魔法使いに至るまで

「あ、井土さん。お荷物預かってますよ」

「へ?」

 直は、妙な声を上げて隣人を見遣った。引越しの挨拶に顔を合わせたきりの、なかなかかわいらしい女性だ。年は直とそう変わらないらしいのだが、短大卒でもう働いているのだという。

 直はといえば、土曜とはいえ、必須講義を受けるために大学に出かけてのバイト帰り。

 部屋のかぎを差し込もうとした瞬間に声をかけてきた隣人は、軽快に階段を上りきって、ちょっと待ってくださいね、とするりと直の背後を抜けて隣の角部屋の鍵を開けた。

 二十四時間営業のスーパーの袋を持っていたから、買い物帰りだったのだろう。

 遅い時間に若い女性の一人歩きは危ないですよ、とつい思い、気持ち悪がられないかなと半ば反射的に考えてまった自分を軽く嫌悪する。

 背を向けている隣人には見えないだろうが、部屋の中を見てしまわないような素振りで、うつむくように視線を落とした。

「今日のお昼に配達に来られていたんですけど、大家さんもいらっしゃらなくて。私のところで預かってくれませんか、と、お鉢が回ってきたんです」

「それは…何か、すみません」

「謝られるようなことはないと思いますよ?」

 にこにこと笑い、隣人は、簡単な英和辞書を四冊ほどまとめた程度の段ボール箱を差し出した。

 宛名は、確かに直の名前とこの住所になっている。有名な玩具メーカーだが荷物に覚えはない。着払いの荷物ではないようだから、そのテの詐欺の可能性は、とりあえずひとつは潰れる。

 しかし、不在票を入れておいてくれればいいのにと、見慣れない運送会社の伝票に、心の中でため息をつく。

 受け取ると、中途半端に重みがあった。

「お手間を掛けました。ありがとうございます。…これ、残り物ですが、よければ」

「わあ、おいしそう! あ…ごめんなさい、いいんですか?」

 バイト先でもらった酢豚仕立ての肉団子に、隣人は目を輝かせた。そんな顔をされて、明日の昼食と夕食にするので、と、今更引っ込められるわけがない。

 結局直は、差し出したプラスチックトレイの肉団子を手に、ぺこりと頭を下げた隣人を隣の部屋の扉に見送る。手に提げたエコバッグには、まだ唐揚げと白ご飯が入っているので、問題ないといえば問題はない。

 謎の荷物に首を傾げつつ、直もようやく、自分の部屋に帰り着いた。

 まずともした明かりには、いささか殺風景な一間が照らし出される。一人暮らしなので、ただいま、と告げる相手もいない。そして、あるのは本とテレビとノートパソコン以外は、生活に必要最低限なものばかりに近い。

 とりあえず手洗いうがいと残り物冷蔵庫に入れて、明日の家庭教師のバイトの準備して、と頭の中で段取りを立てながら、何も考えずに靴を脱いでいたら。

 水平を保つために左の手のひらにトレイのように載せていた段ボール箱が、揺れた。

 そして。

「やあ直ちゃんボクは太陽からの使者なのにゃ君には秘められた力があってボクはそれを開放しに来たのにゃ今地球は大変な危機にさらされていてボクと一緒に戦ってくれるよね! ――ああ苦しかった」

 突然内側から突き破られた段ボール箱、飛び出たこぶし大のゴムボールのような物体、右手首に突然嵌められた金属のような輪っか。

 破られた段ボール箱はゴムボールのような物体が飛び出した反動で閉めたばかりの扉のあたりに滑って当たり、飛び出た物体の方は、畳の上になんと直立した。二足歩行ができる子猫のように見える、が、まさかそんなはずはないだろう。

 ていうか最後の、バイト先の疲れたパートのおばちゃんの声の調子に似すぎてたんだけど独り言のつもりか。ぽろっとこぼれた本音か。

 何がなにやらわからず、直は、もしかすると一番どうでもいいかもしれないところに突っ込みを入れた。頭の中だけで。

「――誰?」

「俺が聞きたい。ってか何だ」

 勝手に送られてきた上に勝手に飛び出て勝手に名乗った子猫もどきに、不審者を見つけたような反応をされたら、どうすればいいのか。おそらく、どこにもマニュアルはない。

「何とは失礼な! この小さく愛らしくか弱い身で世界を守るために奮闘しているこのボクに対して、何、だなんて!」

「おもちゃか?」

「どこまで失礼なんだ! 大体、お前は誰なんだ、ナオちゃんの父親には見えないけど兄なんていなかったはずだぞ!」

「…ナオ、って」

「井上ナオちゃんのところに着いているはずなのに、さてはお前、途中で――」

 井土直。

 二つ折りの携帯電話を開き、打ち込んだ名前を見せると、子猫もどきはぽかんと見つめ、おそるおそる、といったように直に視線を移した。

「――同姓同名…?」

「もっと悪い、字面が似てるだけだ。ここは、イノウエナオの家じゃなくて、イヅチタダシ、俺の家だ」

「なっ………!」

「何をどうやって調べたのか知らんが、住所ごと間違えたな。わかったら出て行け」

 猫そのものの顔のくせに、やたらと表情ゆたかに、子猫もどきはぽかんと直を見上げた。こうしていると、ただのぬいぐるみのように見える。しかし、日本語堪能な生き物だ。

「…ウソだ」

 とりあえず部屋に上がって荷物を下ろすべきか、荷物だけその辺に置いて子猫もどきをつまみ出すべきか、悩んでいる間に、声はさらに重ねられた。

「ウソだ、ウソだウソだウソだっ! お前が邪魔をしたんだ! お前――の手先だなっ!?」

 何の手先扱いしたのかは、聞き取れなかった。

 しかし、本気でそう思い込んでいるというよりは、子どもの癇癪のようなものだということはわかった。施設で暮らしていたこともある直にとって、こういった反応は、珍しいものでもない。人間ではない、というところは初体験だが。

 ラジコンだとしたら物凄く高性能だよなあ、違うとしたら、生物学者が仰天しそうだよなあ、と、心の中でつぶやいてみる。ついでに、ため息も心の中だけに留めた。

「さっぱり話が見えないんだが、どこで何をしたかったんだ?」

「…」

「話すくらいいいだろう。こうやって巻き込まれてるんだから」

「腕輪…」

「ん?」

 子猫もどきのつぶやき声に、直は右手首を見た。何か金属のようなものを嵌められた、とは思ったが、よくよく見れば、妙にかわいらしい、アクセサリーじみた腕輪だ。

 金属の感触だが、うっすらピンクがかった銀色に、プラスチックの宝石のようなものがちりばめられている。

 何故、こんなものを隙を突くように嵌められなければならないのかがわからない。

 腕輪の観察を終えて首を捻りつつ子猫もどきに視線を戻すと、じいっと直を見上げていた。

「これがどうかしたか? ああ、ナオちゃん? への贈り物だったのか?」

「君は、ここに一人暮らし?」

「ん? ああ」

 それがどうしたか、と続ける前に、畳み掛けるように言葉が続けられる。

「家族は? 何歳? 働いてるの? どこで?」

「家族はいない…って、なんで俺が答えなくちゃいけないんだ」

「いないってどういうこと? 離れて暮らしてるってだけ?」

「いや、だから…」

 はあ、と、今度ばかりは素直にため息を吐き出した。本当に、子どもと同じだ。自分のことが最優先で、しかもそのことに気づいていない。面倒で、少し――羨ましい。

 直は、靴を脱いで、手にしたままだったバイト先の残り物を、とりあえずちゃぶ台に載せた。そうして、直立したままの子猫もどきの前に胡坐をかく。

「どこかで生きてるんだか死んでるんだか、知らねーよ。俺が生まれた以上親はいるんだろうが、お目にかかったことがない」

「ふうん、天涯孤独か…それはいいかもしれない」

「は?」

「君、地球を救いたくはないかい?」

 直は、目を閉じた。

 目が疲れたときにそうするように、目頭を指で揉む。そういえば箱から飛び出したときにも似たようなことを言っていた気がする、と、勝手に思い出したことを、しぶしぶ事実と認める。

 目を開けると、残念ながら子猫もどきはまだ目の前にいた。夢のように消え去ってくれてはいない。

「地球」

「そう、今この星は大変な危機にさらされているんだ。君の能力を解放して、是非救って欲しい。君にしかできないんだ!」

「さっき、ナオちゃんとやらにそんなことを言ってなかったか。誰でもいいなら他を当たれ。ごっこ遊びにまで付き合うつもりはないぞ」

「信じられないのもわかるよ、ほら、これならどうだい?」

 子猫もどきが身軽に跳び上がり、くるんと一回転して、直の右手の腕輪に両前足をそろえて触れた。

 途端に、腕輪の宝石のようなものが、それぞれの色に光を放つ。ぱああ、とでも効果音をつけたくなるようなそれに、直は目を見張り、あまりの強さに慌てて目を閉じた。

「さあ、目を開けてごらん」

 言われるまでもなく、目蓋に明るさを感じなくなったところで、直は目を開けた。目の前には、すっくと立つ子猫もどき。

「何が――」

 ふわふわとした、ピンク色のフリルの布の端。この部屋で一度としてお目にかかったことのないものを視界の端に捉え、首をめぐらせた直は、言葉を失った。

 絶句――なるほどこういうときに使うのか、とは後で思った。

 カーテンを開けたままで部屋の灯を反射して鏡のようになった窓に、フリルで飾られボリュームたっぷりのドレスだかワンピースだかを着た、成人男性が映っている。

「………なん、だ、これ」

「気に入ってもらえたかな? それがぐぁっ!?」

「なんだこの奇天烈な格好は阿呆か阿呆なんだな何が哀しくってくたびれて帰ってきてこんなもんを着せられにゃならん」

「くっ、くびっ、くびっ、しまっ」

「ぁあ? このまま絞め殺すぞ戻せ」

 がくがくと、直に咽喉を握りつぶさんばかりにつかまれた子猫もどきは、全身を痙攣させるようにうなずいたものの。

「井土さん、おでんを煮たのでさっきのお礼…」

 軽やかなノック音から間をおかず、鍵をかけずにいた戸が開かれ、笑顔の隣人が顔をのぞかせ、その笑顔のまま停止したかと思うと、ややあって、ぱたん、と戸は閉じられた。

 子猫もどきから手を離し、直は、畳に突っ伏した。

「ちょっ、何するんだよっ、死ぬところだったじゃないか!」

「殺してやりたい…」

 呻きながら、直の頭は高速で空転していた。気のせいだったと、幻だったと思ってはくれないだろうか。というか直自身幻だと、夢だと思ってしまいたい。このまま目を閉じて眠って目覚めたら、子猫もどきもこの衣装も消えていて、隣人も何も目撃していないということにはなっていないだろうか。

 何一つ解決してくれないことをひたすらに考えつつ、実際にはただうめき声をもらしていると、ばたん、と、今度は激しく戸が開けられた。

 のろり、と顔を上げ、直は再び絶句した。

「こんなところに潜んでいたとはね! 誰に助けを求めようと無駄よ、――、キサマらに救いなどない!」

 ハイグレのようなきわどい格好に、仮面舞踏会に出るような、目元だけを隠したマスク。しかし、そこに仁王立ちしていたのは、紛れもなく隣人だった。

 清楚な、明るくかわいらしいあの女性はどこにいった。

 自分自身、違和感しか生まない妙な格好をしていることを忘れ、ぽかんと、直は思考を停止させた。

 隣人の指先はぴしりと子猫もどきを指していたが、名前か何かを呼んだらしい隣人の言葉は、そこだけ聞き取れなかった。

「なっ、――の手先めっ、こんなところにまで?! タダシっ、立つんだ、こいつは敵だ!」

「そいつの味方をするなら貴様も容赦はしないぞ!」

 ――何の学芸会だ。

 現実離れした光景に、直は、出かかった言葉を飲み込んだ。

「あー…佐々木さん?」

「わっ、私はそんな名前ではありません!」

「言葉遣い戻ってるし。隣の部屋の、佐々木さんですよね? これとお知り合いで?」

「ち、違うって言ってるじゃないですか井土さん! …あ!」

「うん、とりあえず、中入って戸閉めてもらえますか。で。お前は、これ戻せ」

「違います、違うんです、これはそのっ」

「何を言ってるんだタダシっ! 敵の前で防御を解くなんて!」

「い、い、か、ら。言う通りにしてもらえますか?」

 にっこりと、直はそれぞれを笑顔で睨みつけた。


 詰まるところ。

 二人(一人と一匹?)は、地球外生命体であり、それぞれ長きに亘り対立してきた種族なのだという。

 その対立の舞台が何故だか地球に至り、子猫もどき(種族名があるらしいが、何度聞いても直には聞き取れなかった)は地球人の味方を得て隣人(こちらの種族名も、同じく聞き取れなかった)をやり込めるつもりでいたらしい。

「で? どうしてあの格好?」

「え。だって…そういうものなんでしょう?」

「そうだよ。ああいう格好だと地球受けするって聞いたよ?」

 ちゃぶ台を囲んで朝食を食べる一人と一匹は、不思議そうに直を見つめた。目頭を揉んだ直は、しばらくして、しぶしぶと目を開けた。やはり、消えてなくなってはいてくれない。

「何からどう情報を得たか知らんが、間違ってる」

「えええーっ?!」

 寝不足の頭に響く素っ頓狂なユニゾンに、直は、静かに瞑目した。

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