まくら、入れるべからず

 その日は、何の変哲(へんてつ)もない平日だった。家を出るときにごみ捨てを頼まれた克也は、藍色のランドセルを背負ったまま、透明のごみ袋を担いで家を出た。

「おらよっと」

 この辺り一帯のごみ捨て場にごみ袋を半ば投げ捨て、克也は手についているような気がするほこりを払った。

 そして、学校に行くべく一歩踏み出したとき、それは目に入った。

『まくら、入れるべからず』

 おろし立てのマジックで書いたような角張った字が、克也の頭上数センチのところに貼ってある。ごみ捨て場横の電柱に、いつ張られたのか、そんなことが書かれた紙があった。

 電柱の前には、子猫でも捨ててありそうなダンボール箱。

「何だこれ?」

 いぶかしげに首をかしげ、次いでまくらが落ちてないか探す。禁止されると、逆にやりたくなるのは何故だろう。

 二分と数秒後、克也はぼろぼろになったクッションを手にしていた。捨てるつもりだったクッションがあったのを思い出して、わざわざ取りに戻ったのだ。まくらとして売られていたものではないが、ほとんどまくらとしてる使っていたのだから枕とも呼べるだろう。

「てい」

 ・・・投げ入れたが、何が起こるわけではない。ギャグ漫画のように、誰かが注意でもしに出てくるかと思ったが、そんな気配もなかった。

「あー・・・がっこ行こ」

 少しふて腐れたように足を踏み出した次の瞬間、世界は一変した。

 見慣れた街角が、一瞬にしてペパーミント色の壁に囲まれた大きな部屋に変わる。

「おめでとうございますっ、千飛んで二十三番目のお客様ですっ!」

 突然、鼻がぶつかるほど間近に赤ん坊の顔が出現した。思わず、のけぞる。

「いやー、よくぞきてくれました、千飛んで二十三番目のお客様!」

「・・・すっげ半端じゃねえ、それ。ってかなんだよ、客って」

「あっ、珍しいですねー。大体のお客様は、放心してしばらく何も喋ってくれなかったり、かと思えば突然叫び出したりするんですよ。凄いですねー。ひょっとして、慣れてます、こういうの?」

「慣れるほど人外魔境じゃねえ」

 克也が醒めた目で見ても、赤ん坊は一向に堪えた様子がなかった。むしろ、余計に嬉しそうなかおをする。

 シーツに穴をあけただけのようなものを着た赤ん坊は、やたらと無邪気な笑顔を満面に浮かべ、地面から一メートルほど浮いていた。

「新鮮です、こういう反応」

「どうでもいいけどここ、どこ? どうやったら戻れるの? 俺がっこ行かなきゃ遅刻すんだけど」

「戻れませんよ」

 数秒、あるいは十数秒、二人は笑顔のまま動きを止めていた。

「・・・なんだって?」

「だから、戻れないんですよ。あ。危ないですよ。次のお客様が着ます、のいてください」

 赤ん坊に背中を押されながら、克也は頭の中をまとめるのに必死になっていた。

 部屋の色や達者に喋って空に浮かぶ赤ん坊やと、あまりにうそ臭くて現実感がなくて取り乱さずにいたのだが、どうもそれもここまでのようだった。これが、もっと面白そうな世界ででもあれば、また反応は違ったのだろうが。

「待てこらッ」

 思わず、赤ん坊の服のすそを掴む。赤ん坊は全くこっちを向かず、何か喋っているようだったがそれも耳に入らない。

「何がどうなってんのか今からゼンブ説明しろよそこの天使の出来損ない!」

「え、俺天使?」

「は?」

 聞き覚えのある「大人」の声に、克也の頭は更に混乱した。見れば、赤ん坊は横にずれ、近所の大学生と正面から向かい合っていた。

「な・・・っ、なっ、なん・・・・・え?」

「俺、千飛んで二十四番目だって。お前が二十三番目?」 

 ジーンズにカッターシャツ姿のひょろりとした青年が、小首を傾(かし)げて立っている。毒気を抜かれたように、克也は唖然として立ち尽くしていた。

「いやー、こんなことなってたのな。俺、お前が消えるの見ちゃってさあ、すわ人体消失?!とかって慌てちゃったよ」

 ・・・今現在の状態は、慌てなくていいものなんだろうか。

 呑気な性格のままに呑気なことを言う知人を前にして、克也は落ち着きを取り戻した。小学五年生の克也にとって、大学二年のこの青年は「大人」なのだが、よく克也たちでもやらないような間違いをやらかすのもよく見ている。

 多分、冷静さを取り戻せたのはこいつの前で取り乱すのは嫌だ、という意地のようなもののおかげだろう。

 そうは言っても、見下したり相手にしない他の「大人」一般よりよっぽど好きだし、落ち着いてみると一人だと心細い感もあった。この呑気な青年が巻き込まれてくれて良かった、と思うだけの余裕も出てきた。

「で、真兄ちゃん、ここからどうやったら帰れるか知ってる?」

「へ?」

 思いがけないことを言われた、とありありと顔に書いて、真は固まった。その様子に、克也が溜息をつく。

「兄ちゃん使えねー」

「うう・・・」

「ま、しょうがないけど。それよりは、こいつ締め上げた方が早いかな、やっぱ。あーっ!」

 克也の大声に驚いて真がその視線の先を見ると、中央に穴のあいたバンダナよりいくらか大きいくらいの白い布。

「あれ、あの赤ちゃんは?」

「・・・逃げられた・・・!」

 怒りか絶望か知らないが、克也は力が萎えるのを感じた。どうしようどうしようと、そればかりが頭の中を駆け巡る。

 それから救ったのは、真だった。

「おーい、克也。こっち、また変なのあるぞ」

 克也の通う小学校の運動場くらいの広さがある部屋の、克也がいるのとは対角にあたるところで、真は右手で大きく手招きをしていた。その横には、何か書かれた白い紙のようなものが貼ってある。

 手招きに引き寄せられるように歩き出し、次いで早足、駆け足、全力疾走とスピードを上げてたどり着く。思っていたよりも距離があった。

「元気だなー」

「うる、せえ」

 息切れしながら、克也は壁に手をついた。ランドセルを背負って全力疾走なんてするものじゃない。

 真はそんな克也の様子を、懐かしむようなどこか遠い目で見ていたが、克也はそれに気付かなかった。そんな余裕もなく、貼られた紙を食い入るようにして見る。

『灰皿、置くべからず』

 電柱に貼ってあったのと同じマジックで書かれたような、同じ字体だった。まず間違いなく、同一人物が書いたものだろう。

 だが、灰皿など持っていない。この部屋には、二人以外誰も、どころか何もない。この張り紙以外は。

 だが真は、克也の途方にくれた眼と目が合うと、にっこりと微笑んだ。

「じゃーん、携帯灰皿」

 どこかのみやげ物らしい絵と字の入った灰色の、ジッポに似た携帯灰皿。真が煙草を吸う様子など、克也には想像できなかった。だが、意外に似合っているかもしれないとも思う。

「ここ出たからって、どこに行くかわからないけど。行くか?」

「当たり前だろ。・・・でも、一個しかないじゃん」

「まくらって書いときながら、まくらに使えないこともない分厚く重ねたタオル縫っただけのやつ入れて、ここに出してくれた仕掛けだぞ? 二人でも何とかなるだろ。とりあえず、手でもつないどけばいいって」

 明るく言って、克也に左手を差し出す。

「いいな?」

「おう」

 真が、灰皿を地面に置いた。     



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