昼の誘惑

 うららかな日中。半泣きの声が、城内をひそやかに走りまわっていた。

「サイ殿下! 殿下〜ッ、どこですかーっ」

「ここ」

「殿下ッ!」

 一体何してるんですかこんなところでこんなところにいる場合じゃないでしょうあなたは本当に御自分の立場ってものを理解されているんですか言っておきますけど理解はしてるけど何もしないなんてくだらない言い訳は聞きませんよ大体あなたときたらいつも・・・云々。

 滝のように続く随人の小言をあっさりと聞き流し、互いが豆粒ほどにしか見えなかった距離を全力疾走し、休む間もなく小言へと突入した彼がいいかげん息切れをして口を閉じるのを待ってようやく、花々へ向けていた視線を戻し、周囲に咲いているのに負けない花のような笑顔を向けた。

 いい性格をしている。

「それで、何の用だ?」

 幼い頃から子守りを任され――押し付けられている、王子よりも年長の随人は、息が切れていなければ、間違いなく大声で叱りつけただろう。しかし今はそれもならず、ただ一言。

「お戻り、ください」

「死んだか?」

 白い大輪の花を掴んでの無造作な一言に、随人は息を呑んで青ざめた。

「――私を殺すおつもりですか」

「いやだなあ、どうしてそういうことになるんだ? 僕は、エーリクが死んだって嬉しくも悲しくもないし、第一、何の特にもならないじゃないか」

「そういうことは、口が裂けてもおっしゃらないようにと、何度も何度も何度も・・・ッ!申し上げたでしょう!」

「怒鳴らないでくれないか、難聴になる」

 しらっと言ってのけて、王子は花々のあふれる庭園に分け入った。仕方なく、随人も後を追う。

 何でもないような昼下がりだが、城内は緊張感の伴ったざわめきに包まれていた。今にも、この国の王が生を終えようとしているのだから、無理もない。

 何人もの官位ある人々が傍室に控え、妻や子らが寝台を囲む。しかし、当然そこにいるはずの第一王位継承者は、こんな外れの庭にいる。

「殿下、どうか」

「エーリク、君に似合いの花をあげよう。これだ。意味は『忠義』、『誠心ゆえの盲目』。ぴったりだろう?」

「殿下・・・」

 中心にだけ薄く黄色の入った、真っ白い花。薄い花弁が幾層にもなるそれを指し、王子はにっこりと笑う。隋人は、白皙の王子を不安そうに見守った。

 淡い黄金色の髪が風にそよぎ、深い蒼の瞳がまぶしげに細められる。それは、一幅の絵のような光景だった。

 そしてゆっくりと、王子は燃えるような花に手を伸ばした。細かな花弁に、愛しげに触れる。

「エーリク。僕は許していないんだ。人を殺して僕を手に入れようとしたあれをね。静かに死なせてやるんだ、少しくらいのわがままは聞いてくれてもいいだろう?」

 王が戯れに手を出した旅芸人。男の子を産み、そして育ったのはその子だけだった。誰からも生まれることを望まれてなどいなかった筈の子供だった。

 王子は、傷つけられ、火をつけられた仲間たちを見た。証拠を残さず口を封じるために、あの男は一座を焼いた。

 何もできない僕を許してくれと言うのは容易く、子供であったことに甘えるのも容易い。王子が決めたのは、決して忘れぬということだけだった。

 王子の触れた燃える花の意味は、「消えぬ罪」。

 ――鐘が、鳴り響いた。

「死んだか」

 静かな呟き。

 これで、街は喪に服すだろう。そして官位ある人々は、早急に継承者を王へと押し上げる。そうして、世界は変わらず回る。

 王子は、鐘の音に深く頭を垂れた隋人の頭をはたき、にっこりと笑った。

「ところでエーリク。僕はこんな国なぞ姉君たちにくれてやるつもりなのだけど、君はどうする?」

「―――――!?」

 言葉を失って立ち尽くす随人を、王子はくすくすと笑いながら真っ直ぐに見上げた。

「説得は無理だよ。さあどうする、力ずくで止めるか? 一度も剣術で勝ったことのない僕を。それとも、この報せを持っていって首をやるのか? 誰一人喜ばないだろうね。僕のお薦めは、一緒に来ることだ」

 ただ目を見張る随人から目線を逸らして、王子は自然に葉々に手を伸ばした。この庭は、おそらく手入れの職人を除けば王子が一番詳しい。

「この間、知り合いを見かけてね。僕たちを売った男が、どうやら金をせびりに来たらしい。よくまあ生き延びていたものだよね。おまけに、また来るほど面の皮も厚い。いくらか老けていた。この男に、馬車を用意させた」

「殿下?!」

「脅して、報酬をちらつかせればすぐだったよ。さあ、決めたか? あまり時間はないぞ」

 改めて王子の様子を見ると、彼の頭上にある木の幹には、枝や葉で判りにくいところに目立たない色の袋が結いつけられていた。

 随人は、覚悟を決めた。

「殿下。今まで、随分迷惑をかけられて心配もさせられましたが・・・楽しかったです。どうぞ、よい旅を。そして生涯、安からんことを。・・・私は、誰に望まれなくとも罰を受けます。あなたが、それで悲しむことがないのがせめてもの・・・」

「はあ? 何を言ってるんだ?」

「だって、殿下・・・私が死んでも悲しくないと・・・」

「僕は、どうでもいい奴は誘わない。それに、エーリクがいないと悲しくはないが淋しいよ」

 随人は、不意打ちを食らって呆然とした。王子が軽く、そしてどこか嬉しそうに溜息をつく。

「ちなみに、馬車を降りてすぐに男を撒かなければならない。どうせ、一旦逃がしてから通報して、両方から金をもらおうって魂胆だろうからな。それに、ごろつきやなんかと渡り合わなければならないと思うから、腕が立って信頼できる相棒がいてくれると随分と助かるんだが?」

「――。あなたよりも、腕が立たなくても良ければ」  

「よし、決まりだ」

 身軽に木に登り、袋を二つと目立たない色のフード付のマント、剣を一振り下ろしてくる。そのうちの袋とマントを一つずつ、随人に投げ渡した。袋が、ずしりと重い。腰の愛刀と合わせると、かなりな重さになるだろう。

 王子は、楽しそうに先導した。抜け道を知ってるんだと言って、足取りも軽く歩いていく。

「そうだ、エーリク。さっきの言葉には異論があるからな。お前、いつも僕相手だと加減してただろう」

「いえ、そんな・・・」

「それと、外に出たら上下はなしだ。一度本気で手合わせしような、相棒」

 そう言って笑うと、王子は土に埋もれた塀の一部を蹴りとばし、外へとつながる小さな通路を示した。

 そうして、二人は外へ出た。

 以後のサイとエーリクの行方は、吟遊詩人たちの語る通りである。



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