人形師

 会いたい人が、いた。

 欲しいものが、あった。

 それだけなのに。ただ、それだけだったのに。




 ――どうして僕は、追いかけられてるんだろう。

 そもそもの望みは、ありきたりなものだったはずなのに、と、ヒィシは、走りながら溜息をついた。

「ねえ。何かまずいことになってるんじゃないの?」

「うん」

「・・・いいの?」

「何が?」

「そんなにのんびりしてて」

「ええ? 一生懸命力の限り走ってるのに」

「声がのんびりしてるのよ!」

 息だって切れてないじゃない本当に走ってるの?

 呆れ気味に、むしろ怒り気味に言われて、ヒィシは苦笑するしかなかった。走りながら苦笑というのも難しいものだが、ヒィシはやってのけた。

「まあ、安心して? ちゃんと君の体は作るからね」

「・・・本当でしょうね?」

「はいはい」

「胡散臭いわね!?」

 腰のベルトにくくりつけた小袋からの声に、いよいよ苦笑する。

「大丈夫。――しばらく、喋るの無理だからね」

「え?」

 返事は待たずに、傍目にはごく気軽に、城下町の外壁を跳び越えた。

 その外は、轟々たる川。ヒィシを追いかけていた面々は、息を呑んで、あるいは絶叫して、見る見る小さくなっていく青年の姿を目で追った。

 城と城下町は、崖の上にあったのだった。 

「何よそれどういうことよーっっ?!」

 少女の声が、尾を引いて消えた。




「うー。寒い・・・」

「当然よ。川を泳いだんでしょう? この季節に。むしろ、飛び降りて生きているだけ、化け物じみているわよ、あなた」

 川縁の、見知った小屋に身を寄せたものの、小さな暖炉程度では、芯から冷えた体は温もらない。濡れきった服は脱いで、乾いた大布にくるまってはいるが、歯の根も合わない。

 それなのに、小袋から聞こえる声は冷たい。

「風邪はひかないでよ? 手元が狂って失敗作なんて、厭ですからね」

「冷たい・・・」

「寒中水泳なんてするからよ」

 つんと、顔を背けて言い放つ。少女の仕草を思い出して、ヒィシは益々、冷たさが身に沁みた。

「また今度は、威勢のいい娘だな? ほれ、飲め」

「ありがとう〜っ! ああ、浸み入るーっ温もるーっ」

「・・・情けない男」

「あはは! 形無しだなあ、小僧」

 温めた酒を出した壮年の男は、豪快に笑ってヒィシのしめった頭をがしがしと撫でた。揺さぶられて酒をこぼしそうになったヒィシが、半ば必死で器の中身を守る。

 男は、それに気付いて手を止めた。

「悪い悪い。すぐに飯の用意するから、今日はもう、食って寝な」

「ありがとう。助かるよ」

「うん? お嬢ちゃん、騒がないのか? 俺はてっきり・・・」

「言ったでしょう。失敗作なんかに入れられるのは厭なのよ。早く体調整えて、私の体作りなさいよ」

「こりゃあいい。思ったよりもしっかりした娘だな」

 笑いを含んだ声で言って、男は立ち上がった。男の右目は白濁しており、右腕の動きはぎこちないが、危なげなく隣室へと去っていった。

 残された空間には、ヒィシが酒をすすり、「あー」や「うー」という声と、小枝のはぜる音がしている。その上、外では風が暴れているのか、そういった音も聞こえた。

 捜索の気配がないのは、あの高さから落ちては助からないと見なされたからだろうか。それとも、随分流されたせいで、まだここまでは至っていないのかも知れない。   

「・・・ねえ」

「んー?」

 ヒィシはゆったりと応えを返し、それに戸惑ったのか、次の言葉までは間があった。

「こういうこと、何度もしてるの?」

「こういうことって?」

「一年だけ、命を与えて。死ぬかあなたの助手をするか選ばせるのって・・・」

「ああ。うん」

 軽く、気負いも何もなく応えて、酒を名残惜しげに飲み干す。大分、体は温まった。少なくとも、芯の冷えは和らいだようだった。

「――それならどうして。あなたは、一人で旅をしているの?」

 少女に見えるはずもないのだが、ヒィシはゆたりと微笑んだ。笑顔は、本心を隠すのには便利な仮面だった。

「それは、そもそも残り続けることを選ぶ人が少なくて、その上、逃げたり、やっぱり死んどくって言い出す人が多いからだよ。因みに、逃げた人も、一月もすれば、やっぱり死ぬんだけどね」

「・・・それ、釘を刺してるつもり?」

「んー? 事実を言ってるだけだけど?」

 そう、事実。だからこそ、ヒィシは己の能力に失望したのだ。

 まだ会話は終わってはいなかったが、固いパンとチーズを持って男が入ってきたことで、断ち切られた。その日の晩餐は、その二つと、暖炉の上に掛けられていた具だくさんのシチューだった。




 翌朝から、ヒィシは山小屋の一室を借り受け、そこに籠もって人形作りを始めた。ヒィシの手はすらりと細く、見掛けに違わず細かい作業も、外見を裏切って力任せの作業も、得意だった。

 家主が、二度の食事を運ぶだけで、作業中、ヒィシは必要最小限しかそこを出なかった。

 寝不足と運動不足と、その上食事すらしっかりとは摂っていなかったせいで、どうにも貧相になったヒィシが姿を現わしたのは、半月ほどが経った後のことだった。

「よお、生きてたか、小僧」

「うん、おかげさまで。例によって、部屋は凄いことになってるけど。ごめん」

「気にするなって。いつものことだろ」

「あはは。さてと、シンシア?」

 薄汚れたヒィシは、机に上げてあった小袋を手にとって呼びかけた。紐をたぐって、袋の口を緩めると、そこからは、薄緑色の掌に収まるくらいの、球体が出て来る。

「待たせたね。君の体ができたよ」

「随分と待たせてくれたわね? 前の体の、倍くらいかかってない?」

 少女の声は、薄緑の球体から聞こえてくる。しかし、青年も男も、それを当然と受け止めていた。

 その上で、ヒィシはにこりと微笑む。

「そりゃあ、あれは一年保てば良かったから。こっちはとりあえず、長期用」

「・・・とりあえずって何よ」

「本当に長期使うかどうかは判らないからね」

「逃げないわよ、私は!」

「はいはい」

 ぴくりとも動かない球体を手に、ヒィシは作業に使っていた部屋に移った。男は、手をひらひらと振って見送り、別室へと移動した。

 ヒィシの入った部屋は、木の屑や作業道具が散らばっていたが、一番目をひくのは、壁に背を預けた、十前後の子どもくらいの人形だった。

 黒に近いダーク・ブラウンの髪は短く、瞳は閉じられている。少年とも少女ともとれる容姿だ。服は着せられておらず、それどころか、胸の辺りが戸棚のように開かれていた。

「最後の確認だけど、本当にいいんだね?」

「決まってるでしょ」

「君は一生、僕に付き従わなければならなくなる。体に不調が起こっても、僕が直さなければそのままだ。暑さも寒さも感じることはなくて、痛みもない。物だって食べる必要はない。眠ることもできない。当然、成長することもない。それなのに、死ぬときは、痛みはある。それでも?」

「・・・ええ」

「今なら、苦しむこともなく死ねるのになあ」

「ちょっと! やりたくないならそう言えば?! みっともないわよ、ぐだぐだと! 私はいいって言ってるじゃないの!」

 威勢のいい声に肩をすくめる。

「わかったよ」

 呟くように言って、人形に近付く。

 開かれた胸に、薄緑色の球体を入れる。その上から木屑を詰めて、閉じると、道具類を使って、丹念に扉を塞いで行く。

 それがすっかり終わると、人形に布をかけて、閉じられた瞼にそっと手を当てた。

「さあ、もういいよ。君の時間は動き出したよ、シンシア」

 ゆっくりと、手を離すと、やはりゆっくりと、瞼が開けられた。瞳の色は森を思わせる深い緑だった。

 そうして、ぎこちなく、人形の体が動く。

「・・・これで二度目だけど、やっぱり慣れないわ、これ」

「慣れない方がいいよ。服、そこに置いてあるから。僕は出てるね」

 返事を待たずに部屋を後にすると、早くも火を入れた暖炉の前で、男が待っていた。暖炉には熱いシチューが掛けられており、ふたり分の器と酒が用意してあった。

「飲むだろ?」

「ああ・・・ありがとう、カンザス」

 一瞬、不意をつかれて表情をつくろう間もなかったヒィシは、しかしすぐに、にこりと笑顔を向けた。

 ヒィシが隣に座るとすぐに、酒をつぐ。

「いい加減、やめたらどうだ?」

「何のこと? ――ひはい、ひはい・・・っ」

 左手で頬をつままれて、情けない声を上げる。じたばたと抗議してようやく手を離してもらうと、涙目になりながら、座っても頭の一つや二つくらいは大きい、男の顔を見上げた。

「何するんだよ」

「無理して笑うからだ、馬鹿小僧」

「別に無理なんて・・・。大体、小僧小僧って。ちょっと大きくなったからって、酷いよね。僕は、そんな子に育てた覚えはないのに」

「忘れてるだけだな、そりゃあきっと」

 軽口のように受け流すが、男の目はまったく笑っておらず、ヒィシは、このままではまずいなと、心中密かに呟いた。

 そこに人形――シンシアがやってきた。それは、先程まで壁により掛かっていた人形とは別物かと疑うほどに、人間のように動いていた。

 良かった助かったと、息をついたのも束の間。立ったままの少女に、胸ぐらを掴まれた。

「どういうつもりよ、これは!?」

「どういうって・・・?」

「何よ、このちんちくりんの髪! まるで男の子じゃない?!」

「だって、その方が何かと便利なんだよ」

「その上、どうしてこんなに小さいのよ! 私は十五なのよ! これじゃあ十歳くらいじゃないっ」

「そのくらいの方が、助手としては有用でね。小回りが利くから」

「小回りって・・・乗り物じゃないのよ?!」

 あはは、と笑うヒィシの頭をがしがしと揺する。カンザスは、それを見て笑ったようだった。

 それを受けて、シンシアが睨み付けると、大げさに肩をすくめた。

「あなた、人ごとだと思って」

「厭なら、やめてもいいよ。やっぱり死んでおく?」

「・・・卑怯よ」

「僕に従えと言っただろう? そういうことだよ」

 笑顔で告げる。シンシアは、口をつぐんで、手も離すと、部屋の片隅にひっそりと座った。

「聞き分けが良くて助かるよ」

 返事はない。

 そんな二人のやりとりを、カンザスは、くらいかおで見ていた。




「それじゃあ、またそのうち来るよ。それまで元気で」

「ああ。気をつけてな」

 ただそれだけの、短い別れ。

 簡単に背を向けたヒィシを追って、シンシアは、カンザスにぺこりと頭を下げてから、背を向けた。

 昨夜、食事の要らないシンシアを前に、競争するかのように飲んでいた二人は、先にヒィシの方が潰れた。

 そして、そんなヒィシに毛布を掛けて、カンザスはシンシアに話しかけた。

「嬢ちゃん、名前は?」

「・・・シンシア。シンシア・パドラックス」

「へえ、それはまた」

 河の上流一帯を治める領主の姓に、カンザスは感嘆めいた声を上げた。シンシアはそんな反応に目を背けそうになったが、思い切って見据えて、逆に質問をした。

「あなたは、あの人のことをどのくらい知っているの? 命を吹き込む人形師、というのは知ってるって言ってたけど」

「どのくらいってなあ。まあ、十何年かは一緒に暮らしたけど、未だによくわからんな」

「え?」

「俺は、ちっさいときに森で拾われたらしい。右目と右腕は、そのときにはもう駄目だったらしい。そのまま放置されてたら、死んでたな。だから、あいつは俺の親父だ」

 親父と呼ばれる方が、明らかに年若く見える。確かなことは判らないにしても、二人を比べて、逆に見ることはあっても、カンザスがヒィシに育てられたなどと思うものは、一人としていないだろう。

 シンシアの驚きははじめから予想済みだったらしく、カンザスは、微苦笑した。笑い方が、少しだけヒィシに似ていた。

「若作りってんじゃないぞ? あいつは、年をとらないからな。少なくとも、見た目は」

「それって・・・でも、食べてるし、寒いって・・・」

 一つの仮説を思いついて、慌てて打ち消すシンシアに、カンザスは、笑い掛けながらも真剣な眼差しを向けた。

「正直、どうするか迷ったけどな。あいつが、知られて喜ぶとも思えないし。だけど、知っておいた方がいいかと思ってな」

 怖いくらいに切羽詰まった、それなのに落ち着いた声音と瞳に、シンシアは呼吸を止めた。元々、必要はないのに、習慣でしていただけのことだ。そんな習慣は、一年くらいで治るものでもない。

「あいつの体も、人形だ」

「嘘!」

「寝るし食うし、って言うんだろ? あれは特製なんだと」

「特製って・・・」

「一世一代の珍品。もう一度作れっていわれても、出来やしない」

 ぐるぐると、疑問や妬みや、不満や。そんなものが渦巻くシンシアの心中を敢えて無視してか、カンザスは淡々と先を続けた。

「元々、名の知れな人形師ではあったらしい。それが、こんな外道に手を出したのは、妹の死だったらしい。それはかわいがってたらしくて、死んだときには、そりゃあ落ち込んだんだと。死んだ肉親に一目でも会いたいってのは、まあ、大切に思ってたなら、誰だって思うことだな。あいつが並外れてたのは、それを実現しちまったところだ」

 そこで、カンザスは酒を呷った。

「妹をよみがえらせて、成長に合わせて体も作り替えた。そうして大人の女になって、でも、どうしようもないだろ? 子供なんて作れるはずがない。それは、二人ともよく知ってたはずだった。だけど妹には、どうしても好きな奴ができたんだ。それは、実った。体のことも知ってて、それでもいいって言ってくれたんだと。いっそ、叶わなかったら良かったんだがな、そんな願い」

 酒を、飲み干す。

「二人は、出ていった。淋しかったけどほっとした、らしい。だけどな。一月後、あいつは死ぬほど後悔した。わかるか?」

「一月・・・」

 シンシアにも、判った。けれど、答を言うのは躊躇われて、また、カンザスも答を求めていたわけではなかったらしく、継ぎ足した酒を飲んで、自分から口を開いた。

「妹が、人形に戻ったと報された。駆けつけて、もう一度呼び戻せないかと試したが、無理だったらしい。あいつの妹は、完全に死んだ。それから、あいつは繰り返してあらゆる方法を試して、自分の限界は知ったけど、妹を取り戻すことはできなかった。――もう、そこらで狂ってきたんだろうなあ。元々狂ってたのかも知れないけど、徹底的に。望む結果に到達するには時間が足りないと思ったあいつは、賭けに出た。最後に、一体の人形を作った。二十歳くらいの、男の人形」

 シンシアは、泣きたくなった。けれど、人形の体からは、一滴たりとも涙は出ない。外に吐き出せる感情は、言葉しかなかった。

「・・・馬鹿みたい・・・」

「俺も、そう思う」

 そこで、カンザスはシンシアをまじまじと見つめた。シンシアが怯んで、わずかに身を引くと、「ああ、悪い」と呟いて、苦笑した。

「いや、そう思ってくれて良かったなと思って。話したのは、間違いじゃなかったかってさ。それで若い不老不死の体を得られたなら、いいじゃないかって言われたらどうしようかと、な。何しろ、あいつの体は、人より頑丈で生殖機能がない以外は人間とほとんど同じだからな」

 だけど、それは本当に手に入れたかったものではないはずだから。

「そんな、望んでもない体を引きずって、あいつはまだ、探してる。あいつの妹が、望んでるとも思えないのにな」

 そう言って笑った顔は、シンシアには、泣き顔のように見えた。思わず手を伸ばし掛けて、体温さえないことを思い出して、やめる。

「少しで良かったんだ。あいつにあれだけの技量がなかったら、妹が思いを告げなかったら、相手が受け容れなかったら、二人が近くで暮らしたら、最後の人形にあいつが移れなかったら。ほんの少し、失敗するだけで良かったはずなんだ。そうしたらあいつは、地獄なんて見なくて良かった」

「だけど」

 息子を語るようにして、養父を語るカンザスの言葉に、思わず、シンシアは言葉をこぼしていた。共に暮らした十数年の間に断片的に漏らしたのか、語ったのかは判らないが、ヒィシの生涯は、彼の養い子には、人ごとではないのだ。

「だけど、そのおかげであなたは生きていられるんでしょう? 私だってそうよ。死んだときは、呆気ないなあって思った。生き返らされて、一年間を元通りに過ごして、なんて狭い世界だったのかって気付かされた。私は、十五年も何をしてきたんだろうって、思った。気付かせてくれる人がいて、良かったって思った。もっと生きたいって、思ったのよ」

 涙が出なくても、眠れなくても。ただの木偶であろうとも、考え、感じることができるなら生きているはずだ。

 その奇跡に、感謝した。

「・・・転ぶのは構わないけど、人の背中に頭突き喰らわすのはやめてくれない?」

「わ、わざとじゃないわよ!」

 まだ慣れない体で、木の根につまずきヒィシもろとも倒れ込んだ。顔を打ったらしいヒィシは、言葉だけは冷静で、しかし呻いている。

「わざとなら殴るところだよ」

 呻きつつ、しかしどうにか立ち直って、ヒィシは、落としてしまった鞄を拾い上げた。

「今日中にここを抜けるからね。町に着いた頃には、その体にも慣れていると思うよ」

「こ、この森を一日で・・・?」

「遅れたら置いていくよ?」 

「この、悪魔ーっ!!」

 あはは、と笑う。

「それだけの元気があれば大丈夫。人形で便利なのはね、夜中話をしていても、疲れないってところだね」

 反射的に言い返そうとして、シンシアはぴたりと息を止めた。

 夜中の話。

 例えなのか、知っていての皮肉なのか。ヒィシは、やはり微笑んでいて、その真意が掴めない。

 ただ一つ、明らかなことは。

「・・・前途多難よね、これって・・・」

「さあ、行くよ?」

「ちょ、待ちなさいよ、置いていかないでッ!」

 易々と木々の間を歩いて行くヒィシを、シンシアは慌てて追った。   



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