我が夢見るは幻

「お待ちしておりました。ローランド=イルフ・エル様」

「・・・はい?」

「それ、私の名前」

 しっかりと正装した青年の後ろから、腰まで届くかというような長い髪を三つ編みにした少女が顔を覗かせた。

 驚きに声を失う男に溜息をつくと、少女は青年に向き直った。マントが、大きく円を描いて翻る。

「ありがとう、荷物ここまででいいです」

「はい」

 営業用だけとは思えない笑顔を返して、青年は馬車に乗った。最近貴族連中に人気の正装馬車だと男が気づいたときには、目の前に柊の葉をかたどった王家の紋章が突き出されていた。

「はい、証明書。納得してもらえました?」

「あ・・・は、はい! 失礼しました。あちらで、皆が迎えの用意をしています!」

「そう? ありがと」

 ふわりと浮かぶ笑みに、男は思わず顔を赤らめたのだった。

 男名前に勘違いされるのもこの見掛けに驚かれるのも、証書を見せてかしこまられるのも、今や慣れたことだった。

 だがそこに、小石が飛んできた。当たる前にそれを掴み取ると、そのまま飛んできた方向へ軽く跳ぶ。男が驚いて目を見開いている間に、少女は十にとどくかどうかというような少年を捕まえていた。

「ハルト!?」

「私に何か用?」

 睨みつける金髪の少年に、少女はどこか面白そうに訊いた。ところが、少年は一向に口を開く気配がない。ただ睨み付けるだけだ。

 やはり興味深げに、少女はふうん、と呟いた。

「はじめまして。私はローランド=イルフ・エル。友達はロイって呼ぶわ。ハルト、あなたのフルネームは?」

「ハルト、お前なんてことを!」

「いいから、あなたは黙ってて? 私はハルトに訊いてるの」

 穏やかに拒絶するロイに、男は内心肩をすくめた。ハルトのことは、咎められず正直安心したが、こんなお嬢様然とした少女を送ってくるとはどうなっているのかと、呆れてもいる。

 現在この村は、幻人[マボロビト]の甚大な被害を受けている。今年の春嵐は凄かったのだ。

 だからこそ、仕方なく国に術者の派遣を頼んだというのに。これが国の正式な、千人に一人とも言われる難関を潜り抜けた術者だとは、手違いだとしか思えなかった。

「・・・・ハルト・ローランド」

 笑みを崩さない少女に、ハルトは渋々といった態で呟いた。

 少女が、整った眉をひそめる。

「ああ、あの春嵐で怪我をした・・・。確かあなたが、お父さんの代わりに幻人狩りをしてくれてたのよね。ありがとう。それで、私に何か用?」

「あんたたちが来ると、俺たちが食っていけなくなるんだよっ。宮廷術師なんて、町や土地破壊して帰っていくだけじゃねーかよ、そんなの、誰だってできるんだよ、来るなよ!」 

 あ、痛いところついてくるなあ。ロイは、心中苦笑した。実際、傲慢な術氏たちの大半がそうだった。だがロイは、ハルトの言う「俺たち」が、主に彼とその家族、ただ一人の父親を指すことにも気づいていた。

 少しだけ考えて、ロイはにっこりと微笑んだ。

「あなたには、助手をしてもらいたいんだけど。どう?」


*   *   *


 この国では、四つの季節にそれぞれ、四つの風が吹く。単純に春嵐などと呼ばれるそれは、古くからあり「竜の吐息」「死神のしらべ」などとも呼ばれるが、原因は判っていない。風そのものによる被害もさることながら、それに伴って引き起こされると考えられている「幻人」の被害の方が大きかった。

 幻人は、人の影とも言われ、全体的に色が黒く、出現した近辺の住人の姿を写して現れる。人畜に被害を与え、また、姿を写した人物を殺害しようとすることもあり、危険度は高いとされている。

 王都や大きな街になると専属の狩人がいるが、多くの村落では、住人の中で腕に覚えのある者が村で集めた金を受け取る代わりに、臨時の狩人をすることが多い。

「それくらい知ってるよっ」

「あ、そう? 優秀ね、良かった」

 ロイは、説明しながら睨むように見つめていたこの集落の手書きの地図から顔を上げて、含みのない笑顔を向けた。思わず、ハルトは視線を逸らした。

「何にも知らないでやってる人が多いから。それは、自分で調べたの?」

「父さんから聞いたんだ。何でも知ってて、凄いんだ。・・・あの春嵐さえなかったら、さ・・・もっと・・・」

 悔しそうな、哀しそうなかおをする。ハルトの父は、春嵐のせいで怪我をして寝込んでいる。寝たきりになるほどではないが、それでも障害が残る。狩猟で生計を立てている身としては、この時期に身動きが取れないことも含め、かなりの痛手だろう。

 だからこそ、ハルトが狩人などをやっているのだ。

「あんた、何で来たんだよ。キィツなんだろ、滅多にお目にかかれないっていう。何でそんなのが、この村に来るんだよ」

 思わず素直に父のことを言ったことに気づき、怒ったようにして言葉を被せる。ロイは、思わず微笑した。それに気付いて表情を険しくしたハルトに、慌てて笑みを消す。

 キィツというのは、厳しい試験を幾つも突破して選ばれた宮廷術師の中で更に選び抜かれた特別な集団・・・と、言われている。一般市民にとっては、噂でしかない。宮廷術師を見ること自体、主要都市以外では珍しいのだ。

「それは・・・あれ、私、キィツだって言った?」

「あ。・・・それは・・・見えたから、身分証・・・」

 「見えた」ではなく「見た」だろう、この場合。基本的に身分証は、眠ったり着替えのとき以外は身につけているのだから。ハルトの家に宿を借りているので、隙をみて見ることくらいは可能だろう。

 しかしロイは、そのことには触れずに頷いた。

「まあ実際、珍しいわよ。いくら幻人の被害が凄いって言ったって、こんな街から遠く離れた、山の中みたいな村に来るなんて。ただの宮廷術師でも滅多にないわね、多分」

「じゃあ・・・」

「この場合は偶然。この近辺に用があって来てて、たまたま文官の友達に連絡を取ったの。そうしたら、ここの話になってね。近くにいるんだから、と思って」

「ついでかよ」

「個人裁量で仕事を選べるのは、キィツのささやかな特権なの。受けた以上、ちゃんと仕事はするわ。あなたに支払う給料だって、国から出るのよ?」

 今回、ロイはハルトを助手として雇っている。ただ協力を頼むだけでもいいのだが、そうするとハルトの家の収入がなくなってしまう。それなら他の人をと、村の者からも給与などを取り扱う文官にも言われたのだが、今回の幻人に一番精通しているのはハルトだと言って押し切った。

「さて。そろそろ行きましょうか」

「どこに?」

 地図を丸めて立ち上がったロイをわずかに見上げ、ハルトは言った。村長宅にある記録書を何冊かめくり、それからは地図に見入っていただけなのだ。見当もつかないのだろう。

「村外れに祠、あるのよね?」


*   *   *


「今年の幻人が多かったのは何故か、考えたことはある?」

「春嵐が強かったからだろ」

 村の東側にある祠を一通り調べてからようやく、ロイはハルトに向き直った。

 祠は、ごくありふれたものだった。大人一人がどうにか入り込めるくらいの社に、丸い鏡が収められている。ただ、今は春嵐のせいで屋根が飛び、社も傾いて、何より中の鏡面が割れてしまっている。

「・・・これが割れたせいだって、言うのか?」

「そう。でも、ここだけじゃなくて、他も割れてるんだと思う」

「他って、祠はここしか・・・・ある、のか・・?」

 信じられないような思いで見るハルトの視線の先で、ロイが肯く。

 この村で生まれ育ち、意識してではなく全て知っていると思っていた場所が、どこか違うような気がしてくる。それは、不思議な感覚だった。

「少なくとも四方にはあるはずよ、こういうタイプは。記録や地図には残ってなかったけど・・・。狩や幻人を追っていて、見たことない?」

 恐らく、完全に社の形で残っているものではないだろうと、ハルトには予想がついた。そうでなければ、自分も村人も気づいただろう。とすると、埋もれているか、土台だけでも。どこかに、あっただろうか。知らぬ間にロイへの敵愾心は消えて、今では真剣に取り組んでいた。

「・・・どうして、今更必要になるんだ?」

 不意に顔を上げると、ロイと目が合った。

「今までなくても変わらなかったんだから、ここの祠を直して、それが無理なら、別に新しく建てればいいだけのことじゃないのか?」     

「それはそうなんだけど、もし古い祠がまだ機能しているとしたら、術が反発するの。幻人が増えたからって、祠が全部なくなってるからとは限らないし。見てない?」

 必死で記憶を探ると、二つはそれらしいものに思い当たった。あと一つはどうしても心当たりがないのだが、他の二つにしても、それだと断言はできない。確証はないのに、何故かそれだろうという気がする。

 そうロイに告げると、少し驚いたような顔をして、次いで微笑んだ。

「ハルト、今何歳?」

「へ? ・・・十一だけど・・・・?」

「え。私と三つしか違わないの?」

 同じ年齢の者と比較して、幾分幼く見えるということは自覚していた。だが、あまりに露骨に驚かれると、気分はよくない。むっとしたそれが、顔に出たのだろう。ロイは、慌てて言葉を継いだ。

「ごめん、その、ちょっと・・・・ごめんね」

「年訊いて、何」

「ちょっと我慢してね?」

 そういって、頬に手を触れる。両手で顔を包み込むようにして、熱でも診るようにハルトの額に額を当てる。急に、脈拍が上がるのを感じた。

「こら、そこ! 僕の許可もなしに何をしている!」

 突然頭上から降ってきた声と斜面を滑り降りたような音に、ハルトは体を強張らせた。ロイの向こうに見えるのは、金というより黄色に近い髪をした少年だった。誰だ、村の奴じゃない、と瞬時に判断をする。

 動きが止まったのはロイも同様で、ゆっくりと、ハルトに額を合わせるためにかがめていた背を伸ばす。それからロイが声のした方を振り返るまで、随分と間があった。ハルトは、ロイのこめかみに血管が浮くのを見たような気がした。 

 それまで明るく朗らかだった声が、一気に重く鋭くなる。

「リィン。お久しぶり、私のことがわかるかしら? 随分と顔を見ていないものね、お互いに。忘れられてるんじゃないかと心配なんだけど」

「何だどうした、ロイ。僕に会えたんだ、素直に喜べばいいじゃないか」

「喜んでないわよ、全然まったく」

 額を押さえての唸りは、ハルトにしか聞こえなかった。


*   *   *


 他の三つの社を見て回った結果、新たに術を施すことになった。二つはハルトが思い出したもので合っており、最後のひとつは、唐突に出現した少年、リィンが発見していた。山の中をさすらっていて発見していたというと、「こんな冗談みたいな展開、もう嫌」と、ロイは頭を抱えた。

 新しい社を建てる手配がなされ、実際に村人たちが動き、着々と術の準備が進められている今になっても、ハルトはロイとリィンの関係を聞けずにいた。二人そろって家に泊まっているというのに。

 ひとつにはリィンの破天荒な性格と言動があり、もうひとつには、どこか訊き辛い雰囲気が二人の間にあったからだった。

「リィン、じっとしててって言ってるのが聞こえない? その耳は飾り物だったの?」

「そんなわけがないだろう。僕の耳が飾りだとしたら、どうやってどこに飾るかを考えなくちゃならないだろう?」

「それじゃあどうしてじっとしてないのかしら?」

「僕の勝手だ」

 音を立てて、ロイが手にしていた枝が折れる。

「ハルト、悪いんだけどそれ、縛ってどこか邪魔にならないところに転がしておいてくれない?」

「・・・・うん」

 据わった目つきに肯くしかなく、ハルトは近くにあった紐を掴んで、リィンに近づいた。無難に外に連れ出す程度に終わらせたかったのだが、ロイの目がそうはさせてくれない。

「何をする!」   

「邪魔なの。ハルト、それが終わったら手伝ってね」

 誰もが笑顔のロイに密かにおののきつつも、準備は滞りなく進められた。リィンの声を一切無視することに決めたらしいロイは、いろいろと話し掛ける少年には一瞥もくれず、てきぱきとハルトやほかの者に指示を出していった。

 日が暮れる頃には準備も完了し、ロイは夜明けとともに術を行うと告げた。

「ハルト、おまえは都に来ないのか?」

 今夜は儀式の場に残るといったロイを置いて家に帰る道で、唐突にリィンが口を開いた。え、と驚いてその顔を見るが、冗談や間違いではなかったらしい。応えを待っていた。

「・・・行けない」

「何故だ?」

「俺には父さんがいるし、この村だって嫌いじゃない。それに・・・都に出たって、何にもないんだから」

「何もない?」

 何の含みもなく聞き返すリィンの声に、うん、とハルトは頷いた。こうやって素直に話している自分が不思議だった。

「ちょっと待て。こら、動くな」

 突然顔を両手に挟まれて、額同士をくっつけられ、びっくりした。ロイがしたのと同じ行動なのだが、相手が男では、戸惑いしかない。一体これは何なんだと、改めてハルトは思った。

 恐らくはほんの数秒、しかしハルトにとってはやけに長く感じられた時間が過ぎると、リィンはやはり唐突に額と手を離した。

「やっぱりな。おまえ、いくらか魔力があるぞ」

「ええ?」

「まあ、たいしてないけどな。ロイと比べるとしたら、滝と亀といったところだな」

「・・・・・・比喩が判らないんだけど」 

 滝と亀がどうしたら比較対象になるのかと、ハルトは軽い立ち眩みに襲われたような気がした。まあ、月とすっぽんを比べる例えもあるが・・・それにしても・・・。

「だが、それだけじゃないんだろう? 影を切ると聞いたぞ」

 影が幻人を指すと気付くまで、少しかかった。そして、判ったのはいいが、それがどうしたと、つい聞き返しそうになる。

 風に、木々が揺れた。何か巨大な生き物が唸るような、そんな音が聞こえる。風に、濃い影が動く。

「それを考えると、伸ばしようによっては宮廷魔術師くらいにはなれる。その気があれば、推薦くらいはしてもいい」

「推薦って・・・あなたは何者なんですか?」

「キィツの、長だとでも言えばいいか」

 驚いて目を見張るが、リィンは気にせず先に歩き始めた。


*   *   *


「じゃあね、ハルト。何かあれば私のところに来たらいいわ。嫌でなければ、だけどね」

「うん。・・・元気で。二人とも」

「ありがとう。でも、これの心配はしなくてもいいわよ」

 隣でリィンが文句を言おうと口を開くところをすかさず手で塞ぎ、ロイはハルトに素直な笑みを返した。

 帰る二人を見送るのは、ハルトだけだった。村人にも声をかければ盛大に送り出しただろう。結界は再び張られたのだ。結界内であれば幻人が完全に出ないことは望めないにしても、その動きが遅くなって撃退しやすいとなれば誰でも大喜びする。だが二人は、見送りを避けるようにして村を出た。

 旅立ちを知っているのは、ハルトとその父だけである。

「それじゃあ」

 明日も会えるような気安さで、ロイは別れを告げた。ひどく寂しそうな瞳が、どこまでも二人を見送った。

 ロイがリィンの口から手を離したのは、ハルトの姿が完全に見えなくなってから。途端にリィンは、前に倒れこむようにして深呼吸をした。何度かそれを繰り返すと、恨めしそうにロイを睨み付ける。

 ロイは、それを無表情に見返す。

「気が済んだ、リィン?」

「・・・どういう意味で?」

 そうね・・・と言って、ロイは目を細めた。

「今年の春嵐は一際大きかったわよねえ。誰かのせいで。あの村も災難よね。結界が崩壊しかけてて少ししか機能していなかったところで、祠がひとつなくなっちゃたんだから。誰かのせいで」

「はっきり言え」

 すねたようにリィンが言うと、ロイは今度はにっこりと微笑んだ。声も先程と同様に柔らかいが、そこにはたっぷりと毒が込められている。

「お遊びの被害の大きさにとんずらして私たちに探させた上で更に傷口広げるような騒動起こして、気が済んだ?」

「・・・・僕が悪かった」

「そう。じゃあ、おとなしく戻るわね。都では、いろんな方々がお説教しようとてぐすね引いて待ってるわよ。もちろん、キィツのみんなもね。シノとトレジャーは南にサラは北、シドとジーンは東にとんでるんだから」

 ちぇっ、ともらしたリィンを、ロイが睨み付ける。

 キィツというのは宮廷魔術師の精鋭だ、と巷では知られている。半ば伝説的に知られている。確かにそれはある意味事実なのだが、そこには更に修飾語を必要としている。

 『問題児集団』  

 それがキィツの実態であり、ついでに言うなら別名は『子守り役』。

「早く帰るわよ、馬鹿王子」

 リィンの胸倉を掴んで、ロイは歩き出す。

 熱を帯びた風に、草木がなびく。夏が、間近に迫っていた。


   

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