聖地には聖女がいる
昔話をしようか、と少年は言った。
酒の席での戯言だろうと、男は気安く応じた。どんな話だと、酒盃片手に訊く。
少年は、そうだねえ・・・と言って、強い酒で満たされたコップを傾けた。平然と、コップ一杯を飲み干す。大人でも倒れかねない一杯だが、少年は顔色を変えるでもなく、表情のないような顔で男の目を見つめた。
――もう、二十年は前のことになるかな・・・
聖地には聖女がいる。
僕がそう聞いたのは、たまたま立ち寄った茶屋でのことだった。
「聖地って?」
訊くと、話好きそうな商人は冗談ととって笑い飛ばしてから、ようやく本気なのだと気付いて、訝しげに眉をひそめた。
「おいおい、ぼうず。どこの田舎モンだ? 少なくともこのあたりってのはありえねえな。どこだ?」
「えーっと・・・ザハ、ってとこ。ここをずーっと行って、砂漠を越えて、海を渡った向こうの小さな島国。交流とかもほとんどなくて、人が出てくるのなんて稀だから、多分知らないだろうけど」
商人は、しらねえなあ、と言って、笑いかけてきた。笑うと、鋭い目が細くなって、人懐こい山猫のようになる。
「じゃあ教えてやるけどな、ぼうず。しらねえってことは、もういわねえ方がいいぞ。特にこの先、西に――聖地の方に進むならな。知らないなんて言ってみろ、邪教扱いされるぞ」
「そうなの? 一体何の聖地なの?」
「だから、そういうことを迂闊に口にするんじゃねえって」
怖い顔をして、商人は言った。周りを見渡したのは、多分に演出だったのだろう。他にいた客はといえば、商人の連れた家畜くらいのものだったのだから。
人の多い茶屋だけど、このときはたまたま、客足が途絶えていた。
「あそこは、あの四神が最初に降り立たれて、且つ、この世界に『楽園』を降ろされるときに降臨なされる、いわば約束された場所なんだよ。四神は、知ってるな?」
「うん」
四神は、おそらく世界中の全ての人が、信じているいないに関わらず知っているだろう。百数十年ほど前に起こった「世界崩壊」と、それに続いた「大破壊」。この二つの、世界規模の天災と人災によって、一度、世界は壊れた――と言われている。
その世界を再構築したのが夫婦神と姉弟神の男女二名ずつの四神とされ、この当時、世界の信者の九割方を占めていた。百数十年――「大破壊」だけを考えれば、百年ちょっとという近さから、記録はなくとも、記憶は伝えられていた。
そこで、僕は首を傾げた。
「それで、聖女っていうのは?」
「四神の声を聞きなさるって話だ。大体は、まだ十代くらいの若いのだな。そういう定めなのか、聖女は代々短命でなあ。しかし、いつも優しい笑顔で迎えてくれるのさ」
敬っているようでいて、どこか突き放したような言い方をしていた。本当はどう思ってるの、と訊くと、また周囲を見渡してから小さく肩を竦めて、俺は商人だからな、とだけ応えた。
そこでその商人とは別れた。
そうして僕は、――本当は二度と行くつもりもなかったのだけど――西へと、聖地へと足を向けた。聖女というのに、少し興味がわいた。
おいちょっと待てよ、と男は少年を遮った。
それを予期していたかのように首を傾げる少年を、男は軽く睨み付けて言った。
――二度と行くつもりもなかったってどういうことだ。聖地なんて知らなかったんだろう?
うん、と少年は何の臆面もなく頷くと、じゃあ、と言いかけた男に笑いかけた。
――聞いてればわかるよ、多分。
町につくと、たくさんの人がいた。聖地という場所は、熱心な信者ほど一度は訪れたいと願い、出来る者ならそこで暮らしたいとも思うものらしい。その為に、抜け目のない商人も大いに活躍の場があったのだ。
人々の話では、今までの聖女は今日にも生を終えるとのお告げがおり、聖女が生を終えるのと同時に新たな聖女の捜索が始まるらしい。
「なんだかまるで、お祭りを待ってるみたいだよね? どうしてだろう」
「は、な、せ、よっ!」
「今の聖女はまだ十二歳だって言うじゃないか。でも、その死を悼む人は誰もいないんだね。・・・それとも、見える範囲にいないだけなのかなあ」
「てめえっ」
「ためになる話をしてあげよう。まず一つ、君じゃ僕からは逃げられない。もう一つは、でもどこかに突き出すなんてつもりはないから、安心していいよ。しばらく僕の、話し相手になってくれればいいから」
僕に利き手を掴まれてじたばたとしているのは、あと何年かすればようやく、辛うじて「青年」と呼べるだろうくらいの少年。痩せて、そのくせ最低限のしなやかな筋肉と、闘争心だけはしっかりと持っているようだった。
それでもしばらく、少年はなんとか逃げようと頑張っていたけど、最後には観念したようだった。
「・・・話し相手だ?」
「そう。はっきり言って、僕はここのことをよく知らないからね。特に聖女のことを、聞きたいんだよ」
「・・・・・・いくら払う」
「うーん。スリの上にかっぱらいだ、って突き出してもいいんだけど」
少年が、あからさまに厭なかおをした。事実であっても、やはり掴まるのは厭なのだろう。
「とりあえずは、僕がここにいる間、食事と宿をおごるってことで。宿は、もし君の家にでも泊めてくれるなら君に払うけど。どうかな?」
少年は、鋭い目だけを向けて黙り込んだ。
この時点でもう手は離していたから、逃げられるかもしれなかったけど、そうはしなかった。これは直感だけど、きっと良い奴ではあるんだろうと思った。罪と、心とは何ら対応しない・・・時もある。
「その話、乗った」
そこで少年は一度言葉を止めて、酒をもう一杯追加した。
男はただ、黙ってそれを見ている。
聖女はその夜、短い生涯を終えた。聖女付の世話人の話では、最後の最期まで笑っていたのだという。誰もが、そんな聖女を称えた。そして、次の聖女を望んだ。
「聖女って、どうやって選ばれるの?」
街のほぼ中央にある泉の縁に腰掛けて、僕たちは露天で買った昼ご飯を食べていた。少年には家と呼べるものはないらしく、昨日は安宿に泊まった。
「・・・知らねえよ。神殿のやつらが勝手に見つけてきて、聖女だって言ってんだ」
「ふうん。それで、誰も怪しまないの?」
「聖女が見つかったっていう最初の日は、お篭りってのをやって人前には出て来なくて、その日に会うのは神殿の、しかも限られたやつらだけだ。次の日の、儀式のときにはみんな、穏やかに笑ってる。その笑顔が似てるから、そうなんだって。信じてる」
「随分詳しいんだね。君は? 信じてる?」
「―――何を」
少年の瞳が、強さを増す。
「聖女の存在。意味。本当に声を聞いているのか。――神の存在も」
「どうだっていい」
残っていた昼食を全部、ほとんど無理矢理つめ込んで、少年は立ち上がった。
「ここは人が多いから、いるだけだ。神様がいてもいなくても、俺には関係ない」
そう言って少年は、自然に。ごく自然に、人込みに紛れて姿を消していった。僕はつい、それを見送ってしまっていた。
――もういい。
――まだ、話は残ってるよ。
そろそろがたのきているテーブルを叩いて立ち上がった男に、少年はコップを傾けながら、落ち着いた声で返した。だが男は、苛立っているのか、椅子を蹴り飛ばした。
――貴様、何の目的で――
少年は、コップを置いた。
――知り合いからね。話を聞いたんだ。だから君にも、伝えようかと思って。
男は、少年を睨みつけていた。鋭い瞳で。
まだ幼い少女を囲んで、男たちは神殿へと入って行った。少年は、それを見届けると踵を返して、大きく飛び退いた。
「――なっ、おまッ・・・ッ!」
「あれが聖女? 笑ってないよね、泣いてるように見えたよ」
「・・・お前、何で・・・」
少年は、化け物でも見るような目で僕を見た。実は泉からずっと後をつけていたと言っても信じてもらえそうになかったから、僕はたまたま神殿の近くで見かけたのだとだけ告げた。
「いいだろもう、あれだけ話したので全部だ!」
「で、君は今から何をしようとしてるの?」
そこで、少年は顔を赤らめた。それをごまかすようにして、怒る。
「どうでもいいだろ!」
そうして、走っていってしまった。もちろん僕も、その後を追ったのだけど。
――そうして。
また追加を頼んでいた酒を飲んで、少年は言葉を継いだ。既に、酒豪という言葉で済ませられる量でもなかったが、少年の顔色は全く変わらない。男は、そんな少年を睨みつけたまま動かなかった。
――夜に、少年は神殿に忍び込んだ。その前に、道具屋で剣を盗んでね。少年にはそれは重くて、ひきずってた。途中で門番に見つかってしまって、血を流させたりもして。正直、思っていたよりも剣の使い方は上手だったよ。
少年は淡々と、言葉を紡ぐ。
――聖女――いや、少女は、神殿の地下にいた。笑ってた。心を壊されてね。
裸で、粗末な床の上に転がされていた少女。
少年はそれを見て、そこにいた僕以外の全てを殺して――最後に、少女に剣を降ろした。少女は、笑っていた。
男は、呼吸さえ止まったかのように立ち尽くしていた。しかしその目だけが、深い憎しみをたたえている。
――その夜、神殿は大火事にあった。その日を境に、何故か人々はその地を離れていったそうだよ。水も枯れてしまって、今では、誰も住まないただの砂漠だ。
少年は、空になったコップを置いた。
――ここからが本題。少女は、最後まで君を呼んでいたらしいよ。たった一度、目を見交わしただけの君を。
――何故・・・
男が、吼える。
――何故、今になってそんな話を! 何故、お前はあのときから変わらない! 何故!
――呼ぶ人がいたことは、少女には救いだった。誰も頼れる者のいない少女にとっては、それが救いだった。君が、神だった。
静かに言って、少年は席を立った。テーブルに、自分の分の代金を置いて、男に背を向ける。
――こんな話は面白くないとは思ったけどね。報せておこうと思ったんだ。少女が、いたということを覚えていられるように。じゃあ、もう会うこともないだろうね――盗賊の、カシラ。
うな垂れる男に、少年は澄んだ一言を投げかけた。
――名前を言っていなかったね。本当の名前は昔に言ったから――イザヤと、人からは呼ばれているよ。
男が顔を上げたときには、少年は、深い夜の中に消えていた。
元ネタは、ポルノグラフィティ「カルマの坂」です。