一難去れど

 ひときわ強い風を待って、柚那は地を蹴った。

 手作りの両翼は風にがさりと不安な音を立てるが、ペダルを踏む足に躊躇いはない。ぐっと、一足踏み込んだ。

 が。

「――ナット緩んでる!」

 叫びに、それまで盛んにけし立てて見物していた二人が、咄嗟に翼に手を伸ばす。

 ばきりと、厭な音を立てて翼に穴があいた。



「もう、信じらんない。なんであそこまでいってああなるのよ」

 ワゴン車の運転席の真後ろの位置で、柚那は怒るというよりも心底呆れるようにして、溜息をついた。

 ついさっき、素人鳥人間よろしく空を飛ばせようとした、自転車に羽根をつけたような物体は、中心部分はともかく、羽根は見るも無惨になっている。飛び立とうとした瞬間に、両方から力任せに押さえたのだから無理もない。

「でも、良かったよ。怪我がなくて」

 そう言って、雅人はミラー越しに柚那を見てちらりと笑った。

 その隣では、うんうんと、彦弥が肯いている。

「そうそう。せーっかく廣道叔父さんの魔の手から逃れられたってのに、こんなところで怪我してたらつまんないよな」

「つまらないとか、そういう問題じゃないだろう」

 雅人は、前を向いたまま、横目で睨んだようだった。

 雅人と彦弥は、丸二月違うだけの同い年だ。しかし、受ける印象はかなり違う。言うなれば、雅也のイメージは都会で、彦弥のイメージは舗装道路もないような田舎というところだ。

 柚那は、その二人からは二つ年下になる。二人を都会と田舎と評すると、じゃあお前は空中都市だ、というわけのわからない形容をされたことがある。

「でもさ、上手くいって良かったよね。叔父さん捕まらなかったら、まだ追っかけ回されてたよ、わたしたち」

「そもそも、大学生と高校生を子供だなんてみくびるのが間違ってんだよ。経済的にはともかく、他はそう大人と変わんないんだからさ」

「まあ、これでしばらくは大丈夫だね」

 それぞれ親の違う従兄弟同士は、そこで揃って溜息をついた。

 三人が、叔父――雅人にとっては伯父になる――に命を狙われていたのは、三月ほど前からになる。それは、祖父が遺言書を作成したのと同時期だった。

 そうして、罠にかけて警察に引き取ってもらえたのがつい先日のこと。

 毒やら車の仕掛けやらをどうにか回避した日々は、まだ、懐かしむには近すぎた。

「しっかしなあ。もっと早く判れば、蜂号が壊れることもなかったのに」

「ちょっと、その名前やだっていったでしょ」

「じゃあ他考えろよ」

「え。う。うー・・・」

「思いつかないなら、蜂号でいいだろ。形も似てたし」

「過去形で言わないでよ、ちゃんと直すんだから! 次こそは飛ぶのよ!」

 そう言って、既に八回目。三人の親の代から引き継がれるそれは、一部を変えながら、未だ飛ぶことができずにいる。

 そして。

「前危ない!」

「えっ・・・」

 蜂号で飛び立とうとしたときと同じようにして叫んだ柚那に、ずっと前を向いていた雅人は、咄嗟にブレーキを踏んだ。

 突然の急ブレーキに、幸い至近距離に後続車はなかったものの、数十メートル離れて走っていた後ろの車もブレーキを踏み、ついでにクラクションも鳴らしている。

 しかし、すぐにそれどころではなくなった。

 対向車線を走っていたトラックが、急に車線をはみ出して、雅人たちの車の目の前に横たわったのだった。

「・・・さすがにこれは、伯父さんの策略ってことはない、ね」

「・・・あったら厭すぎよ」

 因みに、後で判ったことでは、運転手の突然の心臓発作が原因だった。後少し、気付くのが遅ければ巻き込まれ、大きな事故になっていただろうとも言われた。

 しかし、今はそんなことも知る由はなく、三人は、とりあえず無事であることに胸を撫で下ろすのだった。  

「俺、お前に一生ついていく!」

「彦兄、こんな時だけ調子いいんだから」

 助手席から体を乗り出す彦弥に言って、柚那は力無く笑った。

 直前にしか判らなくても、それなりにこの危険察知能力は役に立つらしい。



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