その、出会い

「仕方がないのよ。私のように古いものは少しずつ新しいものと取り替えられてゆく。そういうものでしょ?」

「でも。それでも、僕には…納得できないよ」

 今度こそ順調だ、と、悠樹は思った。ところが、思った瞬間に、頭が真っ白になる。

「だからといって、貴方に何ができるの?」

「僕――……」

「止めろ止めろ! ユーキ! お前、何のために海を渡って来た?! 台詞ぐらい覚えろ!」

 荒げてはいないが厳しい声に、あーあと、棒立ちになった悠樹の回りで声が上がる。照明のライトを支え、カメラを構え、その他にも色々と作業をこなしながら息を詰めていたスタッフたちの、失望の声だ。

 悠樹自身、あー、と、呻いてしゃがみ込んだ。

 その様子を見てか、あごの髭をなぞった監督は、休憩!と、短く宣告して、率先して場を後にした。

「ちょっとユーキ、勘弁してよね?」

「アンジェラ…ごめん」

「そっちは外套着てるからいいわよ。あたしなんてほとんど肌着よ?! ほんっと、勘弁してちょうだい!」

「ごめん。悪い、すまない!」

 妖精――街燈の化身だか何だか、そんな代物を妖精と呼んでいいのなら――役のアンジェラは、バレエの衣装に似た、ふわふわとした布を何枚も重ねたようなドレスで、おまけに素足。休憩の声が聞こえた今は、慌てて付き人が靴と毛布を持って来ているが、悠樹に抗議するためか、まだそちらには手を伸ばしていない。

 勇ましい彼女は、儚げで自ら身を引いてしまう役とは違い、とても気丈だ。だがいっそ、今の方が綺麗に見える。

 そんなことを考えながらも悠樹は、ひたすら謝り倒して、とにかく毛布に包まってもらった。橋に腰掛けて足ごと暖を取ろうとする彼女に慌てて、付き人が椅子を取りに走った。その間、悠樹は彼女が落ちないための手掛かり、壁に徹する。肩にかけられた手が、実は結構痛い。

「あの…どこか、建物にでも入った方がいいんじゃないかな?」

「ねえ解ってるの? あなた、これを逃したら次はないかもしれないのよ? ニホンにでも帰ればそれでいいかもしれないけど、こっちでやっていきたいなら、やる気見せなさいよ」

「…わかってるよ」

 声は小さくて、アンジェラには届かなかった。

 おそらくは日常の一端だろう、道を通る人たちが、ちらりちらりと二人を見ていく。中には、あからさまにじろじろと見る者もいた。街頭ロケなのだから、人目にさらされるのは仕方がない。

 ただ勿論、彼らが見ているのは無名な異国の役者の卵などではなく、そこだけスポットライトに照らし出されたように存在感のある、有名女優のアンジェラだ。

 今悠樹が参加しているのは、数名の監督が一人の女優を撮るという、ショートフィルム作品の一つ。だから当然ながら主役はアンジェラなのだが、主要な人間は二人しかいないこの物語の中では、もう一人の主役と言って差し支えのない役だ。

 駄目で元々、と破れかぶれに受けたオーディションで、東洋の旅人ってのもいいね、と、監督の一存で抜擢された。買われたのは人種という選びようのないものであって、悠樹がこの場に立っているのは、ただの幸運に過ぎない。

 まったく、と、アンジェラは溜息をついた。

「ユーキ。旅の途中で私に出会って、それで? あなたは何を思ったの? あなたは、私に恋をした。撤去されることを受け容れた私に、あなたはさざなみを起こすの。それだけの強い思いが、あなたにはあるはずでしょ?」

 ユーキ、というのは、悠樹の名前であると同時に、この物語の中での役名でもある。そしてアンジェラは、アンジェラの強さで、街燈の少女の目線の言葉を口にする。

 悠樹は、纏った外套の襟を握り締めた。重い、ただ厚いだけの布地。だが一目で判る、年代を経た旧式のコート。古着を手に入れたという設定のそれとの組み合わせに、悠樹は己を重ねる。

 ただ偶然、手にしただけ。そこにあるのは自分でなくても良くて、ただの、それだけのめぐり合わせ。だからこそ、そうではないものを欲した。

「僕は…ようやく、出会えたと思えた。あちこちをただ無意味に歩いて、ぼろぼろに疲れて、どうして旅に出たのかも忘れて。全て、君に出会った瞬間にわかったんだ。君に会いたかったんだと――だから、僕は――」

「覚えてるじゃない」

 くすりと笑みを乗せたのは、アンジェラか名もない少女か。悠樹は、我に返って瞬きをした。

 そこに付き人が椅子を持ってやって来たが、監督も戻って来ていた。残念ながら、付き人の彼は、せっかく持って来た椅子を、毛布と共に持って戻る羽目になってしまった。

 だが悠樹は、そこまで気を回すこともできず、ついさっき、自分の口にした台詞を頭の中で繰り返した。何かを、掴めた気がした。

「あら、雪。本当、絵になるわね。この分だと、CGは必要なさそうじゃない?」

 そう言って空に手を伸ばすアンジェラは本当に妖精か天使のようで、悠樹はぼうっと見つめて、監督にどやされた。

 撮影再開!と、声をかけていくスタッフたちに紛れ、悠樹はそっと、アンジェラに声をかけた。

「ありがとう」

「どう致しまして。あたし、弟いるから、つい、年下の男の子ってかまっちゃうのよね」

「…おれ、君より年上なんだけどね…」

「えーっ?!」

 舞い降りる雪の中で、薄着の妖精は叫び声をあげた。悠樹は、年齢よりも若く見られることにいくらかは慣れたものの傷つきながら、それでも、と、微笑した。

 ――君に会いたかったんだ。

 ユーキの言葉は、悠樹の言葉にもなった。



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