人魚の声

 川釣りに行ったら、妙なものを拾ってしまった。

「なあ、さっちゃん」

「・・・次にそう呼んだら、コブシ覚悟しとけ」

「その子どうよ?」

 怒気を孕んだ返答にも動じず、祐輔は、インスタントのコーヒーに湯を入れて振り返った。俯せに寝転んだ少女と、不機嫌そうに困惑している男とが目にはいる。少女は、十代のせいぜい前半に見え、男は今年で三十になったはずだ。

 男は、少女をちらりと見て、さあと首を振った。

「俺には、寝てるようにしか見えない。もっとも、タヌキ寝入りでも死んでても、区別は付かないと思うがな」

「またそう、つれないことを言う。・・・で、サンガツ。その子は人魚だと思うけど、どう思う?」

 とりあえず、水中にいないと呼吸困難に陥るといった兆候も見られないので、寝そべった上に上着を掛けているが(なにしろ何も着ていない)、魚のような尾がはみ出ている。

 突然現われ、祐輔らの姿を見た途端に気を失ってしまった少女だが、人魚としか思えない。

「なんで海じゃなくて川にいるのか、っては大いに疑問なんだけどさ」

「・・・起きてから訊けばいいだろう」

「相変わらず慎重な奴。まあ、じゃあ、時間も時間だし飯でも食っとくか。ほれ」

 行きがけに、コンビニで買ったサンドウィッチと入れたてのコーヒーを渡すと、紅茶党の友人は顔をしかめた。

 それには構わず、自分の分の包装を開ける。

「こんな可愛い子を横にして言うのは気が退けるけど、日本で人魚って言ったらあれだよな、不老不死の肉」

「八百比丘尼か」

「そうそう。あれって、味には触れてないけどどうなんだろうな?」

「気になるなら、試してみたらどうだ」

「た、食べてもおいしくないですよっ!?」

 突然に、少女の体が跳ね上がる。祐輔たちは、視線を見交わした。お互い、気付いていたらしい。

「さすが探偵」

「万屋だ」

「似たようなものじゃないか」

 肩をすくめて、いまだ怯えている少女に、にこやかに笑いかける。

「冗談は措いといて、どこにも怪我はない? 物凄い勢いで流れてきたんだよね、君。溺れたの?」

「う」

 図星らしい。

 わかりやすくて、微笑ましい。

「こんなところで何してたの? 人魚って海じゃないの?」

「い、いろいろありまして・・・」

「色々?」

「うー・・・あの、協力してもらえませんか?」

「?」

 視界の端に映った友人は、一人さっさと食事を始めている。なんだか酷い。

「私、魔女のおばあさんに弟子入りしてるんです。それで、声の要素が少し、必要になって、人を捜してたんです。川沿いに、こう、ずずっと」

「はあ、それはまた大変だね」

 ここは、山の麓とも言えるようなところだ。海からは離れ、随分と遡ってきている。

 少女は、中途半端な祐輔の反応でも勇気づけられたのか、はいと、大きく頷いた。

「男の人ですよね?」

「うん」

「二十年は生きてますよね? 四十年は生きてませんよね?」

「うん、丁度中間」

「お願いします、一日分でいいんです。声をください!」

「――は?」

 あまりに唐突な申し出に、しばし言葉を失う。さて、どこから訊いたものか。

 ハムサンドを囓っていた友人が、ふいと少女を見た。

「声なんて、どうやって取るんだ?」

「触れさせてもらうだけです。一日、声が出なくなる以外に害はありません。本当です」

「何に使うつもりだ」

「鯨の治療薬に必要なんです。お願いします」

「それは、一人分で十分なのか?」

「はい」

「だ、そうだ。頑張れ」

「やっぱり俺かい!」

 質問したからといって、受けるとは限らない。自分に返されるだろうと、いい加減付き合いから判っていたが、思わず突っ込む。友人は無愛想に、ハムサンドの最後の一切れを呑み込んで手を叩いた。

「好きだろう、無料奉仕(ボランティア)」

「そんなこと、一度も言ったことないぞ俺は」

「態度と行動が、大声で主張している」

 疫病神、などというありがたくない呼び名をつけた友人は、憂さ晴らしとばかりに言い捨てる。

 肯定する気はないが、こんな少女を見捨てるのも気が退ける。ううと呻って、祐輔は、盛大な溜息を落とした。

「わかったよ。わかりました、さあどうぞ」

「えっ、いいんですか、本当に!? ありがとうございます!」

 言うが早いか、細い手を伸ばして、祐輔の喉に触れる。一瞬だけ冷たく感じたが、声を抜き取ったせいなのか、単に少女の手が冷たかったのか、判断がつかない。

「ありがとうございました! あ、私、ミルっていいます。海に来たときに、呼んでくださいね。お礼に、何か届けますから」

 はきはきと言って、上着を残して、川に飛び込む。帰りは、流れに従えばいいのだからいくらか楽だろう。

 しばしそれを見送って、祐輔は、友人と顔を見合わせた。

「・・・続けるか? 釣り」

 うん、と言おうとして、声が出ないことに気付く。首だけを縦に振ると、友人は、胡乱そうな視線を寄越した。

「本当に、出ないのか?」

 うん。

「・・・相変わらずお人好しだな」

 俺も思う。

 祐輔は手早く昼飯を詰め込み、釣り竿をさしたまま、その友人は濡れているジャケットを拾い上げた。乱雑に川の水で濯いで、近くにあった大きな岩にかける。

 春とはいえ、上着なしは少し寒くはないかと、祐輔は思った。



 その日、さして釣果もなく、二人は帰路に就いた。

「宗谷。お前、明日どうするつもりだ」

 不思議そうに、バックミラー越しに目の合った友人に、三月優介は、溜息をついた。

「明日もあるんだろう、大学の非常任講師」

 あ。

 声を聞くまでもなく、見開かれた目で驚きが伝わる。やはり、何も考えていなかったらしい。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、やはり、この友人は馬鹿らしい。

 もっとも、そのくらいの馬鹿でなければ、自分と友人付き合いをしようなどとは思わないだろう。三月は、人付き合いが悪いことでは定評がある。

「後で、電話かけといてやる。とっとと嫁でももらっとけ」

 むっとした視線が返るが、文句はない。声が出せないのだから当たり前だ。

 悠然と、煙草に火をつけた三月は、ふと、友人の額に汗が滲んでいることに気付いた。

「・・・まさかお前、まだ、あの体質治ってなかったのか?」

 こくり。

「阿呆かっ、車酔いする奴がハンドル握るな、早く止めろ!」

 怒鳴り声に押されて、止めても邪魔にならない場所を探して蛇行した。

 二度と、こいつとは出かけるものかと、毎回裏切られる決心をする三月だった。

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