よる、ひらく

 ・・・疲れたなあ。

 そう呟く気力も惜しくて、畑中は中途半端に息を吐いてそれに変えた。

 看護婦も帰ってしまって、今、医療所にいるのは畑中だけだ。設備の乏しい僻地の施設だけに、入院患者などというものもいない。

 入院が必要となれば、即座に離れた総合病院に連絡をして、配送の手配をするのも畑中の仕事だ。

「〜っ」

 小さく呻き声を漏らして、回転キャスターの背もたれから、重い体を起こす。

 それだけでも大儀なのだから、やはり、相当疲れているのだろう。

 暑さにやられて夏バテで、それが治まってきたと思ったら、今度は急な寒さにやられた風邪ひきが押し掛ける。おまけに彼らの話は、長かった。

 これで、もう少し村人が多ければ、畑中は過労死しているだろう。

「さ、て。帰るか」

 声に出して、区切りをつける。

 帰ると言ったところですぐ隣の離れのようなところだが、帰るのには違いない。

「あの、せんせい」

 呼ばれて、こった肩をぎこちなくめぐらせると、いつの間にか部屋の入り口の向こうに、小さな女の子がいた。

 ・・・誰だこれは?

 こんなに狭い地域なのに、見たこともない顔に、気分だけ首を傾げる。小学校に通っているかいないか、それくらいの年齢で、白い色の肌に、髪は少し青っぽい。

「あのね」

 そう言って、口をつぐむ。迷っているのか、言葉を探しているのか。

 その間に、畑中は、ふわりとしたスカートの下の膝頭に、赤い色が滲んでいるのに気付く。

「おおい、ちょっとおいで。膝の手当をしないと」

 ・・・これは、タヌキかキツネに化かされてるかな。

 そう思わないでもないが、だからといって、目の前のけがを見逃していいということにはならない。

「少し、しみるよ」

 そう言ってから、軽く水でながして、消毒液を浸した脱脂綿をつける。

 きゅっとしかめたかおを微笑ましく眺めながら、少し考えて、ガーゼを巻きつける。

「はい、これで大丈夫。よく我慢したね、えらいよ」

 にこりと笑いかけると、ぱっと、花が咲いたような笑顔が返される。

「ありがとう、せんせい。――あのね、ガマンはたいせつなの。がんばるのも、いっしょうけんめいもたいせつなの。ムリだって、きっとたいせつなの。でもね、ガマンばっかり、いっしょうけんめいばっかり、ムリばっかりは、だめなの」

 女の子は、黄色っぽく見える瞳で見上げた。

「せんせいもね、やすんでいいんだよ。ね?」

 何を言われているのだろうと、一度大きくまばたきをして、目を開けると、女の子はもういなかった。

 代わりに、診療室の戸と、窓が大きく開かれていた。

 秋の気配を呼び込む風が、ざあと吹きつける。

「・・・?」

 やはりタヌキかキツネか、と思いながら、とりあえず窓を閉めようと近づくと、また風が吹き、一度、畑中は目を閉じた。

 開くと、目の前に一面の花。

 小さな花たちが、月光の下で咲いている。

 青がかった白い花は、月の光を受けて、病的なほどに青白くほのひかる。

 どこまでも、小さな花の咲き乱れる野原のような錯覚を覚える。

 ノジギクだと、頭のどこかが花の名を告げるが、それよりも、目の前の光景に心を奪われた。

 きれいな、それは安らぎだった。

「これを・・・見せてくれた、のか・・・?」

 知らずに声に出していて、自分の声に驚いて、慌てて口を塞ぐ。

 しかしそれは、やがて、口元の笑みを隠すかのようになった。なんて、凄い贈り物だ。  

「名前も知らないが、ありがとうよ」

 そうして畑中は、目を細めるようにして、しばらくの間ノジギクの花畑を眺めていた。



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