鍵師の鍵

 そこに集まった面々は、部屋の中央に据えられた、小さな箱に視線を集中させていた。

 滑稽なほどに、皆が真剣な表情をしている。

 箱は、手の大きな人であれば掌に収められそうなほどの大きさで、白く、小さな鍵穴がある。

「まだですの?」

 非難する女の声に、数人の男たちが、はっとしたように顔を上げる。おそらくは問われたであろう、正装の使用人は、立ったまま、さあ、と、気のない風に言った。

「なんですの、その口の利き方は。使用人の分際で!」

「私の主人は、宗一郎様です。あなたではありませんね、皆川沙也加様」

「私は、宗一郎の娘よ!」

「それがどうかなさいましたか」

 飽くまで冷然と言い放つ使用人には、顔を真っ赤にした女よりも、威厳めいたものが漂っている。

 女と血の繋がる男たちは、ただ、気まずくそれを見るだけだった。あからさまに目を逸らしたり、逆に失笑を浮かべる者もある。

 そこに、ひょいと青年が姿を現わした。シルクハットに似た黒い帽子を被り、黒いジャケットを羽織っている。部屋の中の面々を見回して、子供のように首を傾げた。

「すみません、いいですか?」

「な、なんだ君は?!」

「あー・・・変なおじさんです、とかって答えたくなるんですけど。その聴き方」

 辛うじてドリフ世代と見受けられる青年は、そう言って苦笑いした。

 青年を咎めた男は、あまりのことに言葉を失い、あんぐりと口を開けたまま動きを止めてしまっている。他の面々も似たようなもので、唯一、使用人だけが冷静に、青年を見定めていた。

 ジャケットと帽子に、小さく刺繍されている鍵師総会の紋様に目を留める。

「鍵師の方でしょうか」

「そうです、さっき電話もらった」 

「お待ちしていました。こちらです」

 ざわりと、無言のうちに空気が波打つ。女と男たちは、戸惑うように伺うように、ちらちらと互いを伺う。 

 そんな男女の囲む中に案内された青年は、ナイトテーブルの上に置かれた、四角い箱をひょいと取り上げた。ひっくり返して、目の高さに持ち上げる。

 そうして、テーブルに戻した。

「開ければいいんですね? ちなみに、中身は?」

「言う必要がありまして?」

「できれば、判ってる方が。物によって多少、使う道具も――」

「道具?」

 訝しげに、何人かが顔をしかめる。ただ使用人だけが、青年を案内したあとは、再び輪の外に出て静かに立っていた。

「鍵師というのは、道具など使わないものじゃないのかね?」

「ああ。私が見たときは、手をかざしただけで開けていたが」

「それは、いまや珍しい正統派ですね」

「正当派?」

「ええ。鍵師は、知っての通り鍵の制作者の血によって、解法が伝えられるものなんですけどね。運悪く血筋が絶えたときには、総会からその流派担当がつくられて、違う方法で開けるようになってるんですよ。裏技とでも言いますか」

 皆が、それぞれに驚いた表情をつくる。使用人でさえも、いささか意外そうだった。

 鍵師の造った鍵は、その血筋で鍛練を積んだ者しか開けられない、というのが通説だった。だからこそ絶大な信用を得ているというのに、それでは話が変わってくるではないか。

 そんな空気を察してか、あるいは反論に慣れているのか、青年は、ひょいと箱を持ち上げて、言葉を続けた。

「特殊な器具を使うし、訓練も積んでますよ。鍵師の鍵が簡単に開けられるようじゃあ、意味がありませんからね。それに、俺みたいなのは、総会がきっちり管理してますし。信用できないなら、総会に連絡を取ってください。待ちますよ、それくらい」

「その必要はありません。はじめから、総会を通じての連絡ですから。そうですね、先生?」

「あ、ああ」

 男たちの中の、一人だけ初老の男が、暑くもないのに汗を拭きながら、使用人の言葉に肯き返す。それなら、という空気が広がる。

「中身は、紙です。一枚ですね、先生」

「ああ。小さく折り畳んで、入っているはずだ」

 ふうん、と、少し考えるように声を漏らす。

「開けて、いいんですね?」

「お願いします」

 これも、使用人の返事だ。一番の末席を与えられるだろう人物が、この場を取り仕切っていた。

 青年は、それに片頬で微笑して、シルクハットに似た帽子のふちに指を滑らせた。不透明なプラスチックに見える、ペーパーナイフのような物を取り出す。次いで、ジャケットの内ポケットに手を入れて、錐に似たものを取り出す。

 どちらも、そんな物が入っているとは予想もつかず、呆気にとられた顔が並んだ。普通に考えれば、容量として入らないはずだ。

 青年は、二つの道具を左右に握り、小箱の鍵穴にあてた。

 一瞬、光の射し込む部屋が、すっぽり影におおわれたような暗転があった。それが元に戻ると、箱は、ぱくりと白い内側をさらしていた。中には、小さく折り畳まれた紙が収まっている。

「開きましたよ?」

 道具を戻した青年は、反応のない一同に、不思議そうに声をかけた。それで我に返り、初老の男が立ち上がる。周囲の男女は、それを、固唾を呑んで見守る。  

 青年は、その輪の中からこっそりと抜け出した。そうして、使用人の隣に立って、円状になっている男女を見遣った。

 首を傾げて、隣に囁きかける。

「何の集まりなんです、これ」 

「遺言状の公開です。今、紙を広げているのが顧問弁護士の先生で、取り囲んでいるのがお子さま方です」

「はあ。古くて立派だけど、眼の色変えるような遺産のある家とも思えないけどなあ・・・と、失言ですかね」

 悪びれない青年に、使用人は、親しみのある笑みをこぼした。円の人々の間では、弁護士の読み上げる文面――振り分けられた遺産に、吐息に似た、安堵とも失望ともつかない声が上がっている。

 その額を漏れ聞いて、青年は、目を丸くした。

「宗一郎様は、一代で財を成されました。事業を興されたわけではないので、そういったものをお子さま方が受け継ぐといったことはありませんが、資産はあります。ここの建物や土地自体は、大した額ではありませんが」

「はあ」

 納得したのか呆れているのか、青年はそんな声を漏らした。

「屋敷と土地、それに伴う備品一式は、親身に仕えてくれた村上竜弥に贈るものとする。なお、村上竜弥が相続しなかった場合、全ての相続権は福祉施設『みんなの家』に譲渡することとなる。以上。――と、いうことですな」

 使用人の名が出たところで、一様にざわめく。当人でさえ、驚きを隠せない様子だった。



 客人たちを送り出して、使用人――竜弥は、そこに立ち尽くしていた。宗一郎の子供や弁護士を、見送っていたわけではない。ただ、呆然としていたのだ。

 一人になって、改めて。

 そうして、だからだったのかと、腑に落ちたいくつものことが、混乱した頭の中を過ぎる。

「なあ。ええと、ムラなんとかリューヤさん?」

「鍵師の・・・。帰られたのではなかったのですか」

「いや、まだちょっと用事があって。多分、あんたに渡せばいいんだと思って」


「は?」

 遺言状を抜いて、空箱になったはずの白い箱を、青年は差し出した。わざわざ、さっきの部屋から持ってきたようだ。

 ちいさな、掌にすっぽりと収まってしまいそうな箱だ。今は、蓋が開いている。

「これが・・・何か?」

「上げ底になってるんだけど、見て判る?」

 言われてよく見てみれば、確かに、外から見た深さと、今見える底の高さは、いささか異なるようだ。

 青年は、竜弥が確認したのを確認して、帽子に指を差し入れた。今度は、小型のカッターナイフのような物が取り出される。それを、底の部分にあてる。

 一瞬の、白い闇。

 元に戻ると、白い箱は、二枚目の蓋を開けていた。そこにも、紙が収まっている。

「これは・・・?」

「鍵師の鍵ってのは、かけるときにも鍵師の協力がいるのが普通でね、これは、俺の師匠――この師匠からが、総会に任命された人だったんだけど、まあ、その人が協力したんだ。で、二重になってるからなって言われてて」

「それなら、あの人たちがいたときに」

「持ち主は、一人にしか読んで欲しくないって言ってたらしい。誰とは言わなかったけど、その場になれば判るって言われた。多分、あんたで間違いないだろ。見てみて、違ったらその人に渡すってことで」

 いい加減だなと、いささか呆れながら、竜弥は紙に手を伸ばした。出してみると、二枚あった。

「土地と屋敷の権利書と――」

 見慣れた、朴訥な文字。二枚目は、宗一郎の手紙だった。

 こんなものでしかねぎらえなくて済まないと、誰よりも息子や孫のように思っていたと。亡き人の手紙に、涙が浮かぶ。

「箱の中身は結局箱だったということだ。――ってオチか。つまりは」

 涙に気付いていないはずもないだろうが、ごく自然に視線を逸らして、青年は、そんなことを口にした。箱の中身の箱は、今、二人の後ろにそびえ立っている。

「部外者の俺が口挟んでもあれだけど、相続税、どうするんだ? 他の人がもらった分より安いとしても、それなりの値だろ」

「――庭の、噴水を見ましたか?」

「あのさ、遮って悪いけど、敬語やめてくれない? 多分、同じくらいの年だろ? 見たけど。あの、変な天使の像が二つ立ってるやつ」

 木に遮られて視界からは隠れているそれに、視線を向ける。天使の像は、一体が素人目にも付け足したようで、それが変に映るのだった。

「あれ、片方は純金製」

「え・・・ええ?! 結構な大きさになるぞあれ!?」

 冗談を滅多に口にしない宗一郎が、冗談めかして言った事実だった。そうと知ったのは大分後のことで、そのときは、竜弥も大いに仰天したものだった。

 そんな仕掛けも、このときのためだったのだろうか。

「あれを売れば、多分大丈夫。足りなければ、家具も、良い物を使っているし」

「はあ・・・」

 唖然として、青年は魂が抜けたように立ち尽くす。竜弥は、なんとなく微笑した。涙が残っていて、泣き笑いのようになってしまう。そっと、それを拭った。

 我に返った青年は、帽子を深く被り直した。

「そんなもんが隠れてたら、きっと、さっき遺言を認めたことなんて、反故にしてくるだろうな」

 比較的金銭的価格が少なく、遺言の内容もあったことで、渋々認められたのだ。そこに、予想外の金が絡めば、異議を申し立てるだろうことは目に見えていた。

 ふふん、と、青年は笑った。

「ちなみに、鍵師ってのは正式な承人として認められるからな。何か言われたら、連絡くれよ」

「報酬は?」

 竜弥が探るように見つめると、青年は、少し驚いたような表情をした。

「ああ、そういうのもありか」

「は?」  

「うーん。別に俺、今の生活でそこそこ満足してるしなあ。今度困ったときに、後払いでとんでもないことたのむことにしとこう」

 突拍子もない返事に、一瞬の間をおいて、思わず吹き出してしまう。青年も、笑い顔だった。

「口約束は、後々の厄介事の元になるけれど?」

「まあ、そのときはそのときだ」

「名前を、訊いてもいいかな。連絡を取るにしても、何も知らない」

「ああ。じゃ、これ。名刺。じゃあ、またな」

 手を挙げて、青年は、身軽に踵を返した。まるで気安い友人に、一時の別れを告げるかのように。

 そうして竜弥は、宗一郎の遺産の余録に、泣き出す一歩手前のような微笑を浮かべた。


* 設定(?)を頂いてできたものです *

■台詞■ 「 箱の中身は結局箱だったということだ。 」

■舞台 「 架空 」

■人物 「 男女年令問わず 」

■御題■ 「 箱の中 」



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