護りの者



 光が訪れた。
 また「彼」が遊びに来たのだと、そう思い、まどろみを抜けた。
 それが、前回からは長く時を経てのこととは、気付かずにいた。




「えええええええっ?!」

 とんでもない事態に出くわして、これだけ叫べたら案外充分じゃないかと、経は、頭の片隅で思った。ちなみに、それ以外の部分は真っ白だ。

『む?』

 本来存在し得ないはずの、龍なんて代物にお目にかかれよう日が来るなどと――どこの誰が想像するという。恐竜の方が、まだ現実味がある。

 「それ」は、にょろにょろと細長く、ぱっちりと鱗やら角やら爪やら髭やらもあり、経の知る限り、龍としか呼びようのない、全長一メートルほどの「何か」だった。

 目の前の中空で、身をくねらす。

『おい。そこの』

「は…ははは、はいっ?」

『タカノリは何処だ』

「タカノリ…さん、ですか?」

 口を利く。しかも、渋い声だ。

 しかし突然の人名に、経は、驚きも飽和に達したのか、きょとんと目を丸くした。

「えっと…苗字とか、は…?」

『タカノリはタカノリだ』

 そんなので判るわけがないだろと、これが人であれば切り返しているところだ。もっとも、苗字を知ったところで、名前だけの人探しなどまず無謀だと思う。

 いや、それ以前に。

「あの…アナタは、何者なんですが? どうして俺の本から?」

 この龍としか思えない「何か」が姿を現したのは、経が今日購入したばかりの本からだ、としか考えられない状況と時機だった。

 その本は、箱入りの古い文学書だ。

 幻想文学に分類されるだろうそれを、偶然見つけて、わくわくして箱から出し、開いたら――今に至る。

『ヌシの本だと?』

 ぎろりと、丸い目がにらみつける。直径二十センチほどだろう頭だが、それでも、凄みがある。

 経は、何の非もないのに、思わず身を引いた。

『何がヌシのものか。これは、我が友のものだ。我が居ることこそがその証』

「で、でででもっ」

 静かなだけに威圧のある台詞に、経は、ひっしと件の本を胸に抱えたまま、なんとか主張する。

「それは、前か、もっと前の持ち主だとっ」

『…何?』

「これは古本屋で、って、古本屋って判ります? そこで買ったんです。つまり、売りに出された、その…タカノリさん?が、手放したってことで…」

『…今は。何時(いつ)だ』

「ええ? えーっと、春、じゃなくて、二千年、西暦二千年で平成十二年で…」

『明治の何年だ?!』

 購入以前から頭に叩きこまれていた本の発行年を、思い出す。

 幕府が終わってしばらくしてから発行された、それ。大学のゼミの、というよりも趣味で探していたそれを、この「龍」の友は、発行と同時期に買ったかもしれない。初版以外には、箱入りのこの形では、作られていない本だ。

 経にとっては、歴史の教科書に本の少し載っているのを見る、そんな時代。

「…明治は、四十五年まで。それが、大正元年。大正十五年が、昭和元年。昭和の六十四年が平成元年で、今は、その十二年」

 「タカノリ」さんは、もしかしたら、もう生きてはいない。

 経は、知っている知識を淡々と伝え、直截に伝えることは避けた。龍は、体や髭をそよがせることも止めて、ただ、置物のように浮いている。

『我は……別れなど、言うて…おらぬ』

 呟くように、言葉を漏らす。

『我は。守ると言うた。ろくろく力はないが、あやつの本だけは、守ると。言うたに…』

 ぽたりと、雫が垂れた。

 泣いていると気付いたが、経は、何も言わなかった。言えるはずもない。言わずにそっと、本をめくる。年月に古び、傷みながらも、ハトロン紙のおかげか、きれいに残っている。到底、百年近くも前のものとは思えないほどに。

 その奥付の向かいに、小さな蔵書票が張られていた。奇妙なことに、何かの影絵のように、ぽかりと空いた白がある。その下に、『高倉孝典』のか細い文字。

 ああ、と、息を吐く。

「あなたは、この蔵書票だったんですね」

 涙を零していた小さな龍は、言葉もなく、こくりと肯いた。



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