平和な国 / 勉強の先好き嫌い / ある殺人者




壊れたもの

2003/9/8
 

「あ。間違えちゃった」
 そう呟いた少年の向かい側では、女が血を吐いて倒れたところだった。恐らく、苦痛で少年の声は届いていても、その意味までは解っていないだろう。
「今のところ、殺すつもりはなかったんだけどなあ。ごめんね?」
 女が絶命すると、少年は倒れたワイングラスを流しに運んだ。ワインがこぼれて染みを作っているテーブルクロスは、丸めてごみ箱に突っ込む。ちらりと、女に目をやった。
「だから、家には来ないほうがいいって言ったのに。――眼が、母さんに似てたんだけどなあ」

  加藤俊哉。高校二年生。クラスに一人はいる、暗くもなく目立ちもしない生徒。
 学校に行きたいと思ったことは一度もなく、ただ、フリーターをやるよりも目立たないという理由だけで進学を決めた。
 ちょっとしたバイトのおかげで、金の心配はなかった。母子家庭で母さえ子供を置いて逃げた今でも、必要であれば保護者をしてくれる人はいくらでもいる。
 今や、俊哉の生活は、そのバイトを中心に回っていた。殺し屋の。

「あ、涼一さん? 俺。毒薬、在庫切れちゃった。今度くるとき持って来て?」
『何だ、またか。お前、私生活では使うなって言ってるだろ』
「いやあ、職業病ってやつ? どうも、状況が整っちゃうとね」
『わかった。明日、行こう。ニトログリセリンは?』
「いや、そっちは大丈夫。で、明日来るってことはまた仕事? 俺、昨日やったばっかだよ?」
『それで今日もやってるなら、問題はないだろう。今回は、俺がお目付け役で行くから』
「え、それホント? やりぃ、帰りになんかおごってくれよな、デザート付で。この前の食べ放題って約束、忘れてないよな? 何なら、バイキングのとこでもいいからさ」
『・・・明日、早朝に』
「うん。じゃな」
 電話を切って、俊哉は笑みを浮かべた。明日の夜は食べ放題決定だ。
 さて。その前に、この死体を片付けなきゃな。俊哉は、笑顔のままでその作業にかかった。

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平和な国

2003/1/11
 

「あーあー、日本て国は平和だよなー」
 見かけよりも低い声で、「少女」は呟いた。右肘をついてあごを乗せ、左手はクリームソーダのストローをもてあそぶ。
 ふう、と溜息をついて、ストローに口をつける。暖房のよく効いたところなので、冬にも関わらず冷たいものがおいしい。子供向けなのか女の子向けなのか、やたらと派手に飾り付けられたアイスクリームをつつく。
 うんざりとしたかおで自分のはいているプリーツスカートをちらりと見る。はあ、と深く溜息をついた。
「何でこんなカッコ」 
 加藤俊哉。れっきとした、高校生男子である。しかし今は、近くの高校の女子セーラー服を着ている。線の細い体つきや顔から少し見たくらいではばれないだろうが、万が一ばれたら、変態、とでも叫ばれかねない。
「ま、いいけどね」
 新しく入ってきた客に視線を向け、ストローから手を離す。左手は、即座にかばんの下を探った。手のひらに収まるくらいの黒い塊を取り出す。
 小型消音銃、ってほんとかよ?
 違えば、すぐに俊哉はつかまるだろうか。いや、逃げ切れる自信はある。――じゃあ、いいか。
 さすがに飲みかけのジュースをどうにかするのは無理だろうが、どうせ指紋もDNAも警察には記録されていない。この先に何かへまをしない限りは大丈夫だろう。
 頬杖をついたまま、俊哉はさっき入ってきた客に銃口を向けた。そちらには一度、短く視線を向けただけ。
「・・・っ」
 店内にかかっている曲がひときわ大きくなったところで、引き金を引く。標的のうめきも小さな銃の音も、どうにかそれに隠れた。その際も頬杖はついたままで、銃はほとんど手のひらに隠れている。反動にも、微動もしなかった。
「あっつー」
 言って、ストローを持つ。撃ったことで熱を帯びている銃は、かばんの中に入れた。
 俊哉がその店を出たのは、きっちりクリームソーダを飲み終えてからだった。業務用の笑顔で値段を告げる店員に、目も合わさずにお金を払う。店を出たところで、「さっきの子一人でさみしー」という声が聞こえた。
 客に聞こえちゃ失格だろう。
 苦笑して、そのまま俊哉はトイレに向かった。服を着替えて、この後は諒一と待ち合わせだ。今回の報告と、中華バイキングだ。諒一と食べ放題に行くのは、これで二度目だった。
「あ、涼一さんだ」
 どうせ俊哉のかばんについている盗聴機で聞いていただろうのに、三軒ほど離れた店の前に諒一が立っていた。ガラスに映った顔が、目線で挨拶をする。
 俊哉は肩をすくめた。
「・・・この格好見に来たんだろうなあ、絶対」
 はあ、と溜息をつく。

 俊哉の標的の死が報じられたのは、翌日の新聞でのことだった。

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勉強の先

2008/7/23
 

「だからって殺されるわけじゃないし」
 へらりと笑って見せると、渋い顔をされた。それは、物騒な言葉を使ったからというわけではないだろう。
 加藤俊哉。制服姿のままのんびりとハンバーガーやポテトを食べているが、実は、殺人稼業をこなしていたりする。
 通りの窓ガラスに面したカウンター席で俊哉の隣に座る諒一も、多分同業者だ。多分、というのは、俊哉が必要なものを受け取ったり依頼を受けたりといった補佐をしてもらったことしかないためだ。
 やり手の若手経営者じみた諒一は、こちらもハンバーガーを齧りながら顔をしかめた。
「そんな成績で、どんな大学に行けるっていうんだ」
「大学?」
「行かないつもりか? 要望としては、いくつか上がってるんだが」
 そう言って挙げた名は俊哉ですら聞いたことのある有名大学ばかりで、高校を隠れ蓑としてしか使っていない俊哉の偏差値では、間違ってもひっかからない。
 今度は逆に俊哉が顔をしかめると、諒一は、冷たく見える笑みを返した。
「高校生の肩書きより自由が利くぞ、大学生は。難関ともなれば、結構な身分保障にもなる」
 俊哉の眉間の皺が取れないのに気付いてか、くくっと、押し殺すようにして笑い声をもらす。
「そう言う諒一さんは、さぞかし立派なところを出たんだろうね」
「まあな」
 余裕たっぷりに切り返され、むっつりとジンジャーエールをすする。食べ尽くしてしまった。
 もっと買って来ようかと迷っていると、まだ半分以上が残るポテトが差し出された。遠慮なく、受け取ることにする。
「大体、要望って何。俺がどこの誰でいようと、やることさえやったら関係ないだろ。学費出してくれるとでも?」
「そのくらいは稼いでるだろ」
「自腹なら余計、学費払えば入れてくれるところでいいって」
 ふうん、と、諒一は鼻で笑った。そういった仕草が似合うのだから、見ていて厭になる。そういえば、噂は本当だろうか。
「さっき挙げたうちのどれかに通うなら、公立との差額分くらいは出してくれるらしいが?」
「…いや、今更無理。勉強なんか無理」
「見てやろうか? 勿論有料だが」
「諒一さん、本業教師のバイトでホストのときにスカウトされたって本当?」
 おや、と言いたげに諒一の眉が動いた。事実であれば、さぞかし稼いだだろうと思う。しかし、教師は似合わない。
「半分当たりで半分はずれだな。本業は塾講師で、今も、そこの塾からの斡旋を受けて家庭教師業を満喫中だ」
「塾講師とホストって活動時間被ってない?」
「さてな。どうする? 見てほしいなら、一人分くらい時間調整してやるぞ」
 俊哉は、ふいと視線を逸らした。窓ガラスには、俊哉と似たような制服の少年少女が、それぞれの話に盛り上がっている。そこに混じるスーツ姿は、営業マンの休憩だろうか。
 そんな、ありふれた和やかな人たち。俊哉と諒一の会話にしても、何も知らなければ、ただの進路相談に聞こえるだろう。
 のどかすぎて平和すぎて――眩暈がしそうだ。
「いいけどそれ、うちでやるの?」
「まさか。毒蛇の巣に潜り込むほど、俺は自殺願望なんぞ持ってないぞ。ファミレスか図書館の自習室でも借りればいいだろう」
 込み上げていた殺意が、不意と凪ぐ。それができるからこそ、諒一は俊哉の補佐をやってのける。
「そのわりによく、平気で一緒にご飯食べたりできるね」
「人目のあるところではとりあえず保身が働くくらいには打算があるだろ、お前は」
 彼は、俊哉が無感情に無感動に人を殺めることを、その対象に己も入っていることを、知っている。知っていることを、隠そうともせずにむしろ、見せ付ける。
 そのことが、俊哉を落ち着かせる。まるでそれは、鏡を見せられたメデューサのように。
「じゃあ、頼もうかな。センセイ?」
「わざわざ呼び方変えなくていいぞ。そうと決まったら、今までのテストとノート、一通り見せるように。よろしくな、新米生徒」
 にっと、二人の人殺しは笑った。

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好き嫌い

2005/7/9

「俺、あんたのこと嫌いだから。ああ、別にだからって、俺のこと嫌いにならなくてもいいよ?」
「…、最ッ低…!」
 ばたばたと足音が去って、俊哉は面倒げに溜息を落とした。
 ああ、疲れる。
 言うつもりがなかったことをうっかりと口にしてしまったのは、それだけ彼女に苛ついたのか元々疲れていたからか。どちらにしても、ストレス解消にすらならず、むしろ、「目立たない高校生活」には支障が出るかもしれない。
 何か仕事でもないかと、俊哉は携帯電話を開いた。
 がこ、と、音がした。誰かが教室のドアに頭を打ち付けたような。
「…よう」
 いかにも気まずげに引き戸の向こうから顔を覗かせたのは、部活のユニフォームだろうジャージを着た男子生徒だった。聞かれていたらしい。
「その…忘れ物」
「部活、お疲れー」
 やる気なく言って立ち上がる。とりあえず帰ろうとすれ違い様に、呼び止められて、溜息を押し殺して振り返る。
 適度に気安く、適度に近寄りがたく。良くも悪くも目立たないのが俊哉の学校生活の基本だ。
「なあ。今の…ちょっと酷くないか」
「好き嫌いはどうしようもないものじゃない?」
「でも、もっと言い方とか」
「好きです、でも気持ちを伝えたいだけだからあなたが好きじゃなくてもいいです、って言うと微妙に良い話なのに、嫌いだと怒られるのはどうして?」
 どうにも面倒になってしまって、それでも半ば癖でさらっとあまり感情を込めずに言葉にする。クラスメイトらしい生徒は、ぽかんと、間抜けなかおをした。
 少し待ってみたが続きはなく、教室を後にした。校門を出て再度、携帯電話を開く。
「もしもーし、俺だけど。何か仕事、ある?」
 お菓子でもねだるように、俊哉は電波の向こうの相手に問いかけた。

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ある殺人者

「垂れ込みってさ、報奨金とか出るのかな」
 後方で内鍵を閉める家主を振り返り、にっこりと笑顔を振り撒いてみる。だが二十代後半の青年は、気にせず靴を脱いでいた。顔も上げない。
「出たところで、どうやって受け取るつもりだ。自分の懸賞金を貰いに行くくらい無謀じゃないか」
「いや、そこまで難易度高くないと思うけど」
 苦笑しながら、好奇心に駆られて空けてしまった靴箱をちらりと一瞥する。あんなに判りやすい上に湿気の多い場所に銃を置くなんてどうかしている。だがそれは、毒薬を調味料と一緒に常備している奴には言われたくないだろう。
 加藤俊哉。平凡な高校生のふりをして、殺人稼業に就いていたりする。
 そして見るからに女性にもてそうなこの男は、俊哉の補佐、もしかするとパートナーと呼んでもいいかもしれない相手だ。もっとも、俊哉は諒一のことをろくに知らない。連絡の取れる携帯電話の番号を知っていて、必要なものを揃えてくれる。それで十分だ、と、思っていた。
 それが何故、立派とは言えなくても貧相でもない一軒家に乗り込むことになったのか。
「で、諒一さん、俺んちに来るのは嫌がるのに家に上げるなんて、どういう魂胆?」
 見ると諒一は、自分のものだけでなく俊哉が脱ぎ捨てた靴まで揃えていた。妙なところが細かい。
「お前の本拠地なんぞに行ったら、いつ一服盛られるかわかったものじゃない。私用は止めろと言っても聞かないだろう。自殺願望はない」
「盛られるのが厭なら、よく一緒にご飯なんか食べられるなあ」
 諒一には何度か、食事を奢ってもらっている。そのときは当然のように、一緒に食べている。 
「お前が意味もなく殺人にはしるのは、人目がないときだろう。外食はむしろ安全だ。どうでもいいが、ずっとそこに突っ立ってるつもりか」
「いやだって、どこ行けばいいの。広いよここ」
「…足に来てるなら早く言え」
「何のこと?」
 面倒臭げに顔をしかめ、諒一は、壁にもたれる俊哉を軽々と抱き上げた。一応、俊哉は高校二年生の平均身長程度はある。
 半回転した視界に脳が揺れ、咄嗟に、俊哉は目を閉じていた。そうすると、諒一の一歩ごとに揺れるのが余計に感じられて、諦めて目を開けた。
「見栄張って飲むものじゃないぞ、未成年」
「オヤジの説教」
「それにしても軽いな。女の子じゃないんだからも、もっと筋肉つけろ」
 決して体重は軽くないと思うのだが、こうも軽々と持ち上げられると反論もし辛い。だがむしろ、その細い体にどんな筋肉がと、訊きたくなる。
 諒一はろくに明かりもないのに迷うことなく進むと、柔らかな床、おそらくは布団の上に俊哉を下ろし、一旦離れてペットボトル入りの水を持って戻って来た。
「飲めるだけ飲んどけ。トイレは、そこの扉の向かいだ。あと念のため言っとくが、朝食を作ろうだとか気を回すなよ。毒殺されたくないからな」
 おやすみ、と額を弾き、諒一は去って行った。

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