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天罰

2005/6/19
 

 神様なんていない。
 神様なんていらない。

「あーもう、いい加減諦めてくれないかなぁ。とっとと風呂入りたいんですけどー?」
 呟く言葉に、斬りかかってくる誰かが聞きとがめたらしく、一層凶悪に睨みつけてくる。
 弱いのに歯向かってくる勇気だけは認めても、やはり無駄死にだ。ただの悪足掻きは、益など全くないというのに。
「貴様ッ・・・!」
「怒ると細かいところ見えなくなるんじゃないか? ほら、隙だらけだ」
 男の勢いと相まって、刃を向けて打ち込んだ両腕が、きれいに落ちた。血しぶきが飛び上がって、また、着物を染める。
 一張羅とは言わないまでも、いい生地なのに。使い捨てか。
「う・・・うう・・・」
「あ、まだ残ってたのか」
 獣に似た呻き声は、肉塊と化したそいつの仲間の下から聞こえた。待っても行動がなく、仕方がないから足先でそれを押しやってみると、血に染まって鬼気迫る表情をした小男がいた。
 おびえきった瞳が、こちらを見上げる。
 小太刀を握り締めた指は、血を浴びながら、あまりにきつくつかみすぎたせいで白くなっていた。
「どうせなら、そのままでいな。そうしたら、生き延びられる。俺だって、好きで殺してるわけじゃないんだ」
 誰が好き好んで、こんなことをするだろう。いや、いるかもしれないけど。
 しかし小男は、目を剥いて飛び掛ってくる。馬鹿ばかりだ。
 ため息をついている間に男は近付き、横から刀がのびた。うまく、小男の勢いを流して手の腱だけを切る。見事。
 小男は、耳障りの悪い悲鳴を上げた。
「お見事」
「突っ立ってんじゃねえよ、馬鹿野郎」
「だって、後ろから来るの判ったし。だったら何も、俺が動く必要ないでしょ。労力は抑えなきゃ」
「これだけの数斬り殺しといて、それもねえだろ」
「えー? だって、生かすより殺す方が簡単で楽」
 深々とした、溜息の音が聞こえた。
「とにかく、その形(なり)をなんとかしろ。赤い雨にでも打たれたみてぇだ」
「俺だって、早く風呂に入って流したいよ。こいつらがわらわらいるから。まったく、着物が台無しだ」
 そうして連れ立って、死体の山に背を向けた。
 一人だけ生き残った男は、ただただ、獣のように咆哮していた。

 「神様」がいるのなら、何故、俺は罰されないのだろう。

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負うべきモノ

2005/7/1
 

「おい。休みの日にまで根詰めて練習することないんじゃねえのか?」
 素振りの手を止めて、俺は振り返る。
 凄むわけでもないのに睨むように見えてしまう眼に、ただひたすらに、恐縮してしまう。
「いえ、あの。私は、まだまだ未熟で。先生方にも、ご迷惑ばかりを」
「弱いなんて気にしてるのか? お前、そこそこ使えるだろうが。うちで一番命知らずのところだろう、お前のところは」
「そ、そんなこと」
「下手に否定するな。お前より弱い奴なんて山といるんだから、そいつらの立場がなくなるだろう」
 ふっと和らいだ空気が、笑ったのか労わったのか、よくわからない。それでも、柔らかな心地のいいものだということは判る。
 俺は、不意を突かれて、思わずぼうっと見入ってしまっていた。
 そして、訝しげに向けられた視線に、言うつもりもなかったことを口走ってしまう。
「だって私は、隊長の足元にも及びませんから」
 途端に、呆れるような、納得するような、疲れたような、溜息がこぼれた。
「・・・あいつを目指すのか」
「お、おこがましいことだとはわかっています。だけど、あのくらいに強くなれれば、少しは」
「強くなるのはいいことだ。特に、ここではな。だけどお前、あいつは見習わない方がいい。他の奴にしとけ」
「何故――ですか」
 言い知れぬ不安を感じて、俺は、知らずに着物のあわせを握り締めていた。
「あいつが何故強いのか、判るか」
 切り出された言葉に、え、と、言葉に詰まる。それが判っていれば、という無言の非難も、滲んだかもしれない。
 苦いかおをした。
「剣の腕だ天賦の才だってものも、確かにあるだろう。それだけの鍛錬だってしてる。あいつが、どんなにがきの頃からやってたか。だけどな。それだけだったら、他にももっと上回る奴はいるだろうよ」
 黙っていると、空気に乗って子供の騒ぐ声が聞こえた。隊長が、また一緒になって遊んでいるだろうかと、ふと思った。
 その隊長の、何を告げようというのか。
「あいつは、躊躇いがないんだ。人を切るってのは、殺すってのは、そいつの命と人生と、そいつに関わる沢山の奴の何かを、全てひっくるめて断ち切ることだ。そんな重みを考えたら、刀なんて振るえねえ」
「でも、私たちは」
「ああ、斬ってるさ。毎日のようにな。だけど、そんなことを考えることはまずないだろう? 大体が、遊びや訓練に明け暮れる。考える時間なんてねえし、おそらくは避けてるだろう。どこだったかの武将は、大した猛者だってんで戦場で手柄を立てたが、決して日常で誰かを切ることはなかったそうだ」
「・・・私たちは」
「ああ。それなりに熱気はあるが、戦場よりは日常の方が近いな。だけど、それは相手も同じことだ。口ではどれだけのことを言ったところで、斬った張ったなんてものは、遠いんだよ。だから、そんなところでは戦場の何分の一もの強さしか出せない。だけどあいつは、ごく冷静に、人を斬ってのけるんだ。重みも何もかも、全部わかった上でな」
 何も言えず、ただ見つめると、遠い眼をして嗤った。
「この前あいつ、町を歩いてるときにな。あの人、似合わない萌葱の羽織はおった人のご内儀だ、って呟きやがったんだ。俺がそれを聞いたと気づくと、困ったように笑ってな。お見舞金とか、あげても厭味なだけだろうねえ、ってさ。思わず問い詰めたら、あいつ、斬った奴の身内やら何やら、完全にってわけじゃあねえけど、やたらに知ってやがった」
 あの人らしいと、思って同時に空恐ろしくなった。
 自分を憎むはずの人たち。断ち切った、その上にいる人たち。そんなものを、抱えているというのか。
 わかるだろうと、同意を求めるような、気の毒がるような視線が寄越された。
「あの馬鹿は、そんなもんを全部背負い込んで、それなのに躊躇いがないんだ。そんなもん、見習えねえし見習うもんじゃねえ」
 揃って押し黙ってしまい、いよいよ、子供の声が大きく聞こえた。
 いや、実際にそれは、近付いていた。
「あれ、二人で何やってるの、暇なら一緒に遊ばない?」
「馬鹿野郎、俺は仕事の途中だ」
「おれ見て逃げるってのは、いくらなんでもあんまりじゃない?」
 ねえと、一緒に騒いでいた子供に同意を求める。近所で見かけたことのある子供は、いきなり振られて、戸惑っているようだった。
 そうして不意に、俺の持っている木刀に気付いて、おやと、眉を上げる。
「熱心だね、今日は非番なのに。良かったら、俺付き合おうか? 弱いけど」
「そうだな、お前の練習試合はまったく参考にならん。止めとけ止めとけ」
「ひっどい言い方。いいよもう、真剣でしか立ち会わないことにするから。行こう」
 子供のように拗ねて、連れてきた子供を促して軽やかに去ってしまう。現れるのも消えるのも、唐突な人だ。
 そうして俺たちは、そんな後姿を見送った。その背には、見えないけれど大きなものが背負われているのだ。

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覚悟

2005/8/6
 

 団子を買いにまちに出たら、悲鳴に出くわした。見るからに食い詰め浪士が駆けて来るのを見とって、あーあと、息を吐き出す。
「折角の非番なのに」
 言いながらも、ひょいと足を出す。
 追ってくる後方を気にかけながら、必死の勢いで走る男は、それだけで、もんどりうって倒れた。がばと、体を起こす。
 にこやかに、笑いかけた。自分の意地の悪さくらい、知っている。
「何やったかしらないけど、大人しくつかまっとけば?」 
「貴様ッ・・・!」
「ほら、来た」
 男は、逃げるかどうか迷ったようだったが、わずかな逡巡のすぐ後に、腰の刀に手を延ばした。
 この期に及んで悪足掻き。竹光ではないということなのか、ただのはったりなのか。
「それに手をかけるなら、切り捨てられても文句がないってことだ、って取るけど、いい?」
 非番とはいっても、帯刀している。男の、つばを飲む音が聞こえた。
 脂汗か冷や汗か、大粒のものが滲む。わなわなと、唇が震えていた。これは、自棄になって斬りかかってくるかなあと、そんなことを考えた。
 それこそ、切り捨てることになるだろう。手加減をするのは苦手だ。
 着物が汚れるので、できれば避けたい。
「・・・っく!」
 男が、刀を抜くことがなかった。睨みあったままに、男を追いかけていたらしい人たちと、警邏の者らとが駆けつけて来たのだ。
 男を捉えようとかかるのを見て、ひらりと身を翻す。団子屋は、すぐそこだ。



 悲鳴がうるさい。秋刀魚に似た女に大げさに騒がれた。何も命を取ろうというわけではないのに、必死になって、財布を渡すまいとした。
 とりあえず振り切って逃げたが、声が追いかけてくる。折角取ったものもわざわざ投げ返してやったというのに、うるさい奴だ。
 いざとなったら切り捨てるまでだが、それは最後の手段だ。 
 と、とにかくひた走っていたら突然、何かにつまずいてすっ転んだ。勢いが勢いだから、たまったものではない。
 急いで顔を上げ、上体を捻って見回すと、ひらめに似た男が、にこやかに笑いかけてきた。
「何やったかしらないけど、大人しくつかまっとけば?」 
「貴様ッ・・・!」
「ほら、来た」
 やはり和やかに、後方を視線で示す。秋刀魚女と、警邏が駆けつけてきているようだった。警邏らしい先頭の男は、アジに似ていた。くそっ、今日は魚尽くしか。
 逃げるかと一瞬だけ迷ったが、こうなったら最後の手段と、刀に手を伸ばす。これだけは、どれだけ食い詰めても、手放さずにいた。たった一つの、俺の拠り所。
 ところが、まずははじめの犠牲と思ったひらめ男は、すうと、目を細めた。それだけで空気が変わり、ぞくりと、背筋が冷たくなった。
「それに手をかけるなら、切り捨てられても文句がないってことだ、って取るけど、いい?」
 腹の立つくらいに穏やかな調子は、変わらない。
 それなのに、刀を抜けばそれで最期だと、到底太刀打ちのできない相手が牙を剥くのだと、わかった。たった一つの拠り所。それが、通用しないと。
 体が、震えた。
 畜生。なんて日だ。なんて、奴だ。
「・・・くっ!」
 手を放し、土を握り締める。こんな奴に向かって刀を抜くなんて、死にたいと言うようなものだ。俺は、それすらも判らない馬鹿ではない。そして、死にたくは、ない。
 そうすると、途端に、男の空気は元に戻った。穏やかな、どこにでもいそうな少し気の弱そうな青年に。
 俺は、わらわらとやってきたアジたちに、易々と捕まった。
 男は、俺に逃げる気がないと見て取ると、アジたちに捕まるのを最後までは見届けずに、身を翻した。そうして、一言呟いたのが、耳に届いた。
「さあ、団子ダンゴ」

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天罰

2005/7/9

 しきりに、寝ていろと諭される体は重い。筋肉は落ちて、重さ自体はむしろ減っただろうのに、どうしてこうも重みを感じるのか。
 寝ていると閑で、閑で、いっそこのまま果ててやろうかと、思わないでもない。
「起きてるか」
「起きてるよ。寝るのも、いい加減飽きるし疲れる。眠るのに体力が要るって、本当だよ。道理で、お年寄りは朝が早いわけだ」
「なに馬鹿言ってやがる」
 そう言って、当然とばかりに近くに腰を下ろす。ここの人たちはみんな、俺が患っているのが伝染する病気だと、本当に知っているのかと怪しく思う。
 そこに、甘えてしまっているのだけど。
 座り込んで、言葉を捜しあぐねている。こつさえ掴めば、この人はわかりやすい。
「ねえ。神様って、いると思う?」
「あ?」
「人に何か恵んだり、罰したりする、そういう神様」
「・・・お参りなら、行ってるぞ」
 そういえば、お守りをもらったこともあった。妙なところ、素直だ。
「俺ね、いないと思ってた。だけど、考えを変えたよ」
「一体なんだ、藪から棒に」
「来たきり黙りこむから、話題を提供してやったんじゃない。口下手なんだから」
 むっと、顔をしかめる。それでも反論しないところをみると、自覚はあるらしい。
 あははと、声を立てて笑った。少し、むせる。
「俺ね。あれだけ沢山殺して、何もないんだったら、神様なんていないなって思ってた。だけどほら、こんなことになったから、凄い、天罰覿面だーって」
「馬鹿言うな」
「うっわ、酷い。本気なのに」
「本気だったら、尚更。そんなこと、言うな」
「きっと、みんなは違うよ。大丈夫とは言わないけど、ちゃんと苦しんでるでしょう、殺してることを」
「おい」
「俺は、何も感じないから。残された形になる人が、気の毒だと、そう思うだけ」
「・・・おい」
 懇願するように変わった声に、苦笑を押し殺す。
 ああ、きっとこの人は、俺がいなくなったら泣くんだろう。こっそりと、誰にも知られないように。そのことで、誰かの士気を下げないように。あの人がいれば大丈夫だと、そんな旗印になるように。
 その横で、からかいながら慰められないのは、実に残念だと思う。ごめん、俺は先にいく。
「ところで、何かないの。お見舞いの品は?」
「・・・あるか、そんな物」
 話が明らかに変わったことに、力を抜くのが判る。
「うわー、ケチ」
「知るか。寝てる奴にわざわざ届ける物なんてない」
「冷たい。みんな、色々持ってきてくれるのに。うわー、冷たい」
「馬鹿野郎。さっさとそんなもん直して、ほしいものくらい自分で何とかしろ」
 あははと、声を立てて笑う。そんな日が来るなんて、誰一人信じていない。
 それでもこの人は、そう言う。
「せいぜい努力はするよ。寝てるのも閑だしね」
 これが天罰なら、本当に、一番適切だろうと思う。刀を取るではなく、じりじりと命を削ぎ落としていくしかない、それが。罰に相応しい。
 そして俺は、それを最後まで、最期まで、受け止めるのだろう。
 罰を受け入れるなんて、殊勝な気持ちではなく。ただ俺を、好きでいてくれる人たちと、少しでも長く一緒にいるために。
 ――ああ、最大の天罰だよ。

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強さ

2005/12/23

 強く、なりたかった。
 剣を振るって敵う者がいない状態が強いと、ただ単純に、そう、思った。

「・・・先生、いい加減に本気出してくださいよ」
 先生と呼ぶ相手は、だが、俺よりも数歳若い。見かけだけなら、更にニ、三歳差がつく。
 その癖、剣の腕は段違い。氏素性は問わないこの集団において、創立時からいたとはいえ、隊長ときているのだから、腕を目の当たりにしていなくても、想像くらいはつきそうなものだ。
 その彼に、稽古をつけてくれと頼み込んだのは、俺からだった。
 ちなみに、渋りに渋った末の決め手は、甘味処の代金を持つことだった。
「俺の竹刀剣道が弱いのは、三次さんだって知ってるでしょ」
 むくれる様は、少年とさえ呼べそうで、強いだなんて、嘘だろうと思えてしまう。
 それでも、人を切り捨てるとき、彼は言いようもなく強い。
「それは、本気を出してないからでしょう? そりゃあ、俺程度じゃ相手にならないのも判りますけど」
「だーかーらー。俺は一生懸命本気でやってるんだって言ってるじゃないですか。どうして誰も信じてくれないかなあ」
 刀を振るうと鬼神の如き彼は、竹刀や木刀を使っての稽古では、人並み程度でしかないというのは周知の事実だ。現に今も、俺と競り合うくらいだ。
「あーあ、撫子でおごってくれるからって、誘いに乗るんじゃなかったなあ」
「承知したのは先生ですよ。きっちり、相手をしてもらいます」
「もう、熱心だなあ、三次さんは。だけど教わるなら、俺なんかじゃなくて、適任がもっといると思いますよ?」
「俺は、強くなりたいんです」
 何、と言うように首を傾げる。やはり、幼い。
「竹刀が駄目なら、真剣を使いましょう。防御をしっかりとすれば、怪我だってそう酷くは・・・」
「それ、本気で言ってます?」
 笑うような顔の向こうから、鋭い視線が貫く。そこには、戦場で見せるのと同じ光が、宿っていた。
 自分でそれを引き出そうとしておいて、身がすくむ。
「刀を抜いたら、殺し合いをやるってことですよ。鉄板を巻いたところで、殺そうと思えば殺せます。俺は、殺さない殺し合いのやり方なんて知りませんよ」
 死にたくは、ないんでしょう?
 さらりと告げる声音は、いつもと変わらず、涼やかに優しい。それが尚更に、恐ろしかった。
「ええと。まだやります?」
「・・・・・・いえ。ありがとうございます」
 そうですか、とにこりと笑い、じゃあ撫子に行きましょうと、それはそれは嬉しそうに笑う。それは、無邪気とさえ言えた。
 ああそうだ、と、竹刀を片付けようと背を向けた彼は、振り向いて言った。
「俺と真剣勝負がしたいなら、俺の敵になればいいんですよ」
 唐突に、腑に落ちたものがあった。この人は、殺すことも、殺されることも恐れていない。無謀や命知らずとは違った次元で「そう」なのだろうと、思った。
 それが強さなら――俺が求めているものとは違う。
「なりませんよ、そんなもの。恐ろしい」
「恐ろしいって、俺を化け物か何かと間違ってませんか」
「そんなことはないです。ところで、撫子に行って何を食べるつもりなんですか?」
「向こうに行ってから決めようと思ってますけど」
 そういいながら、お汁粉はいいですよね、みたらし団子もおいしいし、と、楽しそうに甘物を挙げていく。そのくらい自分で買えるだろうのにと、そう言うと、人に奢ってもらう物は別格ですと、きっぱりと言い切った。
 この無邪気な人を、超える日は来るだろうかと、ふと、思った。

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大切

2006/8/20

 ――守りたいものでもつくったらどうさ。惚れた女の一人や二人、いないのかい。
 唐突にそう言われ、
 ――じゃあ、姐さんを好きになろうかな。
 と言ったら、笑われて終わった。馬鹿だねえと言った声は、何故か少しだけ、淋しそうだった。

「ねえ。俺、何か悪いこと言いましたかね?」
「遊里に行きだしたっていうから安心してたら、やっぱりガキだな、お前」
「うっわ、子供に言われちゃった。落ち込むー」
「てめ。俺のどこが子供だって?」
「中身。ところで俺、誰がとは言ってませんよ」
 無闇に腹を立てる様は、見ていて面白い。それが子供だというところが判らないから子供なのだ、この人は。
 それにしても、よく判らない。守るのもは、勝手にできるならともかく、殊更につくるなら、何でもいいはずだ。――と、そこまで考えてようやく気付く。ああ、だから彼女は、笑ったのだ。
 だが、それ以前に。
「守りたいものをつくれっていう、そこに至る考え方が理解できないんですけどね」
「死なねぇ、生き延びてやる、ってことで強くなるだろうがよ」
「あー、なるほどそっち」
「他にどっちがあるんだ?」
 単純に不思議に思っているように訊かれ、苦笑する。この人は、何の迷いもなく、守るために強くなれる。
「俺だったら、死ねないって思ったところで止まっちゃいますね。逃げ出しますよ、こんな危ないとこ」
「切腹になるぞ」
「あはは。そうそう、だから結局、何もできずに死んじゃうんですよ、きっと」
 笑うと、何故か顔をしかめられた。
 死を恐れながら死に直面して向かっていくなんて芸当が、俺にできるわけがない。
 死は、恐ろしくないから向かって行ける。ただそこで終わるだけで、大変なのは、よっぽど残された人の方だ。
「――だからお前は、大切なものをつくらないのか?」
「――今思ったんですけどね、これって、今ここでするような話題ですかね?」
 ざくざくと、俺たちは人を斬り殺している。返り血が服について気持ち悪い。
 だから、この人と出かけるのは厭だ。もっとも、一人で遭遇した方が面倒だから、そんなことは伏せておく。世の中、知らない方が幸せなことは山のようにある。
「お前が始めたんだろうが。で、どうなんだ」
「どうって」
 鈍いなあと、笑ってしまう。おかげで剣先がずれて、一突きで絶命させられなかった。無駄に苦しめる趣味はないというのに。
「俺が、なんでこんなことやってると思ってんですか。言っときますけど、大樹公がどうこうってのは、あんまり興味ないですよ?」
 俺の最後の相手はさっきの失敗した奴で、適当に倒れている奴の着物を借りて、刀から血を落とす。手入れは後できっちりとするとして、とりあえずはこれでいい。
 こちらを見て、ぽかんと口を開ける大きな子供に気付いて、つい、吹き出した。
「なんてかお、してんです。鬼が聞いて呆れる」
 黙りこんで、唐突に口を開く。
「なあ。――死ぬなよ」
「気をつけますよ」
 それでも俺は、きっと、笑って死ねるのだけど。
 残された側の気持ちなんて、知ったことじゃあない。俺が先に逝った人たちに文句を言えないように、彼らの言葉もまた、俺には届かないのだから。
 早くも赤黒く変わっていく血を眺めながら、今日も姐さんに会いに行こうかと、少しだけ考えた。

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こわい話

 蒸し暑い日が続いていた。
 じっとりと暑い夏で、その癖、冬は馬鹿みたいに、体の芯から冷えるらしい。なるほどこんな土地に住めば、底意地も悪くなるもんだと、誰かがぼやいた。
 眠れない。かといってこう毎晩では、涼みに出るのも何だか面倒だ。
 誰が言い出したのか、俺たちは、明かりもつけずに車座になっていた。開け放った戸板の向こうにどこかかすんで月が見える。
「…そこで男は振り向いた。すると娘は、すうっと顔を上げて笑った。ととさま、こんどは手をはなさないでね?」
 はぁんと、どこか気の抜けた声が出る。
 こわい話をしようと言い出したのは、誰だったか。
 気付けは部屋にいた連中のほとんどが乗って、ぼつりぼつりと次々に聞き知った話を披露していった。だがどれも、どこかで聞いたような、誰かから聞いたようなものばかりで、寒気はこない。
 これでは、涼取りにならない。
 数人が話して、どうしようかこれはもうやめようか、疲れたななんて気配になっていた。
「ねえねえさっきの話って、つまり、娘さんが前に殺した按摩の生まれ変わりだったってことでいいの?」
「隊長?!」
 隣で聞こえた声に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
 年下の相手を隊長と呼ぶのに、はじめは躊躇があった。意地もある。でもそれが馴染んだ要因の一つは、言われた相手が、一瞬、厭そうな表情になることがあると気付いたためも、あるだろう。
「何かごそごそやってるなーとおもったら、怪談かあ。うーん、今のはいまいち。もうちょっと話し方を工夫しないと」
「え。あ、はあ」
 語った奴が、困ったように応える。一体なんなんだと、居合わせた面々は、狐に抓まれたような面持ちでいた。
 確かこの人は、今日は夜番ではなかったのか。急遽代理で、隊長だけがその任についたのだ。
「次だれ? 俺話してもいい?」
 きょとんとしたまま、どうぞと誰かが答えた。いつも、この人はどうにも掴めない。
 まだ少年ともいえそうなその人は、嬉々として、語り始めた。
「ある合戦場で、その日もこんな、蒸し暑い日だった。夜になっても全然熱が落ちなくて、むしろ、蒸し暑さが募るような感じでね。眠れなくって、野武士たちは適当に寄り集まって、怪談話を始めたんだ。一人二人と話していって、熱中していたわけでもないのに、気付くと空は白み始めていた。一晩、語り明かしたわけだ。でも誰にも、そんなに長く話をした実感もなければ、ついさっきまで真っ暗だったはずだ、なんて言いさえする。でも、朝になって戦は再開した。その野武士たちのうちで翌日まで生き残っていたのは、半分もなかったらしいよ」
 無邪気に淡淡と言われ、何故かすうっと寒気がした。
「おっと、俺、もう行かないと。じゃあ、また朝に」
 すっと立ち上がった若者が出て行くと、誰ともなしに、ぱたりと汚い寝床にもぐりこんだ。寝よう、寝ないと、と、そんな呟きがあちこちから聞こえた。

「あれ?」
「あ?」
 廊下ですれ違った二人は、月光にお互いの顔を判別すると、なんでここに、と同時に声を発した。
「何でってお前、今俺は非番だ。屯所にいて当たり前だろうが」
「こんな時間に起きてなくたって。それに、花街には行かなかったんですか?」
「…。夜番だろう、お前。何してやがる」
 ふふっと、まだ幼くも見える相手は、微笑した。
「ちょっと忘れ物を。ついでに、柄にもなく灸もすえて来ました」
「はあ?」
「だって、寝不足で死地に立たれても迷惑なだけでしょう?」
 さらりと笑う様は、死神の微笑にも見えた。

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助太刀

2008/8/8

 見覚えのある揃いの羽織を着た集団が、一人の男を取り囲んで突き殺すのが見えた。なるほど、確かに見栄えはよくない。
 そんなことを思いつつ眺めていたら、後ろから、何故かうんざりとした声が聞こえた。
「なんだってこんなところに居やがる」
「えー天下の大通りに俺がいちゃいけない理由を教えてくださいー」
「語尾をのばすな気色悪い!」
 あまりに予想通りのしかめっ面に噴き出すと、睨まれた。任務中を示す隊服姿は変に堂に入りすぎて、おまけにぴりぴりとした空気のせいか、周りの人たちは視線を向けようともしない。逆にそれが、異常だった。
 まあそれでなくても、おっかない集団の出現と血に、人々は建物の陰に身を潜めるように窺っている。それでも、人の姿がなくならないところが物見高い。
「そっちこそ、どうしてここに? 見回りは違う通りでは?」
「あそこの奴が逃げて、追いかけてきた」
「それはそれは。まだまだ鍛える余地があるみたいだね」
「まあな」
 そう言いながらも、どうにかはなっている。集団戦法は、やはり有効なのだろう。命がけなのだから、人数で押せるなら当然そうすべきなのだ。
 それでも「武士」は、名誉だの見栄えだのを気にしがちで困るのだけど。
「この調子なら、俺の出る幕はなさそう」
「元からその気もなかっただろう」
「いやいやまさか。目の前で仲間が困ってたら助太刀の一本や二本」
「ふん、どうだか」
 鼻で笑う。険しい顔を崩さないのは、任務中だからだろう。
「信用ないなあ」
「そうでもないさ。ただお前は、助太刀じゃあ済まないだろ。――おい、行くぞ!」
 含みのある言葉を残して、ひらりと翻した隊服の色を残して、去って行ってしまう。
 まったく、あの人は気が抜けない。
「勝手に、一人で納得して行っちゃわないでほしいなあ」
 呟きながら、もしあのとき囲みが崩れて男が逃げようとしたらどうしただろう、と考える。いや、考えるまでもない。
 彼らがどうするかを見極めることもせず、一太刀で切り捨てただろう。

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笑顔

2008/9/12

「こわくは、ないんですか」
 そう訊いてしまったのは、今よりもずっと幼い時分のこと。それなのに、そのときの蝉の鳴き声や妙にずしりと重い夏の空気まで、はっきりと覚えている。
 もちろん、そのときの、あの人の訝しげなかおも。
「何がだ?」
 そのとき、その人は珍しく怪我をしていた。道場に通い出してからというものめきめき強さを増して、その頃には、そうそう怪我を負わせられる相手もいなかった。
 それなのにその人に怪我をさせてしまったのだから、申し訳ないのと誇らしいのとが半々に、誰も寄せ付けずに手当てをしているところに忍び寄った。
 すぐに気付かれて、丁度いいと言って手当てをしろと命令されてしまった。
「あの、でも…うちの薬を使わなくても、たくさん、持ってますよね?」
「ああ、あれな。効かねぇんだ」
「…え?」
 へへん、と何故か得意そうに笑って、その人は、わざとらしく眼を細めて付け加えた。
「誰にも言うなよ。言ったら酷い目に遭うからな」
「いっ、言いません、言いません!」
 恐ろしげに笑ったのは、今なら勿論わかる、冗談だ。
 とにかくそうやっているときに、不意にぽろりとこぼれ落ちてしまった言葉が、それだった。
 すぐ近くにいるその人は、ついさっき脅されたばかりだったけれど思っていたよりも怖くなくて、多分、気が弛んだのだろう。訊き返されて困ったものの、なんとなく、もっと言っても大丈夫だと思った。
「えっと…人、が」
「はあ? お前、人が怖いなんて言ってたら生きて行けないぜ? 山奥で仙人でも気取るつもりか」
「そうじゃなくて…怒られたり、憎まれたり、そういうの、こわくないのかなって…」
「ああ」
 それなあ、と頷いて、その人は、包帯を巻いた肩を、具合を確かめるようにゆっくりと回した。
 「敵」の多いこの人は、あの時分だってたくさんの悪意や敵意にさらされていた。今とは到底比べ物にならないとしても、子どもが怯えるには十分な程度には。
 その人は、にっと、笑った。
「こわがったところで仕方ないだろ。手を出してくるようなら叩き潰しゃいいし、何もしないなら気にするだけ損だ」
「…ええ?」
 そんなことでいいのかと、拍子抜けしたのかがっかりしたのか、ついつい気の抜けた声を出すと、その人は、乱暴に頭を撫でた。
「こわいなら、離れてろ。そういったものから遠い生き方ってのもある」
 そんなもの、俺は興味ないけどな。
 そんな声が聞こえるような気がして、思わず、その人を見上げた。意地悪げに笑っていると思ったら、何故か、ほんの少しだけ、淋しげな口元が逆光に見えた。
「こわくない、です」
 これもぽろりとこぼれた言葉に、その人は、ゆっくりと優しげに、笑った。
 その笑顔は、あの夏の日の暑苦しい空気と一緒に、今もありありと思い出せる。

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2009/5/23

「わ?」
 いつものように歩いていたら、突然横合いから引っ張られてたたらを踏む。
 鬼の形相に出くわした。
「手前ェ…何企んでやがる」
「は? 何のことですか? 怖いですよ、顔」
「お前が俺に懸想してるってのはどんな嫌がらせだ!?」
「ああ、それ」
 人目につきにくい暗がりで、至近距離に青筋の浮いた鬼がいる。俺が笑うと、いよいよ眼が血走った。
 とりあえず、掴まれた襟首から手を引き剥がそうと格闘する。離れない。
「誰に聞いたんですか。厭だなあ、秘密って言っといたのに」
「…まさか本当なのか」
 ぱっと手が離れ、微妙に俺から距離を取る。この人は、妙なところでわかりやすい。
「まさか。それは、俺が女でもちょっと厭だなあ」
 あからさまにほっとして、睨まれる。
「だって、好いた女の一人くらいいるだろうってうるさくって。適当に言ったら鋭く突付いてくるし、成就に協力して野郎なんてなったら困るし。それなら、下手なことできない人を上げようと」
「…何だって俺なんだ。他にもいるだろうが」
「相手によったらやっぱり協力してやるなんてことになりかねないし、うっかり相手もその気になったりしたらまずいし。いやあ、思ったよりも衆道嫌いの女たらしで定評があって助かりました。皆、気の毒がってくれて」
 だからこそ、当人の耳には入らないと思っていたのに、誰が漏らしたのか。
 見ると、相手は心底厭そうなかおをしている。
「だからって、妙なでっち上げするこたねぇだろ。お前、後で一言いって来いよ」
「誰にですか?」
 面白がっていいのか同情したらいいのか、と迷うような奇妙なかおで局長の名を告げられた。
 とんだ誤算だ。

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