牛とご飯
チャイムの音に玄関に出ると、牛がいた。
「ウシ?」
それはそれは立派な牛――だと思う。多分。乳牛か肉牛かは、知識がないのでちょっと判らない。どうだろう。
「牛?」
牛が口を利いた。度肝を抜かれる。
「あーっ、ホントだっ、なんで? なんで俺牛?」
喋る牛が家の前にいて、しかも、その声に聞き覚えがあるとしたら。一体、どうすればいいだろう。
頭の中は真っ白だ。
「俺、判るか? 和原喜一だよ、判るよな?!」
幼馴染の名前に駄目を押され、ずるりと扉にもたれかかり、ずり落ちた。
いや。
いや、いやいやいや。待て。
「お前が牛になったとしよう。どうして日本語喋ってんだよ? 骨格からして無理だろう、そんな発声!」
「そんな、冷静に突っ込まれても」
「クダンでさえ、頭は人だぞ?!」
「なんだよそれ」
声が半泣きだ。
クダンは、件。人面牛身の、予言をすると言われる獣だ。普通、そんなものの名前を言われたところでわかろうはずもない。
結局、混乱しているには違いないらしかった。
部屋に上げると、牛――あるいは喜一は、食べかけの手作り餃子を見て、ひょいと顔を上げた。
「相変わらずまめだな。一人暮らしで作るか、餃子」
「うるさい、牛。やらんぞ」
「いるか、昼はとっくに食った。食ったどころか、一眠りして来たんだ。遅いぞ、お前」
「俺がいつ何を食べようと勝手だろ」
話すほどに、この牛が喜一との確信が強くなる。どうしたものか。
医者に見せたところで、保健所やら得体の知れない研究施設に連れて行かれてしまうのではないか。
悩んでいると、当の本人――本牛は、勝手に、鼻でつついてテレビのリモコンを操っている。やがて、再放送のテレビドラマに落ち着いた。
「こんなの見てる場合か?」
「騒いでどうなるものでもないだろ。これ見たかったのに、友達来るからって友美に追い出されたんだ。いいよな、お前は一人で」
友美とは、喜一の妹だ。ちなみに、一人暮らしは期間限定であって、あと半年ほどすれば、両親は赴任先から帰ってくるはずだ。
しかし、そうとなれば、家を出る時点では牛にはなっていなかったようだ。なっていれば、いくら胆の据わった友美でも、友達と遊ぶどころではなかっただろう。
こうなったら、世界吃驚ショーにでもエントリーさせるか。
「お前、俺を売り払おうなんて思うなよ」
「な」
そのものではないが、似たようなことを考えていた。喜一は、不気味にも牛面でにたりと笑い、テレビに向き直った。
侮りがたい牛だ。
「それより、そうなった心当たりはないのか?」
「あー? 昼飯食べてすぐに寝たくらいか?」
そんなことで牛になるなら、辺り一面牛だらけだ。大体それは、消化が悪くなることを戒めただけのものではないか。実際には、その逆らしいが。溜息をつく。
わずかに、沈黙が下りた。
「ん?」
路上で取っ組み合っていた男たちから、急に地味に美人のニュースキャスターへと画面が変わり、「番組の途中ですが、」という決まり文句を口にする。一人と一匹(仮)は、思わず顔を見合わせた。速報にしても急だ。
表情を消しているはずのニュースキャスターはしかし、わずかに困惑を滲ませていた。
「――署が調べたところによりますと、株式会社**の先月二十六日から三十日にかけて出荷された小麦粉の一部に、幻覚作用のある食品が混入されていたことが判明しました。混入物は――」
混入物の素性と、小麦粉のパッケージが映し出され、人体に深刻な影響は及ぼさないが、くれぐれも食べないよう、食べてしまったら、数時間で軽い幻覚症状は収まるので安静にするようにとの注意がされた。
まだ情報が少ないのか、似たようなことが何度も繰り返し告げられる。
「・・・なあ、昼飯、何だった?」
「お好み焼き。お前、小麦粉食った?」
「餃子の皮」
二人は、顔を見合わせて笑うと、畳に寝転がった。
「――昼寝でもしとくか」
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