはありますね。
 そういえばお米も、破邪の際に有効です。日本でもありますが中国ではよく、調伏の際に米粒を投げつけたりするそうで。

 ぐだぐだになりましたが、まあ、そんな塩の話。

 ちなみに塩を、必要だからと摂りすぎたら、下手したら死にます。何事も、程々が一番。節度というものがありますよということで。


疑問 2007-11-05 21:32

 疑問いち

 古来、この国には「言霊」という考え方がありますよね。
 言葉が力を持つ。
 言葉にしたことが、現実になる。
 「一言主(ひとことぬし)」という、良いことも悪いことも一言で言い放つ、という神様までいらっしゃいますし。
 (これを翻して、一言主が言葉にしたからこそそれが実現する、という考え方もあります)

 で。

 逆に、「悪夢は人に話せ」とも言いますね。
 悪夢を見たら、なるべく多くの人にその内容を語りましょうと。
 そうすると、みてしまった夢が、実現することはないのだと。

 でもこの二つ、反してますよね?

「言葉にしたことが実現する」のなら、悪夢は、誰かに話すことによって顕現してしまいます。
「人に話すと現実にはならない」なら、言霊なんてただの戯言です。

 より多くの人に話すことで、その「悪事」の分担者を増やして、一人ひとりの負担を減らして、「実現しない」ところまで持っていくのじゃないか、という考えもありますが…。
 「言葉にしたことが実現する」なら、逆に、言葉にしなければ実現しない(こともある)ということになりますよね。
 悪夢を見ても、口にさえ出さなければそのまま雲散霧消、となるはずです。

 うーん、私の言霊解釈がおかしいのか…?

 疑問に

 十月の和名、と言えばいいのか、異称に、「神無月」がありますね。
 「神様のいない月」ということですが、何故神様がいないかといえば、出雲に総出で繰り出しているからだ、という話があります。
 だから、出雲では「神有月」と呼ぶのだとか。

 でも、十月ってお祭り多いですよね?

 秋祭り。
 収穫の豊穣を祝って、ありがとうございました、来年もどうぞお願いいたします、ということで大騒ぎをするという(ちょっと違う)。
 子ども神輿から有名観光化されたものまで、乱獲期です。十月。

 新暦と旧暦(あるいは太陽暦と太陰暦)のずれのせい、とも思えないのですよね…。
 十一月にだってありますから(旧暦なら大雑把にいって十月に該当)。

 そうなると、お礼を捧げるべき神様がいない、空のお社の前で大騒ぎしていることになりますよね? 
 自分がいない間に、自分を口実に盛り上がられる方が厭じゃないですか?

 この矛盾を崩すには、
・「神無月」「神有月」という呼称は民衆レベルで一般的なものではなかった
・祭る神が名のあるものではなく自然崇拝に近いものだったから本来社は関係ない(捧げるべき対象が違う)
・私の勘違いで本来旧暦十月には一切祭りはなかった
とまあ…この他にも、いくつも挙がるのじゃないかなー。でもどれが本当なのか。

 うーんうーん、と、唸ってばかりなのですが、真実は奈辺に?(苦笑)
 誰かご存じないですかねー…。  


うそのはなし 2008-04-01 23:35

 実のところ私は、「物語」がないと生きていけてないのじゃないかな、と思います。

 「物語」というのは、ドラマでも漫画でも小説でも、それどころか、愚痴や雑談や新聞に載るような事件やほのぼの話や。
 まあ、どこにだって転がっているわけです。

 だから、なくなったらどうしよう、という心配はあまりしていませんが。

 でも、(私個人趣向による独断で)好き嫌いや優劣はあるわけで。
 また、断片過ぎて「物語」まで組み上げられない事実なんて山とあるわけで。

 そういう意味で、作り物の存在は重要です。好んで手にします。
 これも多種多様だけれど、まあ大体は、筋というものがあって起承転結があるものが多いわけです。
 ちなみに私の中で、ドキュメンタリーやルポと銘打ったものも、作り物の一種と見做されます。
 だってそうでしょう。記録でさえ、選び方に寄っては恣意的な創作物になってしまうのだから、対応する人の感情まで把握しようとするものの多いそれらは製作者の著作物ですよ。

 …とりとめがなくなってきたなあ(いつも)。

 えーと。
 作り物を嘘、と言ってしまうと違うかもしれないけれど、それに近いものですよね。
 つまり私は、嘘を大量に摂取して生きている、と。
 そう考えると、ちょっと、獏みたいで楽しいなあ(笑)、というのが今回のまとめ。←?

 注:獏…当然ながら、動物園の檻の中にいたり水辺に住んでいたりのウマ目バク科に属する哺乳類ではありません。悪夢を食べる、という伝説のあれです。  


大阪府立国際児童文学館 2008-05-09 23:38

 えっと、ちょっと宣伝(?)。宣伝というか、署名呼びかけ。
 大阪府立国際児童文学館が、府立中央図書館または府立中之島図書館に統合される計画があるとのことで、存続署名です。
 あの、下につらつらと書き連ねますが、情報源としては是非「児童文学書評」(http://www.hico.jp/)や「大阪府国際児童文学館」(http://www.iiclo.or.jp/)など、他サイトさまを参考になさってくださいね〜。あくまで下に連ねるのは私の私見だし、できれば、反対意見も探して耳を傾けて頂きたい。一方側からだけの視点は危険なので。
 …ええとでもこれ、知ったのがとても遅くて署名の受付締め切りが11日ごろ、なのです、よ、ね…(汗)。署名の用紙ややり方などは、「児童文学書評」さまをご覧ください。

 先に書名や反対活動について私見を言うと、意義や大切さを理解している活動においても、怯えはあります。
 内容に賛同できるかどうかは本人が吟味するしかないとして、署名の情報を集めた側に悪用する意思がないとしても、受け取った側やその後の処理を考えるとどこにどう流れたかわかったものではないし、そういったものに参加したという一点で問題になる場合もあります。
 だから正直、私は、そういったことに参加するのは怖い。
 でもだからといって、ひっそり息を潜めていればいいなんてものでもないのですよね。例え効果がなかったとしても、必要だと感じるなら、動かなくて後悔はしたくない。
 まあそれは措いて。

 財政の逼迫している大阪府。府知事の視察後、文学館を図書館に統合、なんて計画が出たようです。つまり、必要ないんだから予算使わないようにしようよ、ってことで。
 asahi.com の『橋下知事 国際児童文学館「府立図書館などに集約化を」』(2008年03月20日)(http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200803200035.html)の記事で知事の見解を読んで、思わず笑ってしまった。これ、もっともだと読み流す人結構いるだろうなーきっと。
 つまりこれ、単に児童書が豊富(もしくは児童書のみを置いている)図書館としてしか、国際児童文学館を認識していないわけですよね。職員はただ単に、児童書に詳しい勤め人。統合ってどうやるのか知りませんが(だって館の蔵する諸々に関しての先行きは模索中らしいから、分散するなりどこかに保管と称して死蔵するなりでしょう。少なくとも、一箇所においてこれまでと同じように活用・保管は無理ですね。それだと現在と変わりないもの)、統合した館の児童書コーナーを少し充実させれば完了、とでも思っているのでしょうかね。
 少なくとも、現状と同じあるいはそれ以上の活動は確実に期待できないわけです。
 集められた今となっては入手困難な資料や職員の知識、(廃館となればおそらくは廃棄されるだろう)児童文学館として作られた施設設備、研究の場(これはある意味職員の知識と同じ?)、それに勿論子どもが心置きなく本と触れ合う場所のひとつ、これら全てが失われかねないわけですよ。しかも、失った後で必要だったんじゃないかと思っても再興は途轍もなく困難。
 文学じゃ食えない、文化なんて余裕があってこそ、と言うこともありますが、本当に貧困だなーと思いますね。精神的に。
 財政逼迫の際に文化施設は削減対象にされやすいです。専門分野を絞っているものなら尚更。それは、必要と感じる人が少ないから、反対意見を唱える人が少ないから、なのですよね。そういう意味でも貧しい。そして強大すぎる、民主主義。
 とまあ、反感買いそうなことを言っていますが、私の賛同理由は突き詰めると単純に、「なくなったら厭だ」、です(苦笑)。行ったことないけど。でも。

 ああしかし…教えてもらうまでまったく知らなかった。asahi.comに記事があるのだから、朝日新聞にも載ってただろうのに気付かなかった。…この頃、新聞読まない日も多いしなあ…。
 知らずの放置も同罪ですよ。


逆さの話 2008-05-29 23:07

 先日、四国八十八箇所を逆に回ろう、というツアー広告を見ました。幸せになれるそうで。

 …あれでも基本的に、逆って、宗教的なもので幸せな意味を持つものってほとんどないんじゃ…?

 聖書や祝詞など、「呪文」として扱えるものは、逆読み(文の末から頭にかけて読む)すれば呪いになるし、逆さ十字(上部が短く下部が長いのが一般的)は悪魔信仰とか…(十字架の種類については、半ば政治的に邪宗とされたということもあるので、あくまで一説としてですが)。セフィロトの図か何かも、逆は悪魔とか何だとか…。神社でも、前宮中宮奥宮、を逆に巡ってしまってえらい目に遭った(極言すれば祟られた)、なんて話もありますし。

 そして、お遍路さんの逆打ち(逆に回る)で真っ先に思い浮かんだのは『死国』(苦笑)。
 小説ですが、映画化で有名になったあれ。…ちなみに私は、家には小説もビデオもあるけど漫画版しか読んだことがない(爆)。
 その漫画版によると、死んだときの年齢分逆打ちすると死者が蘇るとか。
 …幸せ…?
 (いやまあ生き返って欲しいと思って回るわけだから嬉しいのだろうけどでも何か違う)

 出典は何だろう、根拠は? と思うのですが、一体何なのでしょうねー、逆に回ろうツアー。

 別に、詭弁でも何でも納得できればいいのだけどちょっと引っかかった。  





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