ひらり、ひらりと、薄く色付いた花びらが舞う。
退屈さと寒さと、あと、場所を盗られやしないかという微妙にばかばかしい緊張感を別にすれば――それがほとんどとは知っているが――花見の場所取りもそう悪くはないと、風見和幸は思おうとした。
努力した時点で、心から思っていないことは自明なのだが。
「ちっくしょーう」
「何叫んでるの?」
なんとなく仰向けに寝転んでしまった顔の上に、白い袋がぶら下がっている。少しして、その上から二十歳くらいの女の顔がのぞいた。
慌てて飛び起きると、袋は、素早く移動させられていた。おかげで、顔を打つことは避けられた。
「もうそんな時間?!」
「差し入れ」
よくあるコンビニエンスストアの袋を置いて、それを挟んで和之の向かいに座り込む。
二十歳くらいに見えるけど、確か、それよりは三つ四ついっていたはずだと思い出す。同期で、四年制の大学を卒業したと聞いた記憶があった。
「ココアと紅茶無糖どっちがいい?」
「え・・・っと、ココア?」
「肉まんとピザまんは?」
「肉まん」
「あと、飴と煎餅も入ってるから、適当に食べてね。カイロもあるし」
「あ、うん。ありがとう・・・?」
「遅刻したお詫びに」
「へ?」
悪びれずに紅茶の缶を抱えて中華万を頬張る女を、少しの間ぼんやりと見て、「ああッ」と叫んで指さす。
「同期で同じ課!」
「そうだけど?」
「お前も場所取りじゃないかッ!」
「だからお詫び持ってきたでしょ。それにあたしは、お前じゃなくてホウキカズヨ。まだ名前覚えてないの? 風見和幸君」
なんとなく納得いかないながらも、和幸は、さすがに指さすのは悪かったなと思いながら手を下ろした。が、すぐにそんな殊勝な思いも消えて、柳眉が上がる。
「最初に、差し入れって言っただろ」
「そうだった?」
「言った。差し入れとお詫びじゃ意味が違う」
「うーん・・・うん。そうかもね。ごめん」
「う・・・」
あっさりと謝られて、毒気を抜かれた。
和幸は、口の中でもごもごと「いただきます」と呟いて、まだ温かい中華まんを囓った。ココアのプルトップも開ける。
ちらりと伯耆――確か、そんな漢字だったはずだ。当然のように、和幸はそらでは漢字が書けない――を見ると、気の強そうな瞳が、何?とでも言うように見返してきた。
何を話せばいいかと、少し焦る。
そう大きな部署ではないが、それなりの人数はいる。同期とはいえ、性別が違うと、頻繁に話をするというわけでもなかった。男子社員の中で、伯耆は、そこそこかわいいが少し変わっているというのが定評だった。
「その・・・さっき、ごめん」
「え? 何が?」
きょとんと見返されて、言わなくても良かったかと軽く後悔する。
「場所取り・・・いや、名前」
「名前? ああ。何、本当に覚えてなかったんだ? ひっどいなー、こっちはフルネームで覚えてるっていうのに。やっぱ来なきゃ良かった」
「・・・遅刻じゃなかったのかよ」
「あ。あー・・・まあ、隠しても仕方ないか。どうせそっちも聞いてるんでしょ? 場所取りしろって言われても、女子社員はほとんど参加しないって」
「まあ、な」
二人の勤める会社、正確には部署は少し変わっていて、入社式の日の花見が慣例となっていた。入社一年目の社員が場所取りをして、二年目の社員が弁当などの手配、菓子類は各自。
ちなみに、新入社員が毎年入るとは限らないため、その場合は順送りとなる。運が悪ければ、場所取りを三年連続、という事態も有り得るのだ。和幸は、幸い、今年で一回目だ。
その場所取りを、女子は冷えるからと、来ないことが多いとは、確かに先輩たちに聞かされていた。代わりに、その分弁当の手配を押しつけるとも聞いていたが。
「こうやって来たから、来年手伝ってね」
「遅れてきたくせに」
「数字って苦手なのよ。この前も、十のところ百って書いてて。課長が発見してくれてなかったら、大惨事」
明るく笑い飛ばすが、笑い事ではない。仕方ないと、和幸は腹の中でだけ溜息をついた。何かへまをしたら、被害は自分にも回ってくるのだ。
いやな運命共同体だ。
「ねえ、噂、知ってる?」
突然何を言い出すのだろうと、和幸は、見るともなしに見ていた桜の幹から視線を外した。
「噂。風見君に関する」
「えっ、何それ?」
「知らないんだ。風見君ね、風見グループの跡取りって言われてるんだよ」
風見グループ。幅広い活躍をしている大企業で、一応、二人の勤める会社も、その一部門と売り上げを競っている。
何の冗談かと伯耆を見たが、笑ってはいるが嘘を言っている風ではなかった。
「それさ・・・いくら名字一緒だからって、安直すぎない?」
「一人息子と名前が一緒だから。でね、今のところ、父親に反発して出奔っていうのと、ライバル社偵察っていうのが主流。少数派だけど、甘やかさないために関係のないところで下っ端から働くため、っていうのもあるよ」
「漫画かよ」
「そうとも限らないでしょ。使えないから見限られた、っていうのもあるけどね。これは陰口」
やはり明るく言われて、怒るべきなのかと判断に迷う。
それはやめにして、肩をすくめるだけにした。
「伯耆さんはどれを支持してるの?」
「同姓同名の別人。別の事実と混ざって噂になったのね、きっと」
「別の事実って?」
何の気なしに訊くと、ふっと、伯耆は笑った。その微笑が先程とは違って見えて、思わず首を傾げる。
飴の袋を開けると、和幸の方にも一つ投げて寄越した。
「風見正和の子供が入社したのと、その息子と同姓同名の風見君が入って来たのとで、そんな噂になったんでしょうね」
「えっ、ほんとにいるのか、息子」
「息子とは言ってないじゃない。息子の妹。もっとも、こっちは離婚して母親に引き取られたんだけどね」
それって、と言いかけて、なんとなく言葉を呑む。
今度は伯耆の方が肩をすくめた。
「凄いと思わない? 生まれたのは双子で、それははじめに知ってて、父親は男名前を二つしか考えてなかったのよ」
「え・・・カズヨって・・・」
「あれ、どうして知ってるの? 名前、覚えてなかったんでしょ?」
「さっき言ったから」
「あ、そうか。記憶力いいね。でも漢字は知らないでしょう。和幸のカズに、夜。母親が読みを変えてくれなかったら、カズヤだった」
そう言いきって、紅茶の缶を横に置いた。
何を言えばいいのか判らず、和幸は、所在なしにココアの缶を見つめた。
「――っていうのが、あたしの支持してる説。今のところ一人だけだから、超少数派」
「嘘か!?」
「エイプリルフールに因んで」
そう言って、次は煎餅を開ける。一枚つまむと、無造作に袋を向けてきたが、断った。まだ、飴を食べきっていなかった。
嘘か本当か、そう考えて少しして、どっちでもいいやと頭を振る。
くすりと、伯耆――和夜が笑った。
「それで本当のところ、どうなの?」
いい加減日も暮れて、そろそろ他のみんなも来るだろう時間になっていた。暇どころじゃなかったなと、ふと思う。
「じゃあ、四月一日に因んで、一番目に言ったやつで」
「信憑性無いなあ」
笑う二人の上に、桜の花びらが舞い降りた。
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